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8 水曜日 晩酌はほどほど
しおりを挟む私も倉持も、今日は仕事が忙しかった。
無事その日を終えたことを称えて、晩酌をしているところだ。
個人主義に見える大学にも色々しがらみは多いらしく、貴族みたいな嫌味合戦に疲れたと愚痴る倉持を労わる。カピカピのワックスにも、ダサいスーツにもちゃんと意味があった。倉持だって、自分のやりたいことのために戦っていたんだ。
私も、なかなか通らない提案があって、たいへんなんだと愚痴ったら、倉持流に大量の意見を交えた相槌が返ってくる。昔と違っていろいろ的外れで、参考にならないことも多いけど、倉持が私を元気づけようとしているんだということはしっかり伝わる。
倉持といると、また明日、頑張ろうという気持ちが湧いてくる。でも、それももう少し。
引っ越しの準備は順調なようで、既に私の家に置いてあったものは、倉持によって少しずつ持ち出されている。
「なんか寂しいな。もうしばらくうちにいたらいいのに。倉持と一緒にゲームとかしたいよ」
「そういうの、やめろって」
私が未練たらしく言うので、倉持は少し困った顔をする。もう少ししつこく言ったら、引っ越しを先延ばしにしてくれたりしないだろうか。
「ほら、うちって大学からも近いし、通勤に便利だよ」
「俺のいない生活なんて、すぐに慣れるだろ」
「そうかな。倉持がいるの、楽しかったからさぁ……」
倉持が引っ越したあとも、今みたいにまた仲良くしていける保証はない。帰ってきて誰かと話せるのって、こんな楽しいことだったとは思わなかった。
「じゃあさ、ユカリの部屋に行くとき、荷造り手伝って? 業者に頼めないものもあるから」
こうやって何かをお願いされるのは好きだ。
これでお終いと言われたのではないのだと思うと、嬉しくなる。
「ユカリちゃんちかぁ、ちょっと緊張するなぁ」
「大丈夫、留守にしてもらうように伝えてある」
「なんかさ、彼氏の浮気を見ちゃった時を思い出しちゃうんだよね」
リョウにされたことが嫌だったと、口に出せるようになったのも、ここ最近だ。倉持が一緒になって悪口を言ってくれるのも、いい発散になる。
何かに足掻いている様子があった倉持だったけれど、引っ越しが決まってからは、くよくよするのをやめたようだ。考え込んでいる時間は増えたけれど、明るい方を見ている気がする。
倉持が前進しているのを間近で見て、自分の傷も前より塞がってきている。
倉持はお酒がまわってきたようで、真面目なのかふざけているのか分からない口調で持論を展開し始める。グラスの中はこってり甘い味の薬酒だ。
「厨川、付き合ったカップルは相当数が早かれ遅かれ別れるんだ。結婚に行きついても別れる人もいるし、どのみち最後は死んで別れる。だから、つまらない奴の手を離したことに傷つく必要もないし、焦って誰かの手を取らなくてもいい――って考えは、何か慰めになる?」
勢い良く始まったのに、尻つぼみになって、最後は私のほうをちらりと見る。
「倉持はそれ言われて、慰めになるわけ?」
「いや、言ってて絶望的な気分になった」
どうせいつか別れるんだから気にするな、嫌なら最初から付き合わない選択もある、なんて酷い慰め方だ。いくら事実でも、もう少し希望のある話がいい。
悲惨な結末を迎えたけれど、手を伸ばして何かを得ようとした私たちは勇敢だった、って締めくくるくらいじゃないと割に合わない。
「倉持は話し方が変わったよね。本当はもっと難しい言葉で抉ることもできるのに、わりと優しい言葉で話してくれるようになったでしょ?」
「伝え方を間違えて痛い目を見た結果かな。厨川は、昔とちっともかわってないな」
「成長してないってこと?」
「いや、そう意味じゃない。相変わらず面白いなと思って」
倉持は少し笑った。今の笑い方は、嫌味でも皮肉でもなかったように見えた。
でも、すぐに引っ込めて、厳しい顔をする。
「忠告しとくけど、もう、泥酔している友人がいても、家に連れ込むなよ。どんな負い目があってもな」
もう眠そうな倉持は、目をこすりながら、残りの薬酒を流し込む。
お酒、こんな弱かったのか。
「そんなことしないってば。倉持じゃなければ、連れてこなかったよ」
「それは、親友だから?」
「え?」
そう言われて、頭が真っ白になった。
「俺は、親友なんだろ?」
ついに親友と言う言葉が倉持の口から出たのに、戸惑いしかない。
倉持のことを知れば知るほど、親友だよと胸を張るには、全然足りない気がしてる。
倉持の元カノのように、心の結びつきなんてスピリチュアルな領域には到底及ばない。
この間まで、元気に親友だと言ってのけた自分が、もうよくわからない。
「……あのさ、最近、親友って言葉が、なんかしっくりこなくて」
「じゃあ、俺は、何?」
倉持は難しい顔をして肘をつく。すっかり呂律も怪しくなって、今にも眠ってしまいそうな倉持が、私が考えて答えを出すまで、待っていられるとは思えない。
なんだか答えに焦って、上手い切り返しが思いつかない。
焦れば焦るほど、私も酔いが回る。
「えと、ええと……だ……大、親友?」
回答を聞いた倉持は、肘をついて、すごい真顔で呆れている。どうやら対して考えもせずに適当に言ったことがばれたらしい。
「厨川おまえ、困った時に適当なことを言って、自分の首を絞めることがあるよな」
「ある、あるよ! もう首がしまったから、ゆるして」
あと十秒くらい必要だった。そうすればもっと正確な言葉で伝えられたかもしれないのに。
倉持に感謝してるってこと。得難い友達だと思っているということ。
戦友でもあり、ライバルでもあり、もっとたくさん時間を共有したい大切な人だということを。
すっかりタイミングを逃してしまって、関係を言葉にすることをあきらめた。
倉持は、私がモヤモヤを心の奥に押し込めたことを気が付くこともなく、今までになく機嫌よく笑っている。
「変わらないって言ったのは、そういうところだよ! 飲め! 大親友の酒が飲めんのか?」
「倉持の方が酔ってるんだから、もうやめようよ。さっきの、取り消して! なんかすっごく恥ずかしいわ」
「動画で撮ってやる、もう一回言ってみろ!」
この生活が終わってしまうのが寂しい。引っ越しの日はもうすぐだ。
もう一度言うことはできない。
次は、この関係が終わるようなことを言ってしまうかもしれないから。
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