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ぬけがら

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 僕と咲は付き合うことになった。つまり恋人同士になったということだ。どう考えても順序が逆で、元々は出会ったときのキスから始まった関係だったのだから。

 それからもたびたびどころか、もう数えきれないくらいキスをして、それよりちょっと背伸びしたこともしてしまった。さすがに最後の一戦は超えないよう耐えているつもりだが、なんとなくすでに超えてしまったような気もしている。

 だけど今までのことはそれとして、今日は正式に付き合うと宣言してから初めてのキスだったからか気分が違う。僕はジャージ、咲はパジャマ、キスをしているのは玄関ホールの床の上という微妙なシチュエーションではあるけれど。

 お互いがお互いを必要として求め合う。口元から首筋へと這うように移動していく咲の唇は、優しく緩やかな動きにもかかわらず僕の心を激しく掻き混ぜていく。

「はっ、はあぁ…… んんん…… 我慢できないの……」

 僕の身体に咲がふれた証を残していくように、いたるところに唇が触れていく。そのうち咲の小さな手のひらが僕の頬を挟み込み、顔を強く押し付けてきた。それは唇が重なるなんてものじゃない。そのまま僕のすべてが飲みこまれてしまうくらい激しい、そして嬉しく強いキスだ。

「はあ…… はあ…… ふう……」
「はっ…… はああ……」

 二人の息遣いが激しくなり、そして熱を帯びて吹き抜けの一番上まで立ち上っていく。実際にそんなことがあるわけないが、二人の重なり合いはそれほど情熱的なものだった。

 段々と頭の中が白くなっていき気を失いそうだ。もう咲の姿がろくに見えなくなっている。でも体にかかる重さで、確かにそこにいるのだということは間違いなく、それがまた非現実的というのか、夢心地とでもいうのか、とにかく考えるよりも感じると言ったところだ。

 咲が息継ぎのように顔をあげると、唾液がポツリと降ってくる。ふふっと小さく聞こえる笑い声の後にそれは拭われて、その声の主は再び僕の唇を塞ぎにかかる。

 舌の先が触れ合うとお互いの体がピクッと細かく震え、さらに繰り返し唇を奪い合う。首元へ降り注ぐ長い髪は少しくすぐったいけれど、それも咲の一部だと強く認識できるので、僕にとっては大好きな感覚だ。

 いつしか自分の体はすべて溶けてしまい、咲の中へと取り込まれていく。例えるならプリンへ差し込まれたスプーンになったような気分とでも言えばいいのか。

 スマホが振動している音が少し離れたところから聞こえてくる。なんだか感覚だけが肉体の外にいて、少し離れた所にいるようにも思える。僕はぬけがらを探すようにもがいてみるが、手には何も触れないどころか、自分の手がどこにあるのかもわからなかった。

 やがて僕は何も見えなくなり、聞こえなくなり、意識を失った……


「ねえ? さっきから何度も電話がなってるわよ?
 時間もあまりないみたいだけど平気かしら?」

「えっ!? マジで!?」

 僕は慌ててポケットからスマホを取り出そうとする。しかし、腰の辺りにあったのはタオルケットだった。本来ジャージのズボンがある位置には何もなく、もちろん? 上半身も裸だった……

「まさかこれって…… 裸じゃないか!
 僕はなにをやってるんだ……」

「うふふ、ごめんなさいね。
 汗で冷えるといけないから全部拭いてしまったの。
 ちゃんと全身綺麗になっているはずだから、シャワーせずに学校行かれると思うわ」

「な、なるほど…… それはありがとう。
 でも全身拭くのはまずいでしょ……」

「迷惑だったかしら?
 昨晩カオリもそうしたし、赤ちゃんやお年寄りに同じことをすることだってあるじゃない?」

 言っていることはもっともらしく聞こえるが、僕は赤ちゃんでも介護されるような年齢でもない。かといって何か言い返す必要性は感じなかった。だって本当にありがたいと思ってしまったのだ。

「そっか、ありがとう。
 おかげで遅刻せずに済みそうだよ。
 着替えは……」

「こっちで干しているから今持ってくるわね。
 でも本当に間に合うかしら……?」

「大丈夫、時間に余裕あるし、走れば全然余裕さ」

 玄関にかかっている時計を見ながら立ち上がった。いや、立ち上がろうとしたが力が入らない。結局そのままペタンと座り込んでしまった。

「また加減を間違えたかしら……
 大丈夫? 立ち上がれそう?」

「う、うん……
 おかしいなあ、ちゃんと立ったつもりなんだけど……」

 もう一度立ち上がるとやはりふらついて咲へもたれかかってしまった。すると咲が僕を抱えてその場へ座り顔を振れるくらいまで近づけてきた。

「力を抜いて楽にして。
 目を閉じて私を感じてちょうだいね」

 そう言ってからキスをする。いつもならお互いを求め合うようなその行為、しかし今の僕は呆けたままただただ受け入れていた。

 ほんのわずかな時間が過ぎた後、咲がまた呟く。

「これでどうかしら?
 少しは力が入るようになっていたらいいのだけれど?」

 試しに立ち上がってみるとどうやら大丈夫なようだ。僕はタオルケットを巻いたままの情けない姿で歩き、廊下で干してもらっていたジャージを手に取る。一緒に掛けてあったパンツを真っ先に手に取ると、今までこんなに早くパンツをはいたことは無いってくらいの速度で着替えはじめた。

「それじゃ帰って学校行く支度するよ。
 もしかして今日って…… 僕調子悪い日?
 四日後の決勝は大丈夫だよね?」

「調子悪いなんてことないわ。
 誰しも飛び上がる前には屈むでしょ?
 その波が来ると言うだけの話なのよ。
 もちろん四日後には問題ないわ」

「そうか、物は考えようだね。
 決勝でも投げるはずだから、そこで最高潮になればバッチリさ!」

「あら。四日後って土曜日じゃない。
 どうやら次は応援に行かれそうね」

「そうそう、昨日慌ただしすぎて伝えられてなかったんだ。
 いいとこ見せるから必ず来てよ!」

「いいところを見せようなんてしなくていいわ。
 自分の力を出し切れば、きっといい結果になるのだから。
 そうでしょ? 私の愛しいキミの力ならね」

「そうだね!
 気負いすぎないようにしないとだな。
 自分を知り、信じ、過信せずに、ね」

 咲はその通りだと頷いて僕を送り出してくれた。
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