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第六章 浮遊霊たちは気づいてしまう

71.孤独

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 総合病院の中庭は、しばらく来ていなかったからなのか、知った顔がどこにもいないからなのか、なんだか新鮮に見える風景だった。無人の中庭で主張しているのは自動販売機コーナーくらいなものだ。もちろん大矢の姿も無く、色の無いことも相まってとても寂しい場所に感じる。

 もしこのまま大矢までいなくなってしまったらどうしよう。英介に何ができるわけではないが、やはり生前から繋がりのある幽霊仲間が一時的とはいえいなくなるのは寂しい。今頃何をしているのか、僕達には連絡手段が無いのでさっぱりわからない。

 戻ってきていない所を見ると母親とはまだ出会えていないのかもしれない。とりあえずできるだけ毎日来るようにするとして、今日のところは引き上げるとしよう。書置きすらできない僕達にとって、出来ることと言ったら足を運ぶことくらいだ。

 病院の正門を出てまた電車に乗ろうと駅に向かおうとしたところで、ふと英介は気になることを思い出した。

 そういえばあの時千代ちゃんが何かに怯えて逃げ出したのは何だったのだろう。危なく忘れてしまうところだったけど、千代と別行動になることはこの先もそうそうなさそうだし、あの女子学園にあった石碑について確認しておくいい機会だと考えた僕は、駅の反対側まで抜けて香南女子学園へ向かった。

 絹原駅の北口から女子学園へ行くには、線路と平行に走っている県道に出るのが一番近い。僕の家からだと駅をまたいで反対側なのであまり通ったことは無いが、勝手知ったる近所の道なので迷うことは無い。

 夕方までには四つ葉へ行かないといけないのであまりのんびりせず早く済ませてしまおう。僕は物流倉庫駅方面へ向かって走り出した。

 車の流れよりは大分遅いけれど、香南女子学園前の道へは数十分で着いた。後は学園までの上り坂をほんの少し進むだけだ。僕はふとあの日の事を思い返し、一旦走るのをやめて歩くことにした。

 大きな門と周囲を囲む壁はまるで昔の城のようだった。中には簡単に入れる様子はなかったが、裏門側に回った際、校内で合唱している歌声が聞こえたのだった。香南女子学園は四校合同芸術祭で合唱を担当するらしいが、あの時聞こえた歌声はその練習だと思われる。

 その城壁のような壁の一か所にあの石碑があった。そこへ近づいただけで千代は急に動揺し、そして逃げるように走り出した。理由は全く分からなかったがそのままにしておくわけにもいかず、僕と大矢は追いかけて合流し、そしてそのまま帰った。一体あそこに何があるのだろう。

 そういえば初めてここへ来た際、帰り道ですれ違ったのは胡桃の送迎をしている車だった。はっきりと見えたわけではないが、乗っていたのは康子さんという胡桃と同居しているお目付け役だった。

 そんなことを思い返しているうちに、僕は女子学園の正門前についた。今日は中へ入るつもりはないのでそのまま外壁沿いに目的の場所へ進んだ。

 その石碑は当たり前だが以前と同じ場所にあった。

 この慰霊碑は戦争被害の慰霊のために建てられたもののようなので古来からあるわけではないのだろうが、それなのにここへ学園を建てる際に移設したりせず、外壁を不自然に窪ませてまで同じ場所へ残したのはなぜだろう。

 石碑の表には戦没者慰霊碑と大きく彫ってあるのみで、特段疑問を感じるほどのものではない。僕は裏側へ回ってみた。そこには細かい文字が均等な間隔でたくさん彫ってあり、パッと見では何が記されているのかわからない。

 僕は近づきよく確認してみた。するとそれは、表の大きな文字とは比べ物にならない位小さな文字で彫られた人の名前だった。おそらく五十音順に並べられて彫られている沢山の人名が戦没者の物であることは疑いの余地もなく、その数は一目でわかるような数ではなく、おそらく数百から千の値だろう。

 もしかするとここに千代の名前があるのだろうか。僕がもし生きた人間ならば脂汗を掻き動悸が早くなったのではないだろうかと感じるくらい動揺していた。上からざっと見ていくが千代と入っている名前は見当たらない。そもそも千代は亡くなって幽霊になってから空襲を見たと言っていたので、ここへ名前があるわけがない。

 ではなんであんなに怯えて逃げ出したのだろう。

 僕はその理由に心当たりがあった。千代が長年探していると言っている、それが千代をこの世へ引き止めている理由であろう、兄の名がここへ刻まれているのではないだろうか。

 あの時の千代は、それを本能的に察しあえて確認せず、近寄りがたい存在としてここから離れたかったのかもしれない。僕は千代の兄の名がここへ刻まれているかどうか確認するために、また一番上から一つずつ名前を確認して行こうとしてふと気が付いた。

 そういえば僕は千代の名字も知らないし、もちろん兄の名も知らないのだ。これでは探しようがない。もし知っていたとしてもそれを見つけてどうするというのだ。

 もちろん千代へ知らせるわけにはいかないし、もし知ってしまったらそのことは自分一人でこの先ずっと抱えていかなければいけないことになる。それに、何かの拍子で千代へ伝えてしまったらどんなことが起こるかわからない。

 僕は慰霊碑の裏には沢山の戦没者銘が刻まれている事実だけを知るにとどめ、ここを離れることにした。

 さてと、他にすることもないし四つ葉へ向かうことにしよう。まだ午前中だから走っていけば昼すぎには着けそうだ。胡桃には午後の授業があるし、そうなると相手をしてもらえない千代が退屈してしまうかもしれない。

 ただ僕は、今すぐ勢いよく走る気持ちにはなれなかった。僕は周囲の人、千代のことも胡桃の事も、大矢の事でさえ大して知らないし、当然向こうも僕の事を深く知っているわけではないということに気が付いてしまったのだ。

 そしてそれは、僕を大きな孤独感で包み、身動きを制限されたような感覚に陥らせていた。

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