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竜の番
しおりを挟む「つがい?」
思いもよらない言葉が出てきて、聞き返す。
顔が見えなくてもアビゲイルがにまにまと笑みを浮かべているのがよく分かる。
「気がついておらんのか? すると、本家のもやし小僧は、そなたのなんなのじゃ?」
「も、も、も、もやし?」
誰を指しているのかはよくわかる。
「ジェームズの息子で赤毛の、蝶のような童がおったろう? 暫く会っておらんが、絵を描く竜じゃ」
「ミスティは、 まぁ、確かに婚約者で間違いないけれど……」
「そなたの番はミスティ・バロッキーなのかと尋ねておる。婚約者であるかどうかはどうでもいいことじゃ」
私は急な展開に激しく動揺した。
まるで私にもうすでに番がいるような口ぶりだが、何をもって番というのかすらわからないので、答えようがない。
「そ、そんなのわからないわ」
「わからないことがあろうか。竜になるよりも早く番を選ぶとはなかなかなものだ」
「だって、そんなわけないもの! ミスティのはずがないわ……」
「そうか。分からぬのなら、まぁ良い。しかし、クララベルはいささか鈍いのう。孔雀姫のほうが幼いが、うんと聡いぞ」
孔雀姫とはおそらくサリの妹の事だろう。
あのサリを小さくしたような計算高い娘と比べられるのは気に入らない。
「目はじきによくなる。これは単に娘の竜の通過儀礼で、我もそうなった。まぁ、もっともうんと子どもの頃の話じゃ。目が見えるようになれば、姫様も竜として生きねばならぬな」
竜に生まれるのではなくて、竜になるなんてことがあるとは知らなかった。
自分の身に起きていることだというのに、実感が乏しい。
「私が? 竜になるって、私の目にも赤い柄が入るの?」
目が見えるようになって、私の目がバロッキーと同じように血の色が入るとしたら大ごとだ。
カヤロナ家が竜の分家であることは国の秘密だ。直系から竜が出たとなれば、それを隠すために厳しい決定がされるかもしれない。
「そなた、竜について何も知らんのだな。娘の竜が赤い目を持つなど、そんなわけあるまい。竜の女は見た目には何も変わらぬよ。ただ、竜になるだけじゃ」
「竜になる……」
何を言われても、ぼんやりとした不安しかない。
「安心せい、女の竜は単に勘が良いだけの普通の人じゃ。番いを持つ以外、見た目は何も変わらない」
「私、本当に番いを持っているの?」
「だからそうだと言っておる。誰か心当たりがあるのであろう?」
「わからないの……ミスティは婚約者ではあるけれど、恋人というわけではないし。その他に親密にしている異性はいないわ。そもそも王族が恋なんて……」
「相変わらずカヤロナはつまらぬことを申すのじゃな。カヤロナ家ではまだそのようなことを教えておるのか?」
「だって……まって、それなら女の竜が番を持つとどうなるというの?」
ミスティがそうだと言われても腑に落ちない。だからといって別のそれらしい人は私の周りにいない。
「そうじゃな。まぁ、番以外とは交わる事が出来ぬようになるな」
「どういうこと?」
「番以外の異性に触れられると悪寒がするのでな」
「そんな……じゃぁ……」
違和感を感じた場面を思い返してみる。
原因として考えていたことが覆る。
狙われたから、危険を感じたから、ではなくて。
ダグラスだから、オリバーだから、御者だからでもないとしたら。
ミスティではない、というのが違和感の正体だったということだ。
「ど……どうしよう」
ミスティではない、というのが理由なら、きっとこれこそが番の印だ。しかし俄かには信じられない。
「そんなの……」
私は見えない目を見開いた。
「竜って、なんて融通が効かないの?!」
迂闊だった。ミスティに近づきすぎた。これでは国の駒としての婚姻は難しいものになるだろう。
唯一救いがあるとすれば、ミスティにはまだ番がいないということだ。
竜はあっという間に好き嫌いが決まるから、出会ってもう二年もたつ私は番ではないということだろう。
私はともかく、ミスティが単独で国外に出るのには問題がないはずだ。
(いいえ、まだそうだと決まったわけではないわ)
叫んでから二の句が継げずに口をパクパクさせていると、軽いノックの音が聞こえて扉が開く。落ち着いた女性の声で来客が告げられた。
「バロッキー家のミスティ様がいらしております。クララベル様の不調を聞いていらしたのだそうですが、お通ししてよろしいですか?」
「ミスティが?!」
どこで聞きつけたのだろう。ミスティは時々勘が良すぎる。
「アビゲイル様、レトも、今のことは、ミスティにはまだ言わないでおいて。間違いかもしれないし。ミスティはまだ番がいないらしいから、煩わせたくないわ」
レトが何か言いたげにしていたが、結局言葉を飲み込んで頷いたようだ。
「……わかりました。今はそのようにいたします」
「問題ない。女の竜のことは男どもでもよく分かりはせぬ。事を急くな」
口止めをして早々に、ミスティがこちらへやって来るのが分かる。
わかる。
誰よりもミスティの気配がわかる。
落ち着きのない足音をたてながら、この部屋に急いでいる。
まだ私自身が状況を把握できていないのに、タイミングが悪いったらない。
「おばさん、久しぶり」
久しぶりに聞いた声は、機嫌が良さそうではない。
「おばさんではない。アビゲイル様と呼ばぬか。ほう、もやしっ子が、久しく見ぬうちにだいぶ育ったの」
「もやしっていうのやめてよ。もうアルノより背が高いんだからさ」
レトが知らせたとは思えないし、どうやって居場所が知れたのだろう。
レトも同じことを考えていたようで、アビゲイルとの話に割って入る。
「ミスティさん、どうしてここが?」
「女官のマーシャが早馬でダグラスの屋敷まで手紙を出してくれたから、受け取って早々に戻って来たんだけどさ、城に行ったらどこに行ったか分からないって言われて。ノーウェルが馬車の種類を確認して、行き先はここだろうっていうから……」
「マーシャでしたか、心配性で早とちりが過ぎるところはどうにかしなければなりませんね」
レトが困ったように言う。マーシャは地方出身の私付きの女官で、ミスティと私を応援しているらしい。ミスティを恋愛の師とあがめて、暇があればミスティに恋の相談をしてるようだ。
慌て者の彼女のことだから、レトに口止めされる前に手紙を送ってしまったのかもしれない。
「それで、アビィおばさん、クララベルの様子はどうなの? 何か竜と関係があるわけ?」
「ああ、レトがベリル家の秘伝の薬の存在を知っておってな、医者もお手上げのようなので姫を我に見せに来たのじゃ」
「なんだよ、おばさんとレトさんも知り合いかよ。まさかレトさんベリル家のひとじゃないよね?」
「滅相もない。私はアーシュ家の末席の出身です。子どもの頃ベリル家の下働きをしていたもので、今も懇意にしていただいております」
身の振り方が決まっていない私は、皆のやりとりを黙って聞いている。
ミスティが仕事に出てからそれほど経っていないはずなのに、ミスティの声が懐かしい。
「クララベル、目が見えないってなんだよ? なにがあったんだ?」
城であれば婚約者としてふるまわなければならないから、当然のように私に近づいて頬を手で挟んで瞳をのぞき込むことだろう。しかし、今はレトの隣に立って腕組みをして私から距離を置き、そこから近づこうとはしない。
いつもそうだ。
城での振る舞いは渋々の嫌々で、それを私にわからせようとして、城を離れれば遠くに立つのだ。
意地が悪い。
「心因的な一過性のもののようだの。今さっき話を聞いていたのだが、最近何か事件があったのであろう?」
「ああ、このお姫様、ついこの間イノシシのように罠にかけられて吊るされたんだ」
「ほう、それが原因かもしれんのう。いずれにせよ、もう見えるようになる頃合いじゃ。薬が効くまで手を引いてやるが良い。婚約者なのであろう?」
「まぁね。ほら」
差し出された手の位置がわかる。ミスティの体臭や細長い気配も。
しかしその手を握るのはためらわれた。
「大丈夫よ、レトがいるから」
レトに助けを求めるように逆方向に手を伸ばす。
しかしレトは座ったまま、お茶を飲む気配しかしない。
「恐れながら姫さま、私は休暇中の身なのです。私の恋人も外で待っているようですから、私はそのまま休暇に入らせていただきます」
確かにレトは休暇を返上して尽くしてくれていた。
「そうね、休暇を潰させてしま……?」
――あら、何か今聞いたかしら?
「こいびとっ?!」
「はい。幼馴染でノーウェル・スウィフトと申します」
当り前のように告げるレトが、今どんな顔をしているのか想像がつかない。
今日は、レトの事を何も知らなかったのだと思い知ることばかりだ。
騎士としてのレトだけがレトではないのは当たり前なのに。なんだかしょんぼりとする。
「クララベルも知らなかったのかよ」
「知らないわよ! なに?! もう、今日は分からない事ばっかり!」
まだ色々と説明を聞きたいのに、用事は済んだとばかりにアビゲイルはパタパタと手を振り帰れと告げる。
「もう薬は飲ませたから連れて帰ってよいぞ。我はレトとノーウェルとお茶会じゃ」
アビゲイルの方からはボリボリと飴菓子を食べ始めた音がする。私の問題はまだ山積みなのに!
「おばさんありがとう。ほら、帰るぞ。ベリル家に来たのがバレたら良くないんだろ? あんな馬車よく乗ってきたな」
ミスティが私に手を差し出す。
やっぱり、ミスティが番だなんて、冗談だとしか思えない。
もしかしたら、番など関係なくて、異性の全てを拒絶してるのかもしれない。
ミスティのことも気持ち悪く感じてしまうのではないかと思うと、その手に触れるのを躊躇してしまう。
「本当に見えていないんだな。大丈夫か?」
「別に困ることも無かったわ」
ツンと澄ましながら、動揺をしまい込んで、恐る恐るその手に手を重ねる。
あたたかい手が拍動している。
(いつものミスティだわ)
そう思った途端に、視界にぼんやりと色が戻った。
「あっ……」
視界の中いっぱいにミスティがいる。心配そうに私の目を覗き込んでいる。
「大丈夫か?」
「全く心配ないと言っておる。もう治る頃じゃ」
「本当に? おばさん、変な薬飲ませたんじゃないだろうな……ベル? どうした?」
――見える。
見えるようになったけれど、こんなタイミングではアビゲイルにミスティが番なのだと誤解されてしまう。
「なんじゃ? 腹でも下したか?」
「み――見えるように、なったの……」
耳にまで血がのぼるのが分かる。
どうしよう、こんな……。
「どうじゃ? 特効薬は効くじゃろ?」
「へえ、即効なんだな。何にしても効いてよかった」
「そうなのじゃよ。一族秘伝の薬でな。レトが姫様をうちに連れてきて正解じゃった。本当に、これがよく効くのじゃ。のう、姫様?」
笑いながら何度も言うアビゲイルの方を向いて、それ以上何も言ってくれるなと睨む。
初めて見るアビゲイルは、息子のアルノとよく似た鋭さと、毒々しい艶やかさがあった。私とミスティを見比べてまだニヤニヤと笑っている。
「ち、違うわよ! 別につ……ソレが効いたわけじゃないわ」
「そうかのう? 我にはよく効いたように見えるが……」
「絶対に違います! もう治る頃だっただけよ。ミスティ、帰るわよ! レトと恋人の逢瀬の邪魔になるわ」
ミスティの手を引いて扉の方に進む。
「本当にもう見えているのか? 手を引かなくても歩けるなら自分で歩けよ」
「なによ! そっちが手を差し出したんだから、最後までエスコートすればいいじゃない」
ミスティは私の手を引くと、小さい子にするように振り返らせて屈ませる。
「はいはい、お姫様。おばさん、それじゃね。クララベル、アビィおばさんに、お礼は? そういうのちゃんとしないと、うちの母さんうるさいから」
イヴのにこにことした叱り顔を思い出して、途中から正した姿勢で深く敬意を示す。
「アビゲイル様、お世話になりました……」
「よい。また忍んでくるがよい。菓子を用意しておいてやろう」
飴菓子は要らないが、また来てもいいだろうか。
本当はまだまだ聞きたいことがたくさんある。
帰りの馬車でもミスティの手を離すことはできなかった。
どうしても出来なかったのだ。
ずっと手を離さないでいる私に、何も言わないミスティがよくわからない。
機嫌良さそうに、手を繋いだまま横に座っている。
「ミスティなんてきらいよ……」
考えがまとまらなくて、俯いてそんなことを言えば、こめかみの辺りに宥めるようにキスされる。
そうかと思ったら、繋いでいないほうの手で痛いくらいに耳を引っ張られて言い合いになった。
何も特別なことはない。ミスティとはいつもこうなのだ。
私のミスティは……。
――私の?
「ち、ちがうわ!!! 大っ嫌いよ!」
腰を浮かせて頭を振る。
それなのに、少しもミスティの手を離そうとは思えない。
「大ってつけるなよ。お前、頭も少しおかしくなったんじゃないのか? 本当に大丈夫か?」
「大丈夫よ。話しかけないで」
「なんだよ、心配してやってるんだろ」
もう何も考えたくなくて、腰かけなおして窓の外を見る。
ガラスに映ったミスティの心配そうな顔を見たくなくて、ぎゅっと目を閉じれば、ミスティの手の温もりと、気配が隣にあることが際立つ。
(私のミスティ……)
どうしよう、これはどうしたって私のミスティだ。
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