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3.繋がないことの優しさ
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しおりを挟む「……なんなんだあいつは」
急に現れた女に驚きながら、ガキに構っている暇は無いと拒絶を告げれば、背中に間抜けな音と痛みを感じた。
『綾瀬、ダサい…!!』
それは俺が、自分を責め続けて全てを閉ざす桔帆に苛ついて口にした言葉だ。なんなんだよ、まじで。ガキがこんなとこまで1人で来んな。一丁前に人の言葉を引用してくんな。
大体こんな所まで来て先生に許可は取ってんのか、と思った瞬間、楽しそうな笑顔が思い浮かんで、もはや差金はあの男のような気さえしてくる。女が走り去った方向をただ、ぼんやり視界に収めながら立ち尽くす。やけに必死な顔が瞼に焼き付いて、うまく剥がれない。
手で目元を覆い隠して溜息を吐きながら、家を出る直前、玄関で待ち伏せしていたあの男との会話が再生される。
『今日の夕飯は俺が作ろうかなと思ってるんだよね』
『…あ、そ。俺は今日帰らないけど』
『ええ!!?困るよ!!シノさんのたこ焼き屋、本日限定オープンだよ!?』
『何で俺がそれに惹かれると思ってんの?』
『綾瀬、大丈夫だよ。はやく帰っておいで。待ってるから』
話が最後まで噛み合わないと首を捻って家を出た。でも待っているというあの言葉を投げてきた先生は、いつもどこまでを見通しているのだろうと思う。あれはただの見送りの言葉じゃなくて「ちゃんと片付けてこい」が含まれていたのかと、今、背中を勝手に押してくるそれに苦く笑った。
さっきは店先で話をしただけだったから、こうしてきちんと実家を訪れるのは、高校卒業以来、初めてかもしれない。確実に“疎遠“だった。
それなりに力を込めないと動きそうにない体に気付いて、息を吐く。
そして玄関のドアに手を伸ばそうとした瞬間、背後から抑揚の無い声に名前を呼ばれた。先ほど、親子とは思えない雰囲気の中で会話を交わした親父は、俺をじっと視線の真ん中に見据える。
「お前に、この店を継がせる気は無い」
そして男は再び、その言葉を口にした。夏の青葉を通り過ぎた陽の光が等しく降り注ぐ中、聞こえたそれを頭で繰り返す。分かってるよ、もう分かってる。
──でも、俺は。
まとまり切らない気持ちを吐き出そうと口を開いた途端、いつも口数の少ない男が言葉を重ねてきたことは意外だった。
「それは、お前が生まれた時から決めていた」
「………は?」
「俺の親父の時から、経営状態はもうそんなに良くなかったからな。俺の代で終わらせることは、最初から決めていたし、母さんにも伝えてた」
「……、」
「綾瀬」
「……なんだよ」
サラサラと目の前で話を続ける男の言葉を、俺は間抜けな顔で口を開いたまま、ただ耳に入れていた。今まで聞いたことのなかった話を、急にこんな所で、いつも通りの口調でしてくんなよ。そう言いたいのに、迫り上がる何かが喉に突っかかって上手く言葉が出ない。
「俺も母さんも、お前に継いでほしいと思ったことは無い。苦労をかけると分かった状態で、お前に押し付けることはしない。それは、俺達の意地だ」
「……そんなこと、知らねえよ」
「だから、手伝えってお前に言ったことなかっただろ」
そうだ。昔からただの一度だって、言われたことがなかった。周りや俺自身がそういうものだと知る中で、ただの一度も。何を勿体ぶってんだって、どうせなら早くそっちが決めつけてくれと何度も苛立った。
なんでこの男は、そういうことを早く言わねえんだよ。
「お前は、スポーツもそれなりに出来たのに、特に続けようともしないし。"あの子は熱中できるものは無いのか"って母さんがよく嘆いてたぞ。」
『あんた、学校楽しい?』
あれは、全てにおいて中途半端に取り組んで、店から視線を逸らす俺を叱責する言葉だと思っていた。
「…お袋が倒れた時、怒ってお前には継がせないって言ったんじゃなかったのかよ」
「何の話だ。あれは簡単に部活を辞めようとするお前に怒ったんだ。母さんのこと、お前が責任を感じる必要は無い」
「じゃあ、そういう風に、言えや」
まじで、なんなんだ。言葉が不足し過ぎている。髪を雑に乱しながら舌打ちして吐き出した口悪い文句と共に、視界に映る全ての輪郭が曖昧になった。
「…綾瀬。大学は楽しいのか」
俺は反骨心のようなくだらないものを携えて、文学部を選択した。
──でも、変な大学教授が教えてくる日本語学は、思った以上に自由だった。日常の1番近くに存在する、言葉というもの成り立ちを知るのは、想像以上に地道だ。ここまで定着するには当然歴史があって、遡ればキリが無くて、千年以上前の文献を読み漁ることも多い。
まるで沼のように広がっていく研究に頭を抱える俺を「日本語学は沼に入ってなんぼ、だよ。お前は素質ある」なんて調子良いこと言って楽しそうに笑う男を、側で見るのは嫌いじゃなかった。
「……大学院まで行くって聞いて、母さんは漸く好きなことを見つけたのかって喜んでたぞ」
「そんな高尚な理由じゃねーよ」
「ん?」
「院に行けば就職する時期が2年間延びるだろ。……その間に、あんたがやっぱり継げって言ってくるかもしれないって、思ってたんだよ」
俺はどうやら、馬鹿だったらしい。
お前に継がせる気は無いと、自分だってそんなつもり毛頭無いと、そう思っていた筈なのに。頭の何処かで、この人から店のことを任されたら、その時は。
「まあ継いでやってもいいけど」と言える猶予を作っていた。
だから俺は、"一番弟子"とかそんな良いもんじゃ無い。自分が決めた筈の進路の中でも、逃げ道作ってばっかりだった。だから、その呼称をすんなり受け入れられなかった。
「……お前は勉強ができる割に、馬鹿なんだな」
感慨深そうに告げてくる目の前の男を思い切り睨むと、俺とよく似た形の瞳は、反対にゆっくりと細まった。濃く滲み出る笑い皺は今までこんな近い距離でしっかり目撃したことは無い。
反論をする前に、俺より少しだけ背の低い男が、俺の頭に手を伸ばしてきたと気付いた時には、ぎこちなく置かれた手に何度か撫でられた。
「…昔からお前が、店をずっと気にかけてくれてたのは知っている。周りも当然のようにお前が継ぐことが前提だし、店を畳むケジメがつくまでは、こっちも簡単には"継がせる気はない"とは言えなかった」
「……」
「でも此処で終わらせることは、お前のせいじゃ無い。お前には、繋がない」
昔から勝手に決められていたかのように見えた将来に「継ぎたく無い」とは言えなかった。でも、そのくせに店がいつか無くなってしまう、そんな恐怖だけは勝手に抱えた。
「綾瀬」
「なんだよ」
「ずっと、ありがとうな。俺達が守ってきた店をお前も同じように、大事に思ってくれて。それだけで充分だ」
す、と一筋だけ頬を伝うものを見ていた親父が一層柔らかい表情を向けてくる。
「もう良いから。──お前は、好きなことをしなさい」
雁字搦めだったものが、あっさり解ける感覚を知る。
本気で取り組むものなんか、好きになるものなんか、今まで適当に生きてきた俺には今更出来ないと思っていた。どこか、心で制御していたのかもしれない。店を捨てておいて、好きなことを見つめるのは罪のようにも思えた。
『私はそんな風には見えない。だって綾瀬、好きでしょ?研究が好きだから、後輩にも伝えたいんでしょ…?』
本当はとっくに、そうだったのか。自分自身より先に気付いて的を射るあの女はやっぱり面倒だし厄介だ。
「あら!なんかでかい男がいると思ったら、あんた帰ってたの」
流れを無視したお袋が、玄関を開けて話しかけてくる。この人は昔、入院していたとは想像できないくらい元気だ。口が達者過ぎて、俺と父親の言葉を全て吸い取るくらいの勢いを持っている。
「……あのさ」
「何?」
「──俺は、今が多分、1番楽しいわ」
「……そう」
脈略なく突然告げた俺に目を丸くした母親は、数回の瞬きの後、ゆっくりと頬に笑みを乗せて頷いた。
「あんたなんで背中汚れてるの?」
「…猫にやられた」
「猫?」
「そう言えば、お前は梶さんと付き合ってるのか」
「はあ?」
「あんた他所で恥ずかしいこと言わないでよね」
「…何がだよ、言ってねーよ」
発言についていけず、眉間に皺を寄せると父親が珍しく破顔して俺の名前を呼ぶ。
「綾瀬。一つだけ約束して欲しい」
「……何」
「これからも、お前の得意料理は湯豆腐と冷奴だって言い続けてくれたら、それだけで良い」
「、」
「恥ずかしい男ね~ほんと」
「…それ、あいつが言ったわけ?」
何故、この2人が知っているのかと瞠目しても顔を見合わせる親は呑気に笑い合っている。焦りと恥を悟られることの方が拷問だとなるべく平静に問うと、此処に来た"お前のお隣さん"が教えてくれたと、告げた。
『綾瀬さんの得意料理は、湯豆腐と冷奴だそうです。なんだそのふざけた答えって、思ったんですが、思い出がちゃんとあるからだったんだなって、大事にしたいんだなって、今、知りました』
やっぱりあの女は面倒だ。余計なことを言うなと舌打ちを落としながらも、俺に靴を投げつけて逃げた背中を思い出して、駅へと走った。
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