243 / 533
十夜 和氏(かし)の璧(へき)
十夜 和氏の璧 15
しおりを挟む「待てよ! 落ち着けって――」
蛇の怨霊を相手に、落ち着けも待てもないと思うが、この少年、結構、真面目にそういうことを言っていたりするから、そんなところは父親譲りである。もちろん、父親にこれっぽっちも似たくない、と思っている舜には、思いたくもないことであろうが。
「何か想い残してることがあるんだろ? ――うわああっ! だから待てって!」
どうやら、蛇の方は取り合ってはくれないらしい。
以前、舜が共に過ごした死霊は、生前に想いを寄せていた人間を、殺してでも手に入れようとしていたが――生きている時は告白すら出来なかったというのに――死んでしまうと、生きていた時とエゴの度合いが変わってしまうらしいから、この蛇も生前はもっと温厚な生き物だったのかもしれない。
だが、今は――。
『……退け!』
聞いちゃいない。
それでも、言葉を話すからには、舜が言っていることも少しは伝わってはいるはずである。
「一体、何がしたいんだよ? 何のためにここにいるんだ?」
蛇の攻撃を躱しながら、言葉を続ける。
何しろ、相手は力が通用しない怨霊である。話しをする以外に、引き止める手段もないではないか。
黄帝もあの時、死霊に成仏をすすめていたし。
もちろん、それが蛇に通じるかと言えば――。
再び、口を開いて、シャーシャーと威嚇音を立てながら、向かって来る。その攻撃を躱し――た途端、強靭な尾が舜の体を弾き飛ばした。
「ぐ――っ!」
絢爛な建造物に激しく叩きつけられ、全身が潰れるほどの痛みが駆け抜ける。
そこへ、蛇が鎌首をもたげて襲いかかって来たではないか。
濡れ光る牙が、舜を喰らおうと恐ろしい形相で迫り来る。
もちろん、逃げなくてはならない。
だが、舜の体は宮殿の壁に減り込んでいて、痛む体で抜け出すことも適わない。
目の前で、シャーシャーという厭な威嚇音が吐き出される。
――動けない。
喰われる――そう思った刹那、蛇の体が何かに当たって弾かれるように、仰け反った。
だが、一体、何が起こったというのだろうか。
「……やっと来たか」
舜は、苦痛の中で、それだけの言葉を吐き出した。
たった今、舜の体は『和氏の璧』の結界の中へと含まれたのだ。恐らく、舜の位置から百歩以内のところに、若飛が近づいて来たのに違いない。
蛇は、突如として現れた結界に怒り狂い、それでも、『和氏の璧』の結界に圧されて、ジリジリと後ろに退いて行く。
そうする内に、舜の元に、若飛一人が姿を見せた。デューイの姿は、ない。若飛一人だけである。
どうやら、『和氏の璧』を持っていると、蛇の邪心に阻まれて、それ以上進めず、デューイに『璧』を返して、一人でここまで来たらしい。
「あの蛇を知っているか?」
舜は訊いた。
減り込んでいた建物からも、やっとのことで何とか抜け出す。
だが、若飛は即座に首を振り、
「い、いいえ、とんでもない! あんな恐ろしい――」
と、巨大な蛇を震えながら見上げる。
もちろん、その蛇に自分が取り憑かれていたことも知らないのだろう。
『若飛……』
金色の双眸が若飛を見つけて、名前を呼んだ。
「へ、蛇の化け物が喋った!」
名前を呼ばれたことよりも、物の怪が喋ったことの方に驚いたようで、若飛は怯えて後ずさった。
『……化け物?』
いわれ無き言葉を聞くように、蛇が言った。
まるで、己が今、どんな姿をしているのかさえも知らないように。
『この私を……。母を……化け物と……?』
「――母?」
舜が眉を寄せた時、蛇の姿は薄くかすれ、霧が瞬く間に晴れるように、その姿も霧散した。
0
お気に入りに追加
32
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる