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Karte.13 籠の中の可不可―夜明
籠の中の可不可―夜明 35
しおりを挟むイサクが言うような煙の臭いは、春名たちには嗅ぎ取れなかったが、外へ出てみると庫裏の一角が炎を上げ、闇を真っ赤に染めていた。
「火事だ!」
「井、井戸から水を――っ」
慌てる沼尾に、
「風呂の残り湯も!」
火の手から一番近く、たくさんの水が確保できる場所を、仁が叫ぶ。
「仁くん! 君は小春ちゃんたちと一緒に離れているんだ。火の回りが早い! 庫裏の中には戻るな!」
仁の足では、すぐに逃げるという訳にはいかない。
古い木造の庫裏は、一旦火の手が上がると、建物を舐めるように燃え広がり、激しい熱を撒き散らした。
一体、何故こんなところから火が出たのか――。
鍋やバケツを手に水を汲み、何往復しても焼け石に水――。炎は衰えるどころか、ますます範囲を広げるばかりで……。
「……消防車が来るまで持つかな」
火の粉が飛び交い、舞い上がり、すでにバケツリレーの及ぶ範囲ではなく……。火の恐ろしさをまざまざと見せつけられる有様だった。
「先生! もう離れてください! それ以上は無理です!」
仁がそう叫ぶのも尤もで――。もし、気付かずにあのまま庫裏の中にいたら、あっという間に煙に巻かれていたに違いない。
ここまで燃え広がっては、消防車が到着してもどれ程の助けになるか。延長ホースをつないで消火にかかるころには、庫裏は焼け崩れているに違いない。
「これ、間違いなく放火ですよ、先生……」
火の気のないところから突然出火した不審火に、仁が言った。
「燃え広がるのも早かったから、油か何かを撒いたかもしれないな。――皆、怪我もなくてよかった」
そう言って、春名はここに四人しかいないことに気づいたのだ。
「彼は?」
と、確かに庫裏から一緒に出て来たはずのイサクの姿を問いかける。
「そういえば……」
「サクちゃん、一緒にいたと思ったのに――」
皆で辺りを見渡したが、火で照らし出される範囲に、その姿は見当たらない。
「村の人たちが来る前に帰ったんですね、きっと」
彼が森から出ていることを知られたら、また、大変な騒ぎになる。それこそ、小春の幼い日の記憶にあるようなことが、再び起こってしまうかも知れない。
「僕たちにも村を出て行け、っていうことなんだろうね、これは」
沼尾が、何もかも焼き尽くす炎を見て、顔を顰める。何しろ、身の回りのものを何一つ持ち出すことが出来なかったのだから、一旦ここを引き上げなくては、どうにもならない。そう思った時――、
「サクちゃん!」
すでにかなりの高温になっているはずの庫裏の玄関から、イサクが大きな荷物を引きずりながら姿を見せた。四人が使っていた部屋の中までは、まだ火が回っていないだろうが、すでに煙が充満し、目を開けていることも出来ないはずである。
「まさか! 僕たちの持ち物を――」
沼尾が駆け寄ろうとするが、炎の放つ熱は近づくことも許さないもので、顔の前に手をかざして足を止めた。
「煙に巻かれたらどうするんだ!」
春名も同様に近づけない。
そんな熱風の中を、部屋に吊るしてあった蚊帳に詰めた荷物を引いて、イサクが煤だらけの姿で歩いて来る。
「取り敢えず、大事そうなものを入れておいた。――じゃあ、もう帰るから」
と、二人に、蚊帳で作った即席の袋を渡して、翻る。
「あ、待ってくれ――! また近いうちに――」
春名が言いかけると、
「今度はこちらが招待するよ。――森に……」
イサクの姿は、夜の闇に紛れて、消えた……。
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