上 下
46 / 533
二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)

二夜 蜃の楼 12

しおりを挟む



 古代中国では、オオハマグリの吐く気で出来る楼を、海市蜃楼ハイシーシェンロウ――すなわち、蜃気楼であると考えていた。
 だが、本来の蜃気楼は、地面、または海面に接した部分の空気の温度が非常に高く、または低くなると、その部分の空気の光に対する屈折率が変わり、遠くの物体や風景が、違った位置に見える、というものである。
 だが、この世界に映っている楼は、その限りでは、ない。遠くは遠くでも、この世ではない別の遠くの世界から、この地の空間に映し出されているのだ。
 そして、それは、死を超越し、天地冥界を支配したい、と願った秦の始皇帝の妄執の地であっただろう。
 恐らく、彼と同じように、不老長生の仙薬や仙人を求めて之罘山に入ったものが、呼び込まれるようになっているのだ。舜の目的は不老長生ではないが、《神仙術》を使う仙人を探していた、ということで、こうしてここに呼び込まれたのかも、知れない。
「そういや、之罘山は蜃気楼がよく見えることで有名な土地だったな」
 舜は、巡り巡った閣道を歩きながら、呟いた。
 一応、仙人探しが目的であったために、それくらいの情報は頭の中に入っているのだ。
 之罘山も、蜃気楼がよく現れる、というその神秘的なイメージから、神仙思想とゆかりの深い土地となったのだろう。
 三神山伝説が生まれ、始皇帝が不老長生の仙薬や仙人を求めて三神山を探求させたのも、それ所以である。
 阿房宮から巡り巡った閣道は、驪山の始皇陵に続いていた。
 七〇万人の徒刑囚を動員して築かれたその御陵は、阿房宮に勝るとも劣らない規模を持つ、地下宮殿である。
 阿房宮を天帝の棲む紫微宮とするなら、そこはまさしくの世――冥界であった。
 外から中の様子は見えないが、その内部には、数千に上る等身大の官吏や兵士、馬などの土偶が備えられ、また、人口の川や海には水銀が絶えず注ぎ込まれ、人魚のあぶらを使った永久に消えない燈りが灯されている、という。
 舜がその入り口を潜ろうとした時であった。
 ヒュン、と風を裂くような音が、高く鳴った。
 舜の心臓めがけて、鋭いやじりを持つ仕掛け矢が放たれたのだ。
 だが、この危険のない楽園に、何故、そんなものが仕掛けてある、というのだろうか。いや、デューイが共にいたならば、それが地上の宮殿から移された財宝を守るための仕掛けであり、近づく者を察知して、自動的に放たれるものだと知っていたかも、知れない。そして、前以てその入り口の危険性を、舜に告げてもいただろう。
 だが、今はそのデューイとも別行動を取り、舜は一人でここへ来ていたのだ。しかも、以前にも言ったように、舜には、そんな昔の話など、興味の破片かけらもなかったため、当然、その仕掛けのことも、知らなかった。
 加えて、考え事をしながら歩いていたために、それに気づくのも、わずかに遅れた。そして、それは致命的な遅れであった。
「くっ!」
 身を翻そうとしたものの、打ち放たれた仕掛け矢は、舜の心臓をものの見事に射抜いていた。
 そして、舜の頭に過ったのは、例によって、大きく溜め息をつく黄帝の姿であった。
 だが、今回のことに関しては、舜の方にも、言い分はある。この世界でなければ、舜もデューイの奇襲を躱した時のように、難無く避けることが出来ていたはずなのだ。そんな仕掛け矢のスピードなど、舜にはどうということのないものであり、たとえ、不意の出来事であったとしても、余裕を持って対処できるものであったはずなのだ。
 しかし、この世界に限っては、そうではなかった。
 血の匂いが全くしないこの世界では、舜の五感や六感が、極端なほどに鈍っているのだ。
 山で道に迷ってしまった時から、舜の視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、直感――その全てが正常でなくなってしまっていたように。危険に対しての反応速度さえ、普通の人間と変わらないものになっている。
 光の中で平気でいられることも、血の匂いを全く感じないことも、異常としか言えないのだ。
 心臓を深々と貫いたその仕掛け矢は、鏃を舜の背中から覗かせて、まるでそこがしとねでもあるかのように、動きを止めて、眠りについた。
 そして、舜の動きも止まっていた。床に倒れ、二、三度、痙攣のように軽く跳ねる。
 呼吸が止まり、心臓も止まった。
 ほとんど即死に近い状態であった。
 瞼の裏が白く染まり、舜はそのまま、息絶えた。
 ゆら、っと空間にひずみが生じたのは、その数秒後のことであっただろうか。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...