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三夜 煬帝(ようだい)の柩
三夜 煬帝の柩 9
しおりを挟むデューイは二週間後に、頼んでおいた血液を売ってもらい、使い捨てのプラスチック・バックに入った輸血用血液四〇〇〇ccを持って、その日の内に南京を離れたのである。
だが、その帰路が問題であった。
すぐ側には美味しそうな血が四〇〇〇ccもあり、どうぞ飲んでください、と言わんばかりに、絶えずデューイを誘惑し続けているのだ。
肩に掛けるクーラー・バックの中からは、バスが揺れる度に移動する血液の流れが、潮騒以上に心地よい、そして、飢えをもたらす響きとなって、デューイの耳に届いていた。
水よりももっと濃い、その音が。
とろり、とろり、とろり。
飲んでほしい、飲んでほしい、飲んでほしい。
と、狂いそうになるほどの誘惑を、続ける。
デューイの琥珀色の双眸は、カッ、と赤光を閃かせ、捲れ上がった唇からは、最早隠しようのない、鋭い乱杭歯が突き出していた。
もちろん、デューイはそれを必死に隠し、血を飲みたい、という衝動を懸命に堪えていたが、クーラーの中の血液バックは、そのデューイを嘲笑うかのように、ぴちゃ、ぴちゃ、と悩ましい音を立て続けて、いた。
臭覚も聴覚も、より一層敏感になっている。
ほんの一ミリの血液の動きさえ、デューイの耳は捕らえてしまうのだ。
『夜の一族』の宿命である。
デューイは、ギュ、っとこぶしを握り締めた。
普段はかきもしない汗が、額に滲み始めている。
面貌はさらに蒼白であった。
何度も、血を飲んでしまいたい、という衝動に駆られた。
その度に、ミイラと化してしまった舜のことを思い出し、堪えてはいたが、もうそれも限界に近づきつつ、あった。
南京を後にして、わずか三〇分後のことである。
少しくらいなら、という甘い囁きが、デューイの胸に堕ちたのだ。ほんの一口飲めば、狂いそうになるほどの喉の渇きも癒され、ずっと楽になるだろう、と。
そして、デューイは、バスを、降りた。
暗い一角に入り込み、直ぐさまクーラーの中から血液バックを取り出し、中の血液を一口、含む。
甘い香りのする血液は、今までの苦しさを、嘘のように消してくれた。そして、恍惚たる時間さえも、もたらしてくれた。
だが、一口では終わらなくなっていた。
確かに、喉に通したその時は、渇きも瞬く間に癒やされるのだが、喉を通ったその後は、さらに激しい渇きが襲って来るのだ。
デューイは、一つのバックだけ、と決めて、その血液バックの中身を飲み干した。
さっきの一口よりも、さらに潤される美血であった。干上がっていた喉は安らぎに包まれ、極楽のような恍惚感に満たされる。
だが、その潤いも、またすぐに、凄まじい飢えに変わっていた。
いつの間にか、デューイは、また買いに行けばいい、と開き直り、四〇〇〇ccの血液を、全てその場で飲み干していた。
もちろん、それでも渇きはすぐに襲って来た。
後悔と情けなさだけが押し寄せて来る刹那である。
血を飲んでいる時だけが――その一時だけが、『夜の一族』にとって、唯一、渇きから解放される時間なのだ。
憫れ、としか言いようのない宿命であっただろう。
デューイはまだ、『夜の一族』になって、半年しか経っていないため、舜や黄帝の手助けなくして、血の誘惑に抗うことは、他の何よりも難しいことなのだ。
「ごめん、舜……」
その日、デューイが舜の元へ血液を持って帰ることは、適わなかった……。
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