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【俺はついにやせ我慢をやめる】

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 いつかのように、俺は茂みに頭からつっこんだ。
 顔をかばって腕が傷だらけだ。

「何がバロッキーの番だよ、気に入らなければ攻撃してくるんじゃんか!」

 クララベルを追わせない為に揉み合ったら、ナイカは刃物を出してきた。
 真剣で狙ってくる時のレトさんに比べたら、ふにゃふにゃの太刀筋だったから、逃げるのは簡単だった。うっかり防御しようとして、刃に触ってしまったところが痛む。
 
 クララベルがレトさんと合流したのが分かって、縄梯子を下りてナイカから離れようとしたら、二本あったロープの片方を切られた。
 ほれみろ、結局、バロッキーの番だとか、ぜんぜん関係なかった。
 
 咄嗟に体が縄にぶら下がる動きを思い出す。
 レトさんに教えられたのがじゃなくて、ロープを利用して方法でよかった。
 俺は縄梯子の中程から、崖下に落ちた。素手だったら手の皮がずる剥けになるところだった。

 ヨミヤの竜が追いかけてくる様子はない。俺が落ちてすぐに、ナイカの呻き声が聞こえたから、きっとレトさんが助けに来てくれたんだろう。悲鳴の度にヨミヤの竜の気配はどんどん勢いを失っていく。
 レトさんが、ヨミヤの竜に何かしている。力ない呻き声や悲鳴が聞こえてはナイカは勢いを失う。レトさんがとんでもない蛮行を行っているのがわかって震えた。想像するだけで恐ろしい。

「レトさん、容赦ないからなぁ」

 打ち身が重い痛みを伝えてくる。
 腕がものすごく痛いから、骨が折れたかもしれない。
 困った。ここから動ける気がしない。

 ダンと音がして、誰かがこちらへ向かってくる。蛮行を終えたレトさんだ。
 痛む体をどうにか起こして、レトさんの方へ首をまわしてみる。クララベルは近くにはいない。

「あの高さから飛んだの? レトさん、おばけじゃん」
「軽口が叩けるようで、安心しましたよ」 
「二階から降りる訓練が役に立ったよ。訓練よりもっと高かったけど。ねぇ、クララベルは?」
「怪我一つありません。無事です。敵を制圧したので、ミスティさんの無事を確かめに来ました」

 レトさんは素早く俺の傷の具合を確かめる。
 すごく痛むところもあったけれど、レトさんは深刻そうな顔をしていない。きっと俺は大丈夫なのだろう。

「以前も思いましたが、頭を守って落下するのは大したものです。左腕は折れましたが、内臓も頭も打っていない。重大な怪我はなさそうです」

 女装して参加した茶会を思い出す。あの時の愛らしいクララベルの姿が遠い昔のようにも感じられる。
 あれから、そこそこは鍛えられたけれど、番を格好良く助けることができないのは今も変わっていなかった。

「ああ、茶会の時は、顔を怪我したくなかっただけなんだよね。頭を守ることなんか考えてなかったかも」

 苦笑すると、レトさんはねぎらうように俺の頭を撫でる。

「なるほど、それはバロッキーらしい美意識です」

 崖の上から、クララベルの声と気配がする。
 怒っているような声だから、怪我もなく元気なのだろう。よかった。
 そこで待っていればいいのに、クララベルの気配がまっすぐ俺に向かってくる。

 (あの竜、クララベルが竜だって言ってたな)

 竜か――そういえば意識してみれば、確かに竜の気配だ。
 でも、やっぱりそれ以上に、愛しい大きな気配であることが際立つ。

「クララベルがこっちに向かってきてる。迎えに行ってやって」
「賊の気配はないですか?」
「ヨミヤの竜は瀕死だね。動けないみたい。レトさん、何をしたの?」

 そうしているうちに、道もない茂みが割れて、クララベルが現れる。
 急な坂を来たはずなのに、転んで服を汚したり、枝に髪を引っ掛けたりした様子はない。

「ミスティ!」

 血だらけの俺を見ると、小さく悲鳴を上げる。
 レトさんは立ち上がって、注意深く周りに視線を走らせている。泣いている主人と血だらけの俺は放っておくらしい。

「姫様、国境を越えてしまいましたね。すぐにお戻らなくてはいけません。ミスティさんは軽症ですから、治療はマルス殿に任せましょう」
「いいえ、私はここにいるわ。何かあれば私が責任を取ります。フォレー家にも怪我人がいると知らせて」

 クララベルは迷いのない口調でレトに命じる。

「わかりました。では、私は一度戻って賊を連行できるようにして参ります。あの竜に話を聞く前に死なれては困りますので」

 なんだかややこしいことにはなりそうだが、とにかく俺はクララベルに手を握られて、もうそれだけで満ち足りていた。

「わかったわ、行って――ねぇ、レト。ミスティはこんなに血だらけで、本当に軽症なの?」
「大丈夫です。多少折れたようですが、頭は打っていません。姫様、少々あずかっていただけますか? もう少しするとマルス殿がやってくるはずです」
「でも、血がたくさん出ているわ」

 少し体が重いけれど、クララベルの膝に乗せられてからは、頓着しない。
 喋るのも億劫だ。クララベルの膝に乗せられて、揺れる髪やらなにやらを目を細めて見上げる俺に、レトさんの呆れた視線が向けられたが、見逃してくれたようだ。

「ミスティさんが無事かどうかは、姫様の方がお分かりになるでしょう?」
「……そうだけど」

 レトさんは片方が外れて細く頼りなく垂れ下がる縄梯子を握ると、ほとんど握力だけでするすると登っていく。
 俺たちは二人、残された。



 夕暮れで影の濃くなったクララベルをみあげる。
 陰影とクララベルの潤んだ瞳の対比が夢のような光景だ。これはいつか絵にしよう。

「クララベル。怪我しなかった?」

 こくりと頷く。青い目に涙が溜まっているけれど、なかなか落ちてはこない。

「転んだりも?」

 鼻を赤くして頷く。可愛い。

「ミスティは……」
「レトさんも言ってただろ、たぶん腕は折れたっぽいけど、死んでない」

 そういうことを尋ねたかったのではなかったのだろう、クララベルは言い淀んで口とへの字にする。可愛い。
 目には竜らしいものは何も見当たらないけれど、意識してみれば番の大きな気配の中、竜の気配もする。

「――ほんとだ、竜なんだな。なんで気がつかなかったんだろ」
「ええと、私、竜に……なったの」
「なにそれ」

 頭が働いてないので、なんだかよくわからない。頬を撫でるクララベルの手が優しい。ああ、好きだな……。

「本当に知らなかったの? ヒースだって驚いていたし、アビゲイル様もそう言っていたわ」
「なんでだ? 俺には昔から変わらないように思えるけどな……」

 だとすれば、クララベルが俺の番だったからだ。
 大きすぎる存在に竜の気配が埋もれていた? ということはあるかも。

「竜ってことはさ……クララベルも番がいたりするわけ?」
「い、いるわよ。竜だし」
「ふ、ふぅん……」

 なんだかどこも痛くない。ふわふわした期待で、クララベルの次の言葉を待つ。

「女性の竜は、番以外の異性に触れられると、気分が悪くなってしまうのですって――」
「へ、へぇ、そうなんだ……なんだそれ」

 それを聞いて、急に頭を持ち上げていられなくなって、ぐったりと力を抜く。

「あのさ、俺、死にそうなんだけど……」
「ちょっと、レトは大丈夫だっていってたんだから! いまさら死んだりしないで」
「ああ、疲れた……」
「どうしたの? 腕以外にどこか具合が悪いの? 心拍がおかしいわ、レトを呼び戻さないと」

 慌て始めたクララベルに向けて、折れていない方の手を伸ばす。
 きゅっと握った手を頬に当てて、俺を心配そうに見ているのは――俺の、つ!が!い!

 バチンと何かがはじけた。

「ミスティ、目が……」
「そうだよ――あんなに頑張って光らせないようにしてきたのに……」

 ずっと抑えていた竜の血を抑えないでいいんだとおもうと、頭が馬鹿になりそうだ。
 馬鹿げた努力だった。竜の血が暴れるままにして、解放感を味わう。
 どっか壊れた。俺はもう金輪際、竜の血を抑えることは出来ないだろう。

「ああ、もう、我慢するの面倒だった! すっごく疲れるんだよこれ。あーあ、なんだよもう! 早く言えよな!」
 
 世界が明るさを増す。草に隠れている虫の声まで鮮明になり、クララベルに触れられている所、全てが脈打つ。
 心配で萎れていたクララベルの顔が驚愕から、困惑に変わり、やがて紅潮する。

「……なによそれ、騙していたのね」

 目の奥が熱い。わかりやすく番を求めて光っているはずだ。

「もう、どうだっていいだろ」
「よくないわよ!」

 クララベルがここにいて嬉しい。
 照れ隠しなのか、怒っていて可愛い。
 俺が隠してきた嘘がバレても、膝から落とそうとしないし、俺の手を離さない。

「お二人とも、まだやってらっしゃったんですか? 姫様、もうすぐマルス殿が担架を持ってきますから、場所を譲ってください」

 俺の幸せな時間は、レトさんの声に遮られた。目が光りっぱなしだけど、もうこのままでいいや……。
 夕刻だというのに青い蝶の群れが見える。
 幻覚……じゃないよな? 頭がふわふわする。

「あ、やっぱりちょっと、貧血だったかも……」
「え? ええ? やだ、虫! きゃぁ! 虫がいっぱいよ! レト! レト――」

 空に舞う青い蝶を眺めて、クララベルの悲鳴を聞いているうちに、視界が急に暗くなった。

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