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四夜 燭陰(しょくいん)の玉(ぎょく)

四夜 燭陰の玉 18

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 ゴゴゴゴゴ――っ、と大地が大きなうねりを、上げた。
 亀裂が走り、そこかしこから、赤い熔岩が流出する。
 そして、見よ。震える大地のその下から、恐ろしき二人の麗人が姿を見せたではないか。
「ま、まさか――」
「我らは、死に切れぬ民だ。――土は我らを拒まぬ。本来、土とは相性がいいのだからな」
 その二人は、落下と同時に死んだものの、土の中で蘇り、地中深く守られていたのだ。そして、今、大地を裂いて、姿を見せた。
 太陽の光が掻き消された、暗き世界に――。
 それが彼らの、定め、なのだ。
「はっきりと見えるぞ、おまえたちの姿が。太陽を冠する玉の守護者よ!」
 ゴオオオオ――っ、と四頭の龍が、うねりを上げた。
 空中に四散する数多の砂が、守護者たちの体を、拘束する。
「な……っ」
「うわああ――っ!」
 逃げることも適わずに、ラ・ムーを頂点とする四人の守護者たちの体が、炎に巻かれた。
 黒き影となったその体は、瞬時に塵へと姿を変え、後には灰も残らなかった。
「こっちも……限界か……」
 炎帝が、もう血の一滴も残っていない体を、地面につけた。
 蘇った、とはいえ、光の傷は、そのままなのだ。
 大地が何度も持ち上がり、また沈んでは、大きく震えた。
 火が、瞬く間に町を飲み込み、大陸をそこかしこで、切り離す。
 その中、黄帝もまた、大地に膝を折っていた。
 こちらも、血の一滴も残していないのだ。
「黄帝よ……。そなたが厳しく生きるのなら……私は強く生きるだろう……。たとえ、そなたを犠牲にしても……」
 炎帝は言った。
「承知した」
 黄帝は、その言葉を静かに受け取り、数多の砂を、手元に招いた。
 砂が、炎帝の体を厚く包み、堅き封印を形成する。
「この大陸が海に飲まれても……この砂の封印に守られるそなたは……生き延びることが出来るだろう、炎帝よ……」
 その言葉を最後に、黄帝の体も、崩れ落ちた。
 裂けた大地が二人を飲み込み、激しい火焔と水煙が、二人の姿を奈落へと堕とす。
 栄華を誇った無得(ムウ)大陸は、一夜にして、海の底へと、深く沈んだ……。

「黄帝よ……。そなたが厳しく生きるのなら……私は強く生きるだろう……。たとえ、そなたを犠牲にしても……」




 それから、数カ月――。
 アジアの浜辺に、黒灰色の塊が、流れ着いた。
 まるで、水に触れたマグマが、岩石となったような、代物である。
「……やはり、ここでしたか、黄帝様。……遠視(とおみ)に出ておりました」
 呪力を持つ娘、京仔は、その塊の前に来て、膝をついた。
 黒灰色の塊を、穏やかな眼差しで静かに見つめ、
「あれからずっと、お恨み申し上げておりました、黄帝様……。何故、私の命などお助けになられたのか。――ですが、今は解ります。あの大陸の消滅の中、私が生き残ったのは、今日のこの日のためであったのですね」
 と、口元に至福の笑みを浮かべて言う。そして、衣の胸から、美しい装飾の懐剣を取り出した。
「あなたが血を糧とする魔物であるなら、私は、この身に流れる全ての血を、あなたに捧げることでしょう。それが出来る今日の日を、何よりの歓びに思います」
 シャ、っと懐剣が、斜に走った。
 京仔の腕から、霧のような鮮血が、ほとばしる。それは、瞬く間に黒灰色の塊を赤く濡らし、黄帝の眠る奥深くへと染み込み始めた。
「あなた様の護りで救われた命……。他に、どのような使い道が、ございましょう……。樹誠と明如を助けてくださったこと、心から感謝いたします、黄帝様……。それでも……それでも、心残りがただ一つ……。未来視で視た我が娘……の……」
 京仔は、眠るように瞳を閉じ、黒灰色の塊の上に、崩れ落ちた。それは、夫を愛し、娘の未来を案じた、一人の母親の姿であった。あの日に殺そうとまでした娘――いや、殺してやらなくては、と思った、哀しい運命(さだめ)の娘……。
 訪れた夜が、その美しき者の姿を、包み込む。
 やがて、赤き血が岩の中深く染み込むと、黒灰色の塊が、サラサラと砂が崩れるように、流れ始めた。
 そして、麗しき夜の魔物が、目を醒ました。長き白髪を絡ませながら、ゆうるりとした優美な動きで――そう。あの美しかった黒髪は、全て白髪と化していた。それが、長い海の中での漂流で、岩石に染み込んで来た水の責め苦によって作られたものなのか、もっと別の理由によって作られたものなのかは、判らない。
 体を起こした黄帝が、一番最初に目に止めたものは、こと切れて覆い被さる、京仔の姿であった。――いや、彼はそれを見る前から、気づいていただろうか。
 銀色に輝く髪を靡かせながら、蒼き月を、仰いでいた。
「やはり、私も死に切れぬ運命を持つ生き物なのか、炎帝よ……」



               了



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