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【俺の知らない坑道】
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フォレー領は広大だ。
戦争のたびに引き直された国境線のせいで、取り残されたシュロ系の人々も多く暮らしているから、竜の目をした俺が歩いていてもあまり邪険にされない。
それどころかシュロ系の人々は俺の目をまじまじと見返してくるほどだ。
サリから聞いて、シュロ人が珍しい目の色を過剰に愛でる傾向があるのを知っていたが、王都の人々とは違う種類の視線を感じて、居心地がいいとは言えない。あの三倍体の変態、マルス・ハンガスを思い出して身震いする。
まさか、シュロ人の中には竜の目を抜いて飾っておきたいという願望を持っている奴がマルス以外にもたくさんいるのだろうか。
極端に賛美されるのも拒絶されるのも、受ける印象は変わりないなと思ってしまう。
フォレー領は王都よりも暖かい気候で、農業や牧畜に向いている。丘陵地に果樹園や茶畑、牧場などが広がる。それもまばらになって来た所でようやく山が目前に迫る。あれがベルトアン銅山だ。
禿山を想像していたが、廃れてから長い年月が経ったからだろう、思った以上に木々が茂る紅葉の山に出迎えられた。
比較的傷みの少ない坑道に向けて草が刈られて、歩けるようにしてある。放置しておいたくせに少しでも高く売りたいようで、急ごしらえで舗装された山道が景観を損ねている。
銅がまだ採れるかもしれないのだから、高く買ってくれという触れ込みなのだが、その実、地主はこの銅山を掘りつくされ枯渇した不毛の地だと断じている。
価値の無くなったものを高く売りたいという商魂は評価したいが、見栄えをよくして評価を上げたいなら、もっと手をかけないと。まぁ、銅山の価値はそもそも見た目じゃない。
このあたりでは、馬ではなくて足の太い鹿に近い見た目の動物が馬車を引く。御者に生き物の名前を尋ねたのだが、シュロの古い言葉が語源らしくて、どうにも覚えられない。
唇の丸い角のない顔は愛嬌がある。太い足で坂道も快調に上ってきたが、山道の手前で、御者に降ろされてしまった。ここから先は歩くしかなさそうだ。
「シュロ人の採掘した跡だなんて、始めて見るよ」
バロッキーの採掘現場とは全く違い、山には横穴が多数掘られていて洞窟のようになっている。
「なかなか独特な採掘法だなぁ。他の国ではこのようにして鉱物が採取されるんだね。見て! 色々な所に入口が見えますよ。ああ、そこから中に入るのは危険そうだなぁ。ほら、あそこなんて崩れてしまって草ぼうぼうだ。こっちの小山は坑道を掘った時の土かな? それとも廃石を捨てたのかな……何が出ているのかな……」
興奮したように独り言を言いながらノーウェルはどこかに行ってしまった。
仕方なく俺は一人で、天井の高い大きな坑道に足を踏み入れる。所々、生木で補強されている内部に苦笑いする。乾いた木材を用意する手間も惜しんだのだろうか。
灯りを持って坑内を見渡すと、雨水なのか湧き水なのかわからない水分で湿っている。その水に溶けだしたのだろう、鮮やかに発色した緑青が足元を覆っている。竜でなくてもわかるであろう銅特有の強い匂いもする。
「……本当に閉山した場所なのか?」
採りつくされた廃坑を想像していたのに、金属の気配が多すぎる。
少し意識を集中して竜の血に頼って見ようとすれば、まずは視界より先に音が増える。
普段は絵を描いているばかりだから、俺がこんな風に手放しで竜の力を使うことはほとんどない。
竜は人によって血の濃さはまちまちだが、竜らしく生きようとすれば竜の力は使える。みんな、あまり強く竜を意識すると日常生活に支障をきたすから、ほどほどの付き合いをしている。
――水の音が大きく聞こえる。
地下水が流れているようだ。見ようと目を凝らすと目の奥が熱くなる。さっき以上に金属の匂いが強くなる。やっぱりなんだかおかしい。
俺の鉱物を見る力は他の兄弟に比べてあまり強くはない。それなのに掘りつくされたはずの坑道の壁の奥から銅の大きな気配がする。
「ノーウェル! ちょっと来てよ。調べて欲しいことがあるんだけど。ここ、壁の所、ちょっとだけ掘れたりする?」
「はいはい、今行きますよ」
ノーウェルは慣れた手つきで坑道の壁を掘る。
「なんだかんだで、ミスティ君も竜なんですね。さっきの感じなんか、ヒースさんみたいでしたよ」
ニコニコしながらノーウェルは土を掘り進める。
ヒースは特に竜の力が強く、採掘現場で指揮を執って鉱物を掘りだす。しかし、こんなに金属の気配が大きければ、ヒースなら逆に混乱するかもしれない。
しばらくノーウェルが小さな脇穴を深くしていくと、白い石の壁に突き当たってそれ以上は掘れない。そこからは慎重に石を割りながら銀貨ほどの大きさの穴をあけていく。その奥から石を採集したノーウェルは、陽の光を求めて外に出て、急ぎ足で戻ってきた。
戻ってくると何も言わず、慎重に掘ったところを元に戻して、にやりと笑う。
「これは、ひょっとするとヒースさんに来てもらわなければならないかもしれませんね。人手も要りそうだ」
銅山に滞在する時間はそう長くかからなかった。調査が思ったよりも上手くいったからだ。
土地の有益性を説明するのに足る証拠も集めた。できればノーウェルの言うように一度ヒースを連れてこられるといいのだが。
*
調査が終わってそのまま数時間かけて市街地に向かう。ダグラスは市街の中心部にある屋敷に住んでいる。
街を走るのには向いていないようで、途中で愛嬌のある鹿面の動物に別れを告げ、今は普通の馬車に乗せられている。
フォレー家の屋敷は遠くから見ると、さながら城だ。
カヤロナ国は小さな国だが、さらにぞれぞれの領は元々は独立した土地だったらしい。フォレー家は時代が違えばこの地域での王に匹敵する立場であっただろう。
ダグラスに挨拶に行くことを知らせた時に、屋敷に部屋を用意すると返事をもらっている。
今夜はフォレー邸に宿泊だ。
「僕が一緒に行っても大丈夫なのかい?」
「いいんじゃない? 俺の身の回りの世話をする下男ですとでも言おうか?」
「レトの恋人ですって紹介したほうが歓迎されるんじゃないかな」
「調子に乗ってる?」
「なかなか君に打ち明けるお許しが出なかったものでね」
レトさんがバロッキーの分家と付き合いがあったことを二年以上も隠されていたのだと思うと、少し思う所がある。
「……俺、そんな信用無いかな?」
「いいや。レトが僕に口止めしたのは、君たちの立場を心配してのことだよ。城ではどこからおかしな噂が流れるかわからない。君がレトと旧知の仲だと知れたら、せっかく王家から独立した立場を保てそうな君たち二人がラッセル家との繋がりを疑われてしまうだろ? 派閥に巻き込まれたいかい?」
思慮深いレトさんの事だ、きっともっといろいろ考えて、俺たちが快適に過ごせるように手配してくれていたのだろう。
「貴族ってめんどくさいよね」
「貴族といっても、僕はフォレー家には悪い印象は無いなぁ。クララベル姫の幼馴染のダグラス坊ちゃんの話はときどきレトから聞いていたよ。立派な領主になりそうだってね」
「なにそれ、俺なんてレトさんに褒められたことないんだけど。なんか、ダグラスが褒められるの、すっごく腹立つ」
俺があからさまに不機嫌な顔をしたので、ノーウェルはケタケタと笑った。
「君さ、本当にクララベル姫が絡むと、了見が狭くなるね」
門をくぐり、整えられた庭園を抜けると、フォレー卿とダグラスが出迎えてくれる。
アルノに教えてもらった所作も、歯の浮くような挨拶も、だいぶしっくりくるようにはなったが、さすがにフォレー卿やダグラスの落ち着きには及ばない。
忙しい時期に時間を取ってくれたようで、挨拶が済むとフォレー卿はどこかに出かけて行った。自ら体を動かす領主の評判が悪いはずはない。
「ミスティ殿、遠路はるばるお越しいただいて恐縮です」
「いえ、私も何かのついでみたいで申し訳ない」
俺は恋敵としぶしぶ固く手を握り合った。
ノーウェルは着いて早々、馬車の中から何かを発見したらしく、むき出しの地層があったと騒いで、挨拶もそこそこに出かけて行った。
(小間使いと言う設定はもう無駄だな……)
俺には血のつながった両親も弟もいるし、友人にも恵まれている。バロッキー家では珍しい。
独りきりで虚勢を張って社交界を生きているクララベルとはえらい違いだ。
別にノーウェルに何かを望んでついてきてもらったわけじゃない。単に敵地で一人きりよりは心強いってだけだ。
だけど、クララベルと比べれば、そういう所だって人に甘えていることになるのかなと、後ろめたくなる。
俺は今まで一人で決めて何かを成し遂げたことはまだない。
アトリエで絵を描くことが全てで、完成した作品を画商に渡すところまでで仕事は終わる。自ら外に出てバロッキーの仕事らしいことをしたのも初めてかもしれない。
客間で旅装を解いてから、相談があるとダグラスに切り出した。
ここから先は自分だけでどうにかしなければならないことだ。
先に通された応接間でダグラスを待つ。
フォレー家の建物は王都の建築様式とは少し違うように思える。石造りの多い王都とは違って、硬く焼いた色とりどりのレンガを積み重ねた屋敷は暖かな色合いだ。
この辺りでは石より粘土が多く取れるのだろう。広葉樹も多いので庭も柔らかい色合いで纏まっているように見える。
この屋敷で暮らすクララベルを思い浮かべてみる。
――流行の店などは無いけれど、クララベルはもともとそんなに派手好みだというわけではないし、今日俺たちを山まで運んだとぼけた顔の動物だって好きだろう。食べ物に好き嫌いは無いし、この土地の味付けも口に合うはずだ。
我儘なお姫様でいる必要のないクララベルは領民に愛され、下手ではないけれど上手いと手放しで褒められないような絵を描いたり、刺繍なんかを刺しながら、ここで楽しく暮らしていけるだろう。
――隣にいるのは堅実に領地を治める立派なダグラス様だ。
覚悟していたはずなのに、そこまで想像して、俺の心は紙袋みたいに一気にぺしゃんこになった。
それほど待たされずにダグラスが客間にやってくる。
シュロ系のメイドが流行り廃りのなさそうな堅実な柄のティーカップに震える手で茶を注ぎ、頬を染めながら出て行った。
「それでお話とは?」
ダグラスは柔和な笑顔で俺に話を促す。
俺の事なんか大嫌いだろうに、こうやって穏やかに対応できるのはさすがに貴族だなと思う。
さて、どう切り出したものだろう。
交渉術に長けるバロッキーの兄弟たちを思い浮かべる。兄弟たちじゃなくても、最近、女帝のようにバロッキーを取り仕切っているサリだって俺よりは良い作戦を思いついたはずだ。
(でも、俺はただの絵描きだし……)
今日なんか、絵筆も持っていないから、クララベルが好きだということ以外に何も持ち合わせがない。俺は、今まで貴族の前でかぶり続けてきた猫を脱ぐことにした。
「ダグラス殿は、クララベルのことが好きだよね?」
俺は何の策もなく、腕も足も高く組み上げて、すごく嫌々ダグラスに話題を振る。
わざわざ藪をつつくのなんか嫌だった。
ダグラスなんか、俺にクララベルを掻っ攫われたとべそべそ泣けばよかったんだ。
「え? なんですって?」
案の定、びっくりした顔をする。
「あんたに、クララベルが好きかって訊いたんだ」
明らかに動揺した顔で、何と答えたらよいかと思案顔だ。
このまま貴族ぶって俺に本音を話さないならそれまでだ。
「……ええ、もちろん姫様の朗らかな人柄を敬愛しておりますよ」
「あのさ、そういうんじゃなくてさ。俺は、クララベルを妻にすることを考えたりするかどうか聞いてるんだよね」
「……そんな、畏れ多い……」
謙遜する表情の中に、一瞬強い敵意が浮かんだのを俺は見逃さなかった。
「お互い猫をかぶるのはやめない? 俺は恋敵にしか頼ることが出来ない情けない状態で、あんたに捨て身の相談をしに来たんだ」
「なにを仰っているのか……」
俺は本当に、いったいどうしてこんなことしなきゃいけないんだろう。自分で思っている以上に口の端が引きつるのが分かる。情けない顔をしているに違いない。
「ダグラスがクララベルを愛しているというのなら、俺たちの秘密を共有してもいい。ダグラスが何よりもクララベルが大事で、不幸にしたくないというのなら……」
そこまで言って、ダグラスから笑みが消えた。「クララベルの不幸」という所に反応したのだろう。やっぱり同じ穴の狢だな。
「――バロッキー、貴様、何が目的だ」
柔和な地方貴族の坊ちゃんの仮面を脱ぎ去って、内に秘めていたのであろう眼光の鋭い、意志の強そうなダグラスがあらわれる。
ほらみろ、こんな凶暴そうな顔をして。
ダグラスは引き締まっているが相当に鍛えている。もし俺たちが弱肉強食の獣だったら、あっという間に俺は噛み殺されて番を奪われてしまうのだろう。物語だったらこいつが主役で、完全に俺の方が当て馬だ。
ダグラスは誘い出した舞台にあがってくれるらしい。
良かったと思いながらも、引き攣った笑いがこみ上げる。
俺は強張りを取るように自分の顔を一撫でして息を吐く。
「ダグラス、俺ね……もうすぐ死ぬんだわ」
俺は悲しいぐらいに無力だ。
戦争のたびに引き直された国境線のせいで、取り残されたシュロ系の人々も多く暮らしているから、竜の目をした俺が歩いていてもあまり邪険にされない。
それどころかシュロ系の人々は俺の目をまじまじと見返してくるほどだ。
サリから聞いて、シュロ人が珍しい目の色を過剰に愛でる傾向があるのを知っていたが、王都の人々とは違う種類の視線を感じて、居心地がいいとは言えない。あの三倍体の変態、マルス・ハンガスを思い出して身震いする。
まさか、シュロ人の中には竜の目を抜いて飾っておきたいという願望を持っている奴がマルス以外にもたくさんいるのだろうか。
極端に賛美されるのも拒絶されるのも、受ける印象は変わりないなと思ってしまう。
フォレー領は王都よりも暖かい気候で、農業や牧畜に向いている。丘陵地に果樹園や茶畑、牧場などが広がる。それもまばらになって来た所でようやく山が目前に迫る。あれがベルトアン銅山だ。
禿山を想像していたが、廃れてから長い年月が経ったからだろう、思った以上に木々が茂る紅葉の山に出迎えられた。
比較的傷みの少ない坑道に向けて草が刈られて、歩けるようにしてある。放置しておいたくせに少しでも高く売りたいようで、急ごしらえで舗装された山道が景観を損ねている。
銅がまだ採れるかもしれないのだから、高く買ってくれという触れ込みなのだが、その実、地主はこの銅山を掘りつくされ枯渇した不毛の地だと断じている。
価値の無くなったものを高く売りたいという商魂は評価したいが、見栄えをよくして評価を上げたいなら、もっと手をかけないと。まぁ、銅山の価値はそもそも見た目じゃない。
このあたりでは、馬ではなくて足の太い鹿に近い見た目の動物が馬車を引く。御者に生き物の名前を尋ねたのだが、シュロの古い言葉が語源らしくて、どうにも覚えられない。
唇の丸い角のない顔は愛嬌がある。太い足で坂道も快調に上ってきたが、山道の手前で、御者に降ろされてしまった。ここから先は歩くしかなさそうだ。
「シュロ人の採掘した跡だなんて、始めて見るよ」
バロッキーの採掘現場とは全く違い、山には横穴が多数掘られていて洞窟のようになっている。
「なかなか独特な採掘法だなぁ。他の国ではこのようにして鉱物が採取されるんだね。見て! 色々な所に入口が見えますよ。ああ、そこから中に入るのは危険そうだなぁ。ほら、あそこなんて崩れてしまって草ぼうぼうだ。こっちの小山は坑道を掘った時の土かな? それとも廃石を捨てたのかな……何が出ているのかな……」
興奮したように独り言を言いながらノーウェルはどこかに行ってしまった。
仕方なく俺は一人で、天井の高い大きな坑道に足を踏み入れる。所々、生木で補強されている内部に苦笑いする。乾いた木材を用意する手間も惜しんだのだろうか。
灯りを持って坑内を見渡すと、雨水なのか湧き水なのかわからない水分で湿っている。その水に溶けだしたのだろう、鮮やかに発色した緑青が足元を覆っている。竜でなくてもわかるであろう銅特有の強い匂いもする。
「……本当に閉山した場所なのか?」
採りつくされた廃坑を想像していたのに、金属の気配が多すぎる。
少し意識を集中して竜の血に頼って見ようとすれば、まずは視界より先に音が増える。
普段は絵を描いているばかりだから、俺がこんな風に手放しで竜の力を使うことはほとんどない。
竜は人によって血の濃さはまちまちだが、竜らしく生きようとすれば竜の力は使える。みんな、あまり強く竜を意識すると日常生活に支障をきたすから、ほどほどの付き合いをしている。
――水の音が大きく聞こえる。
地下水が流れているようだ。見ようと目を凝らすと目の奥が熱くなる。さっき以上に金属の匂いが強くなる。やっぱりなんだかおかしい。
俺の鉱物を見る力は他の兄弟に比べてあまり強くはない。それなのに掘りつくされたはずの坑道の壁の奥から銅の大きな気配がする。
「ノーウェル! ちょっと来てよ。調べて欲しいことがあるんだけど。ここ、壁の所、ちょっとだけ掘れたりする?」
「はいはい、今行きますよ」
ノーウェルは慣れた手つきで坑道の壁を掘る。
「なんだかんだで、ミスティ君も竜なんですね。さっきの感じなんか、ヒースさんみたいでしたよ」
ニコニコしながらノーウェルは土を掘り進める。
ヒースは特に竜の力が強く、採掘現場で指揮を執って鉱物を掘りだす。しかし、こんなに金属の気配が大きければ、ヒースなら逆に混乱するかもしれない。
しばらくノーウェルが小さな脇穴を深くしていくと、白い石の壁に突き当たってそれ以上は掘れない。そこからは慎重に石を割りながら銀貨ほどの大きさの穴をあけていく。その奥から石を採集したノーウェルは、陽の光を求めて外に出て、急ぎ足で戻ってきた。
戻ってくると何も言わず、慎重に掘ったところを元に戻して、にやりと笑う。
「これは、ひょっとするとヒースさんに来てもらわなければならないかもしれませんね。人手も要りそうだ」
銅山に滞在する時間はそう長くかからなかった。調査が思ったよりも上手くいったからだ。
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*
調査が終わってそのまま数時間かけて市街地に向かう。ダグラスは市街の中心部にある屋敷に住んでいる。
街を走るのには向いていないようで、途中で愛嬌のある鹿面の動物に別れを告げ、今は普通の馬車に乗せられている。
フォレー家の屋敷は遠くから見ると、さながら城だ。
カヤロナ国は小さな国だが、さらにぞれぞれの領は元々は独立した土地だったらしい。フォレー家は時代が違えばこの地域での王に匹敵する立場であっただろう。
ダグラスに挨拶に行くことを知らせた時に、屋敷に部屋を用意すると返事をもらっている。
今夜はフォレー邸に宿泊だ。
「僕が一緒に行っても大丈夫なのかい?」
「いいんじゃない? 俺の身の回りの世話をする下男ですとでも言おうか?」
「レトの恋人ですって紹介したほうが歓迎されるんじゃないかな」
「調子に乗ってる?」
「なかなか君に打ち明けるお許しが出なかったものでね」
レトさんがバロッキーの分家と付き合いがあったことを二年以上も隠されていたのだと思うと、少し思う所がある。
「……俺、そんな信用無いかな?」
「いいや。レトが僕に口止めしたのは、君たちの立場を心配してのことだよ。城ではどこからおかしな噂が流れるかわからない。君がレトと旧知の仲だと知れたら、せっかく王家から独立した立場を保てそうな君たち二人がラッセル家との繋がりを疑われてしまうだろ? 派閥に巻き込まれたいかい?」
思慮深いレトさんの事だ、きっともっといろいろ考えて、俺たちが快適に過ごせるように手配してくれていたのだろう。
「貴族ってめんどくさいよね」
「貴族といっても、僕はフォレー家には悪い印象は無いなぁ。クララベル姫の幼馴染のダグラス坊ちゃんの話はときどきレトから聞いていたよ。立派な領主になりそうだってね」
「なにそれ、俺なんてレトさんに褒められたことないんだけど。なんか、ダグラスが褒められるの、すっごく腹立つ」
俺があからさまに不機嫌な顔をしたので、ノーウェルはケタケタと笑った。
「君さ、本当にクララベル姫が絡むと、了見が狭くなるね」
門をくぐり、整えられた庭園を抜けると、フォレー卿とダグラスが出迎えてくれる。
アルノに教えてもらった所作も、歯の浮くような挨拶も、だいぶしっくりくるようにはなったが、さすがにフォレー卿やダグラスの落ち着きには及ばない。
忙しい時期に時間を取ってくれたようで、挨拶が済むとフォレー卿はどこかに出かけて行った。自ら体を動かす領主の評判が悪いはずはない。
「ミスティ殿、遠路はるばるお越しいただいて恐縮です」
「いえ、私も何かのついでみたいで申し訳ない」
俺は恋敵としぶしぶ固く手を握り合った。
ノーウェルは着いて早々、馬車の中から何かを発見したらしく、むき出しの地層があったと騒いで、挨拶もそこそこに出かけて行った。
(小間使いと言う設定はもう無駄だな……)
俺には血のつながった両親も弟もいるし、友人にも恵まれている。バロッキー家では珍しい。
独りきりで虚勢を張って社交界を生きているクララベルとはえらい違いだ。
別にノーウェルに何かを望んでついてきてもらったわけじゃない。単に敵地で一人きりよりは心強いってだけだ。
だけど、クララベルと比べれば、そういう所だって人に甘えていることになるのかなと、後ろめたくなる。
俺は今まで一人で決めて何かを成し遂げたことはまだない。
アトリエで絵を描くことが全てで、完成した作品を画商に渡すところまでで仕事は終わる。自ら外に出てバロッキーの仕事らしいことをしたのも初めてかもしれない。
客間で旅装を解いてから、相談があるとダグラスに切り出した。
ここから先は自分だけでどうにかしなければならないことだ。
先に通された応接間でダグラスを待つ。
フォレー家の建物は王都の建築様式とは少し違うように思える。石造りの多い王都とは違って、硬く焼いた色とりどりのレンガを積み重ねた屋敷は暖かな色合いだ。
この辺りでは石より粘土が多く取れるのだろう。広葉樹も多いので庭も柔らかい色合いで纏まっているように見える。
この屋敷で暮らすクララベルを思い浮かべてみる。
――流行の店などは無いけれど、クララベルはもともとそんなに派手好みだというわけではないし、今日俺たちを山まで運んだとぼけた顔の動物だって好きだろう。食べ物に好き嫌いは無いし、この土地の味付けも口に合うはずだ。
我儘なお姫様でいる必要のないクララベルは領民に愛され、下手ではないけれど上手いと手放しで褒められないような絵を描いたり、刺繍なんかを刺しながら、ここで楽しく暮らしていけるだろう。
――隣にいるのは堅実に領地を治める立派なダグラス様だ。
覚悟していたはずなのに、そこまで想像して、俺の心は紙袋みたいに一気にぺしゃんこになった。
それほど待たされずにダグラスが客間にやってくる。
シュロ系のメイドが流行り廃りのなさそうな堅実な柄のティーカップに震える手で茶を注ぎ、頬を染めながら出て行った。
「それでお話とは?」
ダグラスは柔和な笑顔で俺に話を促す。
俺の事なんか大嫌いだろうに、こうやって穏やかに対応できるのはさすがに貴族だなと思う。
さて、どう切り出したものだろう。
交渉術に長けるバロッキーの兄弟たちを思い浮かべる。兄弟たちじゃなくても、最近、女帝のようにバロッキーを取り仕切っているサリだって俺よりは良い作戦を思いついたはずだ。
(でも、俺はただの絵描きだし……)
今日なんか、絵筆も持っていないから、クララベルが好きだということ以外に何も持ち合わせがない。俺は、今まで貴族の前でかぶり続けてきた猫を脱ぐことにした。
「ダグラス殿は、クララベルのことが好きだよね?」
俺は何の策もなく、腕も足も高く組み上げて、すごく嫌々ダグラスに話題を振る。
わざわざ藪をつつくのなんか嫌だった。
ダグラスなんか、俺にクララベルを掻っ攫われたとべそべそ泣けばよかったんだ。
「え? なんですって?」
案の定、びっくりした顔をする。
「あんたに、クララベルが好きかって訊いたんだ」
明らかに動揺した顔で、何と答えたらよいかと思案顔だ。
このまま貴族ぶって俺に本音を話さないならそれまでだ。
「……ええ、もちろん姫様の朗らかな人柄を敬愛しておりますよ」
「あのさ、そういうんじゃなくてさ。俺は、クララベルを妻にすることを考えたりするかどうか聞いてるんだよね」
「……そんな、畏れ多い……」
謙遜する表情の中に、一瞬強い敵意が浮かんだのを俺は見逃さなかった。
「お互い猫をかぶるのはやめない? 俺は恋敵にしか頼ることが出来ない情けない状態で、あんたに捨て身の相談をしに来たんだ」
「なにを仰っているのか……」
俺は本当に、いったいどうしてこんなことしなきゃいけないんだろう。自分で思っている以上に口の端が引きつるのが分かる。情けない顔をしているに違いない。
「ダグラスがクララベルを愛しているというのなら、俺たちの秘密を共有してもいい。ダグラスが何よりもクララベルが大事で、不幸にしたくないというのなら……」
そこまで言って、ダグラスから笑みが消えた。「クララベルの不幸」という所に反応したのだろう。やっぱり同じ穴の狢だな。
「――バロッキー、貴様、何が目的だ」
柔和な地方貴族の坊ちゃんの仮面を脱ぎ去って、内に秘めていたのであろう眼光の鋭い、意志の強そうなダグラスがあらわれる。
ほらみろ、こんな凶暴そうな顔をして。
ダグラスは引き締まっているが相当に鍛えている。もし俺たちが弱肉強食の獣だったら、あっという間に俺は噛み殺されて番を奪われてしまうのだろう。物語だったらこいつが主役で、完全に俺の方が当て馬だ。
ダグラスは誘い出した舞台にあがってくれるらしい。
良かったと思いながらも、引き攣った笑いがこみ上げる。
俺は強張りを取るように自分の顔を一撫でして息を吐く。
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