上 下
11 / 350
Karte.1 自己愛の可不可-水鏡

自己愛の可不可-水鏡 10

しおりを挟む

「先生は……笑うと少し兄さんに似てる」
 安堵するような眼差しで、珠樹が言った。その表情には、焦がれ、というものも混じっていたかも、知れない。
「安心出来るということ? それとも、そういう仕草だけ?」
 春名は訊いた。
「また質問ですか?」
 皮肉げな口調だった。
「クックッ」
 春名は笑いをかみ殺し、持て余した指をこめかみに、当てた。
「そういうちょっとした仕草が、似てる……」
 ――似てる……。
 彼の基準は全て、兄、なのだ。
「冬樹君の帰国は?」
「三週間後です。でも、ぼくがミラノに行かなければ、すぐに戻って来る」
「仕事を放って?」
「ぼくが心配だから。――先生も兄弟が入院したら、仕事を休むでしょう?」
「……」
「どう思われてもいい……。ぼくは冬樹がいないと生きていけない。ぼくは冬樹の半身だから……」
 珠樹は自嘲のように、視線を落とした。
「君は一人の人間で、大人だ。ぼくは同性愛を非難している訳でも、一人で生きろと言っている訳でもない。一人の人間としての自覚を持つべきだ、と言っているんだ。――解るね?」
 それが理解できなければ、この問題は解決しない。もちろん、この二十数年間、信じ続けて来たことを、急に変えられはしないだろうが。
 珠樹も黙って瞳を伏せている。
「顔を上げて……」
 その珠樹の頬に手を伸ばし、長い指を静かに重ねる。
 戸惑うような瞳が持ち上がった。頬にはうっすらと朱が差している。
「君に触れているのはぼくの手だ。解るね?」
「……はい」
「冬樹くんの手が触れていても、それは別の人間の手だ。解るだろう?」
「……」
「もっと自分に自信を持つといい」
「……自信?」
「ああ。自惚れる必要はないが、君は魅力ある一人の人間だ。君が認めていなくても、俺がそれを認めている」
「先生が……?」
 珠樹の表情が、茫と変わった。
「ああ。君は聡明で、頭のいい人間だ。自信がつくまでここにいなさい。看護師が喜ぶ」
「え……っ。そんなことっ」
「クックッ。――行っていいよ。今日はもう何も訊かない」
 春名は、珠樹の頬から手を離し、煙草を銜えて席を立った。
「あの――。何かテストをするんでしょう? DSM……何とかを元にした、そういう――。NPIとか、ロールシャッハとか。先生の本に……」
「ん、ああ。必要な時は」
「じゃあ、診察は今のだけですか?」
「今のだけで給料をもらっている医者は楽に見える? ――それとも、ぼくに何か話したいことが?」
「……」
「その気になったら話すといい」
 実際、気が長くなければ、目に見えない病気など扱っていられない。そして、患者のペースに合わせてこその治療でもある。
「……先生は毎日?」
 まだ何か言いたげに、珠樹が言った。
「毎日、という訳には行かないが」
 外来もあるし、入院患者の病室ばかりを回ってはいられない。
「……。シカゴにいらしたでしょう? 大学時代からずっと」
「ん、ああ。君たちの先輩に当たる訳だ」
 彼らと春名は、同じ大学の出身になる。もちろん専攻も違い、十年という年の開きはあるが。
「ぼく、先生の本、読みました。『自己病理学セルフ・パソロジー』『自由意志フリーウィル率先性イニシャティブ』『自己愛ナルシズムの数式』『正常ノーマル異常アブノーマルの公式』……。他にも――」
「……」
「先生に会ってみたいと思っていました。先生と日本の病院で会えるなんて思わなかった」
 熱心に頬を紅潮させ、珠樹は憧憬の眼差しで春名を見上げた。
「君自身の意思で会いたい、と?」
「あ、はい。母から先生の名前を聞いて。それでここに……」
 話は、またしばらく続くことになった。
 その話の間、珠樹はここでの治療に不満を見せる様子はなく、むしろ、楽しみにさえしている様子で、熱心に言葉を綴っていた。
 だが、彼が治療を受ける気になっていても、彼にはまだ、切り離すことの出来ない兄がいるのだ。
 春名はその問題を見つめるように、銜えた煙草に火を点けた。


しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友人Yとの対談

カサアリス
ライト文芸
ひとつテーマを決めて、週に1本。 制約も文字数も大まかに設定し、交換日記のように感想と制作秘話を話し合う。 お互いの技量に文句を言わず、一読者・一作家として切磋琢磨するシリーズです。 テーマはワードウルフを使ってランダムで決めてます。 サブテーマは自分で決めてそれを題材に書いています。 更新は月曜日。 また友人Yの作品はプロフィールのpixivから閲覧できます。

ガラスの世代

大西啓太
ライト文芸
日常生活の中で思うがままに書いた詩集。ギタリストがギターのリフやギターソロのフレーズやメロディを思いつくように。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...