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1.ピンク色の無い花束
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しおりを挟む「それに梶さんの優しさはもうしっかり受け取ったから。これからは大丈夫」
胸に手を当てて態とらしく確かめるように告げられたそれに顔を歪めれば、声を出して笑う男に少しずつ脱力していく自分がいる。
「うちの奥さんもそう言うと思うんだよね。豪快だから。気にしないわそんなのって多分笑うね。」
「……、」
「どうした?」
「どうして、私に奥さんのこと教えてくださったんですか」
『早く帰って、奥さんに渡したらどうですか』
あの時の冷たく突き放すような私の言葉は、この人にとって絶対に傷をつけるものだったに違いない。わざわざ私なんかに本当のことを言う必要なんて無かったのに。
「梶さんと、友達になりたいから」
「は?」
「僕も自分が隠してる部分は曝け出そうかなと思って」
「……そのためだけに?」
「うん」
ケロリと語られる言葉に拍子抜けしてしまう。そのまま軽やかに私を通り過ぎて、ブランコに座った。「ほら、梶さんも乗って」なんて隣のブランコを指さしてくる。立ち尽くす私は、きゅ、と拳を握りしめてその場から動けない。
「東明さんは、変だと思います」
「よく言われるね」
「私は、人を傷つけるのが得意なんです」
「へえ、それは物騒だね」
「…冗談とかじゃ無いです。だから私に近づいても、後悔するだけだと思います」
自分自身が言うのだから、間違い無い。説得力はある筈だ。もう誰かと距離を近づけることはしないと決めた。突き放すことは1番の得策だと分かっているし、早く帰って欲しいと伝えようとした瞬間だった。
「……梶さんは、人からの気持ちを受け取るのが下手だと思ってたけど。自分の与えた言葉が人にどう届いてるかを予想するのも下手なんだね」
「……」
「梶さんは、寂しいね」
「……さび、しい?」
「自分のことを否定するのは、何より寂しいし心も体も消耗する。他人を否定するのの比じゃない。でも梶さんは、ずっと1人でそうやって頑張ってる」
「…別に、頑張ってないです」
労いなんてやめてよ。そんなんじゃない。そんな良いものじゃなくて、私はただの弱くて狡い人間だ。
「これ以上、誰か傷つけるの嫌だから。逃げてるだけです」
「少なくとも僕は梶さんに傷つけられたことが無いよ。それに、傷つけたらその時は謝れば良いじゃない」
「…っ、簡単に言わないでください、」
もうさっきからずっと、心が揺れている。へなへなの声で男の言葉を否定すると、視界に映るもの全ての輪郭がより一層ぼやけて、言葉を紡ぐのも喉が詰まって酷く困難だった。手で顔を覆いながら一歩下がると砂利が靴底に擦れる音が響く。ブランコから立ち上がったお日様は、そんな私の表情を見てやはり微笑んだ。
「梶さんは泣くのも下手なんだね。これは難儀だなあ」
言葉と裏腹にそう軽く感想を述べる男を見つめれば、あ、と小さく声を漏らす。
「…あった、傷ついたこと」
「え?」
「タピオカ、なんで一緒に行ってくれないの?こんなおじさん1人でお店まで行くのは結構厳しいんだよ」
「……そこ…?」
今までの私の態度とか言葉に、じゃ無いのか。ぽろりと声を漏らせばやはり緩く穏やかに細まる目元に気がつく。
「…そうだよ。案外、他人がどう思ってるかなんて分からないものだよ。だから梶さんも自分から聞けば良いし、僕だって、傷ついたらちゃんと言うから」
いとも簡単なことのように投げられる会話に、もう抵抗する力が無くなってしまった。
「…友達って、何するんですか」
「え、梶さん友達居ない感じ?」
「…居ません」
「僕も居ないんだよね。弟子は居るけど」
「弟子……?」
前途多難が、過ぎ無いだろうか。パチパチと瞳を瞬いてお互い顔を見合わせてしまった。
「うーん、そうだなあ。とりあえず名前で呼び合っとく?」
「……ふ、なんですかそれ」
難しい顔のまま腕を組んで、苦し紛れに提案されたそれに、自然と息を溢してしまった。この人は本当に、私の想像の斜め上をいく言葉ばかりを繰り広げてくるから油断ができない。少し緩みそうになった頬を咄嗟に戻すけれど、目の前の男は私の表情の変化を見逃さず、嬉しそうに破顔した。
「“桔帆“、これから終バスに乗りたいならうちで待てば良いよ」
「……え?」
「どっちにしろボーッと過ごすなら、こんな寂しい公園よりうちの縁側の方が魅力的じゃない?」
小首を傾げたそんな姿勢、普通の大人なら似合わないと思うけどこの人がやると、何も違和感がないから驚いてしまう。私の名前も知ってたんだな。その理由は、勿論仁美さんなんだろう。
「……良いんですか」
それは私以外は、何も得が無いように思うけれど。戸惑ってそう言えば「友達に敬語は無し」と忠告しつつ、やはり微笑む。
「たまに買った花の調子見てくれれば尚、良し」
「……東明さん、」
「僕下の名前、駿って言うんだけど、今まで奥さんにしか呼ばれたことないな」
「……じゃあ私は、シノさんって、呼んでもいいですか?」
奥さんしか呼ばないそれは特別な気がするし、東明、は長過ぎるからとあまり深く考えないままに提案してしまった。後から恥ずかしさが襲って咄嗟に俯きそうになると、「良いね」と嬉しそうな反応に優しく止められる。
「シノさん。私は本当に、居座るよ…?」
「良いよ」
「こ、後悔してもしらないよ?」
「僕、勘は割と当たるんだよね。絶対しないよ」
震える声で念押しのように尋ねた私に、そう軽やかに承諾して。ずっと暗闇に目が慣れている人間には眩しすぎる、そんな笑顔を向けた。
──そろそろ梅雨が終わりを告げて夏へと急速に向かいはじめ、仄かに確かな熱気を伴う静かな夜。真っ暗で小さな公園で隠れていた私は、変なお日様に見つかってしまった。
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