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初デートは不穏な空気

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 僕と咲は朝食を食べた後二人そろって駅へ行き、電車に揺られながら矢島の市民球場へ向かった。それはどう考えても早すぎる九時過ぎごろの電車だったが、早めに行けば指定席以外からも練習が見られるし、何よりあの始まる前の緩い空気が好きなのだ。

 幸い咲は、初めての野球観戦に退屈する様子もなく文句を言わずについてきてくれる。まだ人の疎らな観客席からは内野も外野も良く見通せ、両チームのマスコットと一緒に練習するチアリーディングなんて珍しいものが、外野で行われているのを見ることができた。

「キミがああいうダンスとか好きなのは意外だったわ
 それに、私の地元ではハーフタイムショーを商業主義って嫌う人たちも多かったけど、ベースボールはそうでもないのかしら」

「別に変な目で見ているわけじゃないよ。
 でも子供のころから野球チームにはマスコットキャラクターがいて、試合中も喜んだり悔しがったりする光景を見てきているから違和感はないね」

「お父様も野球選手だったのよね?
 お母様もなにかスポーツやっていた方なの?」

「母さんは水泳で自由形の日本代表候補だったんだ、昔だけどね。
 そう言えば咲と母さんはまだ会ってないけど、あまり相性良くない気がするんだよなあ」

「それはどういう意味?」

「うちの母さん、いや父さんもなんだけど、基本的に人懐っこくてさ。
 初対面でもグイグイ行くタイプなんだよ。
 まあ明るい性格で悪い人じゃないんだけど、うっとおしいって感じる人もいるだろうって心配になるんだ」

「なんだか抽象的な表現でよくわからないけど、馴れ馴れしい方ってことなのかしら。
 私は確かに初対面から近づかれるのは好きではないわね。
 それにわざわざ会わせようってつもりでもないでしょう?」

 そう言いながら、練習風景を眺めていた僕の前にいきなり顔を差し出してきた。それに驚いて思わず背筋を伸ばした僕は咲の方を見て答える。

「確かにわざわざ引っ張って行こうとは思ってないんだけど、すでに父さんには知られているからね。
 帰ってくる頃には母さんも咲の存在を知ってるってことさ。
 知ってるだけでおとなしくしてくれたらいいんだけど、まあ少しだけ覚悟しておいてくれよ」

「うふふ、楽しみにしているわね。
 お父様はおとなしそうでかわいい感じだったけどね」

「あの時は突然だったし酒も飲んでいなかったからなあ。
 本来の父さんは女好きで酒癖の悪いダメ人間さ」

「じゃあキミも大人になったらそうなるのかしらね」

「いやいやいや、僕は酒を飲むつもりはないし、その…… 女の子だって誰でもいいとかそういう……」

「冗談よ、キミのそう言うところ好きよ」

 そりゃ冗談だろうけど、そんなことを間近で言われてしまうといつものようにキスをしたくなってしまいそうだ。いくら疎らとはいえ周囲に人がいるのにそんなことができるわけないが。

 そんな時、僕達のすぐ横をいい香りを漂わせながら通り過ぎて行った人がいた。油っぽさと香ばしさの混ざったような香りの元は小皿に乗ったソーセージにポテトだった。ジャンクフードではあるのだが、こういう特別な場所ではとてもおいしそうに見える。

「お昼には早いけど何か食べる?
 匂いを嗅いだら食べたくなっちゃったよ」

「そうね、さっきのソーセージが気になるわ。
 良くしゃべってるから飲み物ももうなくなりそうだし、売店へ行きましょうか」

 観客席から降りて行った通路には簡易的な売店が出ているので二人でそこへ向かう。少し前は飲食や物販は高くてぼったくりだなんてことも多かったけど、最近の観客動員数減少に歯止めをかけようと、飲食関連だけは安くなってきているので、高校生の小遣いでも十分お腹を膨らませることができるのはいいことだと思う。

 売店へ向かう途中の通路には人が全くいなかった。出入り口と売店の間には観客席への階段とトイレがあるだけなので、今は人が少ないのだろう。

 その時、咲がパーカーの背中をつまんで僕を引き留めた。そして振り向くと同時に、身を隠すように柱の陰へ追いやられる。

「ねえキミ? 今日の調子はどうかしら。
 いつもよりさらに調子が良さそうだし、頑張ったら面白いことになると思うわよ」

「え? それはどういうこと?
 これからって、僕が試合に出るわけじゃないのに頑張るところなんてあるのかな」

 咲が言っていることが何だかわからないまま答えつつも、全て話し終えるかどうか位のところで今度はパーカーを下へ向かって引っ張られる。

 引っ張られた方向には僕を見上げる咲の顔が微笑んでいて、その艶のある唇の誘いに抗うことができないまま思わず唇を寄せてしまった。

 数秒のキスを終えた僕はもう一度咲に確認した。

「ねえ、さっきのはどういう意味なのさ」

 しかし目の前の咲は微笑むだけで何も答えてくれず、今度は僕の前を歩き売店へ向かう。僕はやれやれと思いながらその背中を追いかけていった。


◇◇◇


 ソーセージとポテト、それにハンバーガーを食べてお腹が膨れたころ、観客席は半分以上埋まってきていた。試合開始まではあと二時間弱あるというのに大盛況と言えるだろう。

 チーターズの主催試合前には、ファンサービスの一環として選手がいる内野でミニイベントが行われる。そこへ参加するには入場時に配布される抽選券を貰ったうえで当選する必要がある。

 その抽選券配布が試合開始二時間前までなので、それ目当ての観客が滑り込み含め押し寄せてきたのだろう。

 突然にチャイムのような音が鳴り、いったん選手が引き上げたグラウンドにボールボーイたちが走りこんできた。そしてあちこちのスピーカーからウグイス嬢のアナウンスが流れた。

『これから、本日のチーターズサポーター抽選発表を行います。
 お手元の抽選券のご確認いただき、当選の場合はお近くの係員へお知らせくださいませ』

 エコーがかかったアナウンスが球場全体に響き渡ると、周囲の人たちがみんな抽選券を手にもって緊張の面持ちになるのが面白い。まあそれは僕も同じことではある。

 番号がいくつか発表されれ十四番目の読み上げが終わった。そこで次の番号が最後の当選者だとのアナウンスがあり観客席が一瞬ざわつく。そして最後の数字が読み上げられた時、僕は手元にある抽選券の番号を見ながら心臓が爆発しそうに興奮し、手は小刻みに震えていた。

 なんと、最後の当選番号は僕の持っている抽選券と末尾一つ違いだったのだ。これに当選していればグラウンドに出て選手を間近に見られるだけでなく、記念のチームキャップに好きな選手のサインを書いてもらえるというのに、それがなんと一番違いなんて悔しすぎる。

 大きく落胆している僕の横から咲が肩を叩いてくる。いくらなんでも一番違いだったなんて不幸そうそうないことだ。おそらく慰めてくれているのだろう。

「外れてしまって残念ね。
 そうやって悔しがってるところはまるで小さな子供みたいよ」

「だってさ、これならかすりもせずにはずれだった方が良かったよ。
 まったくなんでこんなことが起こっちゃったんだって気持ちさ」

「そうね、それはわかったから行ってらっしゃい。
 もうグラウンドへ出ている人もいるわよ」

「え? どこへ行けって言うのさ。
 僕の番号は外れだったんだよ?」

 そう言った僕の目の前に差し出された咲の抽選券は、僕と一番違いの番号が印刷されていた。そう、それは一番違いの当選券だったのだ。

「ウソだろ!? これって箱から一枚ずつ取ったじゃん!
 それなのに連番だったの?」

「どうやらそうみたいね。
 私が行っても仕方ないから、キミが代わりに行ってくれるかしら?」

「そりゃ喜んで行かせてもらうけど、本当にいいのかい?
 とりあえず下までは一緒に行ってみようよ」

「あらあら、保護者がいないと寂しいのかしら?
 そう言うならついていってあげるわよ」

 親子で来ている場合、親が当たったら子供に持たせるのは当たり前の光景なのだが、まさか僕がその当事者になるとは思っていなかった。この際咲に何と言われようが構わない。それでも僕は嬉しかったし、その喜びを分かち合いたかったのだ。

 急いで係員のところへ当選券を持っていき確認してもらう。その後誘導されてグラウンドへ抜ける選手入場口の待機列に並んだ。案の定親子連れも半分くらいはいて、当選人数十五人に対し並んでいるのは二十人以上だ。

 順番に真新しいキャップを貰って選手を指名していく。僕はこういう機会が訪れたときには、チーターズファンになった切っ掛けとなった宮崎選手のサインと決めていた。

 ようやく僕達の番がやってきて係員がキャップを渡してくれる。それも二つ、僕と咲の分だった。

「あら、私もいただけるの?
 なんだか得しちゃったわね」

「ね、太っ腹だなあ。
 選手のサインももらえるんだけど、咲は誰がいいとかわからないかあ」

「ええ、わからないからキミと同じにするわ。
 そのほうが記念にもなるじゃない?」

 僕は頷きながら照れてしまった。担当の方へ宮崎選手と伝えて少しだけ待つと、ベンチ前から小走りでやってくる宮崎選手が見えた。

「お待たせ、最後は若いカップル、高校生かな?
 ずいぶん大きいし体系からすると野球少年ってとこだろ
 タッパは俺と変わらないくらいあるね」

「は、はい! ありがとうございます。
 僕は吉田カズと言って、小さいころから宮崎選手のファンなんです!」

 咲が彼女だと思われたことは照れくさかったけど、それよりも憧れの宮崎選手を目の前に僕は声が裏返りそうだった。

「吉田カズ!? なんだ俺の名前とよく似てるんだな。
 もしかして ファンになってくれたのってそれが切っ掛けだったりして?」

「そうなんです! 最初に聞いた時から親近感を持ってしまいました!」

 そう、宮崎選手の下の名前はヨシカズと言うのだ。小さなころ初めてテレビで見て名前を知ってから、ずっとファンなのだった。

 宮崎選手は楽しそうにキャップの鍔の裏にサインをしてくれて、最後にヨシダカズ君へと名前を書いてくれた。そこに書かれた僕の名前のダの字だけなぜか小さく書かれていたのが面白い。

「ちなみにポジションはどこなの?
 まさか俺と同じセカンドだったりするのかな?」

「いえ、僕はピッチャーです。
 だからこの後のゲームもピッチング勝負にするつもりです!」

「お、それなら俺が打席に立っちゃおうかな。
 ガチで打ちに行くわけじゃないから右対左でも構わないだろ?」

「も、もちろん、光栄です!」

「ところで彼女の名前はなんていうのかな?
 サインと一緒に名前入れていいだよね?」

「私は咲と言います」

「マジかよ! うちの嫁さんは、沙希子って言うんだぜ。
 凄い偶然だなぁ」

「うふふ、本当に偶然なのかしらね。
 すべての偶然は必然、すでに決まっていたことかもしれないわ」

「お、なんか面白い彼女だな。
 同級生かい?」

「ま、まあ同級生ですけど、彼女ってわけじゃ……」

「まあそう照れるなって、男がモテて困るなんてだらしないぜ。
 それに彼女の前で恥かかせるような真似はしないさ」

 そんなプロ選手とファンの会話をしているところへ、周囲を凍り付かせるような咲の一言が発せられた。

「彼が恥をかくとしたら全力を出せなかったとき。
 宮崎選手に、全力を出すに値しない相手と思われたならそれは恥ずべきこと。
 それは勝ち負けとは無関係、幼子の遊戯ではなく真剣勝負に持ち込めたなら彼の勝ちと同じだわ
 まさかプロ選手ともあろう方が、打てなかったときのために手を抜くといっているわけじゃないわよね?」

 おいおいプロに向かって何言ってんだよ。そう声に出したいところだったが、宮崎選手も係員も、咲の言葉が聞こえたらしい他の選手も、その誰もが言葉を失い目を丸くしていた。

 僕はこの空気に包まれながら気を失いそうな感覚に襲われていた。
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