カミサマカッコカリ

ミヤタ

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砂鯨

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 砂飛沫を巻き上げながら巨体が空中につき上がる。空気を揺るがすほどの鳴き声は、怒りにあふれていた。砂鯨がその巨体を翻し、赤、白と点滅を繰り返す腹を見せながら砂しぶきを上げて波間へと帰っていく。飛沫は空高く舞い上がり、あたりへ砂の雨を降らせる。
「うるさっ!くっそ、マジでキレてんじゃん!」
 砂海の波が足元をさらい、砂を残しながら引いていく。砂海と隣接している岩場は起伏が激しく、平坦な場所が限られている。空は青く、雲がゆったりと動いていた。風が吹いているが舞い上がった砂が服に入り込むだけ。口をあけていた彼は口の中に入った砂に不快な顔をしながら吐き捨てた。三畳ほどの広さの平坦な場所に彼はたっている。背後は背丈を越える岩がいくつか連なり、人目につきにくい場所である。砂海で海水浴を楽しむ者は居ないので、周りに誰も居ない。背後の岩場を抜ければ土手があり、その上に車が止まっていた。大型コンテナをいくつかつなげた様な形のそれはキャラバンと呼ばれる。
 深いこげ茶の髪はふわふわとあちらこちらに飛ぶ癖毛。アーモンド型の瞳は明け方の空を思わせる紺色。ひょろひょろと細く背の高い彼はくるりと背後の岩場、土手の上に止まった車へと向かって叫んだ。
「先生!はーるーなーせーんーせー!鯨いましたあああ!暴れてますううう」
 胸いっぱいに吸い込んだ空気を届けといわんばかりの大声で叫ぶ。
「君がうるさいですよ」
 遠くのキャラバンに向かって叫んでいた彼は存外近くから声がして素っ頓狂な声を上げた。ごつごつとした岩場をするすると登ってくる全身黒づくめの男。黒い髪に賢者の叡智を瞳に浮かべる夜の帳色の瞳。黒いシャツに黒いコートを羽織り、黒いズボンとショートブーツも黒い。ヒールのあるそれでほいほいと岩場を抜けてくる。岩をつかむ手は皺がより彼が老いていることを示す。顔にはあまり皺がないがそれでも笑うと目尻に皺がよるのを知っている。
「松宮君、危ないよ」
「へ?」
 先ほどよりもより岩場に近い場所で砂鯨が姿を現す。砂柱が立ち、その中から姿を現す砂鯨が叫ぶ。体をびりびりと揺さぶる声に先生と呼ばれた男、榛名が目を細めて腕で額と顔をかばう。松宮と呼ばれた青年はとっさに振り向き、両手を前に出して叫ぶ。
「展開!羽虫」
 空中に開いたモニターに映し出されるプログラムを展開させる。無数の羽虫が降り注ぐ砂を羽の振動で跳ね返している。モニターを見ながら、それでも大量に降り注ぐであろう砂を殺しきれるわけではない。羽虫の耐久値が落ちていくのをモニターで見ながらあせる。
「防御壁」
 羽虫のうしろに突如現れた壁。半球体として作られたそれはあらゆるものを跳ね返す壁。「先生ありがとうございます」
「何言ってるの。私が支度するまでの時間稼ぎだから。維持は君に任せます。二人分支えてね」
「は?えっ?」
「二枚同時慣れなさい。羽虫のほうがもうすぐ壊れるでしょう」
 榛名の目の前に広げられた防御壁のモニターをひょいと、切り取りペーストで松宮の前に移動させる。二つ分のプログラムを見なければならなくなった松宮に負荷がかかる。砂鯨の怒りはすさまじくそして、背中から砂海へと帰る。巨大な波が立ち上がり、人の背を超えるそれに松宮の顔が青くなる。踏ん張る弟子を尻目に、背後の岩場に立てかけてあるボードを手に取り、自分の持ってきたギターに防御壁をかけて岩場に置く。
「一本でいいかな」
「二本、予備一本!」
 弟子が叫ぶように告げる。海に身を投げるように戻り、巨大な波が襲う。砂飛沫は激しい雨となって降り注ぐ。
「りょーかい」
 彼の言う通りにボードに燃料を取り付ける。サーフボードに似たそれは水陸両用で空中を飛んだり、水面を走ったりできる。だが難点は燃料一本で一時間ぐらいしか持たない。高速移動すればなおのこと尽きるのは早い。普通に使う分には一本一時間程度。高速移動で半分。そのことをちゃんと理解していたはずの榛名は一週間前、空中で燃料切れを起こして落下し、あやうく弟子の寿命を縮めるところであった。大人の男がぎゃん泣きしながら榛名を空中キャッチできたのは正直奇跡だと師弟ともに今でも思っている。弟子の言うとおりに燃料を積み込み、それを足元に置く。燃料がちゃんと装備されていることを確認し、ギターをつなぐシールドを先にボードに接続させると止め具にて固定する。よし。と頷くと波は目の前に迫っていた。
「あとでギター持ってきてね」
 松宮にそれだけを告げた。
「はいはいはい!」
 それどころではないだろう弟子が焦る声で返答する。びき。ばきと、防御壁にヒビの入る音が聞こえる。ボードの上に乗り、足元のスイッチを踏むとふわりと浮き上がる。動力が稼動し、浮力を生じさせながら榛名は目の前の荒れ狂う波を見て口を開いた。
「十戒」
 タイムラグ無しで展開されるプログラムが荒波を真っ二つに割る。水面の波さえ割ってしまえばそこを抜けるだけだ。ボードを前進させるアクセルを踏み込む。どん。と最大出力で割れた波の間を高速で抜けていく。十戒はそこ十秒程度しか持たない。背後からどんどん波が元に戻っていく。わずかに道を切り開くために作ったプログラムなのでその程度でいいのだ。
「砂まみれになってしまうじゃないか。やだー」
 不服を漏らしながらさらにアクセルを踏み込む。後部で空気が破裂し、波間を抜けた直後、荒れ狂う波はひとつに戻り、榛名は背後で波が岩場に打ち寄せる音に混じり、防御壁が壊され、弟子の悲鳴が聞こえたような気がした。

 荒い波間を抜け切り、戻ってくる。砂鯨の沈んだあたりでボードを止めるとあたりを見回した。
「どっちへいったのかな。地形、捜索、網」
 三つのプログラムを同時に開く。ただし展開させるのは地形スキャンと捜索だけで網のプログラムが開かれたモニターはアイコンのように空中に待機させておく。展開させる地形と捜索はスキャン系列のプログラムになる。捜索は対象物を探すためのもの。ものでも生き物でも有効で利便性は高い。地形は地形をすべて明らかにする。地形スキャンによって砂海が透明になる。底まですべてが見渡せる。目の前に砂海の地形が表示される。現在地の自分を基点に捜索の円がすべり、砂鯨の姿を地形の中に浮かび上がらせる。実際に確認しながら、真正面より三十度の方角へとボードを向けると走り出す。砂鯨は怒りのまま泳いでいるようであった。だがそのスピードはゆるく、尾びれの動きはぎこちない。
「生命反応が弱くなっている」
 このままでは危ないと榛名は待機中の網を展開させる。砂鯨の巣に戻っていくだろうことは地形を見れば明らかで、そこに入られたら面倒だな。と榛名は思う。網は海底へと展開させておく。スピードを上げて近づけば、波音でわかったのだろう砂鯨の動きがわずかに鈍る。それからゆるりと方向転換すると榛名へと向かってくる。弱っていても自分を攻撃してきた人間を許すわけにはいかないのだろう。
「よし」
 すさまじいスピードで海面に上がってくる砂鯨に下から網を浮上させた。全体を網で覆い、つかまったことに気づいた砂鯨が暴れる。ボードを操作して空中に浮きながら暴れる砂鯨の動きにあわせて網をプログラムで制御しながら攻防を繰り広げる。尻尾でどうにか網を破ろうとするが榛名のプログラムはそうさせない。暴れて体力を失いようやく海面に引き上げられた。怒りに腹を赤く、白く点滅させている。
「痛いでしょうよ。治してあげますから、おとなしくしてなさい」
 ふわりと鼻先まで降りてなでる。榛名の声がわかるのか、腹を点滅させていた砂鯨の腹が徐々に落ち着いていき常の白に変わった。悲しそうに小さく鳴くその鼻先をやさしく叩く。
「先生ええええええええええええええええええええええ」
 絶叫しながらボードを飛ばしてくるのは弟子。振り向けばギターを抱えてボードを飛ばしてきていた。榛名の前に止まるとはあはあと息をついた。
「遅かったじゃないですか」
「すみません。海に落ちました」
 しょんぼりと肩を落として言う松宮に榛名はぷっと吹き出して笑った。ギターを受け取り、自分のボードに接続させる。まだ髪の毛の中に入り込んでいるのだろうくしゃくしゃと癖毛をかきまわせば、ぱらぱらと砂が落ちてくる。
「砂鯨は大丈夫ですか?」
「怪我をしているけれど生体スキャンは君に任せましょう」
「はいっ!」
 治癒系プログラムのひとつ、体の怪我や病気をスキャンするためのものだ。それを開く。
「展開、生体スキャン」
 プログラムを実行させる。あわせた両手を開く。手の間から生み出された帯がするすると螺旋をかくように砂鯨の頭から尾びれへと巻いて行く。光の差す海の青さを思わせる帯はやさしい。松宮の展開する治癒系は総じて青みを帯びていて見ていて心地よいと榛名は目を細める。ボードを操作し、浮き上がる。横たわった砂鯨より上で一旦止まる。
「外側だけ滑らせてどうするの」
 鋭い指摘にすみませんと松宮の声が下から聞こえる。榛名はギターを抱えたまま横たわり、腹を見せている砂鯨の胸びれのあたりにボードごと降りる。帯がぶれて二重になり、内側の帯はそのまま砂鯨の体内へと消えていく。
「右側の尾びれ側に巨大な銛が突き刺さってます。あと、あちこち傷ついてますけど、えっ、マジで? うそだろ。マジかよ。胃の上部にて爆破された痕跡があります」
 目の前に展開されているであろう、砂鯨の傷を報告している声の最後は完全に温度をなくしていた。
「正解。松宮君、その銛を抜きなさい」
「っ、はい!」
「砂鯨、聞こえますか。相当痛いけれど、我慢なさいね」
 声は優しく、しかし口調は命令であった。
「抜くより消滅させたほうが早いのだけれど、松宮くんには出来ないからな」
「展開、引き抜く」
 プログラムをもって引き抜くのは便利だが微調整が難しい。本来巨大銛をつなぐ大綱の巻き取り機がついた超大型漁船か、軍の船で巨大銛を抜くのが早い。プログラムで生み出したロープはほのかに発光している。ロープを銛にくくりつけ抜けないようにすると、もともとついていたロープの細さに驚く。
「ロープほっせ。巨大銛に使うにはちょっと細いですよね」
「素人がやることはこれだから」
 銛にもう一度と、幾重もの光のロープを絡ませ強度を上げる。生体スキャンと同時に銛を抜くことが出来ない松宮は生体スキャンを消した。少しずつ、少しずつ引き抜いていく。砂鯨が痛みに悲鳴を上げる。
「ごめん!痛いのごめん!」
 なだめる様に叫びながらそれでも慎重に抜く。その姿を眺めながら榛名は喉に触れた。
「麻痺」
 じりじりと痛みだけが蓄積されていく。抜くほうも抜かれるほうも真剣だ。砂鯨の体力が下がりすぎていると自分のモニターを見ていた榛名は痛みを感じなくさせるように麻痺のプログラムを打ち込む。
「松宮!」
「はいっ!」
 即効性のあるプログラムで体が痺れ、痛みが鈍くなっているそのときを狙い、松宮が銛を一気に引き抜く。そのまま銛は海底に落とし、榛名はギターを鳴らした。音の波紋が空中に広がり消える。
 目の前に砂鯨のすべてのデータを表示させる。すぅと息を吸い、ギターをかき鳴らした。歌声が砂鯨を包み込んでいく。やわらかくやさしい声は低く高く、透き通ってそして深く砂鯨の体の奥まで届く。プログラムではこうはいかない。砂鯨のバグを取り除き、傷を癒しすべてを元通りに治す。歌い終わると元に戻ったプログラムを保存させ上書きすれば砂鯨の体を緑色の光が包み込み、消える。そこには怪我すらしていない健康体の砂鯨がいた。網を消去し、鯨はひとつ鳴くと砂海へと消えていく。それを見送って、榛名はギターを松宮に預けた。世界を修復するためのプログラム術式師としては異例の能力であった。それゆえに何度見ても、何度聞いても美しいと松宮は思う。
「さ、帰りましょう」
 弟子の腕を叩き、松宮は惚けた表情をあわてて引き締めるとうなずいて二人は自分たちのキャラバンへとボードを滑らせていくのだった。

 大型のコンテナを数台つないだような車をキャラバンと呼ぶ。先頭から運転席、厨房と食堂、エントランストイレ、榛名の執務室兼自室、補助技師、今度はシャワーブースとトイレなどの水周りそれから松宮のコンテナと機材資材置き場がある。同じものがもう一台。そちらには榛名のキャラバンを支えるスタッフたちの寝室は狭いが一部屋ずつプライベート空間が約束されている。二階建てとなっていてや簡易食堂。シャワーやトイレ。資材と機材。それらのメンテナンス工房などが設置されている。機材置き場にはバイクやバギー、小型の車も搭載されていた。それらの修理メンテナンスを行うのは松宮の先輩と弟子である。運転手、コック、そして家政婦として働く小人族、大地族。人間。と多様な人種が仲良く共同生活を営んでいる。榛名のキャラバンはプログラム術式者の中ではコンパクトな方に入る。キャラバンを引き連れて、プログラム術式者たちは世界を巡る。

 世界はプログラムで出来ている。創世神が円滑に世界が動くように作り上げた。しかし莫大なプログラムは時としてバグを生み出す。たとえば、壁に突然あいた穴だったり、花壇で咲いている花の花の部分が、ティーカップだったり。それらのバグを発見し、報告すれば修正される。ほっとけばバグは拡大しまわりを飲み込んで災害となるので人々はバグを発見すれば報告する義務があった。人々の中でもごくわずかな人間が世界のプログラムを読み、整え、内側からバグを削除し修復するために存在する。それがプログラム術式者と呼ばれる者たちだ。
 世界の大多数はバグを見つけることができてもプログラムを読む事ができない。読めてもそれを扱えるかどうかがまた別問題となる。見える、読める。だがそのバグを開いて削除する、修復するにしてもどこからどこまでを書き換えればいいのか。そういった判断や実行ができない者もいる。プログラム術式者は自分で自らプログラムを作り出す事もできるし、修復、削除もできる。術式者と呼ばれる人たちは世界で五人しかおらず、彼らは定住することなく世界を回り続ける。榛名は六人目の術式者でイレギュラーだ。
「榛名先生お帰りなさい」
「ただいま帰りました。お茶をください」
 エントランスに入れば家事を担う小人族の少女が華やかな声を上げる。その声にこたえていると榛名の部屋を突っ切って来たプログラム技師を補助する補助技師が駆け寄ってくるのは大地族の賢者。白いひげを蓄えており、榛名のキャラバンの中では一番年上にあたる。二番目はエルフ族のコック達。その次に小人族。人間と続く。一番年若いのは松宮の弟子でコンと呼ばれる青年である。
「榛名先生、やっと出来ましたぞ」
「ノース技師、本当ですか」
 小人の少女よりは少し体格がいいがそれでも榛名の胸の辺りに頭頂部が届く程度には大地族も背が低い。補助技師と呼ばれる者たちはプログラム術式者になる事ができなかった者たちを指す。プログラムを読めるが扱うことができないものは一定数いる。扱えるものは術式者の下で術式者に扱い方を学び、一人前の術式者として独り立ちするまで保護下におかれる。術式が扱えないものは技師として術式者のバックアップに回る。術式者が使うプログラムを展開させたときにその力を増幅したり、効果範囲を広げたりする補助装置を作ることに長けている。プログラムは読めるのだ。それを元に補助装置を作りそれをもって術式者を助ける。補助装置はさまざまな形をしておりそれはその術式者によってもちがう。今まで榛名には補助を担当する技師がいなかった。技師を迎え入れて初めて補助装置が出来上がる。榛名のギターはただのギターでしかない。
「これですよ」
 ころりと、榛名の手のひらに乗せられた水晶は赤く染まっていた。美しい宝石に、目を見開き、光にかざす。赤い宝石の中を渦巻く補助プログラム。中を規則正しく循環しているその美しさに、思わずほぅとため息が漏れる。
「返す返すもノース技師は惜しい。これでプログラムを扱えないというのがもったいない」
「ありがとうよ。先生。ワシとてどうにか使用とはおもったんだがな。世界を構築するものを見ることは出来ても触れなかった。バグを除去できなかったのだから仕方がない。こうして補助技師として先生に拾われてワシは嬉しいよ。役に立てるのは嬉しい。しかもワシのような大地人としても異端の者だからな。なおのこと。だがワシはこの補助具で疲れた。坊、これを先生のギターに組み込め。声を増幅して距離を広げる。この国の巨大なバグを直すのだから今までのような小国では範囲が足りないだろう。距離を広げ、深く楔となるようなものにしておいた。頼んだぞ」
 前半は榛名に、後半はエントランスの入り口、階段に座って靴を脱ぎ、砂海の砂を落としている松宮に向けて発せられた。砂まみれの彼は頭をわしわしと掻いて砂を落としていたが頭を振って顔を上げる。
「ノースじいさま、わかったよ。あと、坊って呼ぶな。成人してるんだからさ」
「大地人からしたら、まだまだ子供みたいなもんだ。先生、その増幅装置は十回で壊れる。量産は出来るから安心してほしいがそれでも頻繁にとはいかない。今出来上がっているのはそれを含めて三つ。予備としてもっておいてくれ」
「ありがとうございます。松宮君」
「はーい」
 ぼさぼさの頭で手を伸ばす。その手のひらにころりと水晶を転がした。その水晶を見る松宮の視線は真剣だ。
「ともあれ、君はシャワーを浴びて。書状をしたためますから、松宮くんところ弟子一人よこして」
「了解です」
 返事をしてから、第二チームの後部に向かう。
「おーい、コン。コンいるかぁ」
「なんすか、松宮さん」
「榛名先生がお使い頼みたいってよ」
「まじっすか!ちょ、俺今からシャワー浴びてきます!」
「なんで!お前シャワーとか浴びてる暇ねえよ。早く行けって。さっきの港町に書状とどけるからさ」
「うっす! 田村先輩、行ってきます」
 年が近い松宮とコンと呼ばれる青年は軽口を叩き合う。コンはコンテナの中にいる田村に声をかけた。そのにぎやかな声を聞きながら榛名は自室に戻り書状をしたためる。自分の名とプログラム技術者のみが扱える押印を記す。先ほどのやり取りならすぐに来るだろうと手紙を乾かし、封をしたところに元気のよい声が響いて思わず笑った。港町の町長宛に手紙を渡す。そのまま、出発するからと伝えるように言えば真剣に復唱した。
「車つかっちゃって」
「あ、いいっす。あ、違う。大丈夫デス!バイク、ありますから。先生たちは先にヨウラウに向かってください。入り口あたりで待ってください。すぐおいつくんで。あ、追いつきますので。行って来ます!」
 元気に飛び出していくコンを見送って榛名は肩を少し震わせて笑った。
「あの子、私のこと大好きすぎて犬みたいだ」
 ひとしきり嬉しそうに笑っていると家事の女の子がやってきた。テーブルにお茶を置く。
「榛名先生、お茶どうぞ」
 ふわりと香るミント。お茶請けのクッキーが嬉しい。温かいお茶はミントのすがすがしい香りと相まって蜂蜜で甘さをつけてある。歌った後はこうして喉によい蜂蜜のお茶を出してくれる心遣いが嬉しく、ありがたかった。お茶を啜って一息つく。手を一振りすればこの世界のすべての情報が平沢の前に提示される。たくさんのモニターが大小さまざまな形で空中に投影されていた。世界地図はまだまだバグにまみれている。小さな国の楔となるものは終わらせているので平沢の手で変色させていたがここラウ国は主要国のひとつだ。ここのバグを取り除き楔を打てれば、第一弾が終わる。もう少しだなと思いながらラウ国のバグを眺める。
「本当に、私にはもったいない弟子ばかりだよ」
 侵食するバグをなぞり、弾かれながら榛名は目を細めた。バグだけが榛名が探している彼の痕跡を強く残す。
「天野、何故。何故、姿を見せてくれないんだ。私の世界を壊しておいて。死んでないんだろう。死んだのは嘘なのか。天野」
 両手で顔を覆う。世界を構築するプログラムは今だにバグにまみれている。世界を構築できるのは神しかいない。そしてこの世界を構築したのは榛名自身であった。彼こそがまぎれもなくこの世界の神であった。
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