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八夜 火鴉(かう)の禍矢(まがつや)

八夜 火鴉の禍矢 6

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 だが――。
「え……?」
 鴉は、壁に打付かることもなく、その壁をあっさりと、通り抜けた。突き破りもせずに、抜けたのだ。まるで、壁など存在していないように。
 太陽が、壁を通してでも、その暖かさを伝えるように。
「に……にーさまっ! おきて、にーさま! ことりが――カラスがカベから逃げたんだ。ケガしてるのに、とんで――っ。はやくっ。はやくったら――っ。カラスが死んじゃう!」
 幼子は、隣の部屋に眠る兄を起こしに行き、それから、《闇の衣》を纏って、朝陽の中へと、飛び出した。
『夜の一族』である彼らには、朝の光りは、何よりも苦手なものなのだ。その光を遮ってくれるのが、頭からすっぽりと覆う、《闇の衣》である。
 身につけたそれは、ぴったりと体に張り付くように、幼子を黒い生き物に変えている。
 太陽の光が降り注ぐ中、鴉は、何度も落ちそうになりながら、ゆらゆらと、また洞窟の方へ飛んで行こうとしていた。
 それを追いかける中、幼子は、兄から、三本の足を持つ鴉は、太陽の中に棲む神獣、火鴉であることを、聞かされていた。
 朝、陽が昇ると同時に現れて鳴き、夕方、日暮れと共にねぐらへ帰る鴉の習性は、彼らが太陽と共に生きているからなのだ、と。
「でも、それならどーして、火鴉はケガをしたの――」
 幼子が言いかけた時であった。
 ヒュン、と向こうの方から、風を切る高い音が、耳に届いた。
「え?」
 と、戸惑う間も、実際には、なかった。
 鳴き声一つ上げずに、鴉が地面に、ぱさり、と落ちた。
 その黒身には、深々と一本の矢が、突き立っていた。
「火鴉を仕留めたぞ! これで、炎を操る力はオレのものだ!」
 そんな声が、高らかに上がった。
 その声を上げた男が姿を見せ、仕留めた火鴉の方へと、足を向ける。
「あ……あ……」
 幼子は、それを、震える心で、見つめていた。
 矢で射抜かれた火鴉が、赤く燃え、矢の中に吸い込まれて行くように、姿を、消す。
 それは、呪いを込めるような、禍禍まがまがしい炎の終焉であった。
「……火鴉は伝説の神獣だからな。みんな、火鴉の力を手に入れようと、躍起になってるんだ」
 兄が言った。
 幼子は、何もしてやれなかった哀しさと、傷ついている火鴉さえ殺してしまう男の非道さに、喉が熱くなるほどの、やり切れない怒りを感じていた。
「や……」
「ん?」
「いやだ……。ぼく……ぼく……たすけてあげようと……ともだちになれると……思ってたのに……」
「……」
「いやだ……。こんなの……こんなのいやだああああ――――っ!」



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