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第六章

第44話 「期待を裏切って悪いが、三つほど残っている」

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 矢が驟雨しゅううの如くバラ撒かれると、城砦じょうさいのあちこちから短い悲鳴が聞こえ、倒れ伏した盗賊の上げていた呻き声が途切れていく。
 死んで当然のクズ共とはいえ、信じてついてきた首領の手によって息の根を止められるとは、僅かながらのあわれみを覚えなくもない。

「ぁぼっ――」

 どこかで跳ね返されて予想外の角度から飛んできた矢が、静馬しずまの胸に突き立って思考を強制的に断ち切る。
 位置的には、心臓をつらぬかれてもおかしくなかった。
 だが、早合はやごうの束とそれを提げた革帯が刺突の威力をぎ、二分か三分(約6ミリから9ミリ)食い込んだだけで止まってくれたようだ。

 大丈夫、まだ運はある。
 運や勘に頼るのは好みじゃないが、神も仏も信じていない身からすると、頼れるのは最早それくらいしか――いや、そうじゃない。
 絶望的な情報の不足を跳び越えてこの場に辿り着き、圧倒的な形成の不利を捻じ伏せて右近を追い詰めているのだ、今の自分たちは。

 右近は鬼神でもなければ、怪物でもない。
 いささか武芸が達者なだけの侍だ。
 それに、わっぱの放った銃弾もかわせない程度では、高が知れている。
 静馬はそう自分に言い聞かせながら、奇襲のための位置取りをすべく移動を続ける。
 眼下では、仲間たちが果敢かかんに再攻撃を開始していた。

 孫三郎まござぶろうは盗賊の得物えものを回収したのか、薙刀なぎなたを手に右近との距離を詰めようとしている。
 全身の至る所に矢が突き立っている姿は、まるで衣川ころもがわ弁慶べんけいにも似た鬼気迫る様相だが、その表情は苦痛に歪むこともなくどこまでも不敵だ。

 アトリは最後に残った武器であろうクナイを構え、怪我の存在を忘れたかのように軽快な挙動でもって、孫三郎とは別方向から右近に駆け寄る。
 整った顔は血と泥とすすで汚れ、呼気は病んだ獣のように荒く乱れている。
 しかし歯を食い縛って疾走するアトリは、今までに見たどの瞬間よりも美しい。

「右近っ! これが妾からのはなむけじゃ! はよぅ地獄にねっ!」

 身を潜めていたユキが最初に陣取っていた曲輪くるわに姿を見せ、高らかな宣言と共に弓を引くと立て続けに放っていく。
 どこから矢を調達した、と思ったが背後に控える弥衛門やえもんが矢筒を抱えている。
 狙撃に失敗した後、こいつを探して短矢のしきる戦場を駆け回っていたのだろう。

 五本、六本と狙いをずらして射掛けられるユキの矢。
 右近は曲芸めいた動作でもって、すべてを悠々と斬り落とす。
 そして、ユキと弥衛門に連弩れんど矢衾やぶすまが向けられる。
 一斉射が行われた直後、右近の居場所に到達した孫三郎が薙刀の袈裟斬けさぎりを放ち、ほぼ同時にアトリが腹を狙った蹴りを突き込んだ。

 常人ならば、避けようのない連続攻撃。
 しかし右近は、危なげなく薙刀をはじくと、返す刀でアトリの足裏を斬りつけ、更に孫三郎に反撃を加えて左腕から血をほとばしらせる。
 満身創痍まんしんそういに新たな傷を追加され、しもの二人も地面にうこととなり、軽くない狼狽ろうばいの気配が浮かぶ。

「ふふっ――ふはっ、ふははははははははははははははは!」

 右近が高らかに笑っていた。
 世をねた、唇をゆがめた笑いではない。
 人を、己をあざわらうような、乾いた笑いとも違う。
 心から楽しそうに、嬉しそうに、感情のおもむくままに笑っている。
 先ほど静馬に見せたものより、更にほがらかな笑顔だ。

「ふざ、けるなよ……」

 口の中で呟くと、静馬は盗賊の死体から剥がした胴丸どうまるを地面に置いた。
 頭の芯から、喉の奥から、腹の底から、怒りともいきどおりともつかない、激発寸前の想いがあふれる。
 夢にまで見た戦場に身を置く愉悦ゆえつに浸っているのか、右近。
 こんな下らない瞬間を求めて、こんな馬鹿げた場面をほっして、お前はどれだけの人間をあやめてきた――

 ふざけやがって。
 侍も、大名も、太閤も、どいつもこいつも消え失せればいい。
 消えないのなら、俺がこいつで――片っ端から撃ちたおす。
 静馬は銃を握ると、胴丸に右足を乗せて体重をかけた。

 四人が文字通り、命懸いのちがけでじ開けた間隙かんげき
 連弩の矢は尽きているのに、右近が血に酔って浮かれている、この僅かな時間。
 大きく叫びたい気持ちをこらえ、激しく揺れ動く視界の中で狙いを定める。
 静馬は胴丸をそり代わりに、崖のような曲輪の段差を滑り降りながら、弾丸を連続して放つ。

「おおっ――」

 流石に予期できない行動だったか、右近から驚愕きょうがくの声が漏れる。
 それでも咄嗟とっさに刀で受けた辺り、やはり怪物めいた勘の持ち主だ。
 いつもの右近なら、銃弾だろうと斬れていたかもしれない。
 しかし弥衛門の銃撃で傷を負い、アトリの矢とユキの猛攻を防ぎ続け、体力も気力も限界に近かった。
 しかも静馬が放ったのは、孫三郎に製法を伝授された射貫いぬきだ。
 
 二度の金属音が鳴る。
 直後、中ほどから折れた刃が宙を舞った。
 静馬は着地の反動で体を跳ね上げられるが、地面を転がって衝撃を和らげる。
 右近は折れた刀を手放すと、連弩も投げ捨てながら愉快そうな口ぶりで言う。

「ただの馬上筒ばじょうづつかと思えば……やってくれるではないか」

 右近は脇差を抜き放って、呼吸を整えている。
 砂と土にまみれて身を起こした静馬も、銃を捨てて大脇差を抜いた。
 距離を詰めている最中、うれい顔の孫三郎と目が合った静馬は「後は頼んだ」と仕草で伝える。
 伝わっているか定かではないが、大丈夫だと信じるしかない。

 ここより先に進めば、一呼吸する間もなく首をねられる。
 感覚でそれと知れる間合いを保ち、静馬は右近と向き合った。
 一見すると平静そのものだが、右近の瞳には奇妙な輝きが宿っている。

 岩多いわた村のはずれで村の子らと合戦の真似事をしていた時は、きっと自分も似たような目で棒切れを振り回していたのだろう。
 右近にとっては今この場で展開されている死闘も、遊戯ゆうぎに類するものでしかないのだと、静馬にはそう確信できた。

「曲芸も種切れか、小僧」
「期待を裏切って悪いが、三つほど残っている」

 静馬が軽口で応じると、右近はまたもや満足げに笑う。
 これならば、賭けに出る値打ちはある――だろうか。
 迷いは未だ残っていたが、手足は心を置き去りに動いていた。

「何を――」

 しているのか、或いは考えているのか、そう問いたかったのだろうか。
 無造作に必殺の間合いに踏み込んだ静馬に、右近は怪訝けげんそうな目を向ける。
 それでいて迂闊うかつさを見過ごすこともなく、脇差の刃は静馬に迫る。
 斬るのではなく、受けることに集中していたのもあって、〆の字を書くように振るわれた二度の斬撃を辛うじて弾く。
 
「くあぁあああぁあああっ!」

 体の各所が訴える痛みに邪魔され、静馬の気合の叫びは少しばかり気の抜けたものになってしまう。
 力量の差はにわかには埋め難く、正攻法をとっても粉砕されるだけ。
 ならば、と静馬は足元の乾いた砂を蹴り上げつつ、斬るのではなく突きを入れる戦法を選択する。

「ふん」

 二つの「定石外し」を重ねた静馬の一撃は、間違いなく腹を貫き通せたであろう絶妙さだった。
 しかしながら、対する相手が普通ではない。
 くるりと身をおどらせて目眩めくらましの砂を避けると、猛然と突き込まれる大脇差のみねを叩き伏せ、取り落とさせるという離れ業をやってのける。

「ぐぁ――っとぉ」
「随分とつまらん隠し芸だな、小僧。しかも二つで品切れか」

 顔から地面に滑り込みかけて、危ういところで踏ん張った静馬に、右近が呆れ気味に告げながら脇差の切先を向ける。
 だがそこで、玩具おもちゃいじり回す童子にも似た右近の表情に、疑いのかげりが混入した。

 絶体絶命の状況にある静馬の目が、全てを失う敗者のそれではない。
 そして、自暴自棄の果てに蛮勇を奮わんとする愚者のものでもない。
 静馬の双眸そうぼうに宿っているのは、勝負を決める吶喊とっかんを前にした武者の炎熱だ。
 本能的に危うさを感じ、右近は全てを終わらせる一閃いっせんを放たんとするが、そこで瀕死だったはずの男の声が鋭く響いた。

「静馬っ!」

 捨てたはずの銃が投げられ、十間(約十八メートル)近い距離を猛然と飛んで、静馬の手の中に収まる。

「おうっ!」

 尋常ならざる速度で繰り出される右近の斬撃は、銃使いが相手だろうと発砲の隙を与えずに絶命させていただろう。
 しかしながら、静馬の手にしている銃は普通ではなかった。
 銃把じゅうはを握るとほぼ同時に放たれた鉛の弾丸は、右近の胸へと吸い込まれ背中から突き抜けた。

「三つ残っている、と言っただろう」

 冷厳と言い捨てる静馬に、右近は苦笑いを浮かべて何事かを返そうとする。
 だが、歪めた口の端から溢れた血に雑言ぞうごんを封じられ、右近は仰向けにゆっくりと崩れていった。
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