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11 金曜日、もう少しで土曜日
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業者が荷物を運び入れて、荷ほどきを始めたけれど、まだまだ一日では片付きそうにない。本棚を組み立てたところで、切り上げて、私の部屋に戻った。
引っ越し祝いという名目でいつもより豪華なピザをとって、少しのアルコールをのんで、寝る支度をしたけれど、まださっきの話の続きにならない。
聞きたいような聞きたくないような、落ち着かない時間を過ごしている。
倉持は自前のスウェットを着て、薄く薄く作ったブランデーの水割りをかき回している。倉持はいつも序文、本文、結論のしっかり分かれた話をするから、それを考えているのかもしれない。
ところが今日の倉持の話は、まったくでたらめな方向から始まった。
「ユカリがうっかり口を滑らせたからいまさらなんだけど……俺、厨川しか恋愛対象じゃないんだよ」
「え? ええ!」
まさかの冒頭から結論で、私は素っ頓狂な声をあげた。
「好きな子に、おっぱい触らせてあげようか、なんて強烈なこと言われたら、それ以外考えられなくなるだろ……」
「――え? え、まって、色々待って」
勢いをつけて頭を起こしたので、めまいがする。
「あと10秒だった。あの時、あと10秒あれば……」
倉持は空になったグラスを放して、手を握ったり開いたりしながら、何かを反芻している。手の動きが不穏だけど、とりあえずそれよりも確認したいことがある。
「倉持、私のこと好きだったの?」
「そう。友達じゃなく恋愛対象として。でも、俺はあの時、咄嗟に選択できなくて、それからずっと後悔してた」
――驚いた。
あの頃の倉持の心の中を占めていたのは、考古学の事ばかりだと思っていたのに。
衝撃が大きくて、言葉が出ない私を置き去りにして、倉持は喋り続けながらグラスにブランデーを注ぐ。
「困ったことに気がついたのは大学の時。ゼミの先輩に誘われて、そういう雰囲気になった。でも、最中に厨川が浮かんできて、目の前の人に全く集中できなくなってさ。合コンに行っても、紹介された子ともそんな感じ。性欲がないわけでも、性的に不能なわけでもない――ただ、誰も厨川じゃなかったって話」
どうして、倉持が私のせいだと言ったのか、理解した。
厳密にいえば私のせいじゃないかもしれないけど、これは私が引き受けてもいいことだと思った。
「そっか……何も言わないで、留学しちゃって、ごめん。その相談に乗ってあげられるの、私だけだったよね」
「それはショックだったけど、厨川の進路だし、別に俺に何か言う必要はなかった」
「ううん。連絡先を残すくらいできたのに、わざと黙ってた。あの時って、倉持はもう自分のやりたいこと決まってたでしょ? そういうの、すごく羨ましかったから、張り合っちゃったんだ」
倉持と進路は別になったけれど大学に行くことは決まっていた。でも、自分の運命の進路に出会うことを、ぎりぎりまであきらめていなかった。
倉持と見るはずだったクリスマスツリーを一人で見て、ついでに香水コーナーに寄った。
服も好き、香水も好き、物を作るのも好き、勉強も好き、実験も好きだし、飛行機に乗るのも好き。望めばなんにでもなれるかもしれない、でも、何になったらいいのかわからない。
私はその時、可能性という言葉にすっかりダメにされていた。
大学に受かっても、まるですっきりとしない。このまま何も決まらないうちに大学生としてやっていくのかなと思うと、心が重かった。
その時、天啓のように海外からのメールが届いたのだ。決め兼ねてはいたけれど、いろいろな仕事に興味があって、早くから情報は集めていた。
海外で学んで調香師になるには、厳しい審査がある。大学を出てからが近道だけど、待てなくて送った書類が通過していて、次のステップの案内を伝えるメールだった。
私は、それに飛びついた。
ずっと、好きなものが自分の進路になったら、倉持に自慢できるかもしれないと心のどこかで思った。夢が形になるまで、倉持と連絡しなくてもいいやと思ったのは対抗心だったと思う。
幼い動機だったけれど、後悔はない。
あの時留学を決めたから、こうやって倉持の隣に立てているのかもしれないから。
「仮にその時に、連絡先を知っていたとして、俺が相談したら、厨川がどうにかしてくれたわけ?」
「それは……分からないけど、今みたいな気持ちにはならなかったと思う」
「今みたいな気持ちって?」
言葉にするにはまだ輪郭があやふやな気持ち。でも、きっとこれは恋になると予感している。
あの時じゃダメだった、今だからそうなんだ。
私は、背中を真っ直ぐにして座る。
「倉持といるのが楽しい。離れるのは嫌なんだ。出来れば、ずっと仲良くしていたい」
倉持は少し悲しそうな顔をした。
「ありがとう。言葉を選んでくれているのは理解できる。もういいんだ、再会した時にトラウマだなんて言ったのは、俺の八つ当たりだったんだよ。これ以上厨川の友情に甘える気はない。温度差を無理やりどうこうすることはできないだろ?」
「もういいんだ」なんて強がりを言うけれど、これを素直に聞いてあげるつもりはない。
友情に甘える気はないなんて言ってるくせに、倉持は既にこんな近くに引っ越してきてしまったんだ。倉持が患っているのは、ツンデレだけじゃない。
私が今、言葉にできるのはどこまでだろう。嘘の入らない言葉を、真剣に選ぶ。10秒じゃない、たっぷり時間をかけて、自分の中に答えを探す。
「私、倉持のこと好きだよ」
すごく驚いた顔をしている。
グラスの中身は空になったはずなのに、こくりと喉が動く。
「それは、どういう……」
「ふつうの大親友以上くらいには、好きかな」
何度も見たことのある顔で睨まれる。これが、怒っている顔でないことはわかってきた。
「俺、ずっと厨川のそういう態度に振り回されてる。良い方に解釈しすぎて、同じマンションに引っ越してくるくらいには浮かれてる」
倉持が、自分の恋愛感情だけで引っ越しを決断するなんてありえない。
私の心が動くのを、倉持が察知していたに違いないんだ。
互いに何も言わなかったけれど、心が通じていたのかと思うと、胸が熱くなる。
「まかせて! 私の気持ちが恋になるのは、秒読みだと思ってる。ちゃんと責任取るよ。どうしてほしい?」
私が倉持の手を握ると、倉持は空いた手で顔を覆った。
酔ったにしては、顔が赤すぎる。
「なら……あの時の――やり直しを、要求する」
「OK、やり直し、やり直しね……」
なんだかおかしなことになった。
私は腕組みして、知恵を絞る。あの時は、一緒に出掛ける約束を取り付けるのに失敗したけれど、今度はいいよと言わせたい。
倉持と再会してから、楽しいことばかりだ。
倉持に向かい合って座って、そっと頬に手を伸ばす。
「じゃぁ、明日、荷物の整理は後回しにして、家具屋さんに一緒に行ってくれるなら、おっぱい触らせてあげようか? 倉持の部屋、ソファがないから、買いに行こうよ」
倉持は、素直に頷く。
「わかった、明日は家具な」
肩を押されてソファに横たわると、天井と倉持の顔が見える。
――どうしよう、くらくらする。
くらくらを通り越して、視界がぐるぐるして、息がうまくできなくなる。
まだ何も起きていないのに、心臓を掴まれたみたいな――。
本気で息が苦しくなってきた。
「倉持、ごめん……一回起こして」
「そうか――」
こわばった表情で腰を浮かせる倉持の袖を、慌てて掴む。
「違うの、そうじゃなくて……どうしよ……これ、絶対、友達じゃない」
「は?」
心臓が拍動しすぎて、頭がくらくらする。
何度も深呼吸をしようとするけど、うまく肺に空気が入ってきてくれなくて、つらい。
「助けて、心臓が……心臓がね。あと、耳、熱い……」
「どうしたんだ?」
困惑した表情で、荒い呼吸の私を抱え込んで背を撫でる。
余計な誤解をされないように、ぎゅっとしがみつけば、熱が伝わって、近くで倉持の吐息を感じた。
また心臓がおかしくなって、離れようとするけど、やっぱり離れたくない。
「倉持、近い、近い、近いって!」
「嫌なら離せって」
「いやじゃない……ので、その……出来れば、もう少しぎゅってして」
状況がわかってきたらしい倉持が、こわごわと抱きしめてくれる。
「倉持君、あのね、今わかったんですけど、この好きは、全然友達の好きじゃないですね」
「はぁ?」
倉持は抱きしめる力を強くしたくせに、逆ギレしたみたいな声を出した。
*
やっと少し互いの体温に慣れてきて、背に手をまわすと、倉持はぎゅっと力を強める。
すっぽりと腕の中、温もりにうっとりする。
さっきのドキドキとは違って、互いの鼓動を追いかけるようなビートが心地いい。
「……だから、いい匂いすぎるんだって。だいたい、なんなんだよ、同じシャンプーを勧めてくるとか――殺す気か?」
怒った口調なのは、照れているんだ。
こういうの、ずっと照れてたんだな、とおもうと、こっちも照れ臭い。
倉持はサラサラと私の髪をすいて。それから控えめに頭に額を押し付けた。
「この匂い好きだよ。開発、厨川だろ?」
「……知ってたの?」
「香水売り場で、俺にかがせてた香りと似た系統だから」
あんな前から倉持は私のことが好きだったんだと思うと、この抱擁がなんて得難いものなんだろうと、震える。
「倉持……今ね、倉持のこと、もっと好きになった」
倉持と私の友達の部分は変わってない。どんな要素が付いても、信頼出来る共同生活者としての要素は失われていないって思える。
「付き合おうか?」
私が言えば、倉持は思考を始める。
「あのさ、小難しいことをいうようだけど、付き合うって何?」
「え? 倉持、何言ってるの? 私、彼氏できたって言いたいよ」
「彼氏彼女って、どこかで終わるだろ? 俺、厨川と別れるのとか、嫌なんだけど」
こんなふうに内面を吐露する倉持に免疫のない私は、大いに照れた。
「俺はしばらくご近所って関係があれば充分」
「私は全然充分じゃないよ。じゃあさ、婚約者とかなら、安心?」
何が不満だったのか、倉持は大きく息を吐く。
「そうやっていつも先回りして、俺が欲しい言葉をくれるの、いいかげんにどうにかして。俺、厨川に依存しそう」
「じゃあ、私の欲しそうな言葉もいってよ! 私も依存するから」
私のむちゃぶりに、何か考えを巡らしているようだけど、諦めた表情でキスをくれた。
「そんなのわからないけど、ずっと前から俺は、身も心も厨川のものだよ」
「うわぁ……」
くらくらとした。
心なしか倉持がイケメンにすらみえる。
「くらもち。くらもち。部屋の更新日、いつ?」
歌うように言えば「二年で更新」と、応える。
「じゃぁ、まだまだ時間はあるね。部屋がひとつになるまで、よく悩んで。末永くよろしくね、ご近所さん」
親友がご近所さんになって、恋人になって、婚約者になって、家族になって。
形は変わっていくけれど、これは離れていた私たちの心が初めて通じた時の物語。
end
引っ越し祝いという名目でいつもより豪華なピザをとって、少しのアルコールをのんで、寝る支度をしたけれど、まださっきの話の続きにならない。
聞きたいような聞きたくないような、落ち着かない時間を過ごしている。
倉持は自前のスウェットを着て、薄く薄く作ったブランデーの水割りをかき回している。倉持はいつも序文、本文、結論のしっかり分かれた話をするから、それを考えているのかもしれない。
ところが今日の倉持の話は、まったくでたらめな方向から始まった。
「ユカリがうっかり口を滑らせたからいまさらなんだけど……俺、厨川しか恋愛対象じゃないんだよ」
「え? ええ!」
まさかの冒頭から結論で、私は素っ頓狂な声をあげた。
「好きな子に、おっぱい触らせてあげようか、なんて強烈なこと言われたら、それ以外考えられなくなるだろ……」
「――え? え、まって、色々待って」
勢いをつけて頭を起こしたので、めまいがする。
「あと10秒だった。あの時、あと10秒あれば……」
倉持は空になったグラスを放して、手を握ったり開いたりしながら、何かを反芻している。手の動きが不穏だけど、とりあえずそれよりも確認したいことがある。
「倉持、私のこと好きだったの?」
「そう。友達じゃなく恋愛対象として。でも、俺はあの時、咄嗟に選択できなくて、それからずっと後悔してた」
――驚いた。
あの頃の倉持の心の中を占めていたのは、考古学の事ばかりだと思っていたのに。
衝撃が大きくて、言葉が出ない私を置き去りにして、倉持は喋り続けながらグラスにブランデーを注ぐ。
「困ったことに気がついたのは大学の時。ゼミの先輩に誘われて、そういう雰囲気になった。でも、最中に厨川が浮かんできて、目の前の人に全く集中できなくなってさ。合コンに行っても、紹介された子ともそんな感じ。性欲がないわけでも、性的に不能なわけでもない――ただ、誰も厨川じゃなかったって話」
どうして、倉持が私のせいだと言ったのか、理解した。
厳密にいえば私のせいじゃないかもしれないけど、これは私が引き受けてもいいことだと思った。
「そっか……何も言わないで、留学しちゃって、ごめん。その相談に乗ってあげられるの、私だけだったよね」
「それはショックだったけど、厨川の進路だし、別に俺に何か言う必要はなかった」
「ううん。連絡先を残すくらいできたのに、わざと黙ってた。あの時って、倉持はもう自分のやりたいこと決まってたでしょ? そういうの、すごく羨ましかったから、張り合っちゃったんだ」
倉持と進路は別になったけれど大学に行くことは決まっていた。でも、自分の運命の進路に出会うことを、ぎりぎりまであきらめていなかった。
倉持と見るはずだったクリスマスツリーを一人で見て、ついでに香水コーナーに寄った。
服も好き、香水も好き、物を作るのも好き、勉強も好き、実験も好きだし、飛行機に乗るのも好き。望めばなんにでもなれるかもしれない、でも、何になったらいいのかわからない。
私はその時、可能性という言葉にすっかりダメにされていた。
大学に受かっても、まるですっきりとしない。このまま何も決まらないうちに大学生としてやっていくのかなと思うと、心が重かった。
その時、天啓のように海外からのメールが届いたのだ。決め兼ねてはいたけれど、いろいろな仕事に興味があって、早くから情報は集めていた。
海外で学んで調香師になるには、厳しい審査がある。大学を出てからが近道だけど、待てなくて送った書類が通過していて、次のステップの案内を伝えるメールだった。
私は、それに飛びついた。
ずっと、好きなものが自分の進路になったら、倉持に自慢できるかもしれないと心のどこかで思った。夢が形になるまで、倉持と連絡しなくてもいいやと思ったのは対抗心だったと思う。
幼い動機だったけれど、後悔はない。
あの時留学を決めたから、こうやって倉持の隣に立てているのかもしれないから。
「仮にその時に、連絡先を知っていたとして、俺が相談したら、厨川がどうにかしてくれたわけ?」
「それは……分からないけど、今みたいな気持ちにはならなかったと思う」
「今みたいな気持ちって?」
言葉にするにはまだ輪郭があやふやな気持ち。でも、きっとこれは恋になると予感している。
あの時じゃダメだった、今だからそうなんだ。
私は、背中を真っ直ぐにして座る。
「倉持といるのが楽しい。離れるのは嫌なんだ。出来れば、ずっと仲良くしていたい」
倉持は少し悲しそうな顔をした。
「ありがとう。言葉を選んでくれているのは理解できる。もういいんだ、再会した時にトラウマだなんて言ったのは、俺の八つ当たりだったんだよ。これ以上厨川の友情に甘える気はない。温度差を無理やりどうこうすることはできないだろ?」
「もういいんだ」なんて強がりを言うけれど、これを素直に聞いてあげるつもりはない。
友情に甘える気はないなんて言ってるくせに、倉持は既にこんな近くに引っ越してきてしまったんだ。倉持が患っているのは、ツンデレだけじゃない。
私が今、言葉にできるのはどこまでだろう。嘘の入らない言葉を、真剣に選ぶ。10秒じゃない、たっぷり時間をかけて、自分の中に答えを探す。
「私、倉持のこと好きだよ」
すごく驚いた顔をしている。
グラスの中身は空になったはずなのに、こくりと喉が動く。
「それは、どういう……」
「ふつうの大親友以上くらいには、好きかな」
何度も見たことのある顔で睨まれる。これが、怒っている顔でないことはわかってきた。
「俺、ずっと厨川のそういう態度に振り回されてる。良い方に解釈しすぎて、同じマンションに引っ越してくるくらいには浮かれてる」
倉持が、自分の恋愛感情だけで引っ越しを決断するなんてありえない。
私の心が動くのを、倉持が察知していたに違いないんだ。
互いに何も言わなかったけれど、心が通じていたのかと思うと、胸が熱くなる。
「まかせて! 私の気持ちが恋になるのは、秒読みだと思ってる。ちゃんと責任取るよ。どうしてほしい?」
私が倉持の手を握ると、倉持は空いた手で顔を覆った。
酔ったにしては、顔が赤すぎる。
「なら……あの時の――やり直しを、要求する」
「OK、やり直し、やり直しね……」
なんだかおかしなことになった。
私は腕組みして、知恵を絞る。あの時は、一緒に出掛ける約束を取り付けるのに失敗したけれど、今度はいいよと言わせたい。
倉持と再会してから、楽しいことばかりだ。
倉持に向かい合って座って、そっと頬に手を伸ばす。
「じゃぁ、明日、荷物の整理は後回しにして、家具屋さんに一緒に行ってくれるなら、おっぱい触らせてあげようか? 倉持の部屋、ソファがないから、買いに行こうよ」
倉持は、素直に頷く。
「わかった、明日は家具な」
肩を押されてソファに横たわると、天井と倉持の顔が見える。
――どうしよう、くらくらする。
くらくらを通り越して、視界がぐるぐるして、息がうまくできなくなる。
まだ何も起きていないのに、心臓を掴まれたみたいな――。
本気で息が苦しくなってきた。
「倉持、ごめん……一回起こして」
「そうか――」
こわばった表情で腰を浮かせる倉持の袖を、慌てて掴む。
「違うの、そうじゃなくて……どうしよ……これ、絶対、友達じゃない」
「は?」
心臓が拍動しすぎて、頭がくらくらする。
何度も深呼吸をしようとするけど、うまく肺に空気が入ってきてくれなくて、つらい。
「助けて、心臓が……心臓がね。あと、耳、熱い……」
「どうしたんだ?」
困惑した表情で、荒い呼吸の私を抱え込んで背を撫でる。
余計な誤解をされないように、ぎゅっとしがみつけば、熱が伝わって、近くで倉持の吐息を感じた。
また心臓がおかしくなって、離れようとするけど、やっぱり離れたくない。
「倉持、近い、近い、近いって!」
「嫌なら離せって」
「いやじゃない……ので、その……出来れば、もう少しぎゅってして」
状況がわかってきたらしい倉持が、こわごわと抱きしめてくれる。
「倉持君、あのね、今わかったんですけど、この好きは、全然友達の好きじゃないですね」
「はぁ?」
倉持は抱きしめる力を強くしたくせに、逆ギレしたみたいな声を出した。
*
やっと少し互いの体温に慣れてきて、背に手をまわすと、倉持はぎゅっと力を強める。
すっぽりと腕の中、温もりにうっとりする。
さっきのドキドキとは違って、互いの鼓動を追いかけるようなビートが心地いい。
「……だから、いい匂いすぎるんだって。だいたい、なんなんだよ、同じシャンプーを勧めてくるとか――殺す気か?」
怒った口調なのは、照れているんだ。
こういうの、ずっと照れてたんだな、とおもうと、こっちも照れ臭い。
倉持はサラサラと私の髪をすいて。それから控えめに頭に額を押し付けた。
「この匂い好きだよ。開発、厨川だろ?」
「……知ってたの?」
「香水売り場で、俺にかがせてた香りと似た系統だから」
あんな前から倉持は私のことが好きだったんだと思うと、この抱擁がなんて得難いものなんだろうと、震える。
「倉持……今ね、倉持のこと、もっと好きになった」
倉持と私の友達の部分は変わってない。どんな要素が付いても、信頼出来る共同生活者としての要素は失われていないって思える。
「付き合おうか?」
私が言えば、倉持は思考を始める。
「あのさ、小難しいことをいうようだけど、付き合うって何?」
「え? 倉持、何言ってるの? 私、彼氏できたって言いたいよ」
「彼氏彼女って、どこかで終わるだろ? 俺、厨川と別れるのとか、嫌なんだけど」
こんなふうに内面を吐露する倉持に免疫のない私は、大いに照れた。
「俺はしばらくご近所って関係があれば充分」
「私は全然充分じゃないよ。じゃあさ、婚約者とかなら、安心?」
何が不満だったのか、倉持は大きく息を吐く。
「そうやっていつも先回りして、俺が欲しい言葉をくれるの、いいかげんにどうにかして。俺、厨川に依存しそう」
「じゃあ、私の欲しそうな言葉もいってよ! 私も依存するから」
私のむちゃぶりに、何か考えを巡らしているようだけど、諦めた表情でキスをくれた。
「そんなのわからないけど、ずっと前から俺は、身も心も厨川のものだよ」
「うわぁ……」
くらくらとした。
心なしか倉持がイケメンにすらみえる。
「くらもち。くらもち。部屋の更新日、いつ?」
歌うように言えば「二年で更新」と、応える。
「じゃぁ、まだまだ時間はあるね。部屋がひとつになるまで、よく悩んで。末永くよろしくね、ご近所さん」
親友がご近所さんになって、恋人になって、婚約者になって、家族になって。
形は変わっていくけれど、これは離れていた私たちの心が初めて通じた時の物語。
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