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夢うつつ

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 真弓先生の衝撃的な話があったせいか、あまり集中できないままに朝の練習を終えた。

 ランニングとストレッチ、素振りをこなした僕達は、シャワーを浴びて制服に着替えてから各々の教室へ向かう。

「おい、木戸、真弓先生から聞いてるんだろ?」

「なにが? 俺は何も聞いてねえなー」

 僕の質問に木戸がにやにやしながら答えた。この顔は絶対に知っている顔だ。

「どしたのカズ? 木戸がなにか隠しているのか?」

 チビベンが会話に参加してきた。これ以上続けるとややこしくなりそうなので僕は話をはぐらかす。

「いやなんでもないんだ、それより早く行かないと遅れちゃうよ」

「おう、そうだな、んじゃまた昼な」

 同じクラスの木戸とチビベンは僕と違う教室へ向かった。木戸が休み時間にでもチビベンへ話すんじゃないかと心配したが、どちらにせよ部活の時間になれば知られてしまうことだし、そもそも僕には何の非もないんだから堂々としていればいいのだ。

 それにしてもよりによってあの子がマネージャーとして野球部へやってくるなんて最悪だ。まだそうと決まったわけじゃないが、木戸のあの態度、そして野球に詳しいというなら間違いないだろう。

 僕は思い頭を抱えながら教室へ入った。と同時に咲の姿が見える。特に意識しているわけじゃないけど、僕の後ろの席なのだから目に入るのは当然と言えば当然か。

 咲は相変わらず外を眺めていてこっちを見向きもしなかった。朝はあんなに親しげだったのに、学校では完全に他人としてふるまっている。

 とはいっても他の誰とも話をしている様子もなく完全に孤立しているその様は、下手をするとクラスの中で阻害されているように思われてしまうのではないだろうか。

 けれど、担任の真弓先生が気にしている様子はないし、クラスの女子が話しかけているところも見かけない。もしかしたら昼休みには誰かと一緒に昼飯を食べているのかもしれないが、咲のそんなところは想像もできない。

 僕はあまり咲の方を見ないようにしながら自分の席に座り、鞄を窓際の通路へ置いた。そして筆記用具とノートを取り出して机の中へ放り込みホームルームが始まるのを待つ。

 今日は真弓先生が遅刻せずに来ているので、まもなく教室へやってくるだろう。僕はぼーっとながら腕に顔を乗せて机に突っ伏していた。

 そのとき背後からひっそりと小さな声が聞こえた。

「マネージャーさん、かわいい子なんでしょ?
 まあこれも試練だと思って頑張ってちょうだいね」

 僕は一瞬ピクッと顔を上げかけたが、振り向くわけにもいかず軽く肩をすくめて返事をした。咲の表情は見えないがきっと笑っているのだろう。

 それにしても試練とはどういうことだろうか。僕と咲の約束に関することだということはわかるが、いくらなんでも大げさなんじゃなかろうか。

 それとも僕があの子に押し負けるかもしれないなんて思っているのだろうか。

 そうだとしたら僕を甘く見すぎだろう。今後どんなことがあっても、誰が現れようと、僕の心は咲だけを想い続けるのだと決めたんだ。

 木戸や父さんたち、その他世の中の軽薄野郎どもみたいに誰それ構わず女の子を追いかけるような真似はしないと誓っている。

 これは咲と出会う前から決めていたことで、そう簡単に覆されるわけにはいかない。

 でももし咲と会う前にあの子と出会っていたらどうだっただろうか。それはほんの数週間の差だった。しかも咲と初めてキスをした日との差はわずか一日である。

 あの子、掛川由布が僕の目の前に先に現れ、あの調子で攻められていたら押し切られるなんてことがあったかもしれない。なんといってもあの子はプロ野球選手の娘だし、ちょっと少年っぽいものの決してかわいくないわけじゃない。

 いやいやいや、今までにももうプッシュをかけてきた女子がいたけど全員断ってきたんだ。今更簡単になびくわけがない。こういう時こそ自分を信じるんだ。

 そんな僕が一目でピンと来たのが咲なんだから、他の子の存在なんてどうでもいいちっぽけなものだ。

「なあ吉田、ぼーっとしてないで早く受け取れよ」

 いつの間にかホームルームは終わっていて一限の授業が始まっていたようだ。僕は前の席から回ってきたプリントを慌てて受け取り、一枚とって後ろへ回した。

 窓側から振り向いて咲の方を見ると二人きりの時とは全く違い無表情で冷たい印象である。僕がプリントを差し出すと無言でそれを受け取り、僕が手を離すと咲も手を離した。

 当然のことながらプリントは真下へ落ちていき、僕は慌ててそれを拾おうと体をかがめる。すると咲も同じように床へ手を伸ばしプリントを先に拾う。

 何がしたかったのかわからないが、明らかにわざと落としたに違いない。僕は咲を見てその意図を探ろうとした。すると咲はこちらをチラッと見ながら唇を少しすぼめ、キスをするしぐさを真似た。

 それを見た僕に焦りと恥ずかしさと緊張がいっぺんに襲ってきて、心臓が飛び出るくらいに鼓動を早めたのがわかる。

 急いで振り返り教壇の方を向いてからプリントに目をやるが、そこに何が書いてあるのか理解できないくらい頭が働かない。

 というか、どちらにせよ苦手な世界史の資料なのでちゃんと見ていてもわからなかったのだが……

 そしてゆっくりと話し始めたシゲ爺が進める授業は、朝からの練習で疲れている僕に対して非常に強力な子守歌だった。

「おやすみ、私の愛しいキミ」

 そんな咲の声が後ろから聞こえた様な気がしたが、僕はそれが夢なのか現実なのかわからないまましばしの休憩に入った。
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