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偽の女神

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 紅玉祭こうぎょくさいは国で一番古い教会で行われる。
 半地下になっている講堂は少し湿り気を帯びた石の匂いがする。参列して祭司が神に祈りを捧げるのを聞いている間、石造りの講堂の中は羽織物があっても涼しくて、仕方なくミスティに身を寄せなければならなかった。
 
 カヤロナ家が王政を執る前からあった建物だと知ってから、色々と注目する箇所が増えた。竜は左右対称なものを美しいと感じるらしいから、これを造ったのは竜の人々で間違いないのだろう。気が付かなかったけれど、そこに込められた美意識はカヤロナ国の建築家には真似る事が出来ないものだった。
 遠い遠い、完璧な美を求める竜の息吹を感じる。
 美しく組まれた色とりどりの石材が、所々で美しい模様を描いているが、よく見ると我が国では産出しないような色の石も混ざっている。他国と交易していたという話も聞いたことが無いから、もしかしたら古代の竜はこの国に眠る鉱物を探り出す力があったのかもしれない。
 
 古代の竜の歴史に思いを馳せるのとは別に、厳かな儀式の間、ジェームズとヒースのにやついた顔が交互に浮かんで、辟易へきえきした。
 星を模した蝋燭ろうそくを高い所から女神像の前に移し替える儀式の途中で、ミスティがごく小声で「母さんとサリ登場……」などと耳打ちしたからだ。
 耳を真っ赤にして笑いをこらえる姿が、周りには甘い言葉でもささやかれて頬を染めているように見えるのか、すごく生温かい視線を向けられていたけれど……それは、まぁ、いつもの事ね。
 外での私たちは、相思相愛で結婚間近の恋人同士なのだから。

 教会での祭事さえ済んでしまえば、あとは無礼講のようなものだ。
 大人たちは酒を酌み交わし、娘たちは同伴者と共に屋台を見て歩く。

「確かにこれは、番を見つけるための祭りそのものだわ。ある意味繁栄しそうね」
「今更だろ」

 城に戻ってきた私たちがテラスで軽口を叩き合っていると、向こうからダグラスがやって来る。
 濃い緑色の上着には、銀糸の縫い取りがしてある。今日のような夜に相応しい装いだ。

「クララベル様、よい夜ですね」

 ダグラスは丁寧に腰を折って挨拶の姿勢をとる。

「ダグラス、楽しんでいる? いつ王都に到着したの?」
「二日前に着きました。ご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした。リンジーが姫様に会いたがっていたのですが、何か食べに行ってしまったようだ。色気よりも食い気の年頃でお恥ずかしい」
「今日はリンジーと参加しているのね。ふふふ、わたしだってリンジーの年頃では屋台で飴を買うのが楽しみだったわ。お腹が膨れた頃に連れてきて頂戴、私もリンジーの顔が見たいわ」
「私にも妹などではなくて、エスコートする婚約者でもいればいいのですけれどね。なかなか辺境の地に嫁いでくる物好きな方はおりません」
「ダグラスに瑕疵かしはないわ。みんな目が曇っているのね」
「そんなこと言ってくださるのは、クララベル様だけですよ」

 ダグラスは私に人の良さそうな笑顔を向ける。
 フォレー領も収穫の時期だ、頻繁に領地を見て回っているのだろう、いつもより陽に焼けて、香ばしい色の髪と相まって異国の人のようだ。
 ダグラスの住むフォレー領はシュロとの国境に近く、シュロ人との混血が進んでいる。
 ダグラスは誠実で思慮深い。ダグラスが既に後継者として領内の仕事に携わっているフォレー領は、次期も安泰だろう。

「ダグラス殿、一つお願いがあるのですが」

 ミスティは、真剣な面持ちでダグラスに話を切り出す。

「私が姫を夜店に連れていけたらよいのですが、夜店を出しているのはバロッキーとは関係のない商人たちです。バロッキーの私が街へ降りれば、混乱が起きるかもしれません。そこで、ダグラス殿に、私の代わりにクララベルを連れだして頂きたいのですが……」

 本当に私を気遣っているように見えるのが腹立たしい。
 私の完璧な婚約者は、私を引き寄せて、さも心残りなのだと、私の肩を撫でる。

「私でよければ、喜んで」

 ダグラスは、真剣な面持ちで頷く。

「もし妹殿がお嫌でなければ、その間ここでお相手してもよいのですが……バロッキーと一緒にいるのはご心配でしょうし」
「今日は父と母も来ておりますので、ご心配には及びません。今も両親と共におりますから」

 ミスティは考え違いをしている。
 私もダグラスも国のものなのだ。私たちは生まれながらに既に果たすべき責任がある。フォレー領との結びつきを強固にする必要があったとしても、それは父が決めることだ。

(そんなに心配だっていうなら、父様か、ダグラスの御父上を口説いた方がいいくらいだわ)

 私は演技の為、ミスティに寄り添った。
 ミスティのお節介は全くの空回りなのだと、どうしても伝わらないらしい。なんだか少し悲しくなる。

「それでは、私の姫をよろしくお願いいたします。護衛にはレトさんが来てくれるようですので、安心でしょう」
「わかりました。お任せください」

 ミスティは、名残惜しそうに私を抱き寄せて、額に口付けを落とす。
 ちょ、ちょっと唇を寄せる時間が長い気がするけど……まぁいいわ。
 うっかり雰囲気に流されて、ミスティの服の袖口を掴んでしまって、情けない顔をしてしまったのを、はっとして引き締める。

「ダグラスなら安心ね。夜店を見てくるだけだから、すぐ戻るわ」
「行ってらっしゃい、私の姫。楽しい夜を」



「美しい姫様をエスコートできるなんて、光栄です」

 ダグラスは紳士的な距離で私をエスコートする。

「ダグラスってば、いつからそんなにお世辞が上手になったのかしら」

 歩きながら暗闇に浮かび上がる夜店と着飾った若者たちの調和に目を奪われる。
 夜店には赤い星のモチーフの菓子や装飾品が並べられてきらびやかだ。
 店先には、大小の蝋燭やランタンが置かれていて、幻想的で心が躍る。
 この通りは祭事の後に王族や貴族が回遊するための特別な区画になっていて、立ち入るのに荷物検査と身分証が必要だ。屋台に並べられている商品も厳選されているて、乾燥させた花や高価な香油を練り込まれた蝋燭も売られている。見るからに高価な宝石を売る店まであった。
 店と店との間には、夜店を歩き疲れた者たちの為に休憩用の椅子が用意されている。
 星が見えるように少し暗い所に二人掛けの布張りの椅子などが置かれている場所もある……つまり逢引き用なのだろう。
 
 レトは私たちから少し離れたところで警備をしている。
 自由に歩き回る前提の祭りは、殊更警備が厳しい。
 何処で何が起きても人の手が届くようにと、盛装した警備の者たちが間を置かず配置されている。
 自分の身に危険が及ぶことがめっきり減って、こういった行事も気を張ることがなくなった。
 今や私は王族の中でも、取るに足らない存在だ。

 紅玉祭の母の幻影を探すように、空を見上げる。

 ――お父様はね、私の紅玉なのよ。

 母は紅玉祭の最中に私だけにこっそりとそう告げたのだっけ。
 父には政策としてたくさんの妻を持たなければならなければならなかったが、両親は仲睦まじい夫婦であったと思う。父は母が亡くなって以来、私から距離を置くようになった。
 きっと母とよく似た私の姿を見るのが悲しいのだ。
 
「お望みの物はありましたか?」
「何か欲しいものがあったわけではないの。ただ夜店の雰囲気を楽しみたかっただけ」

 ぼんやりとした記憶をなぞる為に、祭りの雰囲気を味わいたいだけだった。
 屋台に顔を出すわけではないから、別にミスティと一緒だってかまわなかったのだ。

 ダグラスと結婚など、現実的に考えたことが無かった。
 ダグラスは友人で、善良で、私の話をよく聞いてくれて――。

(あら、そういえば私、あまりダグラスの事を知らないわ)

 ダグラス個人のことよりも、領地のことはよく知っている。王族の結婚なんてそんなものなのだ。
 相手をよく知らなくても、相手に好意を抱いていなくても、嫁いでからの役割と仕事を受け入れることで貴族の結婚は成立する。

(ダグラスとの結婚生活はどんなかしら?)

 穏やかで、優しいものなのだろうな、とは思う。

(それって、とても幸せね)

 きっと他の誰の所に嫁ぐよりずっといい結婚になるはずだ。しかし、私の安楽な生活の為にダグラスを犠牲にするのはどうかと思う。

 伯爵家にとっても、王女とはいえ、誰かの妻だったような女が次期領主の妻に収まるのは外聞がいいとは言えない。よほどの美談でもなければ、受け入れられないだろうと思う。
 王都からは遠いが、ダグラスの伯爵家は侯爵家にも劣らない正当な血筋で……血筋の話はバロッキーには笑われるかもしれないけれど……本当だったら引く手数多なのだし。

(今から私を押し付けられたら、ダグラスが気の毒だわ)

 これから婚約者が決まるのだろうに、私に望まれているなんて噂が立ったらダグラスの縁談に悪い影響を与えてしまうだろう。自問自答してみても、私の中でダグラスを口説き落とすような必要性はちっとも湧いてこなかった。

(……ミスティは今頃、何をしているのだろう)

 なんとなく腹立たしくて、城の方を振り返る。
 広間にあった私の好物の菓子をいくつか取り置きしておいてくれるように言っておけばよかった。ミスティにまだ会ったことのない者たちが挨拶に押し掛けて、何かを口に入れる時間もなかったのだ。
 ミスティはきっと自由なのをいいことに、好きなものを飲み食いしているのだろう。

(――お腹が減ったわね)

「ミスティ殿は、よほど姫様が大事なのでしょうね」
「え? ああ、ミスティ?!」
 
 いきなり頭を覗かれたようにミスティの話を振られて、素っ頓狂な声をあげてしまった。

「あの場から離れた時から、ずっと姫様を目で追っていられたようだし。熱烈ですね」
「さぁ、どうなのかしらね。ミスティが何を考えているか時々、分からなくなるわ」

 うっかり、本音が漏れて慌てて口をつぐむ。
 この間、台本に無いことは極力、話さないと、サリに念を押されたばかりなのだ。

「クララベル様は、ミスティ殿と夜店を見たかったのでしょう?」

 ダグラスがおどけて言う。

「……そ、そんなことないわよ」

 外では設定どおりの内容を話さなければならないのに、昔から知るダグラス相手だと、どうにも本心が透けてしまう。今のは、ミスティと見たかったと言うべきところだ。

「ひょっとして、二人の熱烈な様子は、外聞を整えるためのお芝居ですか?」

 ダグラスは片眉をあげて私に真偽を問う。
 しまった。ダグラスにはそう見えているのだろうか。
 確かに、外での熱愛振りは計画されたものではある。ミスティは上手くやっていると思うし、私は上手に流されていると思っている。それとも、やはり本当でないという事は透けてしまうのかもしれない。

「……ダグラスは、そう思うの?」
「ふふっ……いえ、あまりにもお二人の仲がよろしいので、少々からかっただけですよ」

 私の困った顔に、たまらずダグラスがふき出す。
 私たちの偽装結婚をいぶかしんでいる、というわけではないようで、ほっとする。

「やめて、それじゃなくても障害の多い結婚なのに、ダグラスにまで疑われたのでは困ってしまうわ」
「仲が良くて、微笑ましいですよ」
 
 ダグラスに本当の事は話せない。
 でも、少しだけ嘘ではないことを話すのは許されるだろうか。

「そうねぇ……私たち、仲は、悪くないと思うの。喧嘩もするけれど、嫌な喧嘩ではないし。見ての通り、ミスティは私について離れないし。それに、私たち、よく似ているみたいで、お互いの機嫌が筒抜けの時があるわ」

 あんな犬猿の仲みたいな私たちだが、外では仲良くしていられるのだ。
 ミスティの動きに驚かされるようなこともないし、ミスティの抱擁だって何の違和感もなく受け入れられる。
 互いに心底嫌い合っているとは主張しきれなくなったと、認めなければならないくらい。

「巷では姫様たちの関係を邪推する者たちも多いのでしょうが、お二人の心は強く結びついているのですね」

 そう言われると、何だか困る。
 断じて恋などとは違うが、もっと身近な関係なような。どう説明すればいいのだろう。

「……ダグラス、あのね。あの絵を覚えている?」

 私は自分の中の答えの当てもなく、思いついたままに話を続ける。
 ダグラスなら少しは分かってくれるのではないかと期待を込めて。
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