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黒猫

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 いけないいけない、つい頬が緩んでしまう。私はいつも沈着冷静で凛としていなければならない。だけど嬉しいことがあっても話す相手がいないなんて、私の人生はなんとつまらないモノか。

「ただいま帰りました」

 そうは言っても家には誰もいない。本物のお嬢様なら家に帰れば執事かメイドでもいるのだろうが、ただの成金みたいな私の家はただ広いだけだ。とは言え時代の潮流に乗って成功した父はすごいと思っているし、同じように努力でそこそこの社会的地位を築いた母も見習うべき人物と言える。

 だからと言って尊敬できるかというと微妙なのだ。幼いころから厳しく育てられたおかげで恥ずかしい思いをすることはないが、学校ではなんだか距離を取られているような気がする。それに家で一人で過ごす時間が長く寂しい毎日だった。

 過去形なのは、もうすっかり慣れてしまって何とも思わなくなっていたからだ。それに伴って両親への敬愛の心も薄れて行った。

「さて、まだ早いけどピアノのレッスンへ行こうかな。
 あんまり上手にならないからやめてしまいたいけど許してくれないだろうなあ……」

 父親好みでいかにも清楚に見えるワンピースに着替え、いったん解いた髪の手入れをしてから家を出る。たまにはカジュアルな格好で友達と遊びに行きたい。話題のカフェにでも言ってスイーツを食べて恋バナでもして、いかにも今時の高校生として過ごしてみたい。

 それにはまず、一緒に遊びに行ってくれる友達を作らないといけなくて、かなりハードルが高い。もともと人づきあいが苦手な私には、私立中学へ進学してから友達と言えるような相手は出来ていないのが実情だ。

 見た目は凛と、しかし心の中はうなだれながら商店街を抜け、駅のそばにある音楽教室へ向かう。しかしその途中に見慣れない看板を見つけて足を止めた。

「これはもしかして猫カフェって言うアレ?
 入ってみたいけどピアノがあるし……」

 カバンからスマホを取り出して時間を確認すると二十分くらいは余裕があった。私は思い切って扉を開けて中へと進んだ。

 案内された席は店内一番奥の、ソファともクッションとも言えないようなフカフカな席だった。大きくて四角いクッションに腰を下ろすと体全体が沈み込んでいき変な気分である。

 そんな身動き取れない私のところへ真っ黒い猫がやってきてお腹の辺りに乗ってしまった。これではさらに動けなくなってしまう。

「ちょっと黒猫さん、いったん降りてくれないかしら。
 こんな寝転がったような座り方、いくらなんでもはしたないわ」

『ニャア』

「もう、まったく仕方ないわね。
 郷に入りては郷に従えってこと?
 裾がめくれないようちゃんと見張っててよ?」

『にゃ』

「ちゃんと返事してくれるなんて随分賢いのね。
 私なんて家に帰った時、誰も返事をしてくれないのよ。
 この寂しい気持ちわかってもらえるかしら」

『にゃぁぁぁ』

 黒猫の返事が私にほんの少し安らぎをくれるような気がした。もう何日も誰かとまともに会話した記憶がない。教師や塾の講師とは話をすることはあるけど、それも必要に駆られての事務的なものだけだ。教室にいても一人だけ別の世界にいるみたいな孤独感……

「あなたには沢山お友達がいていいわね。
 でも仲良しってわけじゃないのかな。
 他にお客さんいないのに、黒猫さん以外誰も近寄ってこないわね」

『そりゃ君には俺が最適だからさ。
 寂しがり屋の子猫ちゃん』

「私が子猫ちゃん?
 寂しがり屋なのはその通りかもしれないけど、なんだか照れるわね。
 でもそうね、私はまだまだ子供だし、大人ぶって我慢しているけど実は毎日寂しいのよ。
 家でも学校でも孤独って感じ」

『なんだ、好きで一人なのかと思ったぜ。
 なあ子猫ちゃん、君は自分から誰かに話しかけることはあるかい?
 きっと一人座って待っているだけなんだろ?
 俺はエスコートの出来るいい男だから来てやったけどな』

「待っているって…… 自分から話しかけることなんてできないわ。
 だって話しかけておいて何の話題も出せなかったら?
 場をしらけさせたり嫌な顔されたりしたら?
 そう思うと私怖くて……」

『そうだな、誰かに嫌われるのは怖いもんな。
 だが全員に好かれることなんてあり得ねえぞ。
 多少嫌われようが自分が動かなければ求めるものは限りなくゼロに近い。
 声を上げることで得られるものがあるなんて当たり前のことなのさ』

「でも誰かに嫌われるくらいならなにもなくていいよ。
 独りは嫌だけど怖いのも嫌だから。
 黒猫さんは独りになったことある?」

「愚問だな。
 ここにいるやつらはほとんどが孤独を経験している。
 もちろん俺もだ。
 風雨にさらされ誰にも見向きされずずっと独りだった。
 だが鳴き続け声を上げることで得られたものがあることも知っている。
 無理にとは言わねえが、現状に満足していないなら自分で踏み出すしかねえよ」

「そうなのかな……
 私はただ嬉しいことがあったら、それを聞いてくれる誰かが欲しいだけなの。
 そんなに贅沢は言わないから一人でも二人でも聞いてほしいの」

『誰かの話を聞くなんて簡単なことに思えるかもしれねえ。
 それでも誰かの時間を奪う、使わせるってことを忘れるな。
 つまりはタダ働きをさせるってことだろ?
 お前は誰かのために無償奉仕が出来るほど出来たヤツなのかい?
 思ったより難しそうだろ?』

「そうね、簡単そうには思えないわ。
 きっと私にはできっこない、無理なことなのよ」

『その難しいことが百発百中でないといけないって考えてるだろ。
 十人に声かけてダメなら百人、それでもだめならもっと増やせばいい。
 長い時間生きて何人に出会うかわからねえが、その中で一人二人程度ならで起訴に思えないか?』

「どうだろう、私自分から声をかけたことって一度もないの。
 怖くてとてもできないよ。
 今まで親に言われるまま勉強と習い事してるだけだったんだもの」

『なるほどな、それでテストでは何点取れるんだ?
 まさか0点ばかりなのかね?』

「そんなはずないでしょ?
 これでも少しは勉強できるほうなんだから。
 今日戻ってきた模試の結果だって難関国立大学のS判定取れたんだからね。
 とは言っても初めてのことなんだけど」

『そうか、それを聞いて欲しかったんだな。
 でもそれを聞いてほしい相手は俺じゃねえはずだ。
 お前さんはいま0点しか取れてない。
 人間関係の勉強を何もしてねえんだから当然の結果さ。
 もし少しでも点数を上げたいと願うなら少しでも勉強すべきじゃねえのかい?』

「それは…… 正論かもしれないけど私に出来るはずないわ。
 簡単そうに言うけど今までできなかったから今があるのよ?」

『そりゃ子猫ちゃんがいきなり百点取れるはずねえからな。
 いきなり満点を目指すんじゃなくて一点でも十点でも取れればいいのさ。
 まずは自分のおかあちゃんに、その模試ってやつの結果を伝えてみたらどうだ?
 結果を淡々と伝えるんじゃなく、お前さんがどれだけ嬉しいと感じているかをよ』

「ママに? もう何日も話してないわ。
 帰ってくるのが遅いし津アkれてるから話をする時間なんて無いのよ。
 もちろんパパも同じ、帰ってこない日も多いし休みの日も私の相手なんてしてくれない」

『だから言ったろ?
 相手をしてもらうのを待つんじゃなくて自分から行ってみろって。
 それに人間には手紙って便利なものがあるじゃねえか。
 難しそうに見えることでもきっかけは簡単だったりするもんだぜ?
 まずは一歩から、だ、子猫ちゃん』

「一歩、かあ。
 人間関係って難しいわね。
 出来るかどうかわからないけど考えておくわ。
 ママは教育に厳しいんだし、私の成績が良ければ喜んでくれるかもしれないしね」

『そうそう、その意気だ。
 ついでになにかねだってみりゃいいんだよ。
 理想の娘はモノ言わない人形だなんて思ってないかもしれねえぜ?
 さて、そろそろ時間だな、迎えが来ちまった』

 黒猫はそう言うと私の膝から飛び降りた。半分寝転がった姿勢のままその方向を見ると、真っ白な猫が隣にいてまるで鍵盤みたいに見える。

「いけない! ピアノ行かないと!」

 慌てて飛び起きようとした私はハッと夢から覚めた様な気がした。どうやらこの大きなクッションに埋もれて寝てしまっていたようだ。時計を見ると時間はそれほど経っておらず、ピアノ教室は少しの遅刻で済みそうで一安心と大きく息を吐いた。


◇◇◇


「ねえママ、ここ行ってみない?
 猫をなでたりおやつあげたりできるんだよ。
 私はね、黒い猫が好きなんだ」

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