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Karte.12 性同一性障害の可不可―違和
性同一性障害の可不可―違和 7
しおりを挟むバイト先から自宅へ戻るために自転車置き場へ向かおうとした時、
「梨花……?」
と、聞き知った声が、背中に届いた。見れば、『Xセオリー』で、割と気の合う話し相手だった紗耶香が、今日は男の姿で立っていた。――いや、彼でなくとも、『Xセオリー』に集う会員のほとんどが、普段は体の性に合った格好で過ごしている。
「紗耶香――」
口に出してそう呼んでから、梨花は慌てて周囲を見回した。お互い、『Xセオリー』での呼び名しか知らないのだが、ここでその名前を呼び合うのは、不似合い過ぎる。今日の梨花は少年、紗耶香は青年の姿をしているのだから。
お互い、それに気づき、それからは名前を呼ぶこともなく、男としての言葉を選んで喋り始めた。梨花も荘司という少年に戻ったのだ。
「学校の帰り?」
「ううん、バイト」
まずは、そんな当たり障りのない会話から始まり、
「最近、Xに来てないよね?」
と、少し紗耶香が踏み込んで来る。大学の帰りなのか、バイトの帰りなのか、ラフなシャツとジーンズは、化粧気のない顔によく似合った。
「精神科に……行ってる」
「え?」
「お金が貯まったら手術できるように」
「ああ、ジェンダー・クリニックのこと?」
「その病院にはないんだけど――。今から精神科で診察を受けていれば、早いうちに日本で手術を受けられるかも知れないから――。だから、Xで使ってたお金は、診察費に取っておかないと」
どうしても話題は、そんなことになってしまう。それが一番の悩みで、関心事項でもあるが所以に。
「そういえば、美野里のこと、聞いた?」
紗耶香の口からその名前が出て、梨花は一瞬、ドキッとした。さっきまで美野里のことを考えていたこともあるし、自身の自傷行為のことを知られているような気がしたからでもある。
何と応えようか迷っていると、
「あっちへ行ってから、全然連絡が取れないらしいよ」
紗耶香が言った。
「え?」
思いもかけないことだった。あの美野里のことだから、きっと日々の体の変化をさぞ自慢げに皆に連絡しているだろう、と思っていたのだ。
「薬の副作用がひどくて、大変なのかもね」
そんな話は、梨花も聞いたことがある。頭痛、悪寒、嘔吐、食欲不振、体重増加――。肝機能や腎機能にも問題が出て、かなり酷い症状を訴える人もいるという。
「無事に帰って来られるのかなァ」
紗耶香の話は、他人事だった。――いや、梨花にしても、ホルモン剤の副作用に関しては耳にしたことがあるが、それは運の悪い人に起こるもので、身近な誰かが苦しむものとは思ってもいなかったのだ。もちろん、自分自身に起こるとも――。
だが、この胸が――自分の胸が膨らんで、柔らかい乳房が形成されるのなら、どんな苦しみでも耐えられる。乳がんのリスクや体の苦痛よりも、この十数年間の心の苦しみの方が、遥かに大きなものなのだから。
「前にも、ヤミで手術を受けた人の話を聞いたことがあるけど――あ、噂だからね。手術後一カ月も痛みに苦しんで、シンガポールで手術をやり直して、それから三カ月たっても頭痛や痛みが続いて、もう一生このままなんじゃないか、って人もいるんだって」
「でも、美野里は圭さんの紹介で……」
「案外、顔を見せなくなった『X』の人たちって、手術の失敗でどうにかなったか自殺したか……みたいな人も、いるかもね」
「……」
――手術の失敗……。
そう。手術という人の手に頼ることなのだから、必ずしも良い結果が得られるとは限らない。自分が思い描いていたものと違う体になったり、重い副作用に苦しみ続けることだって考えられる。
だが、それは海外の知らないところで受けた場合のことであって、この日本で、信頼できる医師の連携のもとに受けたものなら……。
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