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2.ちぐはぐな友達

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「……なんだこの力士が食べるデカさのおにぎり」

「文句言うなら食べなくて良いです」

無理やり起こされた私は、怒りに任せて荒々しく握った丸々とした塩むすびを2個、男の前に差し出した。元々朝食を用意したことも今まで無かったし、昨日炊いていたお米を使うくらいしか方法が無い。「具とか入れろや」とぼやく男をスルーして洗い物をしてると、背中からやっぱり愛想の無い声で「おい」と私を呼ぶ。

給湯器の丸いボタンを押して水を止めた私は徐に振り返る。

「…お前、学校は?」

「……夏休みですよ、今」

「……補講とかあるだろ。お前の学校の制服着た生徒、全然見かけるけど」

突拍子もない問い掛けに、平静は装えただろうか。こういう時、学校に家が近いのは弊害なんだなと冷静に思う。そしてこいつが、私の通っていた学校を知っていたのも少し意外だ。

「自由参加なので。別に行く必要無いです」

「ふーん。一応あの高校、進学校なんじゃねえの」

視線を逸らしたままに、私が用意したおにぎりを食べにくそうにかぶりつく男の意図が分からない。興味が凄くありそうな態度でも無いくせに、ズケズケと遠慮なく突っ込んだりして、何のつもりなんだろう。



「…関係ないです」

水滴で濡れた手を、台所下の棚の取手に引っ掛けていたタオルで雑に拭う。「洗い物はシンクに置いておいてください」とその場から逃れようとする。

「───梶 橙生とういってお前の兄貴?」

「、」

その刹那、トーンを一切変えることなく男が投げかけた言葉は、私の体をいとも容易く硬直させた。嫌だと思う頭に順応するように心臓も不静脈に変わって、心と体の繋がりを思い知る。

「………なんで、」

「それに載ってた」

細い指が示したのは、テーブルに置かれていた新聞だった。シノさんが取っている地方紙で、毎日配達されてくるそれは特に読むこともなく溜まって積まれていくだけだと思っていた。

「…お前の兄貴、この街の“期待の星“なんだな」

「何が言いたいんですか」

心を黒い波が襲う。しかし目を吊り上げていくら睨んでも、男は全く気にしていない様子だった。

「昔からこの辺じゃ有名な秀才が、住宅のリノベーションに特化したベンチャー企業立ち上げて地域創生にも力入れて。優等生を絵に描いたような男だな」

ぎゅう、と自然に握りしめた拳は爪が掌に食い込んでいて痛みを伴う。賞賛しているにしては、冷静でどこか他人事のような評価は、ただひたすらに私の息を詰まらせる。

「で?」

「…は…?」

「お前はそんな兄貴と比べられて、分かりやすく拗ねて、燻ってるわけ?」

「、」


『──桔帆。桔帆は、大丈夫なのよね?』


「そうだったら」

「……」

「……そうだったら、良かったですよね」

兄と比べられるくらいの場所に居られたら、幸福だったかもしれない。
吐き捨てるように放った言葉は寂しくその場に溶けた。男はおにぎり片手に全く表情を変えることなく、だけど真っ直ぐに私の発言を受け止めているようだった。切れ長の色素の薄い瞳や日本人離れした真っ直ぐな鼻梁によって構成された面立ちは、思い切り崩れるはなく、一層冷たさを助長する。そのくせに正面から捕らえられると逃げ道がどんどん沈められていくかのような鋭さを兼ねる。

「……お前が何をそんな拗らせてんのか知らねえし、興味も無い」

だったら土足で勝手に人のテリトリーの中に入ってこないで欲しい、とは上手く言えなくて下唇を噛む。

「…お前さ、本当に友達いねえの?」

「居ない、ってこの間も言いましたよね」

「……じゃあ。“友達になりたい“奴は?」


こいつは、一体なんなの。何かを知っているのか、何も知らずにただ振り回して来ているだけなのか。いずれにしても、食事の片手間に問うような男に、こんなにも乱されていることが悔しい。

「…そんなのいません」

微かに震える声で絞り出すと、男は急に立ち上がって私の目の前まで、長い脚で容易く距離を詰める。

「……お前、"それ"、格好いいとか思ってる?」

「は…?」

「ダサくて、苛々する」

「っ、」

不機嫌な声のまま私を見下ろして告げた男は、いつの間にか手際よく洗い物を済ませて私の前を素通りしていった。
ダサくても、もう、そんなことはどうでも良い。早く、この日々を終えてしまいたい。

──これ以上、人を傷つけずに居たい。










あれから、どのくらい時間が経ったのだろう。男が出て行った後、何をする気にもなれなくて、そういう時は無意識のうちにやはり縁側に来てしまう。ゆっくりと瞳を開けるともうすっかり日は暮れて、混じり気のない透き通ったオレンジの空が視界を占領した。寝転んだままの私を、静かな蒸した暑さが包んでいた。洗濯物を干し終えて、縁側と庭の掃除と草むしりをしたところで、そのまま寝てしまっていたのだと気づく。

直ぐそばに放置されていたスマホを見ても、特にメッセージは来ていない。シノさんは、あの後も結局電話には一度も出てくれない。「これはどういう状況なのか、変な男が先に住んでいた」と問い詰めるメッセージに《バカンスなう》なんて、ふざけた一言だけの返信が来ていたのが昨日。そこからまた返信は途切れているし、帰って来たら絶対に許さない。


「…もう、こんな時間…」

そろそろ夕飯の用意をしないとまずい。ネットに丁寧に掲載されているレシピに頼り切っているはずなのに、それでも毎回ぼやけた味になるのは何故なんだろう。冷蔵庫の中にどんな食材があったか考えつつ、起き上がった瞬間インターフォンの音が聞こえた。

私がこの家に来てから、こんな風に来客を知らせるベルが聞こえるのは初めてだ。誘われるようにゆっくりと玄関に向かうと、自分とは変わらないくらいの背丈のぼやけたシルエットが玄関の外に設置された照明に照らされ、引き戸のガラス越しに映っていた。

一瞬躊躇って、それでもゆっくり扉に手をかける。



「梶、」

「なんで家まで知ってんの?」

「…前に、後つけたから」

ハスキーな声で白状する女は、今日は大きな黒のギターケースを背中に担いでいる。猫のような吊り目に、丸っこい鼻、宵闇に異質に光るアッシュの髪から覗く、右耳軟骨に付いたシルバーのピアスがよく目立つ。

「……もう会いにこないでって言ったけど、私」

「あの不機嫌そうな男と、付き合ってんの?」

「は?」

「そうじゃ無いなら、なんか弱みでも握られてんの?」

畳みかけるような質問と共に、ドア枠に手をついた女は切迫した表情そのものだった。どうして今もまだ、そんな、私を心配してるみたいな声を出すの。

「……亜久津あくつ、私はもう、優等生には戻らない」

「、」

「だからって別に、グレたりもしないから」

「……梶」

「中途半端に此処に存在して、時間が経つのを待つだけだよ。私は、どうやらダサいらしい」

今日あの男に言われた表現は確かに言い当て妙だと思う。やけっぱちな笑みと共に、目の前の女に視線を合わせると、猫のような瞳がまるで今にも泣きそうなくらい揺れた。──だから、なんであんたが、そんな顔するの。


「梶。あたし、あんたに近づかなきゃ良かったってずっと後悔してる」

「…そう」


当然だ。だってずっと、私は傷つけ続けた。当たり前の言葉だと頭では分かるのに、お門違いに痛む胸に、まだまだ自分の甘さを思い知った。「じゃあ2度と来ないで」と、以前伝えた時より声が震えたりしないよう集中した。言葉を紡ぎ終え、顔は引き攣りながらも口角だけはなんとか上げたつもりだ。そのまま、その場から逃げ出した。



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