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十一夜 猩猩(しょうじょう)の娘
十一夜 猩猩の娘 24
しおりを挟むあれ以来、姫王の――いや、姫王の器を借りていたあの青年は、香月の前には現れなくなった。
姫王は病に倒れ、世継を身ごもることの出来なかった香月の立場は、宮廷では危ういものとなり、次の世継争いで後宮は修羅場となっていた。
醜く、愚かな。
『この黄色い大地は、幾重にも血に染まる時代を重ねる。人が人同士で殺し合うのなら、そなたが僅かばかりの人間を糧にしたところで、誰に咎められようか』
ふと、あの時の青年の言葉が脳裏を過った。
きっと、あの青年ばかりではなく、自分がここにいる意味も、もはや存在しないのだろう。
香月も人知れず宮廷を去り、幾つもの時代を通り過ぎた。
夏の傑王の時代は妹喜と呼ばれ、国を滅ぼし――、殷の紂王の時代は妲己と呼ばれ、酒池肉林の長い夜を過ごし――、楚の文王の時代は息姫と呼ばれ……。
時代と共に名は変われど、変わることのない美で偽りの王を意のままにし――。そう。この永き星霜の王たちは、あの幼き日に召された王に比べれば、紛い物としか言いようがなかった。
我が同族たる、大地の王とは、まるで違う……。
「我が麗しの妃は、何を見つめているのだろう」
ぼんやりと雪が舞うのを眺めていると、李瑁が背から包み込むようにして、優しい腕で香月を抱いた。
若く、凛々しい青年である。
唐の第九代皇帝の第十八子であり、次期皇太子か、という地位にある高貴な身分の持ち主である。
幾星霜を孤独と享楽に生きて来た香月にとって、子供のように自分を覗き込んで語りかけて来る寿王李瑁の眼差しは、ただ真っ直ぐで、くすぐったかった。
「ただ雪を眺めていただけにございます」
そう応えると、
「なら、私を見つめてくれ」
いつも、真っ直ぐな言葉を口にする。
それは不思議なほどに心を占め、胸を落ち着かなくさせるものでもあった。
これまでの永き時に滅ぼして来た王侯たちは、誰もが皆、若くはなく、こんな風に屈託なく笑う者たちではなかったのだから。
「皇……」
唇が触れ、李瑁の手が、衣の襟元から滑り込む。
寒さに冷えた指先さえ、この身には何より暖かい。
「愛している、玉環……。そなたほどに美しく、聡明な妃はどこにもおらぬ……」
白い首筋に舌を這わせ、李瑁が性急に先を求める。
そんな若さも、心地良い。
寒さも感じず、解かれて行く衣装に、香月は黙って身を任せた。
玉環――それが、香月の今の名前である。
どんな名前を名乗ろうとも、誰を自在に操ろうとも、愛しい人を赤眼で見つめることが出来ないのは、今も昔も変わらない。それこそ、何千、何百の歳月が流れようと。
触れれば解ける雪のような乳房を愛撫が包み、さらにその先の官能の中心へと疼きが走る。
このまま、変わらぬ時を過ごせるのなら、これ以上の幸福はないだろう。
だが、変わらぬものなど、この世には、ない。――いや、変わりたくても変わることのできない運命もある。偽りの名を持つことは出来ても、老いも朽ちもしないこの体は、死さえ自分では選べない……。
一つに重なる体から、切ない言葉が零れ落ちる。
「玉環、私を愛していると……」
「愛しております、貴方様だけを……」
名は偽りでも、その心は嘘ではなかった。
この屈託のない皇子を愛していたし、赤眼の虜にしようとも思わなかった。
そんなことをする必要もなく、李瑁は香月を愛してくれた。
若さのままに入り込む情熱も、熱く火照る息遣いも、何よりこの身を満たしてくれる……。
「あ……皇……っ!」
「そなたは、私だけのものだ……」
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