上 下
343 / 533
十四夜 竜生九子(りゅうせいきゅうし)の孖(シ)

十四夜 竜生九子の孖 9

しおりを挟む

 そのまま意識が閉ざされてしまったのか、次に目が醒めた時、舜がいたのは、見慣れた書庫の前室――その床の上であった。
 さっきまで霜と氷で真っ白だったはずの前室だが、見渡す限り、そんな痕跡は何処にもない。――とすると、さっきまでのことは全て夢で――いや、卵の中で見た幻想で、この、今の現実世界で起こったことではなかったのだろうか。
「舜……」
 心配そうなそのデューイの声に起き上がり、机の上の美しい箱を見ると、卵はヒビ一つない姿で、貴重な宝のように納まっていた。
 やはり、さっきの孖龍ふたごとの戦いは、すべて卵の中で起こっていたことだったらしい。
 それにしても――。
 まだ生まれる前だというのに、舜の力をあそこまで受け継ぎ、見事に操って見せるなど……九〇年後に生まれて来た時の力が、末恐ろしい。
 いや、出来得ることなら、この九〇年の間に、魔力を封じて、白龍女公と同じ霊力を受け継いでもらいたいのだが……。
 黄帝の言う魔封じの輪を見つけてくれば、生まれて来る孖龍の未来が変わるのなら――。
 龍でありながら龍ではない――そんな運命から、逃れられるのなら――。
「解ったよ。見つけてくりゃいいんだろ。――で、その『キン・コン・カン』の輪があるガンダーラって、何処にあるんだよ?」
 舜は訊いた。
「違うよ、舜。『キン・コン・カン』じゃなくて、えーと……『カン・カン・ドウ・リツ』?」
 それじゃあ、日本の関西地方の有名私大である。
 まあ、二人とも睚眦がいしの攻撃を躱すのに精一杯で、黄帝の言葉にばかり集中していられなかったのだから、無理もない。
「うーん……何だかとっても別のモノのような気が……。『金・緊・禁』という呪のかかったたがなのですが」
 全くの別物である。
 黄帝の眉間による皺に、隣に立つ白龍女公の面も、心配げなものに変わっている。何しろ、我が子の運命がかかっているのだから――。もちろん、どんな子でも愛しいのは母親なら当然だが、息子が霊力を持てずに生まれて来るのは、やはり心配なのだろう。
「わかったから、その『キン・キン・キン』は何処にあるんだよ?」
 やはり、違うモノのような気がする……。
「唐の時代は、それぞれ三匹の魔物の頭に嵌められていたのですがねェ……。ほら、釈迦が観世音菩薩かんぜおんぼさつに渡し、玄奘三蔵げんじょうさんぞうが魔物を調伏するために使ったものも、その一つですが……」
 西暦六二九年から六四五年、釈迦の命を受けて、天竺へと取経の旅に出てくれる者を探していた観世音菩薩は、同時に釈迦から五つの宝も預かっていた。
 その内の一つは、五〇〇年もの間、五行山の下敷きになっていた猿の魔物の頭に嵌められることになるのだが……。それは瞬く間に肉に食い込み、根が生え、『緊箍呪きんこじゅ』という呪を唱えると、グイグイと魔物の頭を締め付けたという。
 観世音菩薩の慈悲と、玄奘三蔵によって助けられたその猿の魔物は乱暴者で、とても手に負える魔物ではなかったために、緊箍児きんこじという『降魔の輪』を嵌められたのだ。
「ふーん」
 まあ、確かにあの乱暴者の睚眦がいしにはぴったりの輪である。
 とは、口に出しては言わなかったが、今日は珍しく、黄帝の話にチャチャを入れずに聞いていた。
「その輪が、ガンダーラ――今のパキスタンのペシャワル辺りで発見された、というのです。生憎、発見されたその輪は、猿の魔物を調伏していた『緊箍児きんこじ』ではなかったのですが……」
 なら、『緊箍児』はまだ、ペシャワルの何処かにある、ということなのだ。
 そんな訳で、舜とデューイは、TVの情報という、現代の利器によりもたらされた曖昧な情報をもとに、パキスタンの砂漠へと旅立つことになったのである……。


しおりを挟む

処理中です...