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ミーナ
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それから、割と平和にロンと暮らしている。
夜は仕事だから昼間に時間があれば二人で散歩に出る。
それ以外にも、ロンはパトロールと称して頻繁に一人で散歩に出かけているようだ。
夕方については何をして時間を過ごしているのかわからない。
この辺に知り合いも出来たようで、時々野菜など貰ってきていることもある。
俺も向かいの家に獣人が住んでいたことを知って、世間は狭いなと感じ始めたところだ。
向かいの家の猫の獣人は会うたびに縄張りを主張してくるが、ロンは猫とは張り合う気がないようだ。
向かいの黒い猫獣人の名はネロという。家主のお姉さんの名前は知らない。
いつもあからさまにネロが邪魔するので訊く機会がない。
しばらく前に単身で向かいの家に移り住んで来たが、ネロが迷子になったと探しに来るまで話もした事がなかった。
あれからゴミ出しの時などに顔を合わせるとネロの悪たれぶりを愚痴られる。
半分は惚気のようなものだと思って聞き流しているが、ネロと比較してロンの自立っぷりを誇らしく思ったりもする。
当の獣人達はキャンキャンニャーニャーと喧しくしているが、知らないうちにオヤツのやりとりなんかしていて、なんだかんだと仲良くしているようだ。
そういえば、家出したネロを探しにきた時に、初対面だったお向かいさんにロンを引き取る気はないかとすすめてみたことがあったが、ネロが帰ってきて有耶無耶になった。
今思えば、流血沙汰になりそうな話だったなと反省している。
あれ以来、ネロの俺に対する当たりはキツい。
びっくりするほど俺を見下しているようで、ネロの態度の悪さをお向かいさんに謝られる始末だ。
まぁ、アレが獣人の番への執着というやつなんだろう。
はやくロンにも心を通い合わせるお嫁さんが見つかるといいのだが。
肉をたくさん食べたからか、あの店のシャンプーが良かったのか、ロンの毛並みは艶艶のフサフサになった。
「撫でる?」
今日も食後にソファでお茶を飲みながら雑誌を見ていると、ロンが撫でられに来た。
そういう時は、特に断る理由もないから撫でてやる。
腹を見せて寝ころび、俺の膝に頭を乗せて撫でられながらこちらを見ている。
あの唸ったり牙を剥いたりした獣人と同じには見えない。
「獣人て結局、何をしに街にくるの?」
「そんなの、番を探しに来るに決まってる」
なんとなしに聞いてみれば明快な答えが返ってくる。
「へぇ、お嫁さんを探しに来るのか。ロマンチックだね」
「獣人同士で相手が見つかる奴はいいんだけどさ。僕は失敗続きだ」
「ロンは可愛いから、すぐ見つかるよ。俺がちゃんとそこまで世話するからさ。それまでは、あまりいざこざを起こさないでくれよ」
ロンの耳が俺の言葉尻をとらえてピクリとする。
「それ、つまり、ここにいてもいいってこと?」
ロンはぴょこんと体を起こすと、フサフサと千切れそうなくらいに尻尾を振る。
ロンの尻尾は表情豊かになり、名前を呼ばれるくらいで、ご機嫌に揺れるようになった。
「だって、姉さんの所はいやだろ?」
姉さんのことを話題に乗せると、何か考えるような顔をする。
「あの人って、あんたの本当の姉?」
「な、なんで?」
ロンの指摘に驚いて声が高くなった。
「匂いが全然違う。あんたと何処も似てないし」
特に隠しているわけでもないが、俺と本当の姉弟でないことを姉はかなり気にしている。
そのことを言うと姉が泣くので、自然と周りに言うこともなくなった。
だから、そのことを知っている者は少ないのに。
「そんなこともわかるんだな」
まぁ、血の繋がりの有無を問われたところで、どうってことはないのだが。
血が繋がっていたって家族になれない人だって大勢いる。
俺は運が良かったほうだ。
少なくとも姉も俺も、このつながりだけは本当だと思っているのだから。
「あんたの姉さん、うるさくておせっかいだけど、別に嫌な奴だったわけじゃないよ。ただ、僕は、あの人の家に来る男が嫌いだっただけだし」
「だろうね。姉さん自体は悪い人じゃないんだ。馬鹿なだけで」
「正直、食事は酷かったけど、僕に親切にしようとはしてくれたよ。いい人だよ、あんたの姉さん」
ロンはちゃんと人の良し悪しを見ている。
ロンに姉を褒められたのが、なんとなくうれしかったのに気が付いて、あわててそれを否定する。
「あの人、人を見る目がなくてね」
そうだ、どんなに人が良くても、それを補う欠点がある。
今の彼氏だって、いったいどこが良くてくっついたのやら。
「あの男、僕の尻尾が気になったらしくて、触ろうとしてきたからさ、一回噛んでやった! ああいう奴はしつけが必要だろ?」
口を開けてとがった犬歯を見せつけてカチカチと鳴らすので、手を突っ込んでとがり具合を確かめる。
もうロンは、こんなことをされても嫌がらない。
慣れたと思ったら、ベタ慣れになるなんて凶悪だ。
「まあ、それはいいことをしたよね」
ついでに歯茎の状態もみてやろう。
朱鷺色の歯茎に奇麗な白い歯が規則正しく並んでいる。
この歯がひとたび状況が変われば人を傷つけるものになるなんて、おかしな話だ。
「だろ? でも、僕、ヒトを噛んだことを褒められたのは、初めて」
愉快そうに尻尾を振る。
「でも、次はないよ。姉さんの彼氏にやましいことがあったから訴えられなかっただけで、ヒトを噛んだら獣人愛護法は適応されなくなるんだ。気をつけないと、うちにも置いておけなくなるからね」
獣人愛護法は獣人をむやみに傷つけたときの罰則も厳しいが、獣人が人を襲った時の罰則も厳しい。
二度と町へ降りてくることが出来なくなることすらある。
「わかってるって」
**********
一週間たっても姉はロンを迎えに来なかった。
二週間たっても姉は戻らない。
ロンの世話は俺に任せた、という意思表示だと受け取ってかまわないだろう。
ロンをうちに連れてきたときから、そんなもんだろうと高をくくっていた。
俺は暫くロンをうちにおいて、ロンの家族になってくれる人を探してやる気になっていた。
姉が一人の女性を伴ってうちにやってくるまでは。
「旅行先で意気投合してね!」
明らかにいちゃついた様子で隣の女性に腕を絡ませている。
「彼氏は?」
「うーん、途中で別れちゃったのね。なんか違うなっておもって。それで泣いてたらシーナが声をかけてくれてね、一緒に旅行してね! シーナが大好きになっちゃった!」
姉の連れは、ひっつめにした髪にそばかすの散った頬を赤くして、すごく緊張した様子で俺の前に立っている。
眼鏡の向こうに見える切れ長の目は真剣だ。
「……すみません。突然お邪魔してしまって、ご迷惑ではなかったですか? お姉さんとご一緒させていただいています、シーナ・コリンズです。セントラル公園の近くで会計事務所をひらいています。自分はこんな軽率なことするタイプではないと思っていたのですが……。あの、あなたのお姉さんを、なんだか放っておけなくて……」
きっと人と話すのもあまり得意なほうではないのだろう。
機械のような動きで俺に自己紹介をする。
「どうも、弟のフランです。姉がご迷惑をおかけいたしまして」
外面を取り繕うのは得意だ。
皆がある程度安心するような笑顔を作ってシーナを歓迎する。
姉が迷惑をかけたことは決定事項だ。
先手を打って謝ってしまおう。
「あのっ……その、ですね! 私たち、で、できればっ、私の家で彼女と生活したいと思っていてっ!」
ひっくり返った声で、前置きもなく唐突で急激な展開を告げられ、せっかく作っていた親しみやすい弟の仮面が剥げてしまう。
「ええっ?!」
俺が驚いた声を上げたので、シーナは途端に顔色を失う。
「すみません、すみません。こんな急に……そうですよね。でも……」
どんどん声が萎んでいくのを聞いていられずに、仕事を放棄した表情筋に鞭打って笑みを作る。
「いや、ええと、驚いたは驚いたんですけど。反対だということではなくて。今まで姉の連れに、こんな風にちゃんとご挨拶いただけたことがなくて」
ろくな恋人がいなかった姉に、こんなすごく真面目そうな人が……大丈夫なのか?
「こんなすぐにっておかしなことだとは思うんですけど。中途半端な気持ちではないんです!……う、運命って、あるなら、こういうことなんだと……」
シーナは、自分の心と対話しながら、心をこめて一生懸命話をしているように見える。
「そうですか。姉は地に足のついていないような迂闊な人間ですが、シーナさんのような人が付いていてくれれば、少しはましになるかもしれません」
姉はこれまで恐ろしいほど人を渡り歩いていた。
大した吟味もせずに恋人になり、どんな成り行きかわからないままに別れを繰り返している。
対して俺は慎重派で姉よりは人に対して勘が効く。
シーナ……姉が捕まえたにしては、稀にみる良さそうな人じゃないのか?
姉から向かって行ったのではないらしい所もポイントだ。
「それでね、リンリンのことを話したら、リンリンも一緒に住もうって言ってくれて! 前はほら、彼氏が意地悪だったから、リンリン怒ってたでしょ? こんどはどうかな? シーナ、すごくやさしいよ」
ロンを見る。
ロンと一緒にいてもいいと言ってくれる人。
ロンを邪魔にしないでいてくれる人。
「僕、別にここでいいし」
ロンは察したのか俺が何か言う前に先に口を開く。
ロンの未来を考えると、どっちがいいんだ?
ロンの目的は番を得ることだって言っていた。
俺は夜遅くまで仕事もしているし、姉ほど顔が広くない。
獣人を一生うちに置くこともできないし、結局のところ誰かに託さなければならなくなる。
きっと俺の収入ではこの人ほど贅沢もさせてやれないだろうし。
なにより、長くここにいれば不必要に情がわく。
決断しなければ……泣くのは俺だな。
俺は、ロンの頭に手を乗せて、ロンの目を見る。
「俺は君を預かってただけなんだ。今度はアホの姉さんだけじゃない。前のダメ男とは別れたっていうし、シーナさんが姉さんを見張ってくれるから、ご飯が卵だらけになる心配もない。番を探す拠点としては人の多いセントラル公園の近くは便利だし、治安もいい。いい条件だと思うんだ……」
今俺がロンを手放さないと、きっと辛くなる。
「僕は……」
「どうせ、ここにいたっていつかは出ていくんだ。俺は獣人を養う覚悟なんかないし、稼ぎも多くない。それに、君が探しているのは家人じゃなくて番だろ? 沢山の人に会えば、番にあえる確率もあがるんだろ?」
俺は、ロンと別れ難くなってきている。
手遅れになる前にロンを手放そう……。
シーナさんが来てくれたことは、きっと俺にとっても運命だ。
「あんた、本気で言ってるのかよ? ここにいていいって言ったじゃんか! よく見てみろよ、僕、フサフサで可愛いだろ? 自分で自分のことだって出来るし、あんたに迷惑なんかかけてないだろ?!」
ロンがぎょっとして、まくしたてるのは、ここで安心した生活が出来ていた証拠だ。
楽しい生活をさせてやったことは誇らしく思う。
「そうだよ、君は可愛いよ。いままで姉さんが拾ってきた犬猫もすごく可愛かった。俺はさ、その子たちが良い飼い主に引き取られていくのをたくさん見守ってきたよ。みんな幸せになったし、俺はあの子たちを手放したことを後悔したことはない。大丈夫。君もいい人に巡り合えるよ」
俺は突き放すように笑う。
ロンの尻尾が垂れた。低い唸り声が聞こえる。
「そんなこと言うのかよ。あんた自分の事、何にも分かってないんだな。今言ったこと、絶対に後悔することになるからな」
恐ろしい捨て台詞だ。
絶対的な後悔か……するんだろうな。
しないはずがない。
だから、約束を違えた俺をロンが睨みつけるのは甘んじて受けよう。
ロンには幸せになってもらいたい。
ロンに寄りかかり始めている俺は、多分ロンのためにならない。
「そんなことには、ならないよ」
俺は作り慣れた笑顔を浮かべて、唸り続けるロンを未練たらしく撫でる。
可愛かったな。
寂しくなるな。
「ロン、元気でな。幸せになりなよ」
夜は仕事だから昼間に時間があれば二人で散歩に出る。
それ以外にも、ロンはパトロールと称して頻繁に一人で散歩に出かけているようだ。
夕方については何をして時間を過ごしているのかわからない。
この辺に知り合いも出来たようで、時々野菜など貰ってきていることもある。
俺も向かいの家に獣人が住んでいたことを知って、世間は狭いなと感じ始めたところだ。
向かいの家の猫の獣人は会うたびに縄張りを主張してくるが、ロンは猫とは張り合う気がないようだ。
向かいの黒い猫獣人の名はネロという。家主のお姉さんの名前は知らない。
いつもあからさまにネロが邪魔するので訊く機会がない。
しばらく前に単身で向かいの家に移り住んで来たが、ネロが迷子になったと探しに来るまで話もした事がなかった。
あれからゴミ出しの時などに顔を合わせるとネロの悪たれぶりを愚痴られる。
半分は惚気のようなものだと思って聞き流しているが、ネロと比較してロンの自立っぷりを誇らしく思ったりもする。
当の獣人達はキャンキャンニャーニャーと喧しくしているが、知らないうちにオヤツのやりとりなんかしていて、なんだかんだと仲良くしているようだ。
そういえば、家出したネロを探しにきた時に、初対面だったお向かいさんにロンを引き取る気はないかとすすめてみたことがあったが、ネロが帰ってきて有耶無耶になった。
今思えば、流血沙汰になりそうな話だったなと反省している。
あれ以来、ネロの俺に対する当たりはキツい。
びっくりするほど俺を見下しているようで、ネロの態度の悪さをお向かいさんに謝られる始末だ。
まぁ、アレが獣人の番への執着というやつなんだろう。
はやくロンにも心を通い合わせるお嫁さんが見つかるといいのだが。
肉をたくさん食べたからか、あの店のシャンプーが良かったのか、ロンの毛並みは艶艶のフサフサになった。
「撫でる?」
今日も食後にソファでお茶を飲みながら雑誌を見ていると、ロンが撫でられに来た。
そういう時は、特に断る理由もないから撫でてやる。
腹を見せて寝ころび、俺の膝に頭を乗せて撫でられながらこちらを見ている。
あの唸ったり牙を剥いたりした獣人と同じには見えない。
「獣人て結局、何をしに街にくるの?」
「そんなの、番を探しに来るに決まってる」
なんとなしに聞いてみれば明快な答えが返ってくる。
「へぇ、お嫁さんを探しに来るのか。ロマンチックだね」
「獣人同士で相手が見つかる奴はいいんだけどさ。僕は失敗続きだ」
「ロンは可愛いから、すぐ見つかるよ。俺がちゃんとそこまで世話するからさ。それまでは、あまりいざこざを起こさないでくれよ」
ロンの耳が俺の言葉尻をとらえてピクリとする。
「それ、つまり、ここにいてもいいってこと?」
ロンはぴょこんと体を起こすと、フサフサと千切れそうなくらいに尻尾を振る。
ロンの尻尾は表情豊かになり、名前を呼ばれるくらいで、ご機嫌に揺れるようになった。
「だって、姉さんの所はいやだろ?」
姉さんのことを話題に乗せると、何か考えるような顔をする。
「あの人って、あんたの本当の姉?」
「な、なんで?」
ロンの指摘に驚いて声が高くなった。
「匂いが全然違う。あんたと何処も似てないし」
特に隠しているわけでもないが、俺と本当の姉弟でないことを姉はかなり気にしている。
そのことを言うと姉が泣くので、自然と周りに言うこともなくなった。
だから、そのことを知っている者は少ないのに。
「そんなこともわかるんだな」
まぁ、血の繋がりの有無を問われたところで、どうってことはないのだが。
血が繋がっていたって家族になれない人だって大勢いる。
俺は運が良かったほうだ。
少なくとも姉も俺も、このつながりだけは本当だと思っているのだから。
「あんたの姉さん、うるさくておせっかいだけど、別に嫌な奴だったわけじゃないよ。ただ、僕は、あの人の家に来る男が嫌いだっただけだし」
「だろうね。姉さん自体は悪い人じゃないんだ。馬鹿なだけで」
「正直、食事は酷かったけど、僕に親切にしようとはしてくれたよ。いい人だよ、あんたの姉さん」
ロンはちゃんと人の良し悪しを見ている。
ロンに姉を褒められたのが、なんとなくうれしかったのに気が付いて、あわててそれを否定する。
「あの人、人を見る目がなくてね」
そうだ、どんなに人が良くても、それを補う欠点がある。
今の彼氏だって、いったいどこが良くてくっついたのやら。
「あの男、僕の尻尾が気になったらしくて、触ろうとしてきたからさ、一回噛んでやった! ああいう奴はしつけが必要だろ?」
口を開けてとがった犬歯を見せつけてカチカチと鳴らすので、手を突っ込んでとがり具合を確かめる。
もうロンは、こんなことをされても嫌がらない。
慣れたと思ったら、ベタ慣れになるなんて凶悪だ。
「まあ、それはいいことをしたよね」
ついでに歯茎の状態もみてやろう。
朱鷺色の歯茎に奇麗な白い歯が規則正しく並んでいる。
この歯がひとたび状況が変われば人を傷つけるものになるなんて、おかしな話だ。
「だろ? でも、僕、ヒトを噛んだことを褒められたのは、初めて」
愉快そうに尻尾を振る。
「でも、次はないよ。姉さんの彼氏にやましいことがあったから訴えられなかっただけで、ヒトを噛んだら獣人愛護法は適応されなくなるんだ。気をつけないと、うちにも置いておけなくなるからね」
獣人愛護法は獣人をむやみに傷つけたときの罰則も厳しいが、獣人が人を襲った時の罰則も厳しい。
二度と町へ降りてくることが出来なくなることすらある。
「わかってるって」
**********
一週間たっても姉はロンを迎えに来なかった。
二週間たっても姉は戻らない。
ロンの世話は俺に任せた、という意思表示だと受け取ってかまわないだろう。
ロンをうちに連れてきたときから、そんなもんだろうと高をくくっていた。
俺は暫くロンをうちにおいて、ロンの家族になってくれる人を探してやる気になっていた。
姉が一人の女性を伴ってうちにやってくるまでは。
「旅行先で意気投合してね!」
明らかにいちゃついた様子で隣の女性に腕を絡ませている。
「彼氏は?」
「うーん、途中で別れちゃったのね。なんか違うなっておもって。それで泣いてたらシーナが声をかけてくれてね、一緒に旅行してね! シーナが大好きになっちゃった!」
姉の連れは、ひっつめにした髪にそばかすの散った頬を赤くして、すごく緊張した様子で俺の前に立っている。
眼鏡の向こうに見える切れ長の目は真剣だ。
「……すみません。突然お邪魔してしまって、ご迷惑ではなかったですか? お姉さんとご一緒させていただいています、シーナ・コリンズです。セントラル公園の近くで会計事務所をひらいています。自分はこんな軽率なことするタイプではないと思っていたのですが……。あの、あなたのお姉さんを、なんだか放っておけなくて……」
きっと人と話すのもあまり得意なほうではないのだろう。
機械のような動きで俺に自己紹介をする。
「どうも、弟のフランです。姉がご迷惑をおかけいたしまして」
外面を取り繕うのは得意だ。
皆がある程度安心するような笑顔を作ってシーナを歓迎する。
姉が迷惑をかけたことは決定事項だ。
先手を打って謝ってしまおう。
「あのっ……その、ですね! 私たち、で、できればっ、私の家で彼女と生活したいと思っていてっ!」
ひっくり返った声で、前置きもなく唐突で急激な展開を告げられ、せっかく作っていた親しみやすい弟の仮面が剥げてしまう。
「ええっ?!」
俺が驚いた声を上げたので、シーナは途端に顔色を失う。
「すみません、すみません。こんな急に……そうですよね。でも……」
どんどん声が萎んでいくのを聞いていられずに、仕事を放棄した表情筋に鞭打って笑みを作る。
「いや、ええと、驚いたは驚いたんですけど。反対だということではなくて。今まで姉の連れに、こんな風にちゃんとご挨拶いただけたことがなくて」
ろくな恋人がいなかった姉に、こんなすごく真面目そうな人が……大丈夫なのか?
「こんなすぐにっておかしなことだとは思うんですけど。中途半端な気持ちではないんです!……う、運命って、あるなら、こういうことなんだと……」
シーナは、自分の心と対話しながら、心をこめて一生懸命話をしているように見える。
「そうですか。姉は地に足のついていないような迂闊な人間ですが、シーナさんのような人が付いていてくれれば、少しはましになるかもしれません」
姉はこれまで恐ろしいほど人を渡り歩いていた。
大した吟味もせずに恋人になり、どんな成り行きかわからないままに別れを繰り返している。
対して俺は慎重派で姉よりは人に対して勘が効く。
シーナ……姉が捕まえたにしては、稀にみる良さそうな人じゃないのか?
姉から向かって行ったのではないらしい所もポイントだ。
「それでね、リンリンのことを話したら、リンリンも一緒に住もうって言ってくれて! 前はほら、彼氏が意地悪だったから、リンリン怒ってたでしょ? こんどはどうかな? シーナ、すごくやさしいよ」
ロンを見る。
ロンと一緒にいてもいいと言ってくれる人。
ロンを邪魔にしないでいてくれる人。
「僕、別にここでいいし」
ロンは察したのか俺が何か言う前に先に口を開く。
ロンの未来を考えると、どっちがいいんだ?
ロンの目的は番を得ることだって言っていた。
俺は夜遅くまで仕事もしているし、姉ほど顔が広くない。
獣人を一生うちに置くこともできないし、結局のところ誰かに託さなければならなくなる。
きっと俺の収入ではこの人ほど贅沢もさせてやれないだろうし。
なにより、長くここにいれば不必要に情がわく。
決断しなければ……泣くのは俺だな。
俺は、ロンの頭に手を乗せて、ロンの目を見る。
「俺は君を預かってただけなんだ。今度はアホの姉さんだけじゃない。前のダメ男とは別れたっていうし、シーナさんが姉さんを見張ってくれるから、ご飯が卵だらけになる心配もない。番を探す拠点としては人の多いセントラル公園の近くは便利だし、治安もいい。いい条件だと思うんだ……」
今俺がロンを手放さないと、きっと辛くなる。
「僕は……」
「どうせ、ここにいたっていつかは出ていくんだ。俺は獣人を養う覚悟なんかないし、稼ぎも多くない。それに、君が探しているのは家人じゃなくて番だろ? 沢山の人に会えば、番にあえる確率もあがるんだろ?」
俺は、ロンと別れ難くなってきている。
手遅れになる前にロンを手放そう……。
シーナさんが来てくれたことは、きっと俺にとっても運命だ。
「あんた、本気で言ってるのかよ? ここにいていいって言ったじゃんか! よく見てみろよ、僕、フサフサで可愛いだろ? 自分で自分のことだって出来るし、あんたに迷惑なんかかけてないだろ?!」
ロンがぎょっとして、まくしたてるのは、ここで安心した生活が出来ていた証拠だ。
楽しい生活をさせてやったことは誇らしく思う。
「そうだよ、君は可愛いよ。いままで姉さんが拾ってきた犬猫もすごく可愛かった。俺はさ、その子たちが良い飼い主に引き取られていくのをたくさん見守ってきたよ。みんな幸せになったし、俺はあの子たちを手放したことを後悔したことはない。大丈夫。君もいい人に巡り合えるよ」
俺は突き放すように笑う。
ロンの尻尾が垂れた。低い唸り声が聞こえる。
「そんなこと言うのかよ。あんた自分の事、何にも分かってないんだな。今言ったこと、絶対に後悔することになるからな」
恐ろしい捨て台詞だ。
絶対的な後悔か……するんだろうな。
しないはずがない。
だから、約束を違えた俺をロンが睨みつけるのは甘んじて受けよう。
ロンには幸せになってもらいたい。
ロンに寄りかかり始めている俺は、多分ロンのためにならない。
「そんなことには、ならないよ」
俺は作り慣れた笑顔を浮かべて、唸り続けるロンを未練たらしく撫でる。
可愛かったな。
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「その言葉、旦那様にもお返ししますよ。エドワード=フィリップ=フォックス殿下。」
それは、魔女に人生を狂わせられた夫夫の話。
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