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【俺はよく噛む犬だと思われてる】

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 空気が重い。

「すごく心外だというか、酷い話だね」
「だって、あいつ、最悪なんだ。利便性を優先して、オリバーと結婚するつもりでいる。初婚ではないからダグラスには相応しくないとか言うし。自分が安寧に暮らせる選択肢を選ぼうとしないんだ。いくらか駄々でもこねて、ダグラスと結婚したいとか言い出したら、陛下だって多少は聞くはずなのにさ」
「君は、クララベルの何を見ていてそんなことを言うんだ? クララベルは――」

 ダグラスが語るクララベルなんて聞きたくない。俺はダグラスの言葉をさえぎって、なかなか認めようとしない現実を突きつけてやる。
 
「あのさ、竜の目に見えないものがあると思うか? 竜はつがいの事となれば、それを取り巻く全てが見えると言っても過言じゃない。自分以外の誰がクララベルを一番愛しているか、とかな」

 ――というのは、嘘だ。

 俺はクララベルの事を見ていたのに、何も分かっていなかったのだから。
 それでもダグラスは俺の視線を避けるように顔をそむけた。

「見た目に違わず、嫌な目だな。ついでに節穴だ。それに、クララベルの気持ちはどうなる?」
「気持ちがどこにあっても、クララベルは政治に愛とか夢とかを求めたりしない。もっと早く気がつけばよかった」
 
 そうしたらもっと別の行動がとれたかもしれないのに。
 こんなギリギリにならなければクララベルの事を知れなかっただなんて、俺は竜としてまるで駄目だ。

「少なくともダグラスの側にいれば、クララベルは穏やかに暮らせるだろ? ただ、今はフォレー領に嫁ぐ利が少ない。そこは俺が……バロッキーが何とかするつもりだ」

 俺はあまり賢いとは言えない頭を働かせて、どうにか俺のできることを探していた。



 ダグラスはひどい顔をして長い溜息をついた。

「ミスティ、クララベルの子どもの頃からの夢を知っているか?」
「なんだよ、俺の知らないクララベルの話をするの?」

 意図は分からないが、俺の知らないクララベルの話なんて聞きたくない……いや、やっぱり聞きたい。

「そうだよ。クララベル様はそれは愛らしい姫様だった」
「そういうの、他人の口から聞きたくない」

 俺が口を尖らせれば、ダグラスは意地悪く笑う。

「そうか、うらやましいのか。竜に嫉妬されるのは小気味よいものだな」
「どうせ俺なんて二年前からのぽっと出だよ」
「まったくだ。僕だってあの頃の愛らしいクララベルの思い出をコソ泥に聞かせる趣味は無い」
「それ! 俺の方が知ってます風の言い方、やめてくんない?」
「まぁ、聞け。それでな、クララベルの子どもの頃の夢は『母様みたいな幸せな結婚をする』だった。その夢は、ソフィア様が亡くなってからは一度も口にしていない」

 普通の娘みたいな夢がクララベルから語られた時期があるのだと思うと切なくなる。

「今は、王女がそれを望んでも叶わないとでも思っているのかな」

「以来、それどころか、少女らしい恋愛小説を読むことも、社交界での色恋沙汰のうわさ話にも混ざることもなくなった。友人らしい友人も作らない。我が儘姫を演じながら、当たり前のように初恋の話をする娘たちを眺めているばかりだった。言い寄る男たちには自分を得られる身分かどうか王に許可を求めろと言い出す始末だ」
「ふぅん、俺が女官の恋愛相談にのってるのを軽蔑しきった目で見てたのはそれでか」
「そんなことをするのか? 芸術家のすることは分からんな」
「人の趣味は放っておいてよ。それで?」 

 ダグラスは遠い目をする。その視線の先に幼いクララベルが一瞬でも現れはしないかと、俺は目を凝らす。もう、クララベルと離れてだいぶたつ。いつも服に忍ばせている誕生日に貰った刺繍の匂い袋をそっと握りしめる。

「クララベルは恋らしい恋をしてこなかったと思う。城に出入りするバロッキーには気安くしていたが、あれは何と言うか、父や兄との縁が薄かったからだろう?」
「まぁ、そうかもね。うちの父さんとヒースに憧れがあったのは確かだとおもうよ。俺じゃなくてヒースを婿に据えるつもりだったようだし」
「バロッキーの何にそんなに惹かれるやら」
「さあね。俺なんか、そのバロッキーの中で『大嫌い』っていうお墨付きをいただいているから婚約者に決まったわけだけどね」

 この婚約を企んだのはサリだ。
 俺とクララベルがとても仲が悪いから、別れる時に後腐れが無くていいだろうという理由で契約結婚が提案されたのだ。
 俺の初恋の相手がクララベルだと、サリが知ったのは、全てが決まった後だった。そんなこともなければ、俺とクララベルの運命は一生交わることが無かった。
 
「あの絵を描いたのは、ミスティ、お前だな」
「どの絵?」
「誕生日の肖像画だ」

(――あの絵か)

 そういえば公にされていない肖像画の存在をダグラスは知っていた。
 そういうのも気に入らない。

「あんた、まさかワードローブの中まで入ってないだろうな」
「ワードローブ? なんのことだ? クララベルが庭で空を見上げている絵の話だ。クララベルがこっそり俺に見て欲しいと持ってきた」
「だから、いかにも仲がいいんですって雰囲気を出すなって。俺、あんた嫌いだな」
「奇遇だな、僕もそうだ。クララベルはあの絵の作者をずっと探していた。熱に浮かされたように目を輝かせて。そういうクララベルを見るのは、絵の話をするその時だけだった」
「……へ、へぇ」

(本当にずっと俺を探していたのか……)

 俺はダグラスの口からもたらされた内容だとわかっていても、嬉しくて頬が熱くなるのを感じた。うっかり目も光ったかも知れない。慌てて目をそらして壁に顔を向ける。

「お前はクララベルとの仲は偽装で、お互い演技しているだけだと言う。けれどお前はその実、クララベルを好いていると言うし、クララベルの画家への想いは本当だった。それなのにお前はクララベルを残して亡命するのか?」

 改めて人の口から聞くと、こんがらがった俺たちの関係に頭を抱えたくなる。

「少なくとも、クララベルは画家としての俺を国外に出すことに義務感を持っている。あと、俺の事は恋人ではなくて、よく噛む飼い犬ぐらいに思ってる」

 俺たちの状況の複雑さに、ダグラスは眉間を揉む。

「画家としてのミスティか――なるほど、そういうことか」
「クララベルが俺に恋していて、ミスティ行かないでって泣くなら、いくら不自由でも俺はこの国に居続けるんだけどな。生憎、あいつは俺がこの国に居続けるのを望んでいない。必要とされてないんだ」

 俺たちは決して嫌い合っているわけじゃない。それなりにお互いの幸せを望んでる。
 でも、クララベルの見ている未来は、傍らに俺のいない未来だ。

「僕はあの絵の作者がミスティならもう仕方がないと思っていた。運命の相手に出会って恋をしたのだろうと。子どもの頃に望んだように、恋を実らせて結婚するならそれでいいと……」
「俺だってそうだったらいいと思うんだけどさ」

 俺の想いと同じくらいクララベルが俺を好きだったらいいのにと願わない日は無い。
 もしそうなら、何を敵にしても俺はクララベルの側から離れないのに。

「本当にクララベルはお前を必要としていないのか?」
「正直分からない。ずっと城にバロッキーが居続けるのって、貴族にとってはどうなの?」
「今はいいだろうが、後々政治に幅を利かせるようなことがあれば、碌なことにはならないな」
「俺、政治になんて興味ないし」
「お前には興味が無くても、バロッキーの財力を欲する者は必ず出てくるだろう。その時にクララベルが安全だとは言い切れない」
「え? 俺じゃなくてクララベルの方が危険になるの? 本当に貴族ってどうなってるのさ」
 
 俺が亡命を蹴って城に居続けたとして、クララベルの安寧は約束されないということだ。

「結局、俺はお荷物だってことだな」
「危険があってもクララベルがミスティを手放さないのだと思っていたのだが、違うのか」

 ダグラスは今までの会話を反芻するようにして考え込んでしまった。
 俺は一つだけ優位な立場からダグラスに言えることがある。
 それを言うのは今だと思った。
 
「あのさ、これだけは確かなんだけど、俺は画家としてはクララベルに誰よりも深く愛されている。あの絵を描いたのが俺だから、クララベルは俺がこの国に残ることを許さないんだと思う」
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