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第2部
第32話 もう1人の大使
しおりを挟む032
「はじめまして、サライです」
馬車から降り立った目の醒めるような美青年は、男子にしては長く女子にしては短い金髪をサラサラと揺らして優雅に微笑んだ。
「よく参られた」
日課の朝食ミーティングを慌ただしく終えた王族総出でお出迎え。
今日も赤いドレスが麗しい王妃が威厳たっぷりに歓迎する。
来客対応モードだから露出は控えめでちょっぴり残念。
歩く姿も優雅な御曹司は、線の細い身体を誇張することのない貴公子然とした礼服姿。
王妃様を前にして簡素な挨拶ということは、名のある名家のご子息なのかな?
「短期間ではありますが、大使として任を全うしたいと思います」
その後の口上を聞いてびっくりしてしまう。
本日のゲストは、大陸の台所と名高い隣国から派遣された大使様。
まるで朱華姉様に対抗するみたいなタイミングだった。
あちゃー。
来客とは国外のお方でしたか。
居心地悪っ!
説明書は使いはじめて躓いてから読むのが作法の第3王子は、やっちゃいました。
つまりアンからの本日の予定を聞き流して聞いていなかった。
まさか陸の孤島と揶揄されるこの小国に賓客が来るなんて想定外。
ミニ浴衣姿の王子と、同じ大使だというのに僕の横に並んで護衛役気取りの朱華姉様の姿には、さぞかし驚かれたことでしょう。
文化の違いと勘違いしてもらいたいです。
「あの仮面じみた笑顔がいけすかんな」
朱華姉様が御曹司を見てあからさまに眉を寄せる。
さすが朱華姉様。気に入らないものを気に入らないと口にできる態度は好ましい。
聞こえちゃいそうでハラハラするけど!
朱華姉様が我が家に越してきてから2週間が経過した。
鬼の族長という重圧から開放された影響なのか、朱華姉様は以前のようにがっついた所がなりを潜めて落ち着いた雰囲気だ。
しっとりとした色気にさらに磨きが掛かり、変わることのない黒いミニ浴衣からにゅっと伸びた白い脚も艶めかしくて眼福です。
王妃様の厳しい監視体制が大げさなので、淫らに絡んでくることも少ない。うん。少ないだけで、たまにお風呂に乱入してきてメイドズの前で鳴かされたりしていました。
兄王子ズは緊張気味だけど、ララ姉様とパティ姉様は澄まし顔。
「クロくん、可愛いお洋服だね!」
「ぷっ。愚弟、お似合い」
小声でこっそりとはいえ、お客様の前で褒められるのは恥ずかしいからやめてください。
弟ラブの姉様ズだから男の好みは年下らしく、見た目が20代中頃の御曹司に興味は欠片もないみたい。
僕を見る目は姉特有の暖かさだけど、御曹司を見る目は無表情のメイドクラス。
美形に黄色い声が上がりそうな場面でも、当家のメイドはぶれることなく無表情が徹底されているので、なんだか歓迎されざるお客様みたいな扱いになっている。
後々国際問題になったりしないといいな。
でも仕方がない。
王族関係者のお客様には、立場を利用してメイドに手を出す屑も多いのです。
偉いお方ってほんとしょうもない。
王妃様にエスコートをされた御曹司が邸宅の中に姿を消すと、周囲の緊張も溶けたのか柔らかい空気に変わる。
あとは偉い人におまかせしよう。
お昼ご飯は、シーラの親父さんのお店に行って久しぶりの和食もどきを堪能する予定。
親父さんもそろそろ環境の変化に落ち着いた頃だろうし。
我が国は海産物も豊富だから、いずれお寿司とか食べてみたいな。
*
「クロ様、王妃様がお呼びでございます」
美食の妄想に舌鼓を打ちながら、部屋でビビィに着替えをお願いしようとした所でアンから声がかかった。
王妃様から、このタイミングで?
猛烈に嫌な予感しかしなかった。
「アン、お腹が痛くなってきたから――」
「と若様が仰られても首に縄をつけて連れてこいと王妃様が仰せでございます」
それ、「首に縄をつけてでも」だよね? どうしてアンの手に荒縄が用意されているの?
主の主の命令だから、逆らえない宮仕えのアンが申し訳なさそうに頭を下げる。
さすが、マイマザー、僕の浅はかな考えなんてお見通し。このタイミングでお呼ばれしたということは、間違いなくあの御曹司絡みだよね?
行きたくないなぁ。気分が下がる。
「はうっ、そ、そのような切ないお顔をされましても……王妃様のご命令ですので」
あら。アンが無表情で悶え始めた。
第3王子大好きのアンは拗ねた僕のお顔に罪悪感を覚える忠誠心過多なメイドだ。
ごめんごめん。だから首に縄は勘弁して。
隣国はお山を大変気にしていたはずだから、先行して調査に赴いた僕の報告でも欲しいのかな?
テキストの報告書も大事だけれど、生の声も大事なのです。
「ふむ。あの者の所に行くなら妾が護衛として同行しよう」
片膝を立てて椅子に座って庭を眺めていた朱華姉様が仏頂面で立ち上がる。
すっと音もたてずにきれいな所作で僕に近付くと、朱華姉様から森の中にいるような山の空気がふわりと漂う。
微かに香るのは唇を赤く彩る口紅の甘い匂い。
お山の化身みたいなのに、女の匂いも併せ持つ希有な存在。
額に光る白い角の下は王妃様によくにた眉間の皺があらわれていた。
「護衛? 家の中なのに?」
「うむ。あれは獲物を狙う肉食獣の目だ」
そっちの意味での護衛ですか! つまり僕の貞操の危機!?
え!? え?! ゾワゾワします!
僕は男の娘に片足を突っ込んでいるけど、ノンケです!
「クロ様! すごい鳥肌です!」
無表情でシーラに指摘をされる。
驚いても無表情とは腕を上げたな。
「これは、お見事です」
何故かビビィに褒められた。
「若様、お急ぎ下さい。あまり王妃様をお待たせするわけにはまいりませんので」
息ぴったりだね僕のメイドズ。はいはい。仰せのままに。
アンが先導して部屋を出る。
後を朱華姉様が歩く姿はまるで親子だ。浴衣もお揃いだし。
通りかかったメイドが静かに壁に移動して頭を下げる。道をあける。
無表情だけど、その目の中には畏れがあった。
人畜無害な第3王子が、また女の子みたいな格好をしていると怖がっているわけじゃない。
歩くだけで威圧感が半端ない、朱華姉様は鬼の一族。
お山を守護する、お山を汚すと怒りを買うと、古い伝承で伝わっているから。
2週間程度では慣れないくらいに、国民のお山に対する信仰は厚い。それとも熱い?
王族関係者は例外だけどね!
取り扱いは慎重に。
いずれなにかイメージアップの方法を考えないとね。
いつまでも朱華姉様を腫れ物扱いは王家の名折れだ。
「……朱華姉様、結婚式は派手にしようね!」
うん。いいアイデアかも。
「妾と祝言を挙げたいのなら、しっかりと孕ませるがいい」
朱華姉様は鷹揚に顎を上げる。
鬼の一族はデキ婚文化なんですね。
不意打ちのプロポーズに照れたり動じたりしないで即答できる、朱華姉様の肝っ玉が素敵です。
「……若様、お輿入れは大変おめでたいことでございますが、場所をお弁まえください」
小声のアンに無表情で諭される。
お輿入れするのは朱華姉様だってば。
聞き耳を立てている噂大好きお喋りメイドに聞かれれば、その日のうちに国中に第3王子ご婚礼の噂が充満して、外を歩くにも難儀をしそう。
でもそれが狙い、驚異のメイドネットワークを逆利用です。
可憐な第3王子の恋バナなんて恰好な餌に食いついて、朱華姉様の印象を見直してもらえる噂の拡散をお願いします。間違っても王子が鬼に娶られたなんて噂話はゴメンだからね?
応接室に案内された。
「王妃様、お呼びにより、参上しました」
不作法は貧乏より悪いこと。
田舎の小国の三男坊でも礼儀知らずではない所をしっかりと見ていただきましょう。
胸に手を当て敬礼する。
だけど、部屋の二人は僕を見ていなかった。なんだかなぁ。
応接室の大きなソファーに仏頂面の王妃様が座り、その横に長い足を組んで座った御曹司が、王妃様の肩に手を回そうとして払い除けられていた。
む。なんて気安い!
どこの身分貴き家の出か知らないけど、男性で王妃様に触れていいのは息子だけ! 息子の中でも末っ子だけ!
メイドのしきたりが必要なのは王妃様だった!
「来たかクロ、実はな……なんだ朱華、お主を呼んだ覚えはないぞ?」
側付のアンは扉の向こうで待機している。だけど朱華姉様は堂々と一緒に入室してきた。
治外法権だから王妃様の命令も受け付けない。こういう場面で大使は強い。
「なに、気にするな、妾は嫁の護衛だ」
「まったく、どいつもこいつも勝手なことを……」
王妃様も分かっているから強くは言わない。
御曹司が冷たい青い目を朱華姉様に向ける。
「おや、そちらの美しい女が手懐けた鬼の一族ですか?」
ぞくりとする。
このバカ御曹司が!
朱華姉様の器は王妃様のおっぱいくらい大きいけど、プライドもお山なみに高いんだよ?
気にくわなければ首なんてすぐに飛ばされるよ? 物理的に。
目だけで朱華姉様を窺う。
そこには無表情の顔があった。
朱華姉様までメイドの真似事!?
「む? クロよ、ここのメイドのしきたりに合わせたのだが、なにか妾は間違ごうたか?」
御曹司の言葉なんて気にもしていなかった!
「無表情の朱華姉様もきれいです」
「顔の維持が難しくなるようなことを申すな、馬鹿者」
イチャイチャしちゃった。
朱華姉様は、だらしなく垂らしている帯と同じ赤い唇の端をほんの少しだけ上げる。
ああ。色っぽい。唇をつい見つめて固まってしまう。
んんっと、魅了は王妃様が咳払いで止めてくれた。
大物はやっぱり違う。
鬼の一族は女尊男卑社会。
守るべきか弱き男の戯言なんて気にしないのが鬼の女。
絶対的な力の優位があったとしても、けっして女が無駄に威張っているわけじゃない。我が国の助平なおっさん連中も見習って欲しい凜とした姿勢。
生意気な男なんて可愛らしいと思う強さだ。
「そう熱くなるでない、クロよ。あからさまな揺さぶりに、女がジタバタするなみっともない」
いえ、男の娘です。卒業を逃した留年ですけど。
朱華姉様の落ち着いた雰囲気にあてられて冷静になれた。
なるほど、つまりそういう事か。
わざと朱華姉様を怒らせてリアクションの観察。何かあれば、我が国の失態として国際問題。
伊達に鬼の一族の長をしていたわけじゃないから、交渉事はお手の物みたい。
「して、サライと申したな? 妾はその気概、嫌いではないぞ?」
うわ。モヤモヤする!
朱華姉様が男を誉めたし。
「鬼の女にそう言われましても、対応に苦慮しますね」
しかも舞い上がるわけでもなく迷惑だって跳ね返した御曹司にムカムカする!
どこまでもゴーイングマイウェイなバカ大使だった。
顔はとっても綺麗なのに、隣国の神様はきっと二物を与えない方針だな。
「ふふ。朱華よ、クロが拗ねているぞ」
「そうか。ういやつめ」
ほんわかした2人の反応で少しだけ荒れかけていた気持ちが持ち直しました。
「しかし褒められて悪い気はしません、今夜のお相手をお願いしましょうか?」
その空気が気にくわないのか、御曹司が淀むような空気で攪拌する。
「ふん。妾はイケる口だぞ?」
朱華姉様は目と唇を三日月みたいな形にして嗤う。
え、どういう意味!?
てめぇ、こら! 御曹司、表に出ろや! 心の中で絶叫する。
もちろん、第3王子は穏やかな性格で有名なので、少しだけ切なそうなお顔で対抗。
「……クロ、そのような表情を見せるでない」
朱華姉様に刺さりました。
憤然と眉を吊り上げたのは王妃様だ。
「大使、そのような下品な話は控えてもらおう!」
王妃様の一喝に、肩をすくめてやれやれと首を振った御曹司は僕を見る。
熱い眼差し。ひぃ! やっぱり表に出なくていいです。二人きりは勘弁して下さい。
鳥肌! 鳥肌!
「あはは、そう緊張しないで、噛んだりしないですよ?」
優しく笑う。両手を広げて無害アピール。
この御曹司、僕にまで色目を使いやがりましたよ?
あ、そうか。この格好だから可憐な少女だと思われたのか。
隣国ではわが国なんて所詮路傍の石程度だから、取るに足らない物だろう。
遅れている情報では第3王子は病弱で、王女が2人いるのだから、そのどちらかだと勘違いされたがファイナルアンサー。
王妃様に色目を使い、その返す刀で僕にも色目。
仮に赤髪親子丼をご希望なら、お相手はララ姉さまです。お生憎様。もちろん絶対阻止するけどね!
王妃様はソファーから立ち上がると御曹司と距離を取った。
つれない王妃様に気分を害したのか御曹司は嫌味っぽく目を細める。
「さて、王妃、私はこの国の視察の任を受けています。つまり、私の報告次第でこの国の行く末が左右されると思ってください」
丁寧だけど脅迫だった。
王妃様は舌打ちを噛み殺したようなしかめ面。
さすが朱華姉様、見事な野生の勘でございます。狙っているのは男の娘じゃなくて、細身に似合わぬ国そのものという大食漢だけど。
付け合せに王妃様とセットで僕の貞操。おまけに朱華姉様までテイクアウト。
この分だと、メイドに毒牙までかけかねない。
もしかして想像以上に手強い相手で嫌なお客?
眉目秀麗、明朗活発。才色兼備はまだ不明だけど品行方正は不足気味。
才色兼備は女性向けかな? でも角度を変えると中性的な美貌とも見受けられるから問題なし。
さてさて、わが小国にどんな無理難題を提示するの?
僕が呼ばれたと言うことは、条件は無理矢理お山の開発ですか?
戦闘能力としての鬼の一族の協力要請?
それともただの女好き?
どれでももれなく、言いがかりを口実にした国の乗っ取りまたは併合がワンセットだ。
陸の孤島と大陸の台所と呼ばれる商業国家が相手では、そもそも戦いにすらならない。
「くどくど話す暇があるのなら、話を進めよ大使」
着た、本題。
緊張すると、その背中を朱華姉様が優しく撫でて励ましてくれた。
「ては、遠慮なく。可憐な姫と昼食をご一緒したいので、呼んでいただいたんですよ」
にっこり御曹司は僕を見て花が開いたように笑う。
「はい?」
えーと、お昼ご飯と一緒に僕をご所望?
そんな理由で呼び出されたの?
高度な政治的判断とか、お山絡みで国の乗っ取りとか、どこにいったの?
激高して「お前にクロはやれんと」前世の頑固親父みたいに怒鳴ると思った王妃様は、微妙なお顔で沈黙状態。
「そうか。やはり、クロを狙うていたか!」
朱華姉様は呵々大笑。
対称的な反応です。
だけど、珍しいことにどちらも反対しない。王妃様には国を背負う事情があるけど、朱華姉様の考えはちょっと意外。
あの……もしかしてだけど、もしかして2人共、もしかして僕が困っているのを楽しんでない?
疑問の言葉を連呼しちゃうくらいに心は葛藤。
だけど選択肢は確定してる。
「……はい、よろこんでー」
さぶいぼが吹き出物みたいに現れようとも、第3王子としては断れる立場じゃない。
せめて、どこかの居酒屋の店員みたいに茶化して答えて、その場をぶっつぶそうと思ったけど、見事にスルーをかまされて、御曹司と昼食デートになってしまった。
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