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ヨウラウ市
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ひゅうと息を呑む音で我に返る。懐かしくも痛みを伴う思い出は首を振って追い出し、カップを持ち上げた。ぬるくなってしまったけれどミントティのさわやかな香りと蜂蜜の甘さが喉を潤していく。息をついてお茶を飲み干すと、腰を上げた。
「松宮君!」
コンテナ部分は公共のスペースとしてドアがない部分と一回り小さくなるがドアをつけたプライベートスペースがある。榛名の場所ではエントランス入ってすぐに応接室兼執務室兼プログラム室をかねた場所があり、壁で仕切られた少々狭い、眠るだけのベッドルームが一部屋。部屋の前は細い通路になっており、そこから隣に接続されている補助技師のコンテナへと入っていく。技師のコンテナも松宮のコンテナも似たようなつくりになってはいるのだ。おのおのメインで作るものが違うだけで、松宮は部屋自体を取っ払ってしまった。ラックの後ろにベッドをひとつ備え付けてあるだけでコンテナ全体が作業部屋でもある。補助技師のコンテナは左右の入り口を結ぶように細い通路が作られており、作業部屋は衝立で仕切られている。榛名はノースの部屋を横切り、水周りのブースを越えて松宮の作業場へと入ってく。
「松宮君」
トレーラー同士の連結は電車とよく似ている。連結部分を通り抜けてあらゆる資材がおかれたラックを尻目に中央にある大きな机の前で彼は図面を引いていた。シャワーを浴びた後なのだろう、上半身は裸で下半身にはバスタオルが巻かれたままの状態で頭からぽたぽたと水滴が落ちている。
「先生」
何かをつぶやきながら図面を引いていた松宮が顔を上げる。
「君、ちょっと頭ぐらい拭きなさいよ。というか服を着ろ服を」
あきれたようにつげ、勝手知ったる資材の間におかれた衣装ケースからタオルを取り出して頭にかぶせる。
「わっぷ」
ようやく気づいたかのようにタオルで頭を拭き始めた。
「図面引いてたんですけどね、これ外装部から取り付けるようにするならギターに直接取り付けれるようにしようかなって。アンプに組み込むよりギターに取り付けたほうが利便性は高いですよね。先生の声にも作用しますし。先生、これ組み込まなくても勝手に発動させられますよね」
「うん。そりゃぁ、できますよ。増幅装置も本当は要らないんですけれどね」
「だよなぁ。ギター担いでないときは勝手に増幅させてやってるし、展開までのタイムラグないし」
「だって仕方ないでしょう。私、神様なんだから。君たちとは違うんですよ」
「あーはいはい。ギター弄ってみますね。なんか違和感あったら教えてください。たぶんこの回路でイケるはず。バランスがなぁ」
またぶつぶつと図面を引いていく。
「私の弟子が冷たい。増幅装置はなくてもかまわないけれど無いと困るんですよ。私もこの世界に組み込まれてしまっているから。だからね、松宮君。大陸ひとつ、プログラム直して元のプログラムに書き換えてそれを保護して楔を打ち込むには増幅装置があるとやりやすいんです。この国のバグは比較的少なく、優しいから」
「はいはい。先生のすごさはさすがにエレウ群島でわかってるんで、コンも先生の力に圧倒されて先生に助けられたから。俺は村田さんにも頭あがんないけど、コンは先生のこと大好きで目標にしてるから。プログラム読めないけれど、先生の役に立つことがうれしいんですよ。俺、他にも術式者見たことあるけれど先生ほどの力があるとは思えなかったんだ。なのに先生は弟子も連れてなくて。リュエトみたいな大所帯じゃないし。俺を弟子にしてくれるし。強い力を持ってるのに隠すのは何でですか」
「ほめても何も出ないよ。あのね。毎度毎度言ってるけれど、神様だからね。この世界滅ぼそうと思えば滅ぼせるから、おとなしくしてるの。目立たないようにしないと面倒がいっぱいあるんだよ。面倒に巻き込まれるなんてまっぴらごめんです」
不服いっぱいいっぱいと口を尖らせる老いた顔を見て松宮は笑う。普段きりりとしているときはそれこそ松宮たちも一歩引いて背筋を正すぐらいには、彼の気配や佇まいに圧倒されているのだ。こうしてみせる柔らかな一面は子供のようで、周りには好評なのだが本人は術式者としての威厳がどうのこうのと小言をつぶやいていた。それでも割とお茶目でそれでいて真剣に自分たちのことを案じているのも伝わってくるものだから、コンのように榛名に憧れを抱いて先生大好きという態度に落ちるものも多い。家事を担う小人族は特に榛名のことが大好きだという態度を隠さない。それを許容している榛名も根は優しいのだと松宮は思う。口に出して言うと給料が減るので黙っているが。
「えっと、これをはずして。あっ、これはとってこないと」
ぱたぱたと服を着ることもなく改造に入った松宮にあきれながら榛名は口を開いた。
「で、いつまでにできる?」
「仕上げて完成までもっていくなら、そうですね。三日あれば」
「仕上げまで引きこもって貰おうかな。ヨウラウ市では市長に会ってきますから。砂鯨は人為的でしょう。最近この周辺に盗賊も出るってうわさは聞いたけれど、港町からの要請は砂鯨が暴れているから漁ができない。砂鯨をおとなしくさせてほしい。という依頼だったからね。さすがにあの銛を偶然と片付けるわけにはいかないでしょう」
「そっすね。砂鯨に何があるんですかね。ラウの真水の八割を担っているんでしょう?狙う理由がわからない。自分たちの首絞めてどうすんだって話なんですよね。俺もついていきます」
「だめです。それ完成させないと許さないから」
「けち!」
資材置き場を漁っていた松宮が立ち上がるのと、少女の声が聞こえたのはほぼ同時であった。
「先生、松ぼん、お昼ご飯ができましたよ」
小人の少女がお昼を告げる。そして、松宮は気づかなかった。はいと返事をして一歩踏み出した腰にまいているバスタオルが資材に引っかかっていることに。
彼女の前ではらりとはずれ落ちたバスタオルに、松宮は盛大に黄色い悲鳴をあげたのだった。
昼食を終えれば、ヨウラウ市に向けて出発する。松宮は小人族の女の子たちから「ぼんはかわええなぁ」とくすくす笑われていた。かわいいが何にかかっているのか恐ろしくて聞けないが、榛名がスープを噴出してしまったので食事を終えると恥ずかしさと怒りとなんだかいろいろな感情を抱えて引きこもってしまった。茶色の大地に覆われた、砂漠と荒野の国を、キャラバンは進んでいく。港町から半日。荒野を抜けて大街道に入ればそこは多種多様なキャラバンがいた。榛名たちのように車を引いているものもいれば、馬やラクダをひいているものもある。荷馬車に詰まれた商品はヨウラウに運び込まれるのだろう。乗り合い馬車なども走っていれば、人々が徒歩で移動している。榛名たちもまたその速度に合わせてゆっくりと都市へと近づいていく。
ラウ国第二都市ヨウラウへと。大街道から門前へと入る。すぐそばには広大な砂漠がひかえており、ヨウラウは砂漠と砂海に面した大都市だ。貿易の要でもあるここにはあらゆる物資が入る。港特有の活気にあふれた巨大な都市には門前町まであった。砂漠の砂が入り込まぬように高く設置された壁に囲まれている。ヨウラウの中に入るには認証が必要であった。商人の隊などキャラバンを組んでいるものはどうしても時間がかかる。先に一人手続きをするために出し、それから荷の検査を受ける。個人的な旅行などはそのまま門前に並び、認証を受けて中に入る。夜は九時以降門が閉まるので門前町で宿をとらねばならないこともある。国境の町と、貿易港を擁する都市部でよく見られ、他の都市部町村では見られない。
榛名のキャラバンは榛名自身が手続きに赴いた。市長に面会を求めるためだ。本来であれば一般市民が市長や国王などに面会を求めることはできないが、プログラム術式者は例外となる。バグが広範囲にわたる場合や、バグ自体に攻撃性が見られる場合など、国や市町村のトップが依頼人となるときがある。プログラム術式者が世界に六人。その弟子も全体で十名ぐらいしかいない。世界を修復するための術式者である。榛名が設定したのは五名の術式者であった。彼らがバグを検知しそれを修復する役割を持つ。そのための特権階級でありそれ以上もそれ以下もない。世代交代があるだろうということで、候補者も一人ずつと決めていたのだが、ウイルスによって塗りかえられてしまったこの世界で術式者は榛名を含めて六名。そして弟子が十名ほどに膨れ上がっていた。全員がプログラム術指揮者になれるかどうかは未知数だ。上限は十名と決めてある。それは変わっていないようなので安心してはいたのだが、イレギュラーな術式者が自分であることを重々承知している榛名には、頭の痛い問題のひとつであった。とはいえ、対策の立てようがないので成り行きを見守るしかないのだ。一人で動くと決めていたのだが、それでも松宮を弟子にしたのはもう完全に運命という名前のプログラムが起動したのだと思い知った。
「次の方」
キャラバンの受付列に並び、ぼんやりとしていたところを呼ばれて榛名は窓口に自分の証明書を差し出す。美しい滑らかな漆黒の金属でできたそのカードは榛名の提示によって文字を浮かび上がらせる。己の身分証明であるそれはプログラム術式者だけに与えられるカードである。それ自体がすでに身分証明であり文字を提示させなくても認証されるのだが、数代前のプログラム術式者が盗賊に襲われ殺された。その身分証を奪われて小規模の市が盗賊たちに壊滅させられる寸前まで追い込まれた。別の術式者が到着し、術を使うことができない盗賊たちを一網打尽にした。これをうけて術式者も全員がカードを見せるだけではなくカードを起動させて自分のホログラムの顔や名前を提示することになった。
「術式者様ですね。許可証を発行いたします」
「あっ、申し訳ないんだけれど市長に面会を求めて欲しい。都合のいい時間がわかったらキャラバンまで。一応キャラバン用の宿に泊まりたいと思っています」
「それでは、南西の銀華の庭というお宿はいかがでしょうか。そちらでしたらリュエト一座のキャラバンがすべて収まるぐらいには広いので」
「なら、そこにいます」
「承りました。市長には知らせますので、ご連絡をお待ちください」
「ありがとう」
許可証と身分証を返して貰い、自分のバンへと戻る。キャラバンは荷の改めなどあるのでどんなに急いでいても時間がかかるのは仕方がなかった。ちょうど荷の改めが終わったころ、バイクで戻ってきたコンはちょうど良かったと報酬を榛名に渡した。小さな港町から何を持ってきたのかと思えば、新鮮な魚であった。凍らせてもってきたそれは大きな喜びとともに厨房を預かるコックたちの手で捌かれ、冷凍庫にいれられた。
コンを回収し、「銀華の庭」に行くために城壁に沿って左に向かう。ゆるくカーブを描いている城壁を少しいけばそこには巨大な門がつけられていた。門前にいる人に身分証を提示して榛名は宿を取る。全員の部屋を押さえることができれば、久しぶりの広いベッドに沸き立つ。必要な備品や足りないものや、生活水や排水などのメンテナンスを頼み、全員に休みを言い渡した。
喜ぶみんなの顔を見ながら、拗ねていた松宮に進捗の状況を聞いた。半分はおわっているといわれて手が早いといえば、そりゃあ先生が使うものですからと当たり前のように言う。
「じゃあ、休みにしましょう。部屋はとってあるから」
と、手続きをおえた部屋のカードキーを松宮に渡した。
「もう少し進めてから部屋に入りますから」
といわれればすでに彼の頭の中には作ることでいっぱいなのだと榛名は理解し、頷いて分かれる。彼の好きなようにさせておき、みんなは好きなようにと言付ける。榛名にはフロントから呼び出され市長の面会が通ることを知らされた。多少なりとも砂鯨の異変について何か知らないかと、昨今の状況を踏まえて話を聞くために腰を上げた。
「榛名先生、ようこそおいでくださいました。さ、どうぞおかけください」
市長執務室に通された榛名はソファーに腰を下ろした。目の前の男の顔色は悪い。目を細めた榛名はそれでもゆるく笑みをはいた表情を顔に貼り付けた。
「急な申し出に答えてくださってありがとうございます」
「いえ。術式者様による面会希望は必ず叶えるのが決まっておりますので。私にご用件とは?」
早口でまくし立てる男を冷ややかに見る。もう完全にこいつビンゴだろと榛名は胸の中でつぶやく。
「砂鯨を捕獲しようとしたのか、それとも殺そうとしたのか。返答しだいでは貴様の首を飛ばす」
「えっ」
「どっちだ。次は無い」
「ひぃっ、捕獲ですっ。私は、脅されて。申し訳ありません」
「説明を」
おびえて震える市長の顔色はもはや青い。言いよどむ市長に視線だけで促す。
「せ、先生助けてください」
お願いしますと、頭をテーブルに着ける勢いで下げる。
「詳細」
強い口調に飛び上がらんばかりに驚いた市長を冷ややかに見下す。
「はじまりは、ここ半年ほどヨウラウのあたりを荒らしまわっている盗賊団の存在でした。そいつらの捕縛に乗り出したのですがどうも術式者がいるようでして、われわれの市警団では敵わず、国軍を頼もうと王に嘆願書をだしたのですがあちらはあちらで大山脈の山越えをする道が土砂崩れによってふさがれたということで、人命救助と復旧作業に軍を裂いているらしく後手に回っています。けして我が市警団が弱いというわけではないのです。ただ、向こうには術式者がついているようで、われらでは歯が立たずじまいでして、やつらの暴挙を止めることができません。その上あいつらは私の娘を、いえ、娘だけではなく市民の女性たちを攫って行ったのです。やつらの要求は「砂鯨の巡回ルート」でした。それは機密中の機密です。海の男たちでも砂鯨の巡回ルートを知っているものはいませんし、砂鯨を捕鯨することもしてはならないと世界条約で決まっています。最初は突っぱねたのですが、映像通信で私の目の前で、娘が暴行を受けながら、ナイフで耳を。娘は必死に助けて助けてと泣き叫ぶのです。私は娘を助けなければと、申し訳ありません」
震える声で告げられた言葉に怒鳴りそうになって我慢する。重いため息をひとつ。
「砂鯨の巡回ルートは人の命よりも重い。一人の命とひきかえに国のすべての民が水を飲めずに死ぬのを選ぶのか。今この国の九割の真水を担っているのは砂鯨。それをわかった上で、漏らしたというのだな」
常にない怒気をはらんだ声は、市長を震え上がらせた。
「申し訳ありません」
搾り出すように謝罪の言葉が出るが榛名はそれを受け取る気はない。
「昨日、こちらに向かう手前にある漁師町というのか漁港町というのか、そこで砂鯨が暴れているので鎮めてほしいという要請がありました。見てみれば砂鯨を捕鯨するために尾びれ付近に巨大な銛が、胃は爆弾かなにかでやられたのでしょうね。深く傷ついていたのを助けました。人為的に行われていたのは明白ですが、あなたが犯人だったのか」
「ひぃっ。娘の、市民の命がっ」
「目的は聞いたのですか?」
「も、目的は、砂鯨の肉と水変換器の搾取だと。水変換器は不老不死の妙薬。そして、肉は若返りの効果があると」
「それで教えたと?そんなわけあるか」
「ええ。あまりにも荒唐無稽だったので私も言ったのです。そんな馬鹿な話を聞いたことはない。ありえない、と。ですが、彼らは自分たちについてる「術式者センセェ」がそういっていたと、そんな馬鹿なと術式者様方の現在地をお調べしました。誰もそこにいないのです。一番近いのは先生でした。ほかのかたがたはあちらこちらと全員の所在が確認され、そこには術式者はいない。と返答したら、確かに彼らのねぐらになかったはずの反応がでました。術式者様方と同じ反応でした。何度数えても一人多いのです。そして、反応するだけすると、ほかの術式者様方と連絡が取れないように装置を破壊されてしまいました。ウイルスだと思いますが今完全にお手上げ状態です。やつらとの連絡が一切つかなくなり、四日。砂鯨が頻繁に悲鳴を上げているのは知っていました。ですが私どもではどうにもならず。昨日朝から討伐隊を仕向けたのですが全滅。途方にくれていたところに先生がいらっしゃったのです。先生、登録されていない術式者がいるということでしょうか?先生方はご存知ではないのですか?お願いします。娘を、攫われた市民を救ってください。お願いします」
必死に頭を下げる市長から窓の外に視線をそらす。市長の机の上に置かれているはずの術式者検索装置兼連絡器が置いていない。砂鯨が暴れているという案件を受けたのは漁師町ではあった。
「娘を攫われたのはいつだ」
「一週間ほどになります。連絡が来たのは必死に探し回っている時でしたから五日前になります。そこで人質と砂鯨のことを言われました。こっちから接触しようとしましたが翌日、四日前ですね。一切連絡もとれず、娘たちの安否ばかりが気がかりで」
もう無理だろうなと榛名は思うが砂鯨に手を出した事は後悔させねばならない。夕暮れに染まる町を眺め、榛名は視線を市長へと戻した。
「その盗賊団とやらは私がどうにかします。人質も取り戻しましょう。いる場所を詳しく教えてもらおうか」
申し出にやっと市長は顔色が元に戻る。涙を流しながらありがとうございますと告げ、アジトの場所や規模を教える。それをインプットしながら榛名は怒りに冷える脳内で段取りを組む。さまざまな対処を検討しながら市長に指示をだす。その室内もまた落ち行く赤に染められていた。
「松宮くん」
頬いっぱいに食べ物を詰め込んでもぐもぐしている松宮が返事できずに手を上げる。にぎやかな大食堂は宿泊客や訪れた人々で満員御礼のようだ。ひときわ大きなテーブルをひとつ占めて榛名たちのキャラバンが全員卓を囲んでいる。円形テーブルの中央にはたくさんの料理がおかれていた。
「明日の打ち合わせをするからちょっとおいで」
「ふぁい」
「みんなはちゃんとご飯たべなさいね。あと、残った料理でいいから適当に包んで松宮くんと私の分、部屋に運んでくれるように伝言お願いね。あまらなかったら夜食か軽食か何か頼んで。あっ、お茶も」
うんぐうんぐと食べながら席を立つ松宮をせかしながら大食堂をでる。榛名の頼みを仲間たちは快く受け入れた。
榛名の部屋に戻り、周辺地図を展開させる。
「先生、どうしたんですか?」
「砂鯨を傷つけた犯人がわかった。手引きしたのは市長だ。市長の娘を含む市民が数名人質となっている。時々うわさを聞いていた盗賊団が犯人。まあこの辺は予測していた範疇だけれども。敵に術式者がいる」
「は?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をさらす弟子をちらりと見ながら空中に展開した周辺地図にポイントを増やす。
「ここがアジト。何度か市警団が向かっているが返り討ちにされている。敵にいる術式者というのが何者なのか探らないといけない」
りんと鈴の鳴るような音が響く。モニターを一枚開き、榛名は術者ネットワークに接続すると今現在登録されているすべての術式者に連絡を入れた。登録されていな術式者について今現在起きている状況とともに知らせる。一斉送信すれば後で返事がくるだろう。
「どういうことですか?誰かが盗賊団に手をかしているんですか?」
「それはない。登録者は私以外世界中に散らばっているよ。みんなの所在地は把握しているのにアジトに一人いるんだ。登録されていない術式者が。術式を読めた時点で君たちは半強制的に術式者候補として登録される。つかいものになって正式に術式者になればめでたく候補から術式者の仲間入り。ずっとどこにいるのか把握され続ける。だから登録されない、というのはありえない。ただ、術式者になった時点で登録カードを渡される。これで一人前。登録カードは国ごとに違うが大体市役所か王かな。王からもらうところもあるだろう。登録カードも持たず、登録さえされていない術式者」
そこまで言って言葉を切った。ひゅっと飲み込む空気が冷たい。一瞬目を見開いてまさかと小さく呟いたが、彼の気配があれば榛名にわからないわけがない。万が一、いやそれはないはずだ。しかし。と心が揺れ動く。
「先生?」
「あ、いや。なんでもない。とにかくその登録されていない術式者と砂鯨を捕鯨しようとしたクソどもに天罰下しにいきますから。小回りの利く車を一台。それからギターとアンプ。用意しといて」
「あ、はい」
「朝から忙しくなるからしっかり休むように」
「ギターは、増幅装置つけてないやつでいいですか?」
「あ、そこは任せる。予備の増幅装置一個もってきて。ポケットに入れておくから」
「了解しました。ほかに何かいるものあります?」
「特には。ルートの説明するからしっかり頭に叩き込んで」
「お食事をお持ちいたしました」
こんこんとドアをノックされる。その声にハイと反応して腰を上げた松宮がドアを開ける。榛名はそのまま地図を広げてにらむ。もし彼であればどのようにして助かり、どこにいたのか知りたい。何ゆえここにいるのか。そんなことはないと思いながらも胸騒ぎが起きる。眉をよせきつく目を瞑り、息を吐いた。弟子の前で弱音は見せられない。食事の乗ったワゴンを押して戻ってきた松宮はテーブルの上に食事のトレイやお茶を広げていく。ふたをあければ湯気の立つあたたかなスープと三枚の皿に盛られた料理とパン。そしてデザート。おいしそうだねと料理を眺めて思わず呟く。
「先生、まず腹ごしらえしましょう。食事が終わったら聞きます」
お茶を入れて、差し出されるとスパイスの効いた香り。スープのにおい。焼きたてのパンをつけてくれたのだろう香ばしいにおい。さまざまなおいしい匂いが腹を刺激するので、榛名はおとなしくソファーに座ると手を合わせていただきますと呟いた。松宮ももう一度いただきますと告げて二人で食事をとる。行儀は悪いがりんりんと鈴のような音が鳴り、メールの転送を受けて同じプログラム術式者たちからの返答であることに気づいて開く。
「どうですか?ほかの先生方は」
「難しいな。リュエト君あたりなら何かわかるかと思っているおっと届いた」
早速メールを開いてやはり首を横に振った。全員が知らなく、遭遇さえしていない。その上で初めて知ったといわれてしまえばもうどうすることもできない。登録されていない術式者がいるのは確かだがそれが何者なのかわからないのは不安の種でもあった。食事を終え、松宮にルートの説明をする。大街道を途中から反れてしまうのだが周りには何も目印がない。くわえて彼らがアジトにしている「赤の大階段」と呼ばれる階段状の巨大な岩は刃物で切り落としたような美しい断面を持つ階段状の大岩で段数は四。一段一段がおおよそ十メートル。それが荒野にぽつんと立っているのだ。時折観光客が来ては見て帰るが大街道からもよく見えるので誰も近寄ってまで見ようとはしなかった。
「なるほど。できるだけ大街道を走るんじゃなくて、荒野をぶっとばせればいいんですよね」
「そういうこと。お願いするよ」
「了解です。地図ももらっていきますね」
ぺろりと食べ終わると食器を片付け、ワゴンに乗せる。お茶のポットとカップだけを置いて用意しますから失礼します。とワゴンをおして出て行く弟子を見送ってから榛名はずるずるとソファーに横になった。
「胸騒ぎがする」
胸元をぎゅうっと握りながら不安を殺していく。夜はとっぷりと更けていった。
「松宮君!」
コンテナ部分は公共のスペースとしてドアがない部分と一回り小さくなるがドアをつけたプライベートスペースがある。榛名の場所ではエントランス入ってすぐに応接室兼執務室兼プログラム室をかねた場所があり、壁で仕切られた少々狭い、眠るだけのベッドルームが一部屋。部屋の前は細い通路になっており、そこから隣に接続されている補助技師のコンテナへと入っていく。技師のコンテナも松宮のコンテナも似たようなつくりになってはいるのだ。おのおのメインで作るものが違うだけで、松宮は部屋自体を取っ払ってしまった。ラックの後ろにベッドをひとつ備え付けてあるだけでコンテナ全体が作業部屋でもある。補助技師のコンテナは左右の入り口を結ぶように細い通路が作られており、作業部屋は衝立で仕切られている。榛名はノースの部屋を横切り、水周りのブースを越えて松宮の作業場へと入ってく。
「松宮君」
トレーラー同士の連結は電車とよく似ている。連結部分を通り抜けてあらゆる資材がおかれたラックを尻目に中央にある大きな机の前で彼は図面を引いていた。シャワーを浴びた後なのだろう、上半身は裸で下半身にはバスタオルが巻かれたままの状態で頭からぽたぽたと水滴が落ちている。
「先生」
何かをつぶやきながら図面を引いていた松宮が顔を上げる。
「君、ちょっと頭ぐらい拭きなさいよ。というか服を着ろ服を」
あきれたようにつげ、勝手知ったる資材の間におかれた衣装ケースからタオルを取り出して頭にかぶせる。
「わっぷ」
ようやく気づいたかのようにタオルで頭を拭き始めた。
「図面引いてたんですけどね、これ外装部から取り付けるようにするならギターに直接取り付けれるようにしようかなって。アンプに組み込むよりギターに取り付けたほうが利便性は高いですよね。先生の声にも作用しますし。先生、これ組み込まなくても勝手に発動させられますよね」
「うん。そりゃぁ、できますよ。増幅装置も本当は要らないんですけれどね」
「だよなぁ。ギター担いでないときは勝手に増幅させてやってるし、展開までのタイムラグないし」
「だって仕方ないでしょう。私、神様なんだから。君たちとは違うんですよ」
「あーはいはい。ギター弄ってみますね。なんか違和感あったら教えてください。たぶんこの回路でイケるはず。バランスがなぁ」
またぶつぶつと図面を引いていく。
「私の弟子が冷たい。増幅装置はなくてもかまわないけれど無いと困るんですよ。私もこの世界に組み込まれてしまっているから。だからね、松宮君。大陸ひとつ、プログラム直して元のプログラムに書き換えてそれを保護して楔を打ち込むには増幅装置があるとやりやすいんです。この国のバグは比較的少なく、優しいから」
「はいはい。先生のすごさはさすがにエレウ群島でわかってるんで、コンも先生の力に圧倒されて先生に助けられたから。俺は村田さんにも頭あがんないけど、コンは先生のこと大好きで目標にしてるから。プログラム読めないけれど、先生の役に立つことがうれしいんですよ。俺、他にも術式者見たことあるけれど先生ほどの力があるとは思えなかったんだ。なのに先生は弟子も連れてなくて。リュエトみたいな大所帯じゃないし。俺を弟子にしてくれるし。強い力を持ってるのに隠すのは何でですか」
「ほめても何も出ないよ。あのね。毎度毎度言ってるけれど、神様だからね。この世界滅ぼそうと思えば滅ぼせるから、おとなしくしてるの。目立たないようにしないと面倒がいっぱいあるんだよ。面倒に巻き込まれるなんてまっぴらごめんです」
不服いっぱいいっぱいと口を尖らせる老いた顔を見て松宮は笑う。普段きりりとしているときはそれこそ松宮たちも一歩引いて背筋を正すぐらいには、彼の気配や佇まいに圧倒されているのだ。こうしてみせる柔らかな一面は子供のようで、周りには好評なのだが本人は術式者としての威厳がどうのこうのと小言をつぶやいていた。それでも割とお茶目でそれでいて真剣に自分たちのことを案じているのも伝わってくるものだから、コンのように榛名に憧れを抱いて先生大好きという態度に落ちるものも多い。家事を担う小人族は特に榛名のことが大好きだという態度を隠さない。それを許容している榛名も根は優しいのだと松宮は思う。口に出して言うと給料が減るので黙っているが。
「えっと、これをはずして。あっ、これはとってこないと」
ぱたぱたと服を着ることもなく改造に入った松宮にあきれながら榛名は口を開いた。
「で、いつまでにできる?」
「仕上げて完成までもっていくなら、そうですね。三日あれば」
「仕上げまで引きこもって貰おうかな。ヨウラウ市では市長に会ってきますから。砂鯨は人為的でしょう。最近この周辺に盗賊も出るってうわさは聞いたけれど、港町からの要請は砂鯨が暴れているから漁ができない。砂鯨をおとなしくさせてほしい。という依頼だったからね。さすがにあの銛を偶然と片付けるわけにはいかないでしょう」
「そっすね。砂鯨に何があるんですかね。ラウの真水の八割を担っているんでしょう?狙う理由がわからない。自分たちの首絞めてどうすんだって話なんですよね。俺もついていきます」
「だめです。それ完成させないと許さないから」
「けち!」
資材置き場を漁っていた松宮が立ち上がるのと、少女の声が聞こえたのはほぼ同時であった。
「先生、松ぼん、お昼ご飯ができましたよ」
小人の少女がお昼を告げる。そして、松宮は気づかなかった。はいと返事をして一歩踏み出した腰にまいているバスタオルが資材に引っかかっていることに。
彼女の前ではらりとはずれ落ちたバスタオルに、松宮は盛大に黄色い悲鳴をあげたのだった。
昼食を終えれば、ヨウラウ市に向けて出発する。松宮は小人族の女の子たちから「ぼんはかわええなぁ」とくすくす笑われていた。かわいいが何にかかっているのか恐ろしくて聞けないが、榛名がスープを噴出してしまったので食事を終えると恥ずかしさと怒りとなんだかいろいろな感情を抱えて引きこもってしまった。茶色の大地に覆われた、砂漠と荒野の国を、キャラバンは進んでいく。港町から半日。荒野を抜けて大街道に入ればそこは多種多様なキャラバンがいた。榛名たちのように車を引いているものもいれば、馬やラクダをひいているものもある。荷馬車に詰まれた商品はヨウラウに運び込まれるのだろう。乗り合い馬車なども走っていれば、人々が徒歩で移動している。榛名たちもまたその速度に合わせてゆっくりと都市へと近づいていく。
ラウ国第二都市ヨウラウへと。大街道から門前へと入る。すぐそばには広大な砂漠がひかえており、ヨウラウは砂漠と砂海に面した大都市だ。貿易の要でもあるここにはあらゆる物資が入る。港特有の活気にあふれた巨大な都市には門前町まであった。砂漠の砂が入り込まぬように高く設置された壁に囲まれている。ヨウラウの中に入るには認証が必要であった。商人の隊などキャラバンを組んでいるものはどうしても時間がかかる。先に一人手続きをするために出し、それから荷の検査を受ける。個人的な旅行などはそのまま門前に並び、認証を受けて中に入る。夜は九時以降門が閉まるので門前町で宿をとらねばならないこともある。国境の町と、貿易港を擁する都市部でよく見られ、他の都市部町村では見られない。
榛名のキャラバンは榛名自身が手続きに赴いた。市長に面会を求めるためだ。本来であれば一般市民が市長や国王などに面会を求めることはできないが、プログラム術式者は例外となる。バグが広範囲にわたる場合や、バグ自体に攻撃性が見られる場合など、国や市町村のトップが依頼人となるときがある。プログラム術式者が世界に六人。その弟子も全体で十名ぐらいしかいない。世界を修復するための術式者である。榛名が設定したのは五名の術式者であった。彼らがバグを検知しそれを修復する役割を持つ。そのための特権階級でありそれ以上もそれ以下もない。世代交代があるだろうということで、候補者も一人ずつと決めていたのだが、ウイルスによって塗りかえられてしまったこの世界で術式者は榛名を含めて六名。そして弟子が十名ほどに膨れ上がっていた。全員がプログラム術指揮者になれるかどうかは未知数だ。上限は十名と決めてある。それは変わっていないようなので安心してはいたのだが、イレギュラーな術式者が自分であることを重々承知している榛名には、頭の痛い問題のひとつであった。とはいえ、対策の立てようがないので成り行きを見守るしかないのだ。一人で動くと決めていたのだが、それでも松宮を弟子にしたのはもう完全に運命という名前のプログラムが起動したのだと思い知った。
「次の方」
キャラバンの受付列に並び、ぼんやりとしていたところを呼ばれて榛名は窓口に自分の証明書を差し出す。美しい滑らかな漆黒の金属でできたそのカードは榛名の提示によって文字を浮かび上がらせる。己の身分証明であるそれはプログラム術式者だけに与えられるカードである。それ自体がすでに身分証明であり文字を提示させなくても認証されるのだが、数代前のプログラム術式者が盗賊に襲われ殺された。その身分証を奪われて小規模の市が盗賊たちに壊滅させられる寸前まで追い込まれた。別の術式者が到着し、術を使うことができない盗賊たちを一網打尽にした。これをうけて術式者も全員がカードを見せるだけではなくカードを起動させて自分のホログラムの顔や名前を提示することになった。
「術式者様ですね。許可証を発行いたします」
「あっ、申し訳ないんだけれど市長に面会を求めて欲しい。都合のいい時間がわかったらキャラバンまで。一応キャラバン用の宿に泊まりたいと思っています」
「それでは、南西の銀華の庭というお宿はいかがでしょうか。そちらでしたらリュエト一座のキャラバンがすべて収まるぐらいには広いので」
「なら、そこにいます」
「承りました。市長には知らせますので、ご連絡をお待ちください」
「ありがとう」
許可証と身分証を返して貰い、自分のバンへと戻る。キャラバンは荷の改めなどあるのでどんなに急いでいても時間がかかるのは仕方がなかった。ちょうど荷の改めが終わったころ、バイクで戻ってきたコンはちょうど良かったと報酬を榛名に渡した。小さな港町から何を持ってきたのかと思えば、新鮮な魚であった。凍らせてもってきたそれは大きな喜びとともに厨房を預かるコックたちの手で捌かれ、冷凍庫にいれられた。
コンを回収し、「銀華の庭」に行くために城壁に沿って左に向かう。ゆるくカーブを描いている城壁を少しいけばそこには巨大な門がつけられていた。門前にいる人に身分証を提示して榛名は宿を取る。全員の部屋を押さえることができれば、久しぶりの広いベッドに沸き立つ。必要な備品や足りないものや、生活水や排水などのメンテナンスを頼み、全員に休みを言い渡した。
喜ぶみんなの顔を見ながら、拗ねていた松宮に進捗の状況を聞いた。半分はおわっているといわれて手が早いといえば、そりゃあ先生が使うものですからと当たり前のように言う。
「じゃあ、休みにしましょう。部屋はとってあるから」
と、手続きをおえた部屋のカードキーを松宮に渡した。
「もう少し進めてから部屋に入りますから」
といわれればすでに彼の頭の中には作ることでいっぱいなのだと榛名は理解し、頷いて分かれる。彼の好きなようにさせておき、みんなは好きなようにと言付ける。榛名にはフロントから呼び出され市長の面会が通ることを知らされた。多少なりとも砂鯨の異変について何か知らないかと、昨今の状況を踏まえて話を聞くために腰を上げた。
「榛名先生、ようこそおいでくださいました。さ、どうぞおかけください」
市長執務室に通された榛名はソファーに腰を下ろした。目の前の男の顔色は悪い。目を細めた榛名はそれでもゆるく笑みをはいた表情を顔に貼り付けた。
「急な申し出に答えてくださってありがとうございます」
「いえ。術式者様による面会希望は必ず叶えるのが決まっておりますので。私にご用件とは?」
早口でまくし立てる男を冷ややかに見る。もう完全にこいつビンゴだろと榛名は胸の中でつぶやく。
「砂鯨を捕獲しようとしたのか、それとも殺そうとしたのか。返答しだいでは貴様の首を飛ばす」
「えっ」
「どっちだ。次は無い」
「ひぃっ、捕獲ですっ。私は、脅されて。申し訳ありません」
「説明を」
おびえて震える市長の顔色はもはや青い。言いよどむ市長に視線だけで促す。
「せ、先生助けてください」
お願いしますと、頭をテーブルに着ける勢いで下げる。
「詳細」
強い口調に飛び上がらんばかりに驚いた市長を冷ややかに見下す。
「はじまりは、ここ半年ほどヨウラウのあたりを荒らしまわっている盗賊団の存在でした。そいつらの捕縛に乗り出したのですがどうも術式者がいるようでして、われわれの市警団では敵わず、国軍を頼もうと王に嘆願書をだしたのですがあちらはあちらで大山脈の山越えをする道が土砂崩れによってふさがれたということで、人命救助と復旧作業に軍を裂いているらしく後手に回っています。けして我が市警団が弱いというわけではないのです。ただ、向こうには術式者がついているようで、われらでは歯が立たずじまいでして、やつらの暴挙を止めることができません。その上あいつらは私の娘を、いえ、娘だけではなく市民の女性たちを攫って行ったのです。やつらの要求は「砂鯨の巡回ルート」でした。それは機密中の機密です。海の男たちでも砂鯨の巡回ルートを知っているものはいませんし、砂鯨を捕鯨することもしてはならないと世界条約で決まっています。最初は突っぱねたのですが、映像通信で私の目の前で、娘が暴行を受けながら、ナイフで耳を。娘は必死に助けて助けてと泣き叫ぶのです。私は娘を助けなければと、申し訳ありません」
震える声で告げられた言葉に怒鳴りそうになって我慢する。重いため息をひとつ。
「砂鯨の巡回ルートは人の命よりも重い。一人の命とひきかえに国のすべての民が水を飲めずに死ぬのを選ぶのか。今この国の九割の真水を担っているのは砂鯨。それをわかった上で、漏らしたというのだな」
常にない怒気をはらんだ声は、市長を震え上がらせた。
「申し訳ありません」
搾り出すように謝罪の言葉が出るが榛名はそれを受け取る気はない。
「昨日、こちらに向かう手前にある漁師町というのか漁港町というのか、そこで砂鯨が暴れているので鎮めてほしいという要請がありました。見てみれば砂鯨を捕鯨するために尾びれ付近に巨大な銛が、胃は爆弾かなにかでやられたのでしょうね。深く傷ついていたのを助けました。人為的に行われていたのは明白ですが、あなたが犯人だったのか」
「ひぃっ。娘の、市民の命がっ」
「目的は聞いたのですか?」
「も、目的は、砂鯨の肉と水変換器の搾取だと。水変換器は不老不死の妙薬。そして、肉は若返りの効果があると」
「それで教えたと?そんなわけあるか」
「ええ。あまりにも荒唐無稽だったので私も言ったのです。そんな馬鹿な話を聞いたことはない。ありえない、と。ですが、彼らは自分たちについてる「術式者センセェ」がそういっていたと、そんな馬鹿なと術式者様方の現在地をお調べしました。誰もそこにいないのです。一番近いのは先生でした。ほかのかたがたはあちらこちらと全員の所在が確認され、そこには術式者はいない。と返答したら、確かに彼らのねぐらになかったはずの反応がでました。術式者様方と同じ反応でした。何度数えても一人多いのです。そして、反応するだけすると、ほかの術式者様方と連絡が取れないように装置を破壊されてしまいました。ウイルスだと思いますが今完全にお手上げ状態です。やつらとの連絡が一切つかなくなり、四日。砂鯨が頻繁に悲鳴を上げているのは知っていました。ですが私どもではどうにもならず。昨日朝から討伐隊を仕向けたのですが全滅。途方にくれていたところに先生がいらっしゃったのです。先生、登録されていない術式者がいるということでしょうか?先生方はご存知ではないのですか?お願いします。娘を、攫われた市民を救ってください。お願いします」
必死に頭を下げる市長から窓の外に視線をそらす。市長の机の上に置かれているはずの術式者検索装置兼連絡器が置いていない。砂鯨が暴れているという案件を受けたのは漁師町ではあった。
「娘を攫われたのはいつだ」
「一週間ほどになります。連絡が来たのは必死に探し回っている時でしたから五日前になります。そこで人質と砂鯨のことを言われました。こっちから接触しようとしましたが翌日、四日前ですね。一切連絡もとれず、娘たちの安否ばかりが気がかりで」
もう無理だろうなと榛名は思うが砂鯨に手を出した事は後悔させねばならない。夕暮れに染まる町を眺め、榛名は視線を市長へと戻した。
「その盗賊団とやらは私がどうにかします。人質も取り戻しましょう。いる場所を詳しく教えてもらおうか」
申し出にやっと市長は顔色が元に戻る。涙を流しながらありがとうございますと告げ、アジトの場所や規模を教える。それをインプットしながら榛名は怒りに冷える脳内で段取りを組む。さまざまな対処を検討しながら市長に指示をだす。その室内もまた落ち行く赤に染められていた。
「松宮くん」
頬いっぱいに食べ物を詰め込んでもぐもぐしている松宮が返事できずに手を上げる。にぎやかな大食堂は宿泊客や訪れた人々で満員御礼のようだ。ひときわ大きなテーブルをひとつ占めて榛名たちのキャラバンが全員卓を囲んでいる。円形テーブルの中央にはたくさんの料理がおかれていた。
「明日の打ち合わせをするからちょっとおいで」
「ふぁい」
「みんなはちゃんとご飯たべなさいね。あと、残った料理でいいから適当に包んで松宮くんと私の分、部屋に運んでくれるように伝言お願いね。あまらなかったら夜食か軽食か何か頼んで。あっ、お茶も」
うんぐうんぐと食べながら席を立つ松宮をせかしながら大食堂をでる。榛名の頼みを仲間たちは快く受け入れた。
榛名の部屋に戻り、周辺地図を展開させる。
「先生、どうしたんですか?」
「砂鯨を傷つけた犯人がわかった。手引きしたのは市長だ。市長の娘を含む市民が数名人質となっている。時々うわさを聞いていた盗賊団が犯人。まあこの辺は予測していた範疇だけれども。敵に術式者がいる」
「は?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をさらす弟子をちらりと見ながら空中に展開した周辺地図にポイントを増やす。
「ここがアジト。何度か市警団が向かっているが返り討ちにされている。敵にいる術式者というのが何者なのか探らないといけない」
りんと鈴の鳴るような音が響く。モニターを一枚開き、榛名は術者ネットワークに接続すると今現在登録されているすべての術式者に連絡を入れた。登録されていな術式者について今現在起きている状況とともに知らせる。一斉送信すれば後で返事がくるだろう。
「どういうことですか?誰かが盗賊団に手をかしているんですか?」
「それはない。登録者は私以外世界中に散らばっているよ。みんなの所在地は把握しているのにアジトに一人いるんだ。登録されていない術式者が。術式を読めた時点で君たちは半強制的に術式者候補として登録される。つかいものになって正式に術式者になればめでたく候補から術式者の仲間入り。ずっとどこにいるのか把握され続ける。だから登録されない、というのはありえない。ただ、術式者になった時点で登録カードを渡される。これで一人前。登録カードは国ごとに違うが大体市役所か王かな。王からもらうところもあるだろう。登録カードも持たず、登録さえされていない術式者」
そこまで言って言葉を切った。ひゅっと飲み込む空気が冷たい。一瞬目を見開いてまさかと小さく呟いたが、彼の気配があれば榛名にわからないわけがない。万が一、いやそれはないはずだ。しかし。と心が揺れ動く。
「先生?」
「あ、いや。なんでもない。とにかくその登録されていない術式者と砂鯨を捕鯨しようとしたクソどもに天罰下しにいきますから。小回りの利く車を一台。それからギターとアンプ。用意しといて」
「あ、はい」
「朝から忙しくなるからしっかり休むように」
「ギターは、増幅装置つけてないやつでいいですか?」
「あ、そこは任せる。予備の増幅装置一個もってきて。ポケットに入れておくから」
「了解しました。ほかに何かいるものあります?」
「特には。ルートの説明するからしっかり頭に叩き込んで」
「お食事をお持ちいたしました」
こんこんとドアをノックされる。その声にハイと反応して腰を上げた松宮がドアを開ける。榛名はそのまま地図を広げてにらむ。もし彼であればどのようにして助かり、どこにいたのか知りたい。何ゆえここにいるのか。そんなことはないと思いながらも胸騒ぎが起きる。眉をよせきつく目を瞑り、息を吐いた。弟子の前で弱音は見せられない。食事の乗ったワゴンを押して戻ってきた松宮はテーブルの上に食事のトレイやお茶を広げていく。ふたをあければ湯気の立つあたたかなスープと三枚の皿に盛られた料理とパン。そしてデザート。おいしそうだねと料理を眺めて思わず呟く。
「先生、まず腹ごしらえしましょう。食事が終わったら聞きます」
お茶を入れて、差し出されるとスパイスの効いた香り。スープのにおい。焼きたてのパンをつけてくれたのだろう香ばしいにおい。さまざまなおいしい匂いが腹を刺激するので、榛名はおとなしくソファーに座ると手を合わせていただきますと呟いた。松宮ももう一度いただきますと告げて二人で食事をとる。行儀は悪いがりんりんと鈴のような音が鳴り、メールの転送を受けて同じプログラム術式者たちからの返答であることに気づいて開く。
「どうですか?ほかの先生方は」
「難しいな。リュエト君あたりなら何かわかるかと思っているおっと届いた」
早速メールを開いてやはり首を横に振った。全員が知らなく、遭遇さえしていない。その上で初めて知ったといわれてしまえばもうどうすることもできない。登録されていない術式者がいるのは確かだがそれが何者なのかわからないのは不安の種でもあった。食事を終え、松宮にルートの説明をする。大街道を途中から反れてしまうのだが周りには何も目印がない。くわえて彼らがアジトにしている「赤の大階段」と呼ばれる階段状の巨大な岩は刃物で切り落としたような美しい断面を持つ階段状の大岩で段数は四。一段一段がおおよそ十メートル。それが荒野にぽつんと立っているのだ。時折観光客が来ては見て帰るが大街道からもよく見えるので誰も近寄ってまで見ようとはしなかった。
「なるほど。できるだけ大街道を走るんじゃなくて、荒野をぶっとばせればいいんですよね」
「そういうこと。お願いするよ」
「了解です。地図ももらっていきますね」
ぺろりと食べ終わると食器を片付け、ワゴンに乗せる。お茶のポットとカップだけを置いて用意しますから失礼します。とワゴンをおして出て行く弟子を見送ってから榛名はずるずるとソファーに横になった。
「胸騒ぎがする」
胸元をぎゅうっと握りながら不安を殺していく。夜はとっぷりと更けていった。
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