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3.繋がないことの優しさ

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◻︎

「…お、お邪魔します」

「どうぞ」

お店の前で綾瀬のお父さんに見つかった私は、何故か本人も居ないのにこうして家の中に足を踏み入れている。あの暴君にバレたら、私はどうなるんだろう。

「…あら!どなた?」 

「綾瀬のお知り合いだそうだ」

「え、そうなの!初めまして、あれの母です」

可愛らしい声で玄関先までやってきた女性は、チェック柄のエプロンを付けて、目を瞬く。ふわふわと可愛らしい笑顔のまま、綾瀬を“あれ“と呼ぶそのちぐはぐさに、私はやっと緊張の糸を少しだけ緩めて深くお辞儀をした。そしてそのまま、どうぞ入って、と促してくれるご両親を流石に丁重にお断りした。
玄関先の構造は、ちょっとだけシノさんの家に似てるかも知れない。靴箱の上にドライフラワーや小物が飾られていて、シノさんの家よりは、お洒落な雑貨が多い。

「と、突然すいません。えっと、私は綾瀬さんの…」

──私は、綾瀬のなんなんだろう。

きっと同居人なんて言ってしまったら、話が変な方向へ進んでしまうことは間違いない。

「綾瀬さんの知り合い、の、梶 桔帆と申します」

「…綾瀬がお世話になっています。あれは口も態度も悪いから付き合うの大変でしょ」

ええ、本当に。

深く頷いてそう言ってしまいそうになったが不自然に動きを止める。慌てて首を横に振って否定するけど、綾瀬のお母さんは楽しそうに微笑んだ。

「…急に、実家に戻ると言われて。私は何も関係がないのに、追いかけてきただけなんです。綾瀬さんも、私が此処に居ることは知りません。ごめんなさい」

不安を隠しきれない声が、玄関先で漂って、消えていく。ご両親も、顔を見合わせて戸惑っているのが分かる。私は本当に、一体何をしに来たのだろう。

「…梶さん。あいつが今日ここに来たのは、僕たちがお店をもうすぐ閉めることを決めたからです」

綾瀬によく似た表情が、冷静に、だけどどこか穏やかな声で教えてくれた。

「…あいつは馬鹿だから。それを上手く受け入れられないんですよ」

「……綾瀬は、お店を継ぐつもりだったんですか…?」

「逆ね、継ぎたいわけじゃ無いし自分は関係が無い。そう思っている筈なのに、どこかでこの店が無くなることを1番受け入れられないで、引きずってる。あのね、あの子本当に馬鹿なのよ」

ご両親は簡単に綾瀬のことをこぞって「バカだ」と笑う。でもその表情は慈愛に満ちていて、胸を強く締め付けられた。

「……店を閉めるのは、僕たちの意志です。綾瀬が責任を感じることは当然、何もない。俺たちのことなんか気にしなくて良い。だから梶さん、あいつをこのまま連れて帰ってくれませんか」


“迎えに行ってあげたら?“

シノさんの声が聞こえる。
ねえシノさん。私は、それで良いのかな。

『あいつは一人っ子だから。家の問題も全部1人で抱えきって、そういう姿に心配になることはあった』

綾瀬のことを何も知らない私が、勝手に無理やり連れて帰るのは、違う気がする。そもそも大人しくあの暴君が従う気もしない。

「……今から此処に、綾瀬を連れてきます」

「え?」

「だから、そしたら、お2人からきちんと綾瀬に"馬鹿"って、伝えていただけませんか」

突如宣言した私に2人とも困惑と共に目を丸くしている。だけど、やっぱり私では意味が無いと思う。だってあの不機嫌な男は、2人に会うために此処へ真っ直ぐ帰ってきた。



「私、探しに行ってきます…!」

お邪魔しましたと一礼して玄関を出ようとしたところでふと、思い出す。再びゆっくりと振り返った私を、ご両親が何処か可笑しそうに見ていた。自分の慌ただしい挙動が恥ずかしくなる。
それでも、どうしてだか、テーブルを挟んでいつも私の料理に文句を言う不機嫌な男を思い出したら、言っておくべきだと、徐に口を開いた。



◽︎


綾瀬の実家を後にした私は、田んぼの畦道を走ってあの男を探す。土が道にも上がってきていて、決して綺麗だとは言えない細い道で、足がもつれそうになりながらも必死に走った。
そして、見晴らしの良い広々とした黄色の田園風景に全く溶け込まない男を、私は簡単に見つけた。


「綾瀬!」

朝出会った時と同じ、ベージュのロンTにテーパードパンツ姿の男は、ぼうっと何を見るでもなくそこに静かに立っていた。私の方を振り返ると、その顔が分かりやすく固まる。

「………お前、何してんの」

「綾瀬。今すぐ、綾瀬の実家に戻って」

「は?」

「綾瀬のご両親と話した。2人と、」

「……俺、お前に言ったよな、詮索すんなって」

ポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと近づいてくる綾瀬は私の言葉を遮って、切れ長の目で私を見下ろす。

「……うるさい」

「は?」

「私だって、あんたに詮索して欲しくなかったよ…っ、」

ズケズケと私の傷に触れて、ダサいって文句言って、
──最後は、迎えに来たくせに。



「でも、綾瀬は私のこと放っておいてくれなかった。だから、私だって勝手にする」

「……お前は、本当に面倒くさい」

冷めた溜息を漏らされたら、それだけで心が揺れる。でも、さっきの2人の笑顔を思い出して足に力を入れ直した。ごくりと唾を気休めに飲み込んで、喉を上下させる。

「…綾瀬は、此処に残りたいの?」

「さあ。どうでも良い」

「………どうでも、良い?」

「俺は常に適当な逃げ道を選んでるだけだから。やってることに特に意味ねえし、暇潰し。昔からそういうやり過ごし方すんの、得意分野」

「……研究も…?」

毎日夜遅くまで論文書いて、今日だってあんな風に後輩の指導データも作って。そういう日々の全て、本気じゃ無くて、ただの暇潰しだって言うの?
吐き捨てるような嘲笑と共に落とされた言葉は、傷だらけだ。この男は自分で自分を攻撃して、大事にする前に、自ら手放そうとする。

「私はそんな風には見えない。だって綾瀬、好きでしょ?研究が好きだから、後輩にも伝えたいんでしょ…?」

「あのな。ガキの友達作りとは、ちげえんだよ。そんな単純なもんじゃ無い」


“お前とは違う“

否定して突き放す言葉を簡単に告げる目の前の男に、もっと心が揺れた。

『自分のことを否定するのは、何より寂しいし心も体も消耗する。他人を否定するのの比じゃない』

シノさん。私が今日ずっと心が痛かったのは、この男が自分を傷つける言葉ばかり使うからだよ。
──そうだ。綾瀬はずっと、寂しそうなんだ。


「分かったらさっさと帰れ。まだ明るいから1人で駅までいけるだろ」

低く掠れた声で告げた綾瀬は、くるりと向きを変えて簡単に私から離れていこうとする。

『また酷いこと言われたら、殴ればいいよ。綾瀬はそこまでを見落とすような奴じゃ流石に無いから』

咄嗟に私は自分の靴を片方脱いで「私、後で倍返しされるんじゃない?」なんて不安を感じる前に、靴を掴んだ腕を大きく振り上げていた。それが男の背中にクリーンヒットしたと目で確認した瞬間、ぽかっと、聞いたことのない間抜けな音が、静かな秋風が舞う畦道に落ちた。


「………は?」

「綾瀬、ダサい…!!」

「、」

「自分の言いたいことも、お父さんたちの言いたいこともちゃんと聞かないで、こんなとこでよく分かんない顔して佇んで、格好いいと思ってんの…!?」

「……え、なんでお前そんな怒ってんの?」

「ダサい綾瀬はもう帰ってくんな…っ!女の人と如何わしいことして暮らしてればいい!!」

「でかい声で、まじで何言ってんの?」

「さよなら!!!」

私、こんな大きな声出せたんだ。ズンズンと、綾瀬を追いかけてきた筈の道を戻るように歩みを進める。だけど、その瞬間、片方の靴が無いことに気付く。再び振り返って、呆気に取られる男の前に寂しく落ちているスニーカーを急いで回収した。そしてそのまま、なんの格好もつかないままに、綾瀬と視線を合わせることなく、勢いよく走り出した。人にこんな風に、怒りながら自分の感情をぶつけるのは初めてかもしれない。
シノさん。私にはやっぱり上手にできないよ。

だけど、悔しかった。あの男は、人のことは偉そうに追いかけてきて肯定してきたくせに、簡単に自分のことは否定する。不自然に何故かぼやける視界の中でも、稲穂の黄色は眩く光を放って優しく揺れていて、滑稽な私をまるで慰めてくれているようだった。




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