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ラム・ウィンナー・ティー

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カララン……カラン。
扉を開けるとそこには先客がいた。
この時間ならまだ誰もいないと思っていたのに。ちっ、しくじったか。しかも相性の悪いアイツがいる。
「いらっしゃいませ。久しぶりですね」
「そうだな」
カウンターの真ん中にどっかりと座っている後姿を見るだけでも嫌気が差す。
売れないバンドマンならそれらしく干からびて犬死していまえばいいのに、しぶとく生き残りおって。
せっかく長期出張から帰ってきたというのにこれでは台無しだ。
無論あちらでも扉を探したが、いかんせん土地勘がないため探し当てる事が困難だった。豪も名前を呼んですらくれたらすぐさま文字通りに飛んで来たというのに。
「豪、入口にカーバンクルがいなかったようだが」
「ああ、今買出しに行ってもらってる最中ですよ」
「ほう。ひとりでか?珍しいな」
人外なるものが店でも開いたか?
カーバンクルは普通、人間には見えない生き物だ。それ相応な者の所へ行ったとしか思えないからな。
どちらにしろこの店の向こうの事情はこの私でも詳しくない。日本のどこかにある店としか。
「立ち話もなんなので、とりあえずお好きな席へどうぞ」
豪がそっとテーブル席を掌で指す。あの駄犬と距離を置いた席か。まずまずなチョイスだ。だったらテーブル席の一番奥、4人がけの席だが別に構わぬだろう。そこを借りさせてもらうぞ。
カラン!
「ただいま戻りました!」
私が座ったと同時に、慌ただしく聞こえるドアベルと共に扉が開く音がした。
ん、誰か雇ったのか?
小綺麗な店の制服に、脱色しているのだろう。日本人らしかなぬ色の髪を一つに束ねた可憐な女性がカーバンクルを抱きかかえて入って来たのだ。
「ほぅ」
走ってきたのか、桜色の唇から息が漏れ、頬も少々上気して血色がよくなっている。思わず舌なめずりをしそうになったが、それは紳士がすることではない。ここはゆっくりと、人間観察をし、ゆくゆくは……
「あ、いらっしゃいませ!」
こちらに気づいたのか、ぺこりと頭を下げメニューと水、おしぼりを持ってくる。
しまったな。女性がいるとは聞いていなかったぞ。知っていたらもっと良いスーツを着てくるのに。
「ありがとう。お嬢さん、名前を聞いても良いか?」
「へ?私ですか?森美幸ですけど」
「そうか、美幸か」
「ナンパしてんじゃねーよオヤジ」
「ちっ」
背中だけ向けていればいいというのに、わざわざこちらの席へ体を拗らせて野次を飛ばしてくる。本当に目障りな奴だ。
「私はクドラク。そう呼んでくれ。名を呼べさえすればすぐにでも駆けつける」
「はぁ、分かりました」
言い終えると美幸はカウンターの奥へと駆けていく。少しすると豪とのやり取りが耳に入る。
「あれ、珍しい。おまけつけてくれたんだ」
「ぼくがいたからだよ」
「そうか。連れてった甲斐があったね」
「どういうことですか?」
のるほどな。富の象徴カーバンクルの力が作用したか。やはりインドの山奥で売り飛ばされていたところを買い取った甲斐があったということか。そしてこの店に置く事によりこの出会いをもたらしてくれた……
「ふふ……」
「何にやけてんだ。きもちわりー」
いちいちちゃちゃを入れおって。これだから知識の欠片すらない駄犬は。無駄吠えなら他所でしろ。
「あ、リクさん。これから下拵えするらしいので、ちょっとお時間いただくそうです」
「もう生でいいからちょーだいっ」
「それはちょっと……」
見ているとずいぶんと親しそうに見える。
なるべく魅了は使いたくないのだが、いざという時は致し方ないということか。
それより私の方のオーダーをそろそろ決めないといけないな。
相変わらず誰が書いたのか分からない魔術文字のメニューをめくると簡単につまめそうなものを物色する。
コーヒーだけというのはさみしすぎるし、食事というのも少々ちがう。かと言って菓子などつまむ気にもなれない。甘いものはそんなに得意な方ではないが、たまに気が向いた時だけ口にする。普段ならワインやトマトジュースという選択もあるが、純喫茶と謳っているフェリシアでは酒類を一切置いていない。置いているのはせいぜい調理に使うラム程度か。そうなれば抜け道となるラム・ウィンナー・ティーを頼むとしようか。メニューには載っていないが、以前凍えて店を訪れた時に先代のマスターが出してくれた事があるら作れぬことはないだろう。
そうとなればショコラがよいな。あれはラムとよくあう。
「美幸、オーダー良いか」
「はい、ただいま」
ゆるくスカートをなびかせ、テーブル席の隙間を縫い、私の隣まで来ると、少しだけ屈んで聞く体制をとる。うむ。顔が近いな。
「ラム・ウィンナー・ティーとビターブラウニーをホイップ抜きで頼む」
「えっと、ラム……ですか?はい。分かりました」
どうやら聞いたことない様で、1度確認して来ますと言い残し調理室の方へ向かって豪と話、了承を得てから戻ってきた。
「大丈夫みたいです。お持ちしますね!」
そしてそのままカウンターの中へ入っていく。カップウォーマーにカップを幾つか入れ、小さなケトルで湯を沸かす。手元こそは見えないが、ざっくりと流れは見える。
沸いた湯をティーポットに入れ、1度湯を捨てる。
こういう気配りで店の力量がよくわかる。冷めないようにという配慮と、茶葉が良く開き香りがより良くなる。ラムという香りが強い洋酒は茶葉の香りが出にくい。そういうのもよく知っているということか。
ティーポットに茶葉を入れ、湯を注ぎ蒸らしている間ティーカップをウォーマーから取り出しカウンター内でなにやら作業をする。ああ、駄犬さえいなければ近くで見れたというのに。
ティーポットからゆっくりと紅茶を注ぎ、ホイップクリームを浮かべたらふわりと香りが伝わってくる。
「お待たせしました!ラム・ウィンナー・ティーとビターブラウニーです」
小さい皿の中央に乗せられた石畳のようなブラウニー。その周りをグランマニエとカラメルをあわせたソースがハートの蔦を描いている。
そしてその隣にそっと置かれたラム入の紅茶。これはなかなかの組み合わせかもしれない。
大人気ないが期待に胸が高鳴る。美幸が作ったラム・ウィンナー・ティーとなれば尚更だ。
「あの、あとで感想聞かせて下さいね」
そう小声で恥ずかしそうに目を細めると、足早に去っていってしまう。ああ、もうこれは……
カップを持ち、すぅっと香りを楽しんでから口をつける。
ふわりと柔らかい口溶けのクリームに紛れ、甘いラムの香りが広がる。鼻を抜けていく洋酒の香りに心が満たされていく感覚が胸に残る。
その香りが口に残っているうちに小さなフォークでカットしたブラウニーをひとくち。
濃厚なカカオがラムの上を覆いかぶさり、そしてひとつになっていく。甘みをおさえたブラウニーは胡桃やマカダミアナッツが入っており、歯触りが良い。周りのソースもオレンジの香るグランマニエがラムとはまた違った爽やかな香りを口に運んできてくれる。カラメルのほろ苦さに柑橘の香り、そしてカカオの濃厚さ。これは素晴らしい。
ひとくち、またひとくちと交互に口にしているとあっという間に食器の上は空になってしまう。
最後にラム・ウィンナー・ティーでカカオを流し込むと、満足感が押し寄せてくる。
「美味かった。ラムとザラメの割合がいい。クリームの量も丁度良く口当たりが良かったぞ」
テーブルに備え付けられているケナフで口を拭い美幸にそう言ってやると、ぱぁっと花が咲いたような笑顔を向けて頭を下げてくる。
うむ。可愛い奴だ。
「またの御来店お待ちしております」
カードを豪に渡し、会計を済ませるとスマートに店を出る。こういう所は紳士足るもの長居するものではない。さっと要件を済ませてこそ紳士だ。
だが、また美幸の顔を見に通う分には良いだろう。少しずつ距離を縮め、あとは……
「ふふ……ふははは」
帰路、不審な笑みですれ違う人間共にどう思われても構うまい。これから楽しみになってきたな。



「美幸ちゃん随分気に入られちゃってたんじゃない?」
クドラクさんが帰り、ほぼ半生な肉料理のオンパレードをカウンター狭しと並べつつ、唐揚げを食べていたリクさんが何かを思い出したかのように突然口にした。
「えっ!そうなんですか?」
店長って程ではないけどオジサマ的な年齢の人に気に入られるというのは、ちょっと複雑な気分。
「あー、でも気をつけろよ?あいつ吸血鬼だから」
「ここでは人を襲わないけどね」
マスターも一応フォローしてくれてるのか、リクさんの言葉に被せて言う。
「分かんねーぞ?いざってなったら魅了で無理矢理ってこともあんだからな。アイツらの常習手段だし」
「恋愛は自由だけどさ、ちゃんと相手を見た方がいいよ。例えば俺とか」
はいはい。スルーね。
「大丈夫です。私、人外はちょっと……」
「だよなー!やっぱ俺だよなー!」
「………………」
ヤダ、この人めんどくさい。
オープンしてからまだ1時間、本日の営業まだまだ続きます!
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