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ちょうどそのころ、お座敷ではイオリの三味線の音と共に、オユリの舞いが区切られたところであった。その場に膝をつき、扇子を己の手前に置く。この動作でこの世のものではない舞の世界と現世の間を取り持つという、儀式の様なものである。
「うむ、見事であった。
ささ、こっちに来て御酌をしてさしあげるんだ」
深々と頭を下げ、主賓のそばによりサカズキに酒を注ぐ。
この部屋にはイオリとオユリ以外に、二人、店の主人と、その客がいた。
主人は見るからににこやかな笑顔を絶やさず、恵比寿様のような顔で媚びへつらっている。客は相当に身分の高いものなのか、町人や商人ではまず袖を通すことのできないような着物に身を包み、ふんぞり返っていた。
不敵な笑みを浮かべ、注がれるままに酒を口にする。
一口、二口と盃をあおると、呼気に酒を混ぜ大きく息を吐く。
「フゥ~……
玉木屋よ、酒もいいが、アレはどうなんだ。酒の『サカナ』は」
「ヘヘェ、まずはただの刀はどういう切れ味なのか、それをご覧になってからアレを、と思っております。比べればその性能のほどがよぅくお分かりになることでしょう」
どうやら、このお大尽のいう酒のサカナというのは、口にする料理のようなモノのことではなさそうである。
「今宵はいつものように動かぬ、巻き藁のようなものではございません。特上のアテをご用意させていただきましたので……」
恵比須顔からキヒヒと下卑た笑みがこぼれおちたとき、イオリの直感が危機を感じ取っていた。
「オユリさん、逃げるんだッ!」
オユリの手を取り、障子を突き破って庭へと飛び出したイオリ。しかしそこにもすでに魔の手は伸びていた。
「――遅かったかっ!」
イオリとオユリが飛び出した玉砂利の敷きつめてある庭には既にこの店の人間と思われる男達、両の手に少しあまるほどの人数がグルリと囲み、出迎えていた。
各々が手に刀や槍を携えてである。
玉木屋の主人がお大尽をつれ、ゆっくりと縁側に出てくる。
「キヒヒ、今宵の試し切りは、趣向を凝らしました、『娘斬り』などいかがでしょう。若干幼くもあるようですが、この美しい娘を斬り、もう片方はアレの的にしてみるというのは面白いものかと」
「ウム、面白いな。あのやわ肌を切り裂くというのは興味深いが、その後はどうする?
あんななりでも、ジブンの店の芸子が死んだとなれば置屋が何と言うか分かったモノではないぞ?」
「大丈夫です。このあたりでは最近、辻斬りが出るといいます。そいつのせいにすれば、例え死体が見つかってもどうということも無いでしょう」
キッヒッヒ。
ガッハッハ。
オヌシモワルヨノウ。
イエ、オダイジンサマホドデハ。
実に分かりやすい悪党の図を見て、呆けているオユリと、その隙を突いてなんとか状況を打破できないものかと思考を巡らせるイオリであったが、二人を囲む男たちの半円はじりじりと狭まって行く。
「コレは、チョット危ないですね」
敷きつめられた玉砂利を、汗でにじむ土ふまずで踏みしめながら呟く。
その言葉が唯一、耳に入る距離にいたオユリ。
――あぁ、どうしよう。こんなところで斬られて、痛くて痛くて、死体はそこら辺に投げ出されて、店のご主人や女将さんは泣いちゃって、谷屋さんでは唯でさえ人手が足りないって言うのに……あぁ、実家のおっかさんやおとっつぁんは元気かなぁ、弟のタローはもうすぐ十歳になるころだし、あぁ、そういえば隣の家のおじさんはたまに、私たちに飴をくれてたけど、今頃どうしてるんだろう――
絶望的な現実を目の前にし、思考が逃避を始めてしまった。
「ささ、お大尽様、まずは従来通りの刀での試し切りをご覧ください」
ポンポンと手を叩くと、それを合図に男たちが四人、イオリとオユリをあっという間に捕縛してしまった。
「さて、どうしたものでしょうか……」
「うむ、見事であった。
ささ、こっちに来て御酌をしてさしあげるんだ」
深々と頭を下げ、主賓のそばによりサカズキに酒を注ぐ。
この部屋にはイオリとオユリ以外に、二人、店の主人と、その客がいた。
主人は見るからににこやかな笑顔を絶やさず、恵比寿様のような顔で媚びへつらっている。客は相当に身分の高いものなのか、町人や商人ではまず袖を通すことのできないような着物に身を包み、ふんぞり返っていた。
不敵な笑みを浮かべ、注がれるままに酒を口にする。
一口、二口と盃をあおると、呼気に酒を混ぜ大きく息を吐く。
「フゥ~……
玉木屋よ、酒もいいが、アレはどうなんだ。酒の『サカナ』は」
「ヘヘェ、まずはただの刀はどういう切れ味なのか、それをご覧になってからアレを、と思っております。比べればその性能のほどがよぅくお分かりになることでしょう」
どうやら、このお大尽のいう酒のサカナというのは、口にする料理のようなモノのことではなさそうである。
「今宵はいつものように動かぬ、巻き藁のようなものではございません。特上のアテをご用意させていただきましたので……」
恵比須顔からキヒヒと下卑た笑みがこぼれおちたとき、イオリの直感が危機を感じ取っていた。
「オユリさん、逃げるんだッ!」
オユリの手を取り、障子を突き破って庭へと飛び出したイオリ。しかしそこにもすでに魔の手は伸びていた。
「――遅かったかっ!」
イオリとオユリが飛び出した玉砂利の敷きつめてある庭には既にこの店の人間と思われる男達、両の手に少しあまるほどの人数がグルリと囲み、出迎えていた。
各々が手に刀や槍を携えてである。
玉木屋の主人がお大尽をつれ、ゆっくりと縁側に出てくる。
「キヒヒ、今宵の試し切りは、趣向を凝らしました、『娘斬り』などいかがでしょう。若干幼くもあるようですが、この美しい娘を斬り、もう片方はアレの的にしてみるというのは面白いものかと」
「ウム、面白いな。あのやわ肌を切り裂くというのは興味深いが、その後はどうする?
あんななりでも、ジブンの店の芸子が死んだとなれば置屋が何と言うか分かったモノではないぞ?」
「大丈夫です。このあたりでは最近、辻斬りが出るといいます。そいつのせいにすれば、例え死体が見つかってもどうということも無いでしょう」
キッヒッヒ。
ガッハッハ。
オヌシモワルヨノウ。
イエ、オダイジンサマホドデハ。
実に分かりやすい悪党の図を見て、呆けているオユリと、その隙を突いてなんとか状況を打破できないものかと思考を巡らせるイオリであったが、二人を囲む男たちの半円はじりじりと狭まって行く。
「コレは、チョット危ないですね」
敷きつめられた玉砂利を、汗でにじむ土ふまずで踏みしめながら呟く。
その言葉が唯一、耳に入る距離にいたオユリ。
――あぁ、どうしよう。こんなところで斬られて、痛くて痛くて、死体はそこら辺に投げ出されて、店のご主人や女将さんは泣いちゃって、谷屋さんでは唯でさえ人手が足りないって言うのに……あぁ、実家のおっかさんやおとっつぁんは元気かなぁ、弟のタローはもうすぐ十歳になるころだし、あぁ、そういえば隣の家のおじさんはたまに、私たちに飴をくれてたけど、今頃どうしてるんだろう――
絶望的な現実を目の前にし、思考が逃避を始めてしまった。
「ささ、お大尽様、まずは従来通りの刀での試し切りをご覧ください」
ポンポンと手を叩くと、それを合図に男たちが四人、イオリとオユリをあっという間に捕縛してしまった。
「さて、どうしたものでしょうか……」
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