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Karte.6 不老の可不可-眠り
不老の可不可-眠り 2
しおりを挟む「今回は諦めるか」
車の窓に吹き付ける雨に、春名は仕方なく車を迂回させた。
この嵐では、観光という気分でもない。もちろん、そう度々来ることが出来る訳ではないのだから、残念なことは残念だが……。
そんな思いを抱えて道を辿っていると、いつの間にか、前を走る車は一台もなくなっていた。テール・ランプも、対向車線を走る車のヘッド・ライトもなにもない。
嵐の日に出歩く物好きもいないらしい。
だが、道はいつしか上り坂になり、辺りは樹木が生い茂る森となり……とくれば、嵐のせいには出来ない。
「先生、ぼくにはこの道がレニングラード街道には見えませんけど……」
仁は、嵐に鬱蒼とした森を横目に、不安を灯して口を開いた。
「そういう厭味な言い方をしなくてもいいだろう。その内出るさ」
春名の気楽な返答に、
「だといいですけど……」
狭くなって行く道幅は、とてもそうは思えない。
「心配するな。勘はいい方だ」
「勘って――。土地勘のない場所で、そんないい加減なっ」
「Ничего(何とかなるさ)、だよ」
「何が『Ничего』ですかっ。こんな時にそんな呑気な言葉を――。完全に迷ってるんじゃないですかっ」
「Хорошо」
「『Хорошо』じゃないですよっ」
「ほら、言っている間に標識を探してくれないか?」
春名は、仁の言葉を遮るように、嵐の中へと目を凝らした。
「この雨でどうやって探すんですかっ。もし、あったとしても、きっと、『狼に注意』の標識くらいですよ」
「スラヴ民話じゃあるまいし――。死者の魂は狼となって復活する、ってか? こんなところで吸血鬼伝説は似合い過ぎるからやめてくれ」
「……。この森なら、きっと出ますよ」
嵐に閉ざされた暗い森。
轟く雷鳴と、蒼い稲妻。
スラブの『人狼伝説』の似合う森。
昔、呪術師は狼に変身出来たという。或いは、呪術師によって狼に変えられた人間がいたと。
ロシアやポーランドでは、婚礼の場で、新郎新婦、出席者の全員が狼に変えられた、という民話が広く分布し、東スラヴでは、狼に変身したことのある人間、または罪人が吸血鬼になる、と考えられていた。罪を犯した人間は、母なる大地が受け入れてくれず、土に還れずに彷徨い歩くと……。
だが、酷寒の北国ロシアでは、土葬された死体が腐らないことは充分に考えられるし、不思議ではない。
「先生、また道が細くなりましたよ」
一方を断崖に塞がれる道を見て、仁は言った。
樹木だけでなく、苔の生した岩肌のせいで、余計に圧迫感を感じるのだ。雷鳴の轟く暗い森は、不気味としか言いようがない。
「今日は満月じゃないでしょうね?」
その言葉に、
「三十半ばにもなって、吸血鬼狩りの気分を味あわせてもらえるとは、嬉しい限りだ」
春名が薄く瞳を細める。
もちろん、仁は、ムッ、として、
「ぼくが悪いって言うんですかっ。ぼくは、ロシアがいいかドイツがいいか、先生にちゃんと訊いたじゃないですか! そうしたら先生が『せっかくチャイコフスキーも没一二〇年を迎えたことだから、ロシアに行こう』とか言って――。だからぼくは――」
「はいはい。私が悪うございました」
ものすごくムカつく態度である。
「……」
仁は、キュっと唇を噛みしめた。
「――泣くことはないだろう?」
「泣いてませんっ!」
言い合いをしている内にも、森はさらに鬱蒼とし、道は細く悪くなって行く。Uターンを出来る場所もなく、どこかの町に出そうな気配も、全く、ない。
「先生、ぼくが運転しますよ。ずっと先生ばっかり……」
「免許も持っていないくせに何を言っているんだ」
「この森のどこに警官がいるって言うんですか」
「心配するな。疲れてはいない。――それに、道があるならその内どこかへ出るさ」
この状況で、軽く請け負える気楽さが、羨ましい。
もちろん、仁はそこまで楽観できず、
「……。吸血鬼城ですか?」
「クックッ。この辺りなら、名門貴族の城か、別荘の方がまだ現実的だ」
「……」
嵐の森は、その言葉が現実的とは、思えなかった。――いや、暗い嵐でなければ、この森も美しく輝く緑豊かな光の地なのだろうが……。
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