上 下
290 / 350
Karte.12 性同一性障害の可不可―違和

性同一性障害の可不可―違和 25

しおりを挟む


 車のヘッドライトを正面に見て、梨花はどうしようもなく足を止めた。
 後ろからも、すぐに男が追い付いて来る。
 目の前には、それ以上に恐ろしい闇色のリムジン。
 もう、走り出す勇気は、梨花にはなかった。
 怖くて、怖くて。
 男の影が後ろに立ち、梨花の肩に手をかけた。――その時、目の前のリムジンのドアが、静かに開いた。
 姿を見せたのは、夜の中でも長身が際立つ青年だった。
「君も一緒にいたのか」
「……春名先生?」
 まさか、と思いながら、それでも聞き覚えのある声に、梨花は呆然と問いかけた。
 もう一人、車の中から降りて来たのは、いかにも夏らしいステテコ姿の老人と、その老人に傘をさすスキルの高そうな美女だった。まだ車の中には誰かいるようだったが、出て来る気配はなさそうで……。
 梨花には、何が何だか判らなかった。
 だが、これだけは伝えておかなくてはならない、そのために圭吾が逃がしてくれたのだから。
「先生……。警察に――。すぐに警察を呼んでください!」
 梨花は言った。
 だが、その言葉に応えたのは、春名ではなく、その隣に美女と立つステテコ姿の老人だった。
「警察ほどあてにならんもんはない。じゃの道は蛇、ゆうてなぁ。ここはわしに任せてくれんか、お嬢ちゃん」
「お嬢……ちゃん?」
「ん? ああ、これはすまん、すまん! 年寄りは目が悪うてな。仕草や話し方からそう思ったが、女の子じゃなかったかのう」
「女の子ですよ」
 横から微笑んで、春名が言った。
 初めて会う人に女の子だと思ってもらえて、梨花はこんな時なのに、それが嬉しくてたまらなかった。
 だが、今はそんな感情に浸っていられない。背後には、もう一人の男も、圭吾を盾にするように襟首をつかみ、車の方へと近づいて来ていたのだから。そして――。
「ろ……六代目……!」
 目玉の皮が剥けそうなほどに目を見開き、目の前の老人をそう呼んだ。
 もう一人の男も、直立不動で固まっている。
 老人の方は、といえば、のんびりと頬を掻きながら、
鷹司たかつかさ興業の商売に口ぃ出すつもりはないが、かあちゃんが煩そうてなぁ。この美人の先生の頼みを断ったら離婚や言い腐る。そんなわけで、ここはわしの顔に免じて、手ぇ引いてやってくれんかのぅ」
 言葉は柔和なものだったが、そこには有無を言わせぬ何かがあった。たとえステテコ姿であろうとも。
 男たちも、
「も、申し訳ありませんっ! あねさんのお知り合いの方とは存じませんで――!」
 と、首根っこを掴んでいた圭吾の服の襟を、今にも整えそうな勢いで、畏まる。それはそうだろう。このLGBTクラブで働くヘラヘラした優男を助けるために、関東一円を取り仕切るヤクザの大親分が出て来たのだから。
「いやいや、すまんのう。――じゃが、警察の手が入ると厄介なことになるからのう。この先は少し大人しくしとった方がええかものぅ」
「は、はっ!」
 しばらくは臓器売買は控えろ、ということである。そこにはもちろん、堅気の人間以外にしておけよ、というニュアンスも含まれていて、完全にやめろ、と言っている訳ではないのだが――。
 恐らく、明日、圭吾が警察に自首をして、知らずに臓器売買に手を貸していた、と告白しても、警察がその言葉を信じて動いてくれる頃には、何の証拠も痕跡もきれいさっぱり消し去られてしまっているのだろう。警察の手が組織に及ぶことは、彼らにとっても不都合極まりないことなのだから。
「なら、帰るかのぅ。せっかく『ぶりてぇっしゅ・がーでん』の手入れをしておったのに、今日はこれで半日が潰れてしもうた」
 そんな六代目の言葉に、
「明日、僕の秘書が手伝います」
 車の中を垣間見て、長身の精神科医、春名が言った。
「うんうん、あの年で両親ともに亡くして、健気に生きておるなど――。仕事に困ったらいつでも頼って来るといい」
 どうやら、涙もろい一面もあるらしい。
「あー……いえ、彼は今、僕が雇っていますから」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

ヒューストン家の惨劇とその後の顛末

よもぎ
恋愛
照れ隠しで婚約者を罵倒しまくるクソ野郎が実際結婚までいった、その後のお話。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

処理中です...