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【銅山とバロッキーの竜】

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「ダグラス・フォレーです」

 差し出されたダグラスの手を見て、ヒースは助けを求めるように俺に顔を向ける。
 はしばみ色の目から透ける竜の血は俺よりもずっと赤い。先に作業をしていたのか、灰褐色の少し癖のある髪が、汗で額に張り付いている。
 困っているのが面白いので、しばらく放っておこう。

 俺のような特殊な立場と違って、バロッキーは初対面で握手を求められるような場面に出会うことは少ない。
 ヒースはダグラスに握手を返してもいいのかと、忙しく考えを巡らしているようだ。

「その、私は竜なので、怯えられてしまうと以後やりづらいのですが……」
「それはつまり、ええと……?」

 ダグラスもどうしてよいものかと俺を見る。
 ずっと手を差したまま待たされているダグラスが面白すぎて、ついに俺は吹き出した。

「ミスティ、笑うな。ヒース殿、申し訳ない。私が何か失礼なことをしたのだろうか?」

 ひとしきり笑って、おかしなことになる前に助け舟を出すことにする。

「この辺は国境が近いだろ? シュロ系の住民が多いから、あまり竜に対する偏見は無いらしいよ。それに、ダグラスは俺に慣れている。ダグラス、ヒースは竜以外の人とはあまり接し慣れていないんだ。人は誰でも竜を怖がるものだと思ってるんだよ」
「ああ、そうなのか、それはすまなかった。ヒース殿、今は貴族階級ではあまりそういったことはないのです。過去のバロッキーへの厳しい対応が政策だったということは、爵位を持つ者には既に周知されていることです」
 
 でも、それは綺麗ごとだなと、俺たちバロッキーは思っている。
 
 竜への偏見や差別は、今だって一般の人たちにとっては過去ではない。貴族が宣言しても、竜への迫害は終わらない。
 ヒースが街に行けば人垣が割れて遠巻きにされたり、露骨に嫌悪されたりする。竜と聞けば子どもは泣くし、竜と結婚したがる奴なんかいないから、相手も容易に探せない。ヒースにとって初対面で手を握られたのだって、サリが初めてだった。
 
(でも、ここで竜も貴族もないか……)

「堅苦しいのは無し。俺、お貴族様みたいな喋り方は疲れるし、別に貴族とか王族とかどうでもいいんだよね。俺たちバロッキーだし」

 俺はバロッキーに帰って来てまで、お利口な口調でしゃべり続けるつもりはない。

「そうか、ダグラス殿がそれで構わないなら」

 俺がダグラスに対して猫を被らないのを見て、ヒースは泥のついた手袋を脱ぎ捨てる。
 ヒースの強く長い指先の先で濡羽色に光る黒い爪は濃い竜の血の証だ。

「ヒース・バロッキーだ。いつもうちのミスティが世話になっている。ミスティが身内以外に友人がいるとは驚いた。家でもアトリエに籠りきりだったんだ」

 ダグラスはヒースの爪を見て少し驚いたような顔をしたが、うまく隠して差し出されたヒースの手を握る。
 
「ヒース、やめてってば……べつに、俺、ダグラスと友達じゃないし。たまたま協力してるだけだから」

 どうも俺はバロッキーの兄弟の中では末っ子感があるらしい。弟のラルゴなんてしっかりしすぎていて時々俺の世話を焼くくらいだ。生意気なことに最近兄さんと呼ばなくなった。

「ああ、確かに、友達ではないな。僕の帰りが少し遅いだけで手を振って歓迎されるくらいの仲だ」
「いや、あれはさ――」

 ヘラにめちゃくちゃされた時のことを持ち出されて俺の立場は無くなる。

「それで、ミスティ、こちらが?」
「そう。クララベルの初恋の相手」

 少しそわそわとしてヒースを見るダグラスに、嫌がらせをするつもりで、腰に手を当てて偉そうに発表する。

「ミスティ、まだそんなことを言っているのか? 流石にしつこいぞ」

 俺が意地悪く笑うと、ヒースは慌てた。竜は別の竜の番との関係を疑われるのをすごく嫌がる。竜同士で争うなんて不毛な事は誰も望まない。

「なるほど。相手がヒース殿ではミスティが勝てる要素がないな」
「ダグラス、あんたはもう少しお貴族らしく行儀よくしゃべってもいいんだけど?」
 
 まあ、確かに竜であることを抜きにして、俺とヒースを並べたら俺の方が負ける。そりゃそうだ。
 家にいるときのヒースは普段は少し抜けているところもあるが、こうやって現場に来ると存在感が違う。二年たって背は追いついたけれど、体の厚さが全然違うし、力もある。二年前の不安定な時期のヒースは絵の題材として申し分なかったが、今のヒースを題材にしたら、絵画ではなくて彫りの深い顔と体の、彫刻ができるだろう。

「俺が初恋の相手だなんて、何を根拠にそんなことを言っているんだ。クララベルのアレはそういうのではなかっただろう? クララベルにだって抜き差しならない理由があってのことだ。あまりしつこく言うとダグラス殿が誤解する。だってクララベルは――」
「いーや、ちょっとはそういうのだったよ。俺には分かるし」
「そう言われてもな……」

 坑道の入口へ続く小道を登ってくる人影がある。サリだ。
 銅色の髪をきつくまとめ上げ、作業を手伝うつもりなのか、長靴を履いて膝丈のズボンを穿いている。小道は人が通うようになって、足場もだいぶ整えられたが、急な坂道だ。息を切らしてあがってくる。

「まぁ、二年前の話? ミッシーちゃん、まだそんなくだらないこと言っているの? 竜は淡い初恋も許さないのね。嫉妬深いこと」

 この話にサリが入ってくるとなると旗色が悪い。ヒースは坂を上がるサリの手を機嫌よく引く。

「だってさ、あの時、あいつ俺になんて言ったか覚えてる?」
「覚えてるわよ。愛らしいお嬢さん二人が取っ組み合いのけんかを始めたこともね」
「俺はお嬢さんじゃないし!」

 ヒースを婿にする為にバロッキー家に乗り込んで来たクララベルの真っ赤な衣装を思い出す。
 今思えば、相当無茶なことをしに来た自覚があったからこそ、あの衣装だったのだ。
 あの頃は俺もサリと変わらないくらいの背丈で、正直クララベルとつかみ合いになったときは負けるかも、と思った。

「なによ、本当にしつこいわね。さっさと帰って最愛の奥様に『どうして俺が初恋じゃないんだっ』て文句を言えば? ねぇ、そんなくだらない話より、先にフォレー家のご子息に挨拶させてくれない? 無礼者にはなりたくないわ」
「あー、はいはい。こちらが俺の後釜のダグラス。俺が死んだあとクララベルを押し付ける予定です」

 俺が不貞腐れてダグラスを適当に紹介すると、サリは余所行きの顔と声で丁寧にお辞儀をする。

「お初にお目にかかります。サリ・トーウェンと申します。シュロ国の出身で、ヒースの婚約者でございます。クララベル様とは『おともだち』の仲でしょうか。ミスティは末の弟のようなものです」

 サリの含みがありすぎる言い方に、ダグラスは苦笑を浮かべる。

「貴女のことは時々姫様からもミスティからも聞かされます。クララベル様と気の置けない仲だと存じております」
「二人とも、きっと老婆だの女狐だの守銭奴だの、ろくなことを言っていないのでしょうけどね。お忙しいでしょうに、ミスティが我儘を言って申し訳ないわね」

 サリも俺の保護者気取りだ。同い年なのに、ひどい。

「こちらとしても、銅山開発は利の大きい事業です。よろしくお願いします」
「そうですか。では、さっそく中を見てみましょうか」

 三人は連れ立って坑道へ進んでいく。俺はぶつぶつ言いながら後をついていく。

「どうしてどいつもこいつも、俺の保護者面をするんだよ」
「ミスティがしっかりしていないからじゃない。好きな子に好きとも伝えられないようなお子様は黙ってなさいよ」

 小声で言ったはずなのに、サリは後ろを振り返って言い返す。竜より地獄耳じゃないか?

「ミスティと姫様が取っ組み合いのけんかをしたのですか?……二年前のことですよね? 二人とも、もう十六歳だったのでは?」

 ダグラスが話を蒸し返す。想像がつかないのか、しきりに首をひねっている。
 サリが思い出し笑いをしながら、ダグラスに語って聞かせた思い出話は、面白おかしく誇張されていた。

「姫様がバロッキーの誰かを婿にと申し入れて来た時に、最初、ヒースを指名して来たんです。ジェームズさんの手伝いで姫様の話し相手に城に行っていた、唯一の顔見知りだったので――ミスティは、まだそれが気に食わないのよね――」
「最初から父さんが話し相手に俺を選んでれば、こんな拗れ方したかよ」
「うちに姫様がやって来た時に、ジェームズさんの息子を見てみたいって呼び出されて、少女のような格好で出てきたミスティは、挨拶もそこそこにその場で姫様と大喧嘩をはじめたんですよ。好きな子に悪口を言って気を引こうだなんて、幼稚だったわね」
「全然違うんだけど! だいたいあれは、クララベルからケンカを売ってきたんだし!」

 ダグラスはだいぶ蔑んだ目で俺を振り返る。あからさまにため息をついて見せる。

「ミスティ、僕は君たちのことを知れば知るほど、巻き込まれるのが不本意だと感じられるよ。サンドライン家に対抗するくらいのことはさせてもらうが、姫様を引き受けることについては二の次とさせてもらう。僕としてはフォレー家の財力を他の資産家に頼らなくても済むようにするのが優先だ」

 掴みかかったことはバレてしまったが、さすがにクララベルをひっぱたいたことは伏せておこうと思う。ダグラスに詰られそうだ。

「まぁ、まずはそれでいいよ。ヘラがフォレー家に嫁に来たら気の毒だし。今は銅山の事業を成功させるのが先だ。フォレー家の勢力が無視できない大きさになれば、王は何かしら手を打つだろうし。そうなったらクララベルは王の意向に背くようなことはしない」
「僕だって王命としての縁談なら受け入れるつもりだ。寡婦となった王女を娶れという命が下れば否やはない」
「こんなことをクララベル抜きで話を進めて大丈夫なのか?」

 ヒースの心配はもっともだ。
 俺は俺が居なくなった後、少しでもクララベルに安楽な生活を送ってもらいたい。政治の駒になったり、サンドライン家の馬鹿息子の妻にだなんてあんまりだ。
 クララベルは余計なことをするなというだろう。でも、これは俺ができる最後のあがきだ。

「いいんだよ。立派なお姫様のクララベル殿下は、自分なんて国にもみくちゃにされてひどい結婚をさせられてもいいと思ってるんだ。俺やサリの謀略にかけられたって、大して変わらないよ」

 もしそうなったって、あいつは自分が不幸だなんて考えもしないんだ。

「ちょっとミスティ、今、しれっと私を主犯に加えたわよね」





 坑内は湿っていて湿度が高い。
 外気より低い温度で寒いくらいだ。坑道は蟻の巣状に掘られていて、迷路のようになっている。
 先に現地に来た分家の者たちが灯りをつけたり、崩れそうな場所が無いか調査し、木枠を入れて補強をしたので歩きやすい。
 ヒースは何を感じるのか、しきりに首をひねりながら奥へ進む。

「銅だらけで感覚が狂いそうだな。本当に銅山として機能していたのか? 坑道が全然鉱脈に届いてないぞ」

 湿った坑道にヒースの声が反響する。

「あ、やっぱりそうなんだ。俺も金属の感じがしたんだけど、あんまり多過ぎて、岩石にサシでも入ってるからなのかと思ってた」
「銅の混じった土はたくさん掘って運び出したのだろうけど、肝心の結晶がある場所は掘られていないようだな」

 銅を含んだ土を持ち出して精製することでこの銅山は機能していた。近くに多くの建物が残っているのは精製所を川沿いに建てたからだろう。精銅所だったところは、今は草に覆われていて大半が崩れかけている。シュロ人の持ち込んだ精製法が土を汚した。鉱毒で一度この地は死んだのだ。

「竜じゃない者が採掘しようとすると、こんなに外すものなんだな」

 俺の感想に、ヒースが首を振る。

「いや違うかもしれないな。こんなあからさまに鉱脈の手前で掘り進めるのをやめているのを見ると、敢えて鉱脈に当たらないように坑道を掘っていたように思える」
「え? 鉱脈を避けたのか? 何のために?」
「何の為か知らないが、そうとしか思えない。指揮を執っていた者に竜が混じっていたのかもしれないな」
「そんな事ってある?」

 サリが尋ねれば、可能性はあるとヒースが頷く。

「俺だってバロッキー以外からやってきた竜だ。この銅山に人が入ったのは何十年も昔のことだ。他にも竜がいてもおかしくないだろ?」

(バロッキーではない竜か。あまり考えたこともなかった)

「じゃぁ、銅山の坑道開発に携わっていた竜が、わざと鉱脈を避けて掘る指示を出していたってこと?」

 サリは何通りもの筋書きを頭の中に思い描いてみたが、どれも想像の域を出なかったようだ。

「その竜は、なんのためにそんなことをしたのだろうか?」
「大昔の話だ、今となっては確かめようがない。当時を知る者もいないだろう」

 ダグラスも当時のことを知る者に当てがないようで、黙るしかなかった。

 坑道を進むと行き止まりになった。しかし、俺でもわかるくらいに金属の匂いがあちらこちらからする。やっぱりこの山はまだ生きている。
 ヒースは担いできた足場を乾いた土の上に置いて、そこに荷物を置く。

「サリ、手伝ってくれ」

 そう言って愛しい番に向けて手を差しだす。
 サリが近づくとヒースの気配がどんどん大きくなる。圧倒するような、俺を平伏させるような、獣の気配が膨れ上がった。

「何が始まるんだ?」

 ダグラスが俺に小声で訊く。

「ヒースが竜の力を使うんだよ。そりゃ、貴族の連中は誰も見たことが無いよね」

 サリは獣の気配のするヒースの手に、平和そうに自分の手を預ける。
 気配だけだと、サリは竜にバリバリと食われてしまう生贄のようだ。
 サリが寄り添うと、より気配はさらに大きくなる。

(手を握られたくらいでこんなかよ。やっすい竜だな)

 でも、この浮かれた感じは良くわかる。
 番に触れられて竜の血が踊っている。
 ヒースの目が赤さを増し、輝きが強まる。

「な……目が……光っている」

 ダグラスは竜の目が光ることを知らないのだろう。ぎょっとして一歩下がる。

「そう、あれね、つがいが好きすぎて光るんだよね。ヒースは抑えるのが下手になった。最近は駄々洩れ」
「つがい……?」
「竜の力を使うのに、わざと血を暴走させてる。って言っても、サリとイチャイチャして嬉しいってだけで力を発揮してるわけなんだけどさ。サリがいるとね、採掘の精度が上がるんだ」
「ちょ、ちょっと待て、何を言っているのか理解できん」

 ダグラスはバロッキーを少し見た目の違う商人の集団だとでもおもっていたのだろう。
 ヒースの目が光って少しは怖かったのか、おれの背中につかまって成り行きを見守っている。

「俺だって竜だから、うっかりすると目が光るよ」
「そうなのか? なんだかすごいぞ、神々しいくらいだ……」

 ヒースは、サリに擦り寄りながら、岩盤の奥を見通すような眼差しで坑道の行き止まりをぐるりと一周する。
 そうして、一点を指さす。

 俺は指さされた壁に、白いチョークで目印をつけた。

「ここを掘ると銅の塊が出る。鉱脈だ」
「な、なんだって」

 ダグラスはもう何に驚いていいか分からないくらいになっている。少々刺激が強すぎたかもしれない。

「それと、あまり大きくはないが……」

 ヒースは道具入れから石を割る道具を出してきて、別の壁の一角を掘り始めた。

「このギリギリの感じはいったい何なのだろうな。めぼしい鉱物を避けている。まるで隠しているみたいだ。あと何掘りか掘り進めば出てくるところまで掘り進めてやめているんだ……ああ、出たな」

 ヒースは取り出した白っぽい土塊を安定した所に置くと、金づちを振り下ろして砕いていく。割った中から豆粒ほどの山吹色の塊が現れた。

「……これは」
「金だな」
「ここは銅山ではないのか?」
「銅と金とが採れる条件は似ている。ここはもちろん銅が多いが、たまたまこういうものも混ざる」
「……バロッキーは……」

 ダグラスは興奮していた所から、一気に顔色を失った。バロッキーがあまりにも特殊な家であることに気が付いたのだろう。
 バロッキーは国にとって簡単に敵になる。それだけの強大な富を持っている。
 フォレー領は間違いなく大きな利益を生むだろう。それは大きさを間違えれば、フォレー領を脅かすものにもなりかねない。

「ああ、そこまで期待しないでくれよ。ヒースはサリが居なければポンコツだ。サリが手を握っていなければ金じゃなくて黄鉄鉱だらけになるよ」
「こんなでたらめな生き物が竜なのか……」

 驚愕の表情で固まっているのがおもしろいので、ダグラスの目の前でひらひらと手を振って見せる。

「初めまして、ダグラス君! 俺だってバロッキーの竜だよ」

 ダグラスは珍妙なものを見る目で俺を見た。
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