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フレンチトースト

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今日はすこぶる機嫌が良い。
古い皮を脱ぎ捨て、脱皮したての柔らかい肌が太陽の熱で温められ、乾いていくのがとても心地よい。
こんな洞窟の中にもこんな日光が差し込む場所があるなんて。炎のような真っ赤な髪を指で梳き、自然と鼻歌なんかを歌っちゃったりして、上機嫌を満喫する。ここには水もあるし、太陽の光もある。もしかしたら良い繁殖場所を見つけたのかもしれない。
下半身が艶やかな蛇の形をした雌型の化物ラミアはしなやかな指先で生まれたての蛇の肌を撫でた。乾き方も良い。これならひびも入らず綺麗に乾くだろう。
この辺りは随分と前に枯渇したと聞き、一族から捨てられた場所だっただけにラミアにとっては拾い物だった。縄張りを持つものがいなければここを自分の物にしても構わないくらい穴場だ。もし、他者がいたとしても構うまい。その時は力で奪えばいい。
かすかな水の音がする。ぴしゃりぴしゃりと引きずる様な水を含んだ音。どうやら近付いてきているそれはラミアにとってそんなに強敵でもない事をしるす音。
「ここはスライムのねぐらだったのかい」
その気になれば一撃で仕留めることもできるスライムに驚異なんか感じるはずがなかった。ひたひたと音だけが近づき、姿を現すまでは。
「な、なんだいお前は」
驚いた。スライムが人の形を模している。しかもラミアの中でもそれなりに地位があるものしか纏わないというマントすら羽織っているではないか。
するとスライムはキョロキョロと大袈裟に周りを見てから一言「スライムのこと?」と聞き返す。
「お前だ。お前しかいないじゃないかい。他に誰がいるっているんだい」
「いないね?」
しかも会話が成り立つ。今まで出会ったことのあるスライムは言葉を理解することはもちろん、立って歩くなんていう芸当は出来なかった。それにこいつに限ってはマントまで羽織っている。こんなナリをしているが実は数百年生きていて、とんでもなく強いんじゃ……。だったらここがこんなにも日当たりが良いのに誰の物にもなっていない説明がつく。
ここは下手に刺激しないほうが懸命だ。
ラミアは密かに息を飲み、スライムと会話を試みることにした。もちろん下手になって、だ。
「ここはお前さんのねぐらかい?
すまないね、少しばかり借りていたよ」
「ううん。だいじょーぶ!」
全く警戒心というものを持ち合わせていないのか、はたまたそれを隠しているのか。スライムはひたひたと近寄りラミアの周りをくるくる何度も周回しては、余程珍しいのかその蛇の下半身を何度も眺めた。
「私がそんなに珍しいか?」
「うん!見たことない!」
そんなはずはない。いくら生物が少ないとはいえ、捕食される立場なスライムがラミアを見たことがないだと?そのくらいの危機感を持ち合わせていないというのはさすがに無理がある。やはり、こいつは相当力を隠しているのだろう。
「そうだ!そろそろおーぷんかな」
急に興味が削がれたのかスライムは踵を返し洞窟の奥へとひたひたと歩いていく。さすがにラミアもその奥は見たことがない。興味がないと言えば嘘になるが、正直スライム自体信用ならない敵なのでここで別れるのも無難な選択肢のひとつだ。
「にょろにょろさんもいく?」
「誰がにょろにょろだい。まったく。
で、何処に行こうっていうのさね」
「ふぇりしあ。ごはん食べるとこ」
「何?食料庫か?」
それはいい事を聞いた。洞窟は食料が少ない。下手をすれば共食いなんて当たり前になってしまうこの世界で、食料を溜め込むのは至難の技。そしてこのスライムのことだ。きっとすごいものを隠しているのに違いない。一人だったらやられる可能性もあるが、場所を突き詰め仲間を連れて改めて来れば良いだけの話だ。
「案内してくれるのか?」
「んー」
「頼む!案内をしてくれよ。この通りだ」
両手のひらをあわせ頼み込んでみる。あくまでも低姿勢で相手を怒らせないように。
「きて」
短くそう言うと生まれたばかりの若い肌がまだ馴染んでいないというのにラミアは這いずってスライムの後を追った。
そして奥の空洞へと曲がってしばし、そこには見たことのない人工的な扉がぽつんと佇んでいた。少しだけ宙に浮いてる扉に、その真下にいる小動物。この小動物だけでも上質な肉だが、食料庫というにはいささか少なすぎる。きっとこの扉の奥に食料庫があるのだろう。
「なに?また来たの?しかもまた変なの連れて」
「スライムおきゃくさんなの」
「はいはい。お客さんね。だったら食べたらすぐ帰ってね」
やれやれと首を横にふり、扉を開けると聞いたことのない軽い音が響いた。
「罠か!しまった」
「いらっしゃいませ!
…………えっ?」
いくら下半身は蛇だと言えど相手も女性だ。目をきゅうっとつむり、両腕を胸元に当てて衝撃に耐えようとぐっとこらえている。
「あ、あの。どうかなされましたか?」
「いくのー」
そんなラミアの手を引っ張りスライムが目の前のカウンター席へと連れていく。手を引く感覚で目を開けるとやっと自分が置かれている立場というものに気がついた。
ここは店?
洞窟に移り住むようになってからは縁がなかったが、ここは確かに店と呼べる施設ではあった。
ぺちゃりと音をたてた椅子に座るスライムを真似、隣の席へと体をくねらせ器用に座ると水とおしぼりが差し出された。
先程入口にいた人間の女給仕ではなくカウンターの中にいた人間の男からだ。
「へー。ラミアね。珍しいもの見たわ」
奥の席のローブ姿の人間からそう声が漏れる。身分を隠しているのだろうが、溢れ出る魔力からして相当な力を持つ魔術師の類いだろうというのがわかる。他にも人間の騎士や人狼、吸血鬼、我が一族を壊滅させたという忍びの輩までいるときた。これは食料庫がどうとかそんな場合ではない。明らかな不利の状態。ここは逃げた方が……
「なにたべる?」
そんな時に限ってカウンターに置いた手の上に、スライムの手が重なり身動きが取れなくなってしまう。少しでも動いたら腕が持っていかれてしまうそんな状況にラミアの背筋に冷たいものが流れる。
「な、なにがある、というのだ?」
もう平然なんて装えない。声が裏っ返り、口がからからに渇く。目の前に水があるというのに毒が入っていないともいいきれず飲むには勇気がいる。多少の毒ならラミアが持つ独で中和もされるだろう。しかし大量ならばその命は瞬く間に尽きる。
「んーとね、スライムはね、ふれんちとーすと!すぐる、ふれんちとーすと!」
「お連れ様はいかがいたしますか?」
「お、同じものを」
「メープルソースとパウダーシュガーどちらがよろしいですか?」
「りょーほー!」
「かしこまりました」
あれよあれよと話が進み注文が通ってしまう。運ばれてきた物を食べても食べなくても、どちらにしろ自分はこの場で死ぬだろう。それが少しばかり早いか遅いかの違いなだけで。
カウンターテーブルの木目をただじっと見てやり過ごそうにも時は無情にも流れていく。上機嫌なスライムの歓声と共に運ばれてきた品に、はっと身をすくめると意外とそれは小さなもので驚く。
真っ白なさらに四角く切られたものがふたつ、折り重なるようにして盛り付けられ、その四角い何かはたまごの香りがした。たっぷりとたまごを含ませたそれは両面がしっかりと焼かれ、片方には琥珀色の液体が、もう片方は真っ白な粉がかけられていた。どうやらスライムと半分ずつになっているその四角い食べ物は、元々一つのものを切り分けたものらしく、片方にだけ毒を入れるということは難しそうだった。少なくともラミアの想像している毒がというものは、食べ物に練り込む必要がある半固形の物であり、己の牙から出てくる毒は生物に直接注入しないと、効果が無い代物だ。片方だけ入れるという上級テクなんか使えるわけがない。そう考えたのだ。
「いただきまーす!あー……む!」
それならばスライムが食したのを見届ければ毒が入っているかいないかが分かる。じーっと見つめ、むぐむぐと口を動かしてるスライムを見るとラミアのお腹がきゅうっと小さく声を上げる。
甘いにおいがするな。うまいのか?
「おいひーい!」
フォークを握りしめ満面の笑みで感想を述べるスライムを見て生きているイコール毒がないと認識する。
ごくりと唾を飲み、ひとつ大きな覚悟を決めるとフォークを刺し切り分ける事もなくフレンチトーストに齧り付いた。
「んっ…………ふぅうう?!?」
なにこれ。ふわふわする。
たまごだけだと思っていたが乳も混ぜられていたのか。
たっぷりと染み込んだ卵液が熱を喰らい香ばしく焼かれる。卵だけじゃない、砂糖までも使われた四角のモノは今まで食べたどんな生肉よりも柔らかく、ほんの少しかじるだけで解けてしまう。かけられた琥珀色の液体もいい。昔舐めたことのある樹液に近い味がして、遠い記憶が蘇るようだ。
「なにこれ、あんたこんなもん食べてたの?まだ何か隠してるんじゃないでしょうね?言いなさいよ」
さっきまで怯え震えていたというのに吹っ切れてしまったラミアは止まらない。
「おいひーのー!」
そして聞く耳も持たないスライムもなかなかの強者だ。
「お気に召しましたか?当店の料理には毒など入っていません。
気の向いた時にでもお越しくださればいつでも歓迎いたしますよ」
人間の男が代弁するかのように言うと、それを聞き今までの事が急にアホらしく感じてしまう。
「あんたたち、あたしを嵌めようとしてないんだね?」
「ええ」
それは本当に真実なのだろう。その証拠に毒は入っていないし、誰1人として攻撃を仕掛けてこない。よく見るとメニューには値段まで書いてあるじゃないか。まったくり取り越し苦労にもほどがある。よく考えればはじめからスライムは警戒すらしていなかったのだ。警戒していたのはラミアの方でずっと疑心暗鬼になっていた。
仲間内ですら信用ができないというのに、まさか異種間に信用ができるだなんておかしな話だ。
「あんたらには負けたよ。特にスライムあんたにはね。
ホントはここを襲って食料を奪ってやるつもりだったんだけど気が変わった。
内緒にしてやるからもっと美味いもん持ってきな!」
「お代はいただきますよ」
「……お代?」
勢いづいたもののお金なんて最初から持ってはいなかった。ちらりとスライムに目をやると体に取り込んでいた金貨をテーブルに並べて遊んでいる。
うん。しばらくはこいつの面倒を見てやるか。
そう思い静かに席につくと、またもくもくとフレンチトーストに齧り付くのだった。
その日スライムには初めて友達ができた。異種族のラミアの雌のパーシャ。彼女がスライムに狩りを教え、代わりにフェリシアへ連れていくという約束を勝手に交わし、スライムの側を離れようとしなかったが、スライムは嫌とも思わなかった。こうしてフェリシアにはまた人外のお客さんが増えていくのを美幸はそっと見守ることしか出来なかった。
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