柳井堂言霊綴り

安芸咲良

文字の大きさ
上 下
22 / 24
二 弁天娘女男芝居

五幕目

しおりを挟む
 さて、心配事のなくなった柳井やない堂。
 なくなったはずではあるのだが――。



「徳くーん。水菓子買ってきてくれないかーい?」
「嫌だ。自分で行け」
「えー? つれなーい」

 店の裏の作業部屋。筆を作る徳蔵の後ろに寝転がり、徳蔵の背中を指先でいじっていたのはお菊だった。

「あー梅乃ちゃーん。そろそろ交代の時間?」
「……はい。私、休憩させてもらうので、店番お願いします」
「分かったー」

 お菊は勢いをつけて起き上がると、髪をちょいちょいといじり店へと向かった。

 部屋に沈黙が落ちる。
 徳蔵はやっと煩いのがいなくなったとでも言うかのように、また筆作りに専念し始めた。
 とても話しかけられる雰囲気ではない。梅乃は昼餉を取ることにした。



 改めてよろしくした梅乃とお菊だったが、お菊の徳蔵たちに対する態度は変わらなかった。
 ちょっと気に入らなかったとお菊は言っていた。梅乃の徳蔵に対する想いに気付いて、お菊があんな態度を取っているのかと邪推したが、そうではないらしい。ただ単に、元々の距離感が近いようだ。
 不安になってしまう。

 別に梅乃は徳蔵の恋人だというわけではないのだ。二人が恋仲になったとしても、なにも言う権利はない。
 そもそも徳蔵から好きだといわれてすらいない。誰に対してもそっけない態度の徳蔵が、自分だけに優しいと勘違いしただけ。梅乃はそんな気がしてきていた。

 結局なにも話しかけることができないまま、梅乃は昼餉を食べ終えてしまった。
 ちらりと徳蔵に視線をやると、真剣な表情で毛先を整えている。なにか話すきっかけがないかと考えるが、思いつかない。
 お菊が戻ってきて、柳井堂の店番にも大分余裕ができた。もうしばらく休憩していていいようだ。

 蝉の鳴き声が聞こえる。
 開け放たれた窓からは風が吹き込んできていて、汗ばんだ肌を涼しくさせる。真剣な徳蔵のこめかみを、汗が一筋流れていった。
 梅乃の鼓動が早くなる。作業中の徳蔵は、色気があるのだ。お菊のような女性らしい色っぽさとはまた違う、禁欲的な色気を感じる。

 ずっと見てたら気付かれてしまうかもしれない。ちらちら盗み見していた梅乃だったが、小刀を置いた徳蔵にびくりとした。
 徳蔵は梅乃に向きなおった。

「やる」

 徳蔵は今しがたでき上がったばかりの筆を、梅乃へと差し出してくる。

「前、梅乃にやったやつ、河原崎座の一件で壊れただろ。遅くなったが」

 盗み見していたことがばれたのかと思った梅乃だったが、ぽつりぽつりと呟かれる言葉にぽかんとする。
 ひと月も前の話だ。
 無論、梅乃だって忘れていたわけではない。徳蔵にもらった大事な筆だ。壊れたけれど、家に大切に保管してある。

「すぐに作ってやれなかったのは悪いと思ってる……。仕事が立て込んでいて……」

 しどろもどろに話す徳蔵。こんなに弱り切った徳蔵を初めて見た。
 筆作りの仕事が立て込んでいたのは事実だ。しかしそれに対して恨み言を言った覚えもないし、思ったこともない。
 だが徳蔵はずっと気にしてくれていたのだろう。梅乃の顔に自然と笑みが浮かんでしまう。

 小振りの筆は、持ち歩くためのものだろう。きっと言霊封じのため、いつでも使えるようにと仕立ててくれた。
 ずっと共にいてもいいと言われたようで、認めてもらえたようで。

「いただいても……いいんですか?」

 反応のない梅乃に弱りきっていた徳蔵は、覗き込むように問いかける梅乃にきっと表情を引き締めた。

「勿論。お前のために作ったんだ」

 真っ直ぐな視線を向けられて、梅乃の心臓がどくんと高鳴る。自分のためだと言われて、嬉しくないはずがない。
 期待しても、いいのだろうか。

「ありがとう、ございます」

 そんなこと聞けるはずもなく、梅乃は顔を綻ばせて筆を受け取るしかなかった。

 はにかんだ梅乃に徳蔵は赤くなっていたのだが、度胸のない自分にへこんでいた梅乃は気づく由もなかった。

   *

「とはいってもなぁ……」

 早朝の柳井堂。梅乃は店先で打ち水をしていた。今日も暑くなりそうだ。
 梅乃を悩ますものは、ただひとつ。

「徳くーん! 芝居小屋の近くの茶屋、相変わらすおいしかったね! 久々に行ったけど、新作の菓子は当たりだったよー」

 黙々と筆を並べる徳蔵に、嬉々として話しかけるお菊。二人の会話が聞こえてきて、梅乃はまた胸のあたりがもやもやしてきた。
 どうやら二人は昨日、お妙の茶屋へ行ったらしい。
 別にそれをとやかく言うつもりはない。そんな権利もないだろう。

「でも、もやもやするものは、する……」

 梅乃は柄杓を手に肩を落とした。
 新作の菓子といえば、梅乃と食べに行ったものだろう。あのときのことは、今思い出しても顔が熱くなってしまう。
 だからこそ、お菊と二人で行ったということに妬いてしまう。

「だから別になにか言われたわけじゃないんだって!」

 もしかしたら、徳蔵も同じ気持ちなのでは、と思うこともある。だがなにか言われたわけではないし、加えてお菊の登場だ。
 梅乃はちらりと店の中を見やった。お菊が徳蔵にべったりくっついている。

 近い。近すぎる。

 二人の中を怪しむには充分な光景だった。

「はぁ……」

 梅乃は知らず知らずのうちに溜息が零れてしまう。

「ん?」

 足元に違和感がして目を向けた。そこにいたのは――。

「柳さん!」

 猫の柳さんが梅乃の着物の裾に顔を摺り寄せて、「なーお」と鳴いた。
 久々の仕事である。

   *

 日も暮れて、鈴虫の鳴き始めた夜半時。梅乃は徳蔵とともに、柳井堂の前にいた。

「では二人とも、頼みましたよ」

 見送るのは総兵衛。
 常ならば弥吉やきちも来るはずだった。しかしお菊が別の言霊を見つけてきてしまい、そちらに弥吉と共に行くことになってしまったのだ。
 嬉しい反面、いまだもやもやが続いている梅乃は少し複雑だ。だが柳さんが歩き出してしまったので、ついていくしかなかった。

 暗がりの道を、柳さんは迷いなく進む。徳蔵の歩幅も大きい。必死でついていく梅乃だが、時折遅れがちになる。
 徳蔵がちらりと振り返った。少し歩みを緩める。

 なんだろうと梅乃が顔を上げると、手を差し出された。

「繋いでろ。はぐれると困る」

「え!?」

 有無を言わさず手を取られた。声を上げる間もなく手を引かれる。
 鼓動が早くなるのは、走っているせいか、それとも掌から伝わる熱のせいか。

 いつもならば、遅れることはない。弥吉が歩みを合わせていてくれたことを、今さらながらに梅乃は思い至った。
 だがこうして徳蔵は気づいてくれた。それだけで梅乃は胸がいっぱいになる。

 言霊使いとしての仕事中だ。こんな気持ちになっている場合ではないとは思う。
 しかし梅乃はもう少しだけ手を繋いでいたくて、赤くなった頬を闇夜に隠していた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

アルテミス雑貨店~あやかしたちの集まる不思議な店

あさじなぎ@小説&漫画配信
キャラ文芸
片田舎の商店街の一角に、イケメン店員がいると噂の雑貨屋がある。 「アルテミス雑貨店」 それがお店の名前だった。 従業員は3人。店長と店員と学生バイト。 だけど店長は引きこもりで出てこない。 会えたら幸せになれるなんて噂のある店長、笠置(かさぎ)のもとにはおかしな客ばかりが訪れる。 そんな雑貨屋の、少し不思議な日常。 ※むかーしなろうに投稿した作品の改稿版です ※イラストはフォロワーのねずみさんに描いていただいたものになります

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

春風さんからの最後の手紙

平本りこ
キャラ文芸
初夏のある日、僕の人生に「春風さん」が現れた。 とある証券会社の新入社員だった僕は、成果が上がらずに打ちひしがれて、無様にも公園で泣いていた。春風さんはそんな僕を哀れんで、最初のお客様になってくれたのだ。 春風さんは僕を救ってくれた恩人だった。どこか父にも似た彼は、様々なことを教えてくれて、僕の人生は雪解けを迎えたかのようだった。 だけどあの日。いけないことだと分かっていながらも、営業成績のため、春風さんに嘘を吐いてしまった夜。春風さんとの関係は、無邪気なだけのものではなくなってしまう。 風のように突然現れて、一瞬で消えてしまった春風さん。 彼が僕に伝えたかったこととは……。

あやかしと神様の恋愛成就

花咲蝶ちょ
恋愛
 日本の現代社会と平安時代を混ぜ合わせたような日和国。  この国には国と国民の平安を祈る【祝皇】が国を統治なされている。  新しい御代になられて半年、真新しい御代を黒く染めようとする人のレッドスパイ組織や世闇蠢くあやかしから祝皇陛下を守るため、神の化身たるの香茂瑠香は白狐の巫女の葛葉子と出会う。  その巫女とは半年前に出会い一目ぼれした少女だった。  神様彼氏と妖彼女の恋愛成就の物語 ☆主婦と神様の恋愛事情の番外編に半年前の出来事あります。そこから起点です。 2017/05/25完結しました。 続きは、 ☆【あやかしと神様の円満成就】にて。 ☆イチャイチャなのにツンデレな二人です。 ☆恋縁から両思い編です。 ☆ちょっぴり、えっちなひょうげんあります。 ☆本編【祈り姫】の世界観で書いてます。 ☆【主婦と神様の恋愛事情】のスピンオフです。 ☆こちらは二十年後の瑠香が登場します。 【恋日和】には更に先の未来の読みきり短編連載中

フードファイターの恋人

アドウマドカ
キャラ文芸
口下手で妄想つっぱしり傾向の大食いクイーンこもれびちゃんと、彼女のお腹の中に興味津々のクールなドクター橘先生のかみ合っているのかいないのか? はなはだ疑問! そして美味しい恋のお話です。3話完結

特撮特化エキストラ探偵

梶研吾
キャラ文芸
俺は特撮ドラマ専門のエキストラだ。 特撮ドラマだけに特化した俳優を目指して、日夜奮闘努力中だ。 しかし、現実という奴は厳しい。 俺にくる依頼は、出演依頼じゃなくて、撮影現場の裏のトラブル処理ばかり。 不満は募るが、そっちのほうの報酬で食っている身としては文句は言えない。 そして、今日もまた…。 (表紙イラスト・中村亮)

ぬいぐるみ

舞浜あみ
キャラ文芸
姉、夜嵐みのり。妹、夜嵐いのり。二人には他人に言えない秘密があった。お互いの秘密が分かってしまった時に、家族はどうなっていくのか。

処理中です...