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Karte.13 籠の中の可不可―夜明
籠の中の可不可―夜明 13
しおりを挟む「サクちゃん……」
少女の目から、涙がぽろぽろと零れ落ちた。
きっと、今まで誰も、彼女の話をまともに聞いてくれなかったのではないだろうか。
彼女の声など聞こえていないように、皆が彼女の言葉を無視したのでは――。或いは、否定し続けたのでは。
まるで『サクちゃん』などという人物は存在しなかった、とでも言うように……。
「サクちゃんは……いたの……。私といっしょに……遊んでたの……」
「――友達だったんだね?」
「なんども言ったのに……だれも……」
「サクちゃんのことを聞かせてくれないか? 君の話を聞くために来たんだ」
春名が言うと、少女はぺたんと座り込み、長い間の空白を埋めるように、忘れたくても忘れられないその日の記憶を語り始めた。ゆっくり、ゆっくり、ひと言ずつ、自分が見たものを確かめるように。
「サクちゃんは……」
その少年は、小川の向こうに広がる森――そこを隔てた里に住んでいる、と言ってた。少女自身は行ったことはなかったが、サクちゃんがそう言っていたのだ。自分たちは、森に囲まれた里に住んでいるのだと。
森の周囲は、春には山査子の白い花が咲き、きれいだった。
秋になると、赤い実がたわわに生って、小川のこちら側から、皆でその実を眺めていた。
「――眺めて?」
普通、子供なら、その実を採って口に含みたい、と思うのではないだろうか。
「山査子の実は……」
少女が遠くを見るように――いや、記憶にある山査子の木を眺めるように、言葉を続ける。
山査子の実は毒だから、鳥たちすら啄みに来ない。もし、啄む鳥がいたとしても、少しずつ、中毒を起こさないように口にする。
だから、小川の向こうの山査子の森に近づいてはいけない、と大人たちは言っていた。
森には恐ろしい化け物がいて、森に入った子供を食べてしまうから。
だが、ある日――。
一人の少年と目が合った。
かごめかごめ……そんな遊びをしている時に、小川を越えた森の中から、たった一人でこちらを見ていた。
知らない少年だった。村では見かけたことがないし、学校で会ったこともなかった。
『どこから来たの? 森に入っちゃいけないのよ』
少女が言うと、
『ぼくたちは森の中の里に棲んでるんだ。――でも、誰にも言っちゃダメだよ。森から出ちゃいけない、って言われているんだ』
『入っちゃいけない森から、出ちゃいけないの?』
『ここでは、昔からそう決まってるんだ』
『……昔?』
『ああ、昔』
何だかお互いに変な決まりを守っていることがおかしかった。そして、お互いに決まりを破ったことが、特別な秘密になっていた。
『こっちに来たら?』
『山査子の木は越えられないよ』
『わたしは小川を越えたわ』
『いいの……?』
『うん。――わたしは、小春っていうの。みんな、ハルちゃん、って呼ぶわ』
『ぼくは、イサク……』
『じゃあ、サクちゃん!』
それから二人は秘密を共有し、小春は禁断の小川を越え、イサクは森から姿を見せ、誰にも内緒で何度か遊んだ。あやとりや折り紙――村の男の子がやりたがらない遊びにも付き合ってくれて、『かごめかごめ』の遊びのことも興味深げに訊かれた。
『意味? かごめかごめの? ――さあ。きっとだれも考えないよ、そんなこと。遊びの歌だもん』
何も悪いことなどしていなかった。ただ、二人で会って、話をして――本当に、ただそれだけのことだったのだ。
それが……。
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