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ACSなる奇っ怪なゲームと歴史改竄

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いや、本当はこんなものを書くつもりは無かったのだけれど、こんな年寄りの、数十年前に覚えた日本史レベルでも『あきらかにおかしい』と確信出来る事態になってきた。
多分、ゲーム界隈に差程興味もない方々には、現状のいわゆる『ACS問題』やら『弥助問題』と言われても『?』って感じだろうと推測している。
私も全てを理解出来ているか、と問われれば、正直自信はない。
だが、私は日本国に生まれた生粋の日本人であり、我が国を愛しているし、誇りとしている。
故に、なんの意味も無いのだとしても、ここに思いの丈を書き綴っておこうと思う。

前話の最後の辺りで書いた通り、騒動の当初、私は『軽薄な外国人が適当に描いたガバガバ描写のお馬鹿洋ゲー』程度に思っていた。
ただ、開発元だって国際的大企業なのだし、権利侵害が発生したのは明白なのだから法務部がきちんと対処するだろう
あっちこっちの屋根にやたら据えてあるシャチホコだって、どう見ても中華風な曲線のむねだって直すだろうし、時代的に合っていない鎧とか、それを纏っての城内警護も修正くらいする。
月夜でもない、むしろ雷雨の中で裏庭の池のほとりに立って家臣に八つ当たりしている間抜けなんて居なくなると。

いや、正直に言えば『絶対、直さないだろう』とは思ってはいたが。大抵の場合、西洋人は怠惰であると信じているので(偏見)。

このゲームは詳細発表当初より、開発元が『戦国時代の日本を再現する為に、日本に詳しい専門家や日本支部の人員と時間を掛けて協力しあい、特に建造物などは、その材質に関してまで調べ上げました』
『本作にはディスカバリーモードは搭載しませんが、戦国時代の日本を、その時代の出来事まで出来る限り正確に再現していますので、このゲームを遊びながら日本の歴史を学ぶ事が出来ます。日本の歴史に詳しい人に、是非楽しんで欲しい』
という旨の事をアナウンスしてきた。
出てきた代物は時代考証なんてまったくされていない、なんちゃってジャパンであったが。
なんせ、参考にした田園風景が現代ミャンマーやタイなどの東南アジアの画像であったらしく、出てくる日本人とされる人は悉く東南アジア系であるし、建物は基本中華系、小物やらなんやらは大体江戸時代のもの。
鳥居は市門扱いだし、主人公の纏う鎧は年代的に当世具足であるべきなのに、鎌倉時代の型遅れ。そもそも兜の忍緒の結びが五月人形のソレだし、胴体中央にはデカデカと織田家の家紋がって、それ、織田直系でもなければ付けちゃ駄目です。軍隊記章じゃないので。
女忍者とされている奈緒江についても、ツッコミ所だらけである。
まず顔立ちが日本人ではない。名前がその当時の日本女性ではあり得ない。海外の方には分かりにくいのだろうが、日本人から見れば違和感は拭えない。名前に関しては後述する某機関車氏の著書において『弥助が乗ってきたポルトガル商船の名前がNAO』なので、そこからつけた可能性がある。
アサシンフード付きの衣装はシリーズ伝統なので触れないが、刀に反りがあったり、鞘の先端が尖っていなかったり。
一般的に忍者の刀は反りがなく、鍔が大きく四角い。そして鞘の先端が尖っており、外れる様になっている。
そして身に付ける時には腰に帯びるものである。
こんなのは、それこそWikipedia(笑)あたりで小一時間調べれば済む程度の話であるよ?
それすらやって無いのに、努力しましたは臍で茶が沸くというものだ。

プレイアブルキャラクターである『弥助』が街中で雑兵の頭を踏み潰したり、斬首したりした事を残酷では?とインタビューで聞かれた時、『あれは日本特有の文化です。あの時代、死はそこかしこにあるありふれた光景で、あの時代ではみんな、綺麗に首を切られて死んでいたんです』
とほざいた上で、『日本人に、日本の本当の歴史を教えたくはないのですが』とぬかす。
無礼千万、この上ないコメントを(へらへら笑いながら)出してきた時には『なんなら、その素っ首切り落としてくれようか』とさえ思った。
だがしかし、この年寄りは英語はからっきしである。
第三者が介在する場合に気を付けなければならないのは、恣意的/無意識、そして技術的な要因による誤訳である。
発言者の意図が曲がって伝わったのに、それに気付かないで怒りをぶつけるのは宜しくない。

やがて、背旗画像の無断使用について開発元の日本支部から『権利元と和解出来た』旨の発表があった。
しかしながら、その発表には『コンセプトアート』には引き続き、その画像を使用するとあった。
これを読んだ時、まっさきに思ったのは『小細工しおった』という事である。
案の定
開発元本社からの画像配信は止まったが、日本支部やゲーム公式ページ、ゲームメディアからの配信は止まらず、数日経って権利元の団体に削除を要請される事になった。
権利元の団体の方は、どうやら私同様あまりゲームなどしない方の様だし、大企業と裁判なんてやりたくもないというのは見てとれていたので、アートブックの件などは伏せるなり、曖昧にして煙に巻こうとするだろうと思っていた。
ただでさえ、盗用だと指摘があってから大分経って権利元団体が問い合わせ、延々と連絡無し状態からのコレである。
更に言えば本社からの画像配信は、実は日本支部が権利元に謝罪したとされるより大分前に消されていたのである。
あまり触れられていないのだが盗用だと指摘がされた後、一度公式画像の旗は黒塗りされている。
そして、黒塗りして誤魔化す気かとちょっと声が上がった所でしれっと本社配信配信停止していたのである。
つまり、日本支部は謝罪(?)後も、なにもしていない。
日本支部からの画像配信が停止したのは謝罪(?)から2日以上経ってからである。
そして、団体からの削除依頼に対する返答は更に更に大分経ってからであり、しかもアートブックに印刷されたものの内、一つはそのまま使うというものであった。
この対応はあまりに酷い。
迅速に対応する事もなく、正確に詳細を伝えもせず、挙げ句に引き続き権利侵害した画像を使用すると抜かした訳だ。
これは相手を余程下に見ていないと出てこない対応である。

CEOのレイシスト発言に関しては、私は実は怒ってはいない。
日本ではあまり触れられていなかったが、あの時点で開発元の開発チームやその家族等に対しての殺害予告などが頻繁に送り付けられており、その内容は反ポリコレ過激派的なものであったらしい。
つまり
『我々は憎悪主義者の攻撃を許さない』というのは日本からの描写の指摘や、弥助の取り扱いに対する苦言に向けてのものでは無かった可能性がある。勿論、日本向けだった可能性もあるのだが、それなら『日本の』という言葉がどこかで出ていたと思われる。
故に、そこに関してだけは怒っていないのである。
ただし、それならそれで『こういう事情だったと説明に言葉を惜しまず』『誤解を招いた事をお詫びする』のが常識であるとは思っている。
西洋では、違うのかもしれないが。

開発元は未だに『弥助』にしがみついているが、『弥助をにした』にしたら、それだけで大分バッシングは減ると思うのだがねぇ……

さて

ACSの主人公の1人である弥助については、避けて通れない人物がいる。
世界一有名な顔つき機関車と同名で、日本一のお騒がせ大学法学部の英語教師であるイギリス人だ。
後金損だのお菓子だの、比良山だのとゾロゾロ後からも出てきている『歴史研究者(?)』問題の牽引車両である。
そもそも
『弥助(介)』は日本の歴史において、大事ではない人物である。
ちょっと歴史に興味があって、織田信長周辺を調べた事のある人でも、『ああ、居たね』位しか認知されていない人物だった。

彼について確定していると言えるのは

1.ポルトガル商船に乗って日本にやって来たイエズス会宣教師の連れていた黒人奴隷

2.来日後一年ちょっと九州各地を主と共に転々としていた(根拠なし:主である宣教師の布教記録からというだけの事である)

3.身長は六尺二分(およそ182㎝)

4.織田信長が『墨を塗っている』と疑って身体を洗わせた(これは後の脚色との説あり)

5.信長が気に入った為、宣教師が献上した(士分として召し抱えたとの史料もあるが、後の脚色である可能性が高い)

6.珍しかったので、聴衆が鈴なりになった

7.本能寺の変の際に妙覚寺にて明智の兵に『恐がらずに武器を渡せ』と言われて投降した

8.二条新御所での籠城戦終了後、南蛮寺の宣教師に引き渡される

以上

他に宣教師同士の手紙に、かなりな金額の給料で召し抱えられたという様なものがある、という人も居るが、文脈から、あくまでも信長に珍しいを献上したと思われる。

また、十人力の怪力で、見目麗しく(これは誤読。力が強く、健康的くらいが適当)、信長より名を与えられ、熨斗付き鞘巻、私邸、綠を頂く士分として召し抱えられたという史料を提示して『侍』になった、『小姓』だったという『』がある訳だが、その根拠となる『信長公記』の写本には、実は大体七十四のバージョンがあり、前述の根拠が記されているのは信長公記尊経閣本のもので、一次資料というより二次資料、もっといえば『小説』に近いものである。
なにせ前述の鞘巻、私邸、綠を賜り、士分として召し抱えられたという記述は、それだけある写本の中で信長公記尊経閣本にしかないのだ。

これはちょっと古い教科書と辞書なんかを読み返せば容易に判明する。

勿論、こんな風に箇条書きになっている訳ではないが、弥助に関する記述をありったけ集めても、精々が400字詰め原稿用紙にペラ一枚行くかいかないか程度のものだ。
一応、イエズス会の年次報告書の記述では、信長は彼を気に入り、いずれ『殿』にするのではないか、という記述はあるが、より正確に言えば『街中には、そのように話す者もいる』という程度のものだ。
何よりイエズス会の宣教師は弥助を『信長に献上した黒奴カフレ』としか書いていない辺りで、宣教師にとっての弥助(黒人)がどういうであるのかはお察しである。

そんな感じで『弥助は侍か、否か』という論争がちょっとあった所で出てきたのが、Wikipedia改編による歴史改竄問題である。

元々ACSの主人公がゲーム伝統であった『鳥の名を持つ、舞台背景(国/歴史)に基づいた架空の人物』ではなく、『実在した人物』しかも『黒人』というので、海外でかなり不評であったのに加え、『日本で語り継がれる伝説の黒人侍、偉大なる英雄弥助』という公式の表現で日本人が驚いた訳である。
なので、弥助は侍か、否かが取沙汰されていたのではあるが、どうにも海外からの声が大きい。

『弥助は英雄だ!』『偉大なる黒人侍!』『日本人は黒人の功績を奪った!』

『は?何言ってるの?』
である。

多くの日本人は弥助をそもそも知らないし、知っていても信長の珍しもの好きを語る際のアクセントみたいなものなのだ。
口さがない人は『ペット』だとか『犬』だとか『トロフィー』だとか言ったりしている位だ。
(これは大変失礼な表現なので、個人的には好ましくない)

しかも

『Netflixのアニメで見た!』とか『日本の戦国無双で勉強した!』とかいう声に混じって『日本の歴史を研究している学者が、そう言ってる!』という感じの言葉が聞こえる。
どうやら『日本の大学の准教授で、歴史専門家を名乗る人物がいる』らしい。
と、以前からWikipediaで弥助に関する項目を書き換えている人物がいると、海外の方が情報をくれたようだ。
その情報を元に日本のネット民で特定班とか言われる人達が探ってみると……出るわ出るわ。
2012年を皮切りに、2015年辺りから『鳥取トム』なる人物がWikipediaの弥助項目を加筆しまくっていた。
しかもWikipediaの加筆に必要な根拠資料に『まだ発表されていない論文』を使用。
未発表の論文を根拠に書き換えられるシステムもザルだが、よくもまあ、やったものである。
その後も加筆は回数を重ね、参考文献を『論文』から『論文執筆者と同じ人物が執筆した一般書籍』にグレードダウンさせる(何で通ったのか、不思議でならない)
その加筆回数は最終的に30回を越える。
そして、その参考文献に指定された一般書籍は『無名の人物が執筆した』『あてにならない一般書籍(小説)』である為に、参考文献としては問題があると指摘された時に『私の著書だ』と認めている。
つまりは、鳥取トムは論文執筆者本人である。
そして、その論文と一般書籍の著者こそ、顔つき機関車と同名のイギリス人准教授だ。
鳥取トムのユーザーネームも本人のものが使われているので、これは間違いないと言えるだろう。

たちの悪い事に、この人物はWikipediaの書き換えが終了した2019年の段階で、国内外で『偉大なる黒人侍弥助研究の第一人者』となっている。
一応の査読を受けた論文では控えめだった弥助の表現は一般書籍ではややエキセントリックさを増し、その後アメリカの小説家と共著で書いたでは、実に下らない誇大妄想全開の99.9%デタラメなものになっている。
巧妙なのは、海外用の書籍は小説で、査読を受けたりはしていないのに、日本で査読を受けた論文にノンフィクションとしている点である。
これは『この小説は小説ではあるが、権威ある歴史学会で査読された真実の歴史の記載されたものである』として宣伝/販売されているという事だ。
そして日本のNHK、CNNなどで弥助に関する荒唐無稽な珍説を展開。
勿論、日本で話す場合は論文に記載してある様に『~のようだ』『~という説もある』『~かもしれない』とお茶を濁すのを忘れない。

日本では
『弥助は侍だったという説もあります』
『織田家の血統を自称する一族の人から、信長の首を弥助が持って逃げたという話を聞いたが、これは信憑性に欠けると思われる』

海外では
『弥助は最強の侍で、日本で一番尊敬されている英雄です』
『信長の首を弥助が持って逃げた為に、光秀は権力の掌握に失敗しました。弥助は日本の歴史を変えた英雄なのです。織田家の子孫はその様に伝えています』

といった具合である。

ついでに
『信長は弥助を見た時、彼を大黒天の化身だと思った』
『信長は弥助をもてなす為に宴を開いた』
それ所か
『弥助が刀を一振りすると光の刃が大地を切り裂き、武田の軍を飲み込んでいった。弥助の背中に庇われた信長は、彼を神だと思ったのだ』
とかなっているとかいないとか(未確認、だけどあり得るかもとは思っている)。
『6万人の伊賀忍者を打ち倒した』事にはなっているらしい。海外の『弥助信者』がその様にネットで書き込みをしているそうな。

最早滅茶苦茶。なろう小説と揶揄されるのも宜なるかなであろう。
こんなの、誰が信じるの?
そう思うかも知れないが、それは意外と多い。
学問離れだの、学力低下だの騒がれる昨今ではあるが、日本の教育は実は結構凄いのである。
特に高等学校未満、小・中学校での基礎教育は群を抜いている。
よく言われるが、日本の識字率は未だに世界トップレベルだ。
日本に住んでいると見落としがちなのだが、この基礎教育で学ぶ『文脈を理解する』というのは、実はとても高度な技術であり、年齢一桁からこれを学び、身に付けている日本人と海外を同列に考えると驚く羽目になる。
海外の知識層と、それ以外の人達の差は信じられない程離れている。
高度な教育を受ける機会に恵まれた人は徹底的に頭が良く、教育の機会に恵まれない層は、何となく文字が読めレベルの人が驚く程多い。
足す引くは出来ても、掛割は理解出来ない。
そんな人が普通に居る。
だから『偉い学者さんが言った事は本当の事』
『弥助!英雄!グレートサムライ!いぇー!!』
となってしまった。
更に困るのは、海外の人は『過ちを認めない傾向が強い』という事である。
どうやら『ポジティブシンキング』が行き過ぎて、『自分が間違っていると認める』=『これまでの自分の否定』=『謝ったら負け』と捉えるとの事で、一旦何かを信じ込むと他者からの指摘に耳を貸さなくなってしまう。
日本人にもままある事ではあるのだが、他者の言葉を遮り、大声で押し潰す。終いには単なる罵倒合戦を始めてしまうのである。
相手が呆れて黙ったら、自分の勝ちという具合で、常に0か100と極端に割り切ってしまう傾向が強い。中庸と和を尊する日本人のメンタルとは、些かならず違う面がある。

この年寄りは『君の言っている事に賛同は出来ないが、君がそれを語る権利を奪うことは絶対に認めない』『人にはそれぞれ、思うところがあるもの』というのが考えの根底にある。
相手の言う事が自分の考えと違っていても、それには相手の事情も、情報量の差も、立場もある。むやみに遮って自らの耳目を閉ざすのではなく、相手の主張も聞いた上で自分の考えと同調出来る事は無いか、相手の知らない事を自分が知っているなら、どう伝えれば相手がそれを理解出来るのかと思考しながら行うのが『対話』であると考えている。
まあ、非才の身であるので、必ずしも出来ている訳でないのは反省する所なのだが。
最近ネガティブに捉えられがちだが、『君子、豹変す』という言葉もある。
自らの過ちは認めるべきだし、認めたなら躊躇なく正すべきだ。
人は完璧などとは程遠い、常に間違いを犯す生き物なのだから。
もっとも、儒教の『前言を改むるを恐るる事なかれ』を曲解して、虚言だらけのどこかの国々みたいに成られても困る訳だが。


些か論点がズレた。
ネットで日本人が『弥助は偉大なる黒人侍じゃない。史実では信長の使用人』とか『史実に忠実と言いながら、黒人が日本人の首を切り落としている!日本で斬首は刑罰としてあったけど、別に日常茶飯事じゃなかった!』と発言するや、海外で『黒人差別主義者の白人がGoogle翻訳で日本人に成り済ましている』『弥助は日本の英雄だから、日本では大歓迎している。だから嘘を言うのは日本人じゃない』『消え去れBOT』等という言葉で攻撃を受け、販売元のサイトからシャットアウトされる事態が横行。
イギリスの有名インフルエンサーが『ACS反対署名の立ち上げ者は白人だったと確認した』と発言し、対立が激化していく。
現在9万を越えた『ACSゲーム販売中止を求める署名』は事態を憂いた日本の一般男性が立ち上げたのだが、初期の頃に白人男性が日本人の振りをして支援声明っぽく語ったりした為に『黒人差別主義者の白人が成り済ましている』論が未だに消えなくなっている。
彼等にしてみれば善意だったのかも知れないが、ありがた迷惑と言えなくもない。

鳥取トムこと某大学准教授はSNSを閉鎖するに至る。
個人的にはここは凸した人達の勇み足の可能性もあったので、良いこととは思っていない。
それが嘘であるかもしれないにせよ『自分はACSゲーム開発に関わっていない』と氏は発言しているし、ゲーム開発元は『日本の歴史に詳しい専門家』としか発表していないのだから、断定してしまうのは早計だ。
今は『氏に発言の撤回を求める署名』というのも立ち上げられている。
さて、この調子の良いハンサムなイギリス人は国内外で『弥助の唯一の専門家』を自認しているのだが、これを深掘りしていった人達が、更に重大かつ、危険極まりない事を著書で書いている事が判明。
大パニックに陥る。
正直、弥助が侍かどうかなんかより、余程深刻な事態が起きていたのだ。

『日本人の名士の間で黒人奴隷を所有するのが流行した』
『イエズス会は清貧の誓いを立てているので黒人を奴隷として扱うのに反対していた』
というものである。

日本にも奴隷という概念はあったし、戦時奴隷は存在した。
誤解されがちな吉原の花魁などの様に、人買いによる人身売買も売春行為も確かに存在した。
しかし山地が多く海に囲まれた島国である日本には、黒人奴隷を大量に投入しなければならない程の大規模プランテーションは存在せず、戦闘において使い捨てにする雑兵程度しか使い道が無い。
わざわざ奴隷を購入する理由が無いのである。
大金を払う=権威の象徴、とはならないのも日本の価値観である。
面白い事だが、金持ちだからと周りが憚って忖度した挙げ句に献上したものを受け取るのは誉れでも、自ら金にものを言わせて買い漁る者は『賤しい』とされるのが日本の価値観。
名誉に拘る事では右に出るものの無い日本の名士が、わざわざ『あやつは金で南蛮から兵を買っている』なんて悪名を望んだりしないのである。
そういった事に加え、黒人に関する記録が全くといって過言ではない程存在していない。
何人かの『歴史家』という人物が五人程戦国武将等の名を上げて『くろほう』『黒ぼう』等の名称が配下にいると発言しているが、文脈から『くろほう』というお香の事と見られていたり、地黒の日本人のあだ名的なものであるとも読み取れる。
黒人枠にはインド人なども含まれているし、記述の人物が『奴隷身分なのかは不明』『奴隷だとしても所有しているのが日本人なのか不明』だ。
紅毛人が所有していた大砲を買う際に、取り扱える人物としてセット購入した可能性はあるが、どのみち大した数では無い。
記録の無さこそが、その証拠である。
日本人は古来より識字率が高く、庄屋レベルで日記が教養の嗜みとされた民族である。
和紙の保存性の高さもあって、海外とは比べ物にならないくらい古文書が豊富に残っているのだ。
天候から村人の健康状態、冠婚葬祭に、果ては酒が飲みたい愚痴に至るまで書き留めている。
宣教師が黒人を連れているだけで黒山の人だかりとなった事が記録されている一方、黒人と疑わしい人物は全く記録が無いのだから、これは『黒人奴隷が流行した』と言う方が無理ってものだ。
最近ではエイの春画がこの件の反証に使われているのは苦笑するしかない。
確かに『黒人なんて美味しい素材が居たら、春画になっていない筈が無い』というのは一理ある。
因みに江戸時代の春画に黒人が描かれているものが数点あるというのは間違い。
あれらはインド人が海女と交合する画と『黒坊主』という、欲に溺れた僧侶が変じた妖怪の春画である。

『イエズス会は清貧の誓いを立てているので奴隷に反対していた』というのも、一部は正しい。
正しいが、しかし、あくまでも一部。
そして時系列が無視されている。
元々

『イエズス会が乗ってきたポルトガル商船の商人が日本人を奴隷として買い取り、船で連れ去っている』事に腹を立てた秀吉が抗議文を送り、『布教禁止』を言い渡されたイエズス会が『布教禁止は困るので、日本人の奴隷取り扱いは禁止にする様』ポルトガル王に圧力を掛けて、ポルトガル王がこれを承認した流れだ。

ポルトガル商人が日本人を奴隷として買い取った際に、日本人の仲介があった事で『日本人も奴隷売買していた』と主張する人もいる様だが、人買いにとって買い取った人は『自分の財産であり、商品』なので(娯楽時代劇のような)酷い扱いはしていないし、どちらかというと年季奉公の仲介である。
西洋の『生きている農具/言葉を話す家畜』扱いとは違う。
この辺りの認識のズレは後々まで矯正されず、戦後の娯楽時代劇やら暴力団による性風俗業問題などと混同されがちであるが、今は割愛しておく。
また、キリスト教に傾倒した『キリシタン大名』と呼ばれる何人かの国人領主がポルトガル商人と結託して、人狩りの様な事をしていた記録はあるが、それは『日ノ本』という国全体の総意で行った訳ではない事を忘れてはならない。

問題なのは、すでに『歴史の専門家』として、海外で認知されてしまっている某機関車氏の著書にこれが記載されているという事である。
既に『反対するイエズス会を脅して黒人奴隷貿易を押し進めたのは日本』だとか、『日本には黒人奴隷が沢山いた』なんて話が広まってしまっている有り様だ。
この流れはお隣のK国が未だに叫んでいると、よく似ている。
あれは自称ノンフィクション作家の男が書いた妄想小説を某旭日旗っぽい社旗の有名新聞社が大々的に歴史の闇を暴いた真実の物語として喧伝し、海外で事実認定された末路である。
その時の日本人は呑気なもので、こんな与太話を信じる人がいる訳が無いと高を括っていた面がある。
その結果、今では日本人でも信じている阿呆がいる有り様となった。
因みに、その小説を書いた本人はとっくにくたばっ……げふん。
亡くなったが、その息子さんが父親の残した負の遺産を必死に訂正しておられる。
皆様には、所詮は親のやらかした事と放置も出来るのに、懸命に動かれている方が居るという事を是非、知っていて貰いたいと思う。

今回の件で
歴史家とか、歴史研究者という肩書きの強さと危うさが浮き彫りになってきているのは、幸いと言えるだろうか。
別に博士号が無くても、歴史学会の正式な登録者でなくとも歴史を紐解く研究は出来る。
ただ、歴史資料というものは取り扱いが難しい。貴重であるというのもあるが、特に日本のものは毛筆書きであり、癖時に略字に書き間違い、筆者の思い違いに茶目っ気まで入り交じる。
漢詩に漢字に片仮名、平仮名、方言、一部地域で一時期流行した言い回しが満載である。
最新の分析コンピューターでも、文字とは認識されない代物なのだ。
それを人の目と感性と経験で読み解くのだから、これは人によって受け取り方が違っているのは、むしろ当然であろう。
日々、新たな仮説が立てられている可能性もある歴史学では、正規の論文として発表されたもの以外は査読されないし、表だって反論はしないのが暗黙の了解であるらしい。
仕方の無い話だと思う。
日本に歴史好きな人がどの位居るのかを考えれば、その人達の頭の中の物語を一々精査していたら時間がいくらあっても足らないのは自明の理だ。

そして今回、後から声を上げている面々。
エビデンス&シルクロードの後金損にせよ、朝鮮史専門のお菓子にせよ、歴史物の作家である比良山氏にせよ、等に手出しせず、自身の専門分野で励んで頂きたい。
くれぐれもしゃしゃり出て来ない様に。
声を上げれば上げるほど、人間関係やら過去の発言/活動が掘り出されてしまいますよ?
SNSに鍵を掛けても、過去の発言を消去しても『無かった事』には出来ません。
言った本人は特大ブーメランになったけど、これはけだし名言だと思う。



私には人生の指針というか、心の芯としている言葉が二つある。
どちらも父の言葉であり、二つの内の一つは事ある毎に口にするので、親しい人達は知っている事だ。

『男子足るもの、常に紳士であれ』

そして、もう一つ
こちらは口に出した事はないが、これを教えてくれた時の父の強い眼光は忘れない。
普段から穏和な人であり、怒っている所など見た事が無い人だったが、この時だけは、とても恐ろしかった。

『頭を踏んでくる者には容赦をするな』

私は、この言葉を心に刻んでいる。

日本は、誇りの為に死するを誉れとし、男子の面体を踏みにじらんとする者には容赦しない。
たとえ首だけと成り果てようと、必ずや怨敵の喉笛を噛み破らん。
忘れている海外諸氏は思い出すべきだ。
かつて、世界を震撼させたモンゴル帝国の侵略を退けた荒武者共を。
かつて、大英帝国と戦った薩摩隼人を。
我ら日本人は、その身に多かれ少なかれ彼等武士もののふの血を引くのだ。

他国の歴史を悪戯に塗り替え、自らの悪行を擦り付け様としてはならない。

そして心せよ。
一度動き出せば、世界を相手にしようと一歩も引かぬ。
それを20世紀に目の当たりにした筈だ。

故に警告する。

寝た子を起こすのは、愚策でしか無い。















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