上 下
139 / 533
六夜 鵲(チュエ)の橋

六夜 鵲の橋 1

しおりを挟む


 ユニオン・スクエアから北へ三ブロック、ブッシュ通りとグラント通りが交差する場所に、中国建築特有の、楼門、がある。その門から、グラント通りを北へ八ブロック、コロンバス通りに突き当たるまでの一帯が、世界中に存在するチャイナ・タウンの中でも、西側最大規模を誇る、サンフランシスコのチャイナ・タウンである。
 土産物屋や、夥しい数のレストラン、学校や公共施設、銀行……と、華僑たちだけで社会生活を営める全てが、その一帯に、揃っているのだ。
 そのチャイナ・タウンの一角に聳える、細長いビルの一室――。
「またか」
 七人の中でも、最も高齢と思える老人が、言った。
 幾分、苦々しい響きと、諦めのような溜め息が、混じっている。
 部屋にいる七人のいずれもが老人であったが、誰一人として、死期を迎えようとする弱々しい者は、いなかった。
 その老人たちに、〃また〃の知らせをもって来たのは、三十代半ばの、若い男である。
 精悍な面貌と、分厚い胸板は、意図的に鍛えられた肉体の屈強さを、裏付けている。
 彼の一撃で、その老人たちなど、あっと言う間に、の世へ行ってしまうだろう。
 だが、その男は、老人たちの前に、畏まっていた。
大哥ターゴー(大兄)」
 一番、年長の老人に、そう声をかけ、
「このままでは、犠牲者が増えるばかりです。黄帝様にお願いする訳にはいかないのでしょうか……」
 と、最後の手段のような言葉を、持ち出した。
「伝説の御方か……」
 老人たちの誰もが、難しい顔で、腕を組む。
 彼らにも、判っているのだ。もうそれしか手段はないのだ、と。
 それでも、今までその手段を口にせず、ためらって来たのは、その伝説の帝王が、今回の事件以上に恐ろしく、非情な人物である、と伝わっていたからに、外ならない。
 もちろん、黄帝、というその名は、漢民族の祖といわれる古代伝説中の帝王の名であり、本来なら神と崇めて畏怖するべき人物なのだが――いや、もちろん、ここにいる誰もが、その伝説の帝王を神と崇め、畏怖している。
 それでも、神とは常に、非情で恐ろしい存在なのだ。
「いや……。もう少し待とう」
 老人の中の、一人が言った。
 見事に禿げ上がった頭を持つ、老人である。そのクセ、髭だけは長く伸ばしているものだから、仙人のような印象を、与える。
「ですが、それでは――」
「黄帝様は、もう何千年も前に、人の子の前から姿を隠された、と聞く。今更、人の子の前に、その御姿を見せてはくださるまい」
 男の言葉を遮るように、老人は言った。――いや、老師、と呼ぼうか。
 さっきも言ったように、七人の誰もが、老人、という呼び方の中に見える弱々しさを、備えてはいないのだ。
「……我々は人の子でも、向こうは人の子ではないかも知れません」
「ふむ」
 小柄な老師が、皺深い手で、顎を支えた。
「どうか、お考えくださいませ、大哥、そして、哥哥ゴーゴー(兄)方。遥か昔、我が一族の遠き祖先たる偉大なる呪術師、樹誠シューチョン様は、海から立ち昇る火が天空を貫いた時、黄帝様に救われた、と伝えられております。今一度、黄帝様の御力を貸していただけるよう……」
 男は、最早、懇願にも似た面持ちで、頭を下げた。
小鋭シァオルイよ。そなたの養子やしないごまで消えて、焦る気持ちは解るが――」
「お願いします、大哥、哥哥方」
 男――小鋭と呼ばれた男は、頑なに頭を下げ続けた。
「ふむ……」
 老師たちの視線が、沈黙に帰する。
 再び口を開くまでに、数分かかったであろうか。
 小鋭には、途方もなく長い時間であった。
「よかろう。――むろん、我らの妖術が、まだ黄帝様に届くほどの力を備えていれば、ということが大前提だが」



しおりを挟む

処理中です...