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【俺は婚約者の事が何もわかっていなかったのかも】
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揉めていた所で、誰かがやってくる足音を聞いて、二人とも口を噤んだ。
直後に女官がクララベルの化粧を直しに来て、俺は外に追い出される。
丁度良かった。今、クララベルと何か話せる気がしない。
(オリバーを後夫に?……冗談だろ? いや、それよりも、あいつ、なんて言った? 俺は、クララベルを抱くのか? 俺との偽装結婚って、そういうつもりだったのか?)
俺の感情はぐちゃぐちゃだった。
二年前に宣言した通りに、俺はクララベルを乙女のまま寡婦にするつもりでいた――指一本触れないだなんて言ったのは、まぁ、無理だった。
クララベルだって好きでもない奴の子を産むなんてことを望んでいないと思っていた。
俺はクララベルのことをそれなりに理解して、誰よりも近くにいるつもりでいた。
我が儘な姫だと誤解されているクララベルが、他の誰も知らないくらい、王族の自覚をもって務めを果たしているのを知っているし、王女としての誇りも理解しているつもりだった。
甘えたり、泣いたり、怒ったり、俺の前で好き嫌いの感情を隠さずにいてくれる。なんだったら、気安い軽口を叩き合えるのは俺だけだろう。
そんなだったから、あのワードローブの奥の肖像画のように、俺を近くに置いてくれているのだと自惚れていた。
俺がいなくなったら、俺がいないのをそれなりに寂しがって、その後は悠々自適に暮らしていくのだと疑いもしなかったのだ。
――俺はクララベルを侮っていた。
俺の番は、国にその身を捧げていて、子を成すことが王女として必要とされていれば、厭わず遂行する。
クララベルは俺が思うより、もっとずっと王女だったのだ。
きっと、俺と出会うずっと前から。
二年前のあの日、あの幼いクララベルが俺と子を成すことまで含めて偽装結婚に同意したのだと思うと、これまでの色々なことが色を失うようだった。
クララベルは、俺だろうがダグラスだろうがオリバーだろうが、王から与えられるものに優劣などつける気がないのかもしれない。
くさくさするのを抑えられずに、じっとつま先を見る。
俺じゃなくても、国の役に立つなら、なんでもいいのだ。
(クソッ……貞操すら国のものだとか、なんなんだよ!)
無力感で苦しい。
どうしようもない気分を何かに当たり散らしたい気分だ。
舞い落ちる枯れ葉が足元に積もる。
今は葉の一枚一枚に軽さを感じない。俺の胸の中の澱のように、積み重なり、どんどん重さが増す。
嫌な考えから逃げるように、無意識にその色の具合と葉の重なり合う様子や影の深さを脳裏に描きつけ、架空の絵筆で塗りたくり続ける。
どんなに分厚く鮮やかな色を塗っても凶暴にしか見えない風景画が頭の中で完成していく。
これはこれで、誰かの好みに合致しそうな絵だ。
欲しがる奴がいるかもしれないし、キャンバスに描いてみるのもいいかもしれない。
しばらくそうしていると、枯れ葉を踏んで近づいてくる音がした。
「狩りは好まぬか?」
(しまった……)
振り向かずに、声に気がつかない振りを続けたが、無駄だった。
皆から遠巻きにされて、独り立っているように見える絵面が悪かったようだ。
俺はしぶしぶ声の方に形ばかりの笑みを浮かべて振り返る。
「これはこれは、陛下! 私が行っても狩りに貢献はできませんので。お気遣いなく、絵を描いて姫と楽しく過ごしましておりましたよ」
全ての元凶が目の前にやってきて、俺は愛想笑いが引きつるのを感じた。
取り繕った会話を続けるのが面倒だ。
「狩りはいかがでしたか、陛下?」
「レトが上手く獲物を誘い出してな。若者たちも楽しんでいたようだ」
護衛の騎士に休息をとるように命じ、王は単身、俺の横に立つ。
(――こんな時に、なんだよ)
クララベルの父、ルイズワルド・カヤロナは、戦争の後の荒れた時代を繕った先代から王位を引き継いだ。
二代に渡り平和な治世をしていると評判は上々だ。平和は次代のレニアスに引き継がれるだろう。
目の前の男にクララベルの面影を探すが、聡明そうな秀でた額や高く張った頬骨からもクララベルと似通ったところは見つからない。
(似ているのは目の色くらいだな……っていうか、はやくどっかへ行けばいいのに)
俺は得意になった愛想笑いをもう一度張り付けて、心の中で苛々と歯軋りをした。
俺の願いとは逆に、王は俺を散歩に誘う。しかたなく、散歩というほどでもない野営近くの見通しの良い丘を二人で歩く。
少し離れて、さっきとは別の騎士がついてきているのが分かるが、俺たちの会話は人の耳には届かないだろう。
「クララベルとは仲が良いようだな」
「はい、陛下のおかげで、まんまと婚約者の座におさまることが出来ました」
もうどうにでもなれと、へらへらと笑って見せる。
「戯れにクララベルにバロッキーから婿を得よと言ってみたが、見事に竜を連れ帰るとはな。それも、あのジェームズの息子だとは……我が娘ながら、爽快な事をやってのける」
あんな無茶な条件を出したくせに、よく言う。
二年前、クララベルは外交の為、サルベリア国に嫁ぐことが決まっていた。相手は惨いことにクララベルの可愛がっている妹の初恋の相手だった。
サルベリアに行き渋るクララベルに出された条件は、バロッキーから婿を取ることだった。
クララベルに勝算は無かった。クララベルと結婚するつもりの男なんか、バロッキーには一人もいなかったのだから。
無謀にも単身でバロッキーに乗り込んできた高慢な王女には驚かされたものだ。だから、俺が婚約者として決まったのは偶然の事故みたいなものだ。
――つまるところ、このおじさんはクララベルの我儘を聞き入れる気など、さらさらなかった。
「初めてやってきた時には、少女を連れてきたのかと驚いたものだが、そこそこ見られる体になったではないか。レトが鍛えただけはあるな」
「余計なお世話です」
俺は今、猛烈に虫の居所が悪い。
不敬とは承知しているが、もうなんだか猫をかぶる気力も湧かない。
所詮は分家のオジさんだ。俺が敬意を払う必要はないやと開き直る。
「クララベルには敵が多い。その性格も原因だがな。クララベルを得ようと愚かな者ばかりが湧いてくる。城の従者も、身内も、皆敵だ。容易にクララベルを裏切りかねない。クララベルに必要なのは決して裏切らない身内だった。国外に出すのは良い案だと思ったのだがな」
「そうですか? 庇護のないままに放置したから、敵が多くなっただけじゃないですか?」
肩をすくめて皮肉を込めて返す。俺がいくら不敬な態度をとっても、この国がバロッキーにできることなど、たかが知れている。
「そうだな。そういわれるだけの理由が私にはある。不憫な子だよ」
「分家のお父さんやお兄さんが放っておいたから、バロッキー家に遊びに来るたびに、小姑たちに小言をもらうような情けないお姫様になったんですよ」
「それに関しては、返す言葉もない。少し事情があって、私やレニアスがクララベルに気をまわすと、余計に危険になる時期があってな。安易に人も増やせなかった。安全にあれを任せられるのが、レトとジェームズくらいだったのだ」
嫌味を言うはずが、クララベルの幼い頃の顔が浮かんで押し黙った。
――過酷だ。
バロッキー内で守られてきた俺とは大違いだ。
子どもの頃、父が城から帰ってこないことが度々あって、面白くない思いをしていた。
面倒ごとが嫌いな父が、行動を制限される城の仕事を辞めずにいるのが不満だったし、母に会えないと愚痴りながらも城へ向かうのが不思議だった。
今ならクララベルを放り出させなかった父の行動がよくわかる。クララベルの生活が、想像以上に危険なものだったからに他ならない。
「君のおかげで私はクララベルを遠くにやらずに済んだ」
「熱心に外国に嫁ぐことをすすめていたみたいですけど、そんなこと言うんですね」
「為政者が本音をさらけ出せば、国が乱れるのでな。ミスティよ、クララベルは愛らしかろう? あんなに愛らしい娘はそうはおらん」
王は一瞬、目じりを下げ父親らしいの顔を見せた。
「まるでクララベルを愛しているみたいに聞こえますよ。オジサンもほどほどに親バカなんですね」
「おじさんか、そんな風に言うのはバロッキーの者だけだ。だが、今はそれが心地良い」
「俺、無礼は謝りませんから」
「バロッキーはそもそも王家を敬う気持ちなど持ち合わせてはおらんだろ? バロッキーはそれで良い」
ルイズワルドおじさんは、少し離れたところに高くそびえたつ赤く紅葉した木に目をやる。
あの木の下でクララベルは罠で吊り上げられたのだ。
ルイズワルドはもう父親の顔はしていなかった。
「クララベルを罠にかけたのはオリバー・サンドラインか?」
硬い声には感情らしいものは感じられなかった。
オリバーの事はきっとレトさんが報告したのだろう。
クララベルは隠し通すつもりだっただろうが、知るべき者が真実を知っておくことは必要だ。
「それを知っていて、放っておくのですか?」
「自分で罠にかかったと言ったのはクララベルだ。それがクララベルの場の治め方だったのだろう?」
「酷いやり方ですよ。何を使ってオリバーを黙らせようとしたか知っているんですか?」
「クララベルがそこまでの覚悟とは――。クララベルは私やレニアスよりも王の素質を持っているのかもしれないな」
俺はそんなことが聞きたいのではなかった。
貞操を投げ出しかけた娘を少しは心配しろと思うし、クララベルを政治に都合のいい存在のように言う王が憎い。
「迷惑です。そんな呪縛はいらないんで、俺の番を自由にしてください」
王女の義務からクララベルを解放して欲しいと願うのは、まぎれもない本心だった。
竜らしい感情が番を脅かす全てのものから遠ざけてしまいたいと騒いでいるのに、大きな何かが邪魔をしている。
俺の力ではどうにもならないことが多すぎる。
「そう憤るな。私とて、クララベルの幸せを望んでいないわけではない。王族はなかなか自分の心のままに生きることがままならないものだ」
そう言って苦い顔をするのは、王が何人も妻を娶らなければならないことに対して苦悩なのか、それともだれか特定の愛する者へ懺悔なのか。どちらにしても俺には理解しがたい感情だ。
「そんなの、俺にはよくわかりません」
「その点、竜はいいな。偽りがない。ただ一つの愛の為に生きることができる」
「……竜について、よくご存知の様で」
「ベリル家とは親しくてな」
「へぇ、初耳です」
バロッキー家で一緒に育ったアルノ・ベリルの実家はバロッキーの名を捨てた旧王家の血筋だ。今でもその血脈を保っている。それがカヤロナ家と交流があるとは初耳だ。
「君はクララを番と言ったな。竜が言う番とは、つまり、君が何よりもクララを愛していると、そういうことで間違いないな?」
「少なくとも俺の頭は、おじさんの狙い通り、すっかりクララベルにいかれてしまっています」
俺は両掌を見せて、降参だと告げた。
それはオジサンの望む答えだったらしく、父親らしい顔を見せ、目尻にしわを刻んだ。
「オジサンだってクララが愛しい。為政者がこの様だ。私情で直系の娘だけを手元に置きたがるとは、本当は国王失格だ」
「俺の愛しいとおじさんの愛しいは本当に同じなんでしょうかね? 番以外とたくさん子を成すような愛し方は、俺には理解しがたい。竜としては、戸惑っていますよ。現にあなたの娘も国の為なら心が死ぬようなことでもやってのけようとする。国を愛するが故にね」
「国への愛か……クララベルはおそらく王族としての自覚がありすぎるのだ。私も息子も国を一番に考えているようで、どうにもブレがある」
「そんな義理堅いクララベルだったから、バロッキーと番って竜の子を産めだなんて命じたのですか?」
「私は竜の血を引き込むためにクララベルにバロッキーから婿を取れと唆したわけではない。国の外に出ないというのなら、安全が確保できる立ち位置が必要になる。バロッキーはクララベルにとって何よりも強い守りとなる」
「お嬢さんはそうは考えていないようでしたけど」
「まぁ、結果論だ。国に利があるように言った方が聞き分けの良い娘なのだよ。今の所、オリバーのような者以外、クララベルを害しようとする者もいなくなった。これはバロッキーとの婚約が決まったからに他ならない。君が婚約者になったからこそ、クララベルの安全は保たれるようになってきたのだよ」
「だからって……」
クララベルはそんな風には考えていない。ただ粛々と立場を受け入れているだけだ。
俺はすっかり指針を見失って途方に暮れていた。
どこに向かえばクララベルの幸せがあるのかわからない。
周りが勝手に考える「クララベルの幸せ」はどれもこれも空回っていて、クララベルが何をしたくて、何を望むのか、答えがわからない。
「私は父親としてクララベルにしてやれることが少ない。婚約者殿、クララベルを宜しく頼むよ」
そんなの俺だって同じだ。
してやれることが何なのか、わからなくなって困ってる。
「はい――俺の命が続く限りは」
俺の口が白々しくそんなことを言う。
俺が生きてクララベルの隣にいる時間こそ有限なのに。
直後に女官がクララベルの化粧を直しに来て、俺は外に追い出される。
丁度良かった。今、クララベルと何か話せる気がしない。
(オリバーを後夫に?……冗談だろ? いや、それよりも、あいつ、なんて言った? 俺は、クララベルを抱くのか? 俺との偽装結婚って、そういうつもりだったのか?)
俺の感情はぐちゃぐちゃだった。
二年前に宣言した通りに、俺はクララベルを乙女のまま寡婦にするつもりでいた――指一本触れないだなんて言ったのは、まぁ、無理だった。
クララベルだって好きでもない奴の子を産むなんてことを望んでいないと思っていた。
俺はクララベルのことをそれなりに理解して、誰よりも近くにいるつもりでいた。
我が儘な姫だと誤解されているクララベルが、他の誰も知らないくらい、王族の自覚をもって務めを果たしているのを知っているし、王女としての誇りも理解しているつもりだった。
甘えたり、泣いたり、怒ったり、俺の前で好き嫌いの感情を隠さずにいてくれる。なんだったら、気安い軽口を叩き合えるのは俺だけだろう。
そんなだったから、あのワードローブの奥の肖像画のように、俺を近くに置いてくれているのだと自惚れていた。
俺がいなくなったら、俺がいないのをそれなりに寂しがって、その後は悠々自適に暮らしていくのだと疑いもしなかったのだ。
――俺はクララベルを侮っていた。
俺の番は、国にその身を捧げていて、子を成すことが王女として必要とされていれば、厭わず遂行する。
クララベルは俺が思うより、もっとずっと王女だったのだ。
きっと、俺と出会うずっと前から。
二年前のあの日、あの幼いクララベルが俺と子を成すことまで含めて偽装結婚に同意したのだと思うと、これまでの色々なことが色を失うようだった。
クララベルは、俺だろうがダグラスだろうがオリバーだろうが、王から与えられるものに優劣などつける気がないのかもしれない。
くさくさするのを抑えられずに、じっとつま先を見る。
俺じゃなくても、国の役に立つなら、なんでもいいのだ。
(クソッ……貞操すら国のものだとか、なんなんだよ!)
無力感で苦しい。
どうしようもない気分を何かに当たり散らしたい気分だ。
舞い落ちる枯れ葉が足元に積もる。
今は葉の一枚一枚に軽さを感じない。俺の胸の中の澱のように、積み重なり、どんどん重さが増す。
嫌な考えから逃げるように、無意識にその色の具合と葉の重なり合う様子や影の深さを脳裏に描きつけ、架空の絵筆で塗りたくり続ける。
どんなに分厚く鮮やかな色を塗っても凶暴にしか見えない風景画が頭の中で完成していく。
これはこれで、誰かの好みに合致しそうな絵だ。
欲しがる奴がいるかもしれないし、キャンバスに描いてみるのもいいかもしれない。
しばらくそうしていると、枯れ葉を踏んで近づいてくる音がした。
「狩りは好まぬか?」
(しまった……)
振り向かずに、声に気がつかない振りを続けたが、無駄だった。
皆から遠巻きにされて、独り立っているように見える絵面が悪かったようだ。
俺はしぶしぶ声の方に形ばかりの笑みを浮かべて振り返る。
「これはこれは、陛下! 私が行っても狩りに貢献はできませんので。お気遣いなく、絵を描いて姫と楽しく過ごしましておりましたよ」
全ての元凶が目の前にやってきて、俺は愛想笑いが引きつるのを感じた。
取り繕った会話を続けるのが面倒だ。
「狩りはいかがでしたか、陛下?」
「レトが上手く獲物を誘い出してな。若者たちも楽しんでいたようだ」
護衛の騎士に休息をとるように命じ、王は単身、俺の横に立つ。
(――こんな時に、なんだよ)
クララベルの父、ルイズワルド・カヤロナは、戦争の後の荒れた時代を繕った先代から王位を引き継いだ。
二代に渡り平和な治世をしていると評判は上々だ。平和は次代のレニアスに引き継がれるだろう。
目の前の男にクララベルの面影を探すが、聡明そうな秀でた額や高く張った頬骨からもクララベルと似通ったところは見つからない。
(似ているのは目の色くらいだな……っていうか、はやくどっかへ行けばいいのに)
俺は得意になった愛想笑いをもう一度張り付けて、心の中で苛々と歯軋りをした。
俺の願いとは逆に、王は俺を散歩に誘う。しかたなく、散歩というほどでもない野営近くの見通しの良い丘を二人で歩く。
少し離れて、さっきとは別の騎士がついてきているのが分かるが、俺たちの会話は人の耳には届かないだろう。
「クララベルとは仲が良いようだな」
「はい、陛下のおかげで、まんまと婚約者の座におさまることが出来ました」
もうどうにでもなれと、へらへらと笑って見せる。
「戯れにクララベルにバロッキーから婿を得よと言ってみたが、見事に竜を連れ帰るとはな。それも、あのジェームズの息子だとは……我が娘ながら、爽快な事をやってのける」
あんな無茶な条件を出したくせに、よく言う。
二年前、クララベルは外交の為、サルベリア国に嫁ぐことが決まっていた。相手は惨いことにクララベルの可愛がっている妹の初恋の相手だった。
サルベリアに行き渋るクララベルに出された条件は、バロッキーから婿を取ることだった。
クララベルに勝算は無かった。クララベルと結婚するつもりの男なんか、バロッキーには一人もいなかったのだから。
無謀にも単身でバロッキーに乗り込んできた高慢な王女には驚かされたものだ。だから、俺が婚約者として決まったのは偶然の事故みたいなものだ。
――つまるところ、このおじさんはクララベルの我儘を聞き入れる気など、さらさらなかった。
「初めてやってきた時には、少女を連れてきたのかと驚いたものだが、そこそこ見られる体になったではないか。レトが鍛えただけはあるな」
「余計なお世話です」
俺は今、猛烈に虫の居所が悪い。
不敬とは承知しているが、もうなんだか猫をかぶる気力も湧かない。
所詮は分家のオジさんだ。俺が敬意を払う必要はないやと開き直る。
「クララベルには敵が多い。その性格も原因だがな。クララベルを得ようと愚かな者ばかりが湧いてくる。城の従者も、身内も、皆敵だ。容易にクララベルを裏切りかねない。クララベルに必要なのは決して裏切らない身内だった。国外に出すのは良い案だと思ったのだがな」
「そうですか? 庇護のないままに放置したから、敵が多くなっただけじゃないですか?」
肩をすくめて皮肉を込めて返す。俺がいくら不敬な態度をとっても、この国がバロッキーにできることなど、たかが知れている。
「そうだな。そういわれるだけの理由が私にはある。不憫な子だよ」
「分家のお父さんやお兄さんが放っておいたから、バロッキー家に遊びに来るたびに、小姑たちに小言をもらうような情けないお姫様になったんですよ」
「それに関しては、返す言葉もない。少し事情があって、私やレニアスがクララベルに気をまわすと、余計に危険になる時期があってな。安易に人も増やせなかった。安全にあれを任せられるのが、レトとジェームズくらいだったのだ」
嫌味を言うはずが、クララベルの幼い頃の顔が浮かんで押し黙った。
――過酷だ。
バロッキー内で守られてきた俺とは大違いだ。
子どもの頃、父が城から帰ってこないことが度々あって、面白くない思いをしていた。
面倒ごとが嫌いな父が、行動を制限される城の仕事を辞めずにいるのが不満だったし、母に会えないと愚痴りながらも城へ向かうのが不思議だった。
今ならクララベルを放り出させなかった父の行動がよくわかる。クララベルの生活が、想像以上に危険なものだったからに他ならない。
「君のおかげで私はクララベルを遠くにやらずに済んだ」
「熱心に外国に嫁ぐことをすすめていたみたいですけど、そんなこと言うんですね」
「為政者が本音をさらけ出せば、国が乱れるのでな。ミスティよ、クララベルは愛らしかろう? あんなに愛らしい娘はそうはおらん」
王は一瞬、目じりを下げ父親らしいの顔を見せた。
「まるでクララベルを愛しているみたいに聞こえますよ。オジサンもほどほどに親バカなんですね」
「おじさんか、そんな風に言うのはバロッキーの者だけだ。だが、今はそれが心地良い」
「俺、無礼は謝りませんから」
「バロッキーはそもそも王家を敬う気持ちなど持ち合わせてはおらんだろ? バロッキーはそれで良い」
ルイズワルドおじさんは、少し離れたところに高くそびえたつ赤く紅葉した木に目をやる。
あの木の下でクララベルは罠で吊り上げられたのだ。
ルイズワルドはもう父親の顔はしていなかった。
「クララベルを罠にかけたのはオリバー・サンドラインか?」
硬い声には感情らしいものは感じられなかった。
オリバーの事はきっとレトさんが報告したのだろう。
クララベルは隠し通すつもりだっただろうが、知るべき者が真実を知っておくことは必要だ。
「それを知っていて、放っておくのですか?」
「自分で罠にかかったと言ったのはクララベルだ。それがクララベルの場の治め方だったのだろう?」
「酷いやり方ですよ。何を使ってオリバーを黙らせようとしたか知っているんですか?」
「クララベルがそこまでの覚悟とは――。クララベルは私やレニアスよりも王の素質を持っているのかもしれないな」
俺はそんなことが聞きたいのではなかった。
貞操を投げ出しかけた娘を少しは心配しろと思うし、クララベルを政治に都合のいい存在のように言う王が憎い。
「迷惑です。そんな呪縛はいらないんで、俺の番を自由にしてください」
王女の義務からクララベルを解放して欲しいと願うのは、まぎれもない本心だった。
竜らしい感情が番を脅かす全てのものから遠ざけてしまいたいと騒いでいるのに、大きな何かが邪魔をしている。
俺の力ではどうにもならないことが多すぎる。
「そう憤るな。私とて、クララベルの幸せを望んでいないわけではない。王族はなかなか自分の心のままに生きることがままならないものだ」
そう言って苦い顔をするのは、王が何人も妻を娶らなければならないことに対して苦悩なのか、それともだれか特定の愛する者へ懺悔なのか。どちらにしても俺には理解しがたい感情だ。
「そんなの、俺にはよくわかりません」
「その点、竜はいいな。偽りがない。ただ一つの愛の為に生きることができる」
「……竜について、よくご存知の様で」
「ベリル家とは親しくてな」
「へぇ、初耳です」
バロッキー家で一緒に育ったアルノ・ベリルの実家はバロッキーの名を捨てた旧王家の血筋だ。今でもその血脈を保っている。それがカヤロナ家と交流があるとは初耳だ。
「君はクララを番と言ったな。竜が言う番とは、つまり、君が何よりもクララを愛していると、そういうことで間違いないな?」
「少なくとも俺の頭は、おじさんの狙い通り、すっかりクララベルにいかれてしまっています」
俺は両掌を見せて、降参だと告げた。
それはオジサンの望む答えだったらしく、父親らしい顔を見せ、目尻にしわを刻んだ。
「オジサンだってクララが愛しい。為政者がこの様だ。私情で直系の娘だけを手元に置きたがるとは、本当は国王失格だ」
「俺の愛しいとおじさんの愛しいは本当に同じなんでしょうかね? 番以外とたくさん子を成すような愛し方は、俺には理解しがたい。竜としては、戸惑っていますよ。現にあなたの娘も国の為なら心が死ぬようなことでもやってのけようとする。国を愛するが故にね」
「国への愛か……クララベルはおそらく王族としての自覚がありすぎるのだ。私も息子も国を一番に考えているようで、どうにもブレがある」
「そんな義理堅いクララベルだったから、バロッキーと番って竜の子を産めだなんて命じたのですか?」
「私は竜の血を引き込むためにクララベルにバロッキーから婿を取れと唆したわけではない。国の外に出ないというのなら、安全が確保できる立ち位置が必要になる。バロッキーはクララベルにとって何よりも強い守りとなる」
「お嬢さんはそうは考えていないようでしたけど」
「まぁ、結果論だ。国に利があるように言った方が聞き分けの良い娘なのだよ。今の所、オリバーのような者以外、クララベルを害しようとする者もいなくなった。これはバロッキーとの婚約が決まったからに他ならない。君が婚約者になったからこそ、クララベルの安全は保たれるようになってきたのだよ」
「だからって……」
クララベルはそんな風には考えていない。ただ粛々と立場を受け入れているだけだ。
俺はすっかり指針を見失って途方に暮れていた。
どこに向かえばクララベルの幸せがあるのかわからない。
周りが勝手に考える「クララベルの幸せ」はどれもこれも空回っていて、クララベルが何をしたくて、何を望むのか、答えがわからない。
「私は父親としてクララベルにしてやれることが少ない。婚約者殿、クララベルを宜しく頼むよ」
そんなの俺だって同じだ。
してやれることが何なのか、わからなくなって困ってる。
「はい――俺の命が続く限りは」
俺の口が白々しくそんなことを言う。
俺が生きてクララベルの隣にいる時間こそ有限なのに。
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「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
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