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二夜 蜃(シェン)の楼(たかどの)

二夜 蜃の楼 2

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「闇雲に歩いたって……仕方がないだろ……。昼間は休んで……夜、動いた方が……」
 何やら一般常識とは掛け離れた言葉であるが、デューイはそう言って、舜の背中を呼び止めた。途切れ途切れの口調であることが、その苦しみを裏付けている。
 彼は、生まれながらの『夜の一族』である舜とは違って、ついこの間、仲間入りをしたばかりの新米なので、体力の面でも差があるのだ。
 そもそも、生まれながらの『夜の一族』の中でも、舜のような特別な能力を持つ者は、極、稀である。
「――ったく。だからオレは、こいつを連れて行くのは厭だ、って言ったんだ。それを、黄帝の奴が……」
 舜は不機嫌を露に足を止め、息も絶え絶えのデューイを振り返った。
 ここで言う黄帝とは、舜の父親のことである。呼び捨てにしてはいるが、それは当人を前にしていないからこそ出来ることであり、実のところ、その父親は、舜に取って一番怖いものである。ついでに、一番嫌いな存在でもある。
 とにかく、その黄帝の命令で、舜は仕方なくデューイと共に、この山へとやって来たのだ。――いや、ここへ行きたい、と言ったのは舜の方であるが、それは飽くまでもの話であり、足手まといになるであろうデューイを連れて来る気は、さらさら、なかった。
 別に、デューイのことを嫌っている訳ではないのだが、元来、人と共に行動することが嫌いなのである。今まで、父親の監視下で不自由な生活を強いられていた(?)反動かも知れない。一人で自由に行動することこそ、舜の望みであったのだ。しかも、今のデューイは、隙を見せれば舜にとするのだから、危なくて仕方がない。
 まあ、彼をそんな風にしてしまったのは、舜の責任でもあるのだから、その点を突かれると何も言えなくなってしまうのだが……。
「五分だけだぞ」
 と、無愛想に言う。
 五分では休憩にもならない、と思われるかも知れないが、普通、舜の場合、五分も熟睡すれば、どんなに寝不足が続いていても、頭はすっきりと冴え渡る。
 その熟睡とは、音も何もしない、暗くて安全な場所で、ということが絶対条件だが、ここはその条件を満たしてはいない。確かに何の物音もせずに静かではあるが、どこに危険が潜んでいるか判らないのだ。
 熟睡している場合、人がすぐ側まで近づいて来ても判らないため、外ではそんな眠り方をしないのが常識である。普通の浅い眠りなら、どんなに小さな物音であろうと、危険と判断すれば、目は開く。
 だが、デューイは木の根元に体を預け、完全に熟睡していたりする。まだ一族の者としての自覚が足りないのだ。
「このまま置いて行こうかな……」
 その舜の呟きは、九割九分まで本気であった。
 残りの一分は、黄帝の命令という絶対的なものであり、舜のデューイに対しての負い目でもある。
 そもそも、この旅の始まり、というのが……。


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