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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)
二夜 蜃の楼 12
しおりを挟む古代中国では、蜃の吐く気で出来る楼を、海市蜃楼――即ち、蜃気楼であると考えていた。
だが、本来の蜃気楼は、地面、または海面に接した部分の空気の温度が非常に高く、または低くなると、その部分の空気の光に対する屈折率が変わり、遠くの物体や風景が、違った位置に見える、というものである。
だが、この世界に映っている楼は、その限りでは、ない。遠くは遠くでも、この世ではない別の遠くの世界から、この地の空間に映し出されているのだ。
そして、それは、死を超越し、天地冥界を支配したい、と願った秦の始皇帝の妄執の地であっただろう。
恐らく、彼と同じように、不老長生の仙薬や仙人を求めて之罘山に入ったものが、呼び込まれるようになっているのだ。舜の目的は不老長生ではないが、《神仙術》を使う仙人を探していた、ということで、こうしてここに呼び込まれたのかも、知れない。
「そういや、之罘山は蜃気楼がよく見えることで有名な土地だったな」
舜は、巡り巡った閣道を歩きながら、呟いた。
一応、仙人探しが目的であったために、それくらいの情報は頭の中に入っているのだ。
之罘山も、蜃気楼がよく現れる、というその神秘的なイメージから、神仙思想と縁の深い土地となったのだろう。
三神山伝説が生まれ、始皇帝が不老長生の仙薬や仙人を求めて三神山を探求させたのも、それ所以である。
阿房宮から巡り巡った閣道は、驪山の始皇陵に続いていた。
七〇万人の徒刑囚を動員して築かれたその御陵は、阿房宮に勝るとも劣らない規模を持つ、地下宮殿である。
阿房宮を天帝の棲む紫微宮とするなら、そこはまさしく彼の世――冥界であった。
外から中の様子は見えないが、その内部には、数千に上る等身大の官吏や兵士、馬などの土偶が備えられ、また、人口の川や海には水銀が絶えず注ぎ込まれ、人魚の膏を使った永久に消えない燈りが灯されている、という。
舜がその入り口を潜ろうとした時であった。
ヒュン、と風を裂くような音が、高く鳴った。
舜の心臓めがけて、鋭い鏃を持つ仕掛け矢が放たれたのだ。
だが、この危険のない楽園に、何故、そんなものが仕掛けてある、というのだろうか。いや、デューイが共にいたならば、それが地上の宮殿から移された財宝を守るための仕掛けであり、近づく者を察知して、自動的に放たれるものだと知っていたかも、知れない。そして、前以てその入り口の危険性を、舜に告げてもいただろう。
だが、今はそのデューイとも別行動を取り、舜は一人でここへ来ていたのだ。しかも、以前にも言ったように、舜には、そんな昔の話など、興味の破片もなかったため、当然、その仕掛けのことも、知らなかった。
加えて、考え事をしながら歩いていたために、それに気づくのも、わずかに遅れた。そして、それは致命的な遅れであった。
「くっ!」
身を翻そうとしたものの、打ち放たれた仕掛け矢は、舜の心臓をものの見事に射抜いていた。
そして、舜の頭に過ったのは、例によって、大きく溜め息をつく黄帝の姿であった。
だが、今回のことに関しては、舜の方にも、言い分はある。この世界でなければ、舜もデューイの奇襲を躱した時のように、難無く避けることが出来ていたはずなのだ。そんな仕掛け矢のスピードなど、舜にはどうということのないものであり、たとえ、不意の出来事であったとしても、余裕を持って対処できるものであったはずなのだ。
しかし、この世界に限っては、そうではなかった。
血の匂いが全くしないこの世界では、舜の五感や六感が、極端なほどに鈍っているのだ。
山で道に迷ってしまった時から、舜の視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、直感――その全てが正常でなくなってしまっていたように。危険に対しての反応速度さえ、普通の人間と変わらないものになっている。
光の中で平気でいられることも、血の匂いを全く感じないことも、異常としか言えないのだ。
心臓を深々と貫いたその仕掛け矢は、鏃を舜の背中から覗かせて、まるでそこが褥でもあるかのように、動きを止めて、眠りについた。
そして、舜の動きも止まっていた。床に倒れ、二、三度、痙攣のように軽く跳ねる。
呼吸が止まり、心臓も止まった。
ほとんど即死に近い状態であった。
瞼の裏が白く染まり、舜はそのまま、息絶えた。
ゆら、っと空間に歪みが生じたのは、その数秒後のことであっただろうか。
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