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Karte.10 天才児の可不可―孤独
天才児の可不可―孤独 20
しおりを挟む退院をして、またいつもの毎日に戻った頃――ロージーはいなかったが――、
「ドクター・春名――」
暁春は、長身の青年精神科医に言葉を向けた。
もうどうしても黙っていることが出来なかったのだ。
「ん?」
いつもと変わらない春名の黒瞳が、柔らかく細まる。
まるで、暁春が話そうとしていることを、知っているように――。
――言ってもいいのだろうか。こんなことを、この何にも出来ない精神科医に。
だが、もう黙っていられない。自分一人では、これまでもどうすることも出来なかったのだから。
ロージーを救った、この医師になら――。
「嫌な感じがする……」
暁春は言った。
ずっと嫌いでうっとうしいと思っていた他人なのに、こんなことを話してしまうほどに、この精神科医と話すことが当たり前になっているなど――。
「嫌な?」
「母さんが事故に遭った時よりも、もっと悪い感じが……」
何とも言えない激しい喪失感と、重苦しい不安。
「――それはいつ頃から?」
順序立てて聞こうとする春名の言葉は、暁春の『気味の悪い』言葉にも、特に変わった様子は見受けられなかった。
――このまま話してもいいのだろうか。
いや、心はもう決まっている。それに、暁春に判るのは『悪い予感』だけで、いつも止めることが出来ないのだ。
「今朝、そんな気がした……。それ以上のことはわからない」
何が起こるのかそれが判れば、一人でも対処のしようがあるかも知れない、というのに。
「解った。僕も君と、君の周辺に気をつけていよう。君には視えていないことが何か解るかも知れない」
「――」
――ぼくに視えないことが、ドクター・春名の視点からなら……。
今まで考えたこともない言葉だった。
暁春に視えないことは誰にも視えない――今までずっと、そう感じて来たのだから。
そして、このタチの悪い学校の中でも、一人ぼっちではない、と思える言葉だった……。
それから暁春の不安は消えないまま、母親の姿が見当たらなくなった。
スクールバスの乗降場に迎えに来なかっただけではなく、家にも帰って来なかったのだ。
嫌な予感を感じて以降、特に変わったことはなかったが、『嫌な予感』が何であったか知れるのは、いつも起こった後なのだ。
そして、春名にもどうすることも出来なかったに違いない。
学校で起こることならともかく、暁春の家で起こることまでは、さすがの春名も気をつけようがなかっただろうから。――いや、母親と一緒に暮らしていた暁春でさえ、その気配に気づきもしなかったのだから。
朝まで――暁春をスクールバスの乗り場へ送って行くまでは、何の変わりもない、いつもの母親だったのだ。朝食を食べるのを急かしたり、先生の言うことは聞かなきゃだめよ、と釘を刺したり、忘れ物はない? と確認したり……。
何故。いなくなってしまったのか、解らない。
――本当に?
もう一人の自分が、意地悪く訊く。
本当に、母親が自分を置いて出て行く理由に、何一つ心当たりがないのか、と――。
『またそんな気味の悪いことを! いい加減にしなさいっ』
――気味が……悪い……。
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