黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第50.5話

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 余計に心落ち付かなくなってしまった。

 依織に付きまとうアルファは、知らない間に別人のようにアルファらしいアルファになっていた。力も体格も、明らかに俺よりもあった。
 俺の知っている男は、もっとはっきりとしないぼやついたベータらしいアルファだった。
 それが、あれは、明らかなアルファだった。
 アルファの圧に、俺の本能は震えていた。怯えていた、が近いのかもしれない。

(まさか…、まさか、な)

 ありえない。
 依織が俺以外のアルファと、だなんて。ありえない。

 だから、早く、依織にいつものように笑いかけてもらって、安心したかった。
 好きだよ、とキスをされて、落ち着きたかった。

 それなのに、相変わらず、メッセージは既読すらつかない。
 ブロックされているのかと思ったが、そうではないらしかった。

(じゃあ、なぜ…)

 もとから、メッセ―ジにマメな依織ではなかったのは知っている。それでも安心していたのは、依織の交友関係がすべて、俺を中心として成り立っていたからだ。
 特別な友達は依織にはいない。なぜなら、俺がそうなるように立ち振る舞ってきたからだ。隙あれば、魅力あふれる依織に付きまとう男は現れる。だから、時には家の力を使って排除してきた。
 その網をどうにかかいくぐってしまった存在がいた。
 ぎり、と奥歯から鈍い音がする。

(そんなわけない。ありえない…)

 俺と依織は、運命の番なのだから。

 けれど、現に依織は一人で、シェルターに籠っている。どうして。

(どうして、俺を呼ばない?)

 遠慮してるから? まだ高校生だから?

 今まではそう自分に言い聞かせてきた。
 今は、この夏、散々見せつけられた、兄と依織のツーショットを思い出してしまう。兄がわざとらしく見せてきた光るダイヤを思い出してしまう。それから、あのアルファ。



 本当はそれどこではないのに、怜雅に何度もしつこく連絡をされて、渋々新学期の生徒会会議に呼ばれた日だった。
 俺の気持ちとは裏腹にかんかんと照る太陽に煩わしさでいっぱいになっていた。早く帰りたいとまぶしい光に苛立ちを抱いていた。
 重い足取りで昇降口へと向かっているときだった。
 ふと風に乗って、柔らかく甘い香りがする。間違いなかった。
 不明瞭だった意識がはっきりと浮かび上がり、振り向く。きら、と何かが光った気がした。
 俺が間違えるはずがなかった。

(依織の、依織の匂いだ…)

 遠くに木々の隙間から、気配を感じた。足を速める。匂いがどんどん近くなっていく。
 木陰を抜けて、桐峰の桜並木が開けると、一人の青年の走る姿を確認した。

(依織…!)

 頬を染めて、生気に満ちた顔はいつもより輝いて見えた。香りは瑞々しく、いつもより甘い。おそらく発情期の名残によるものだろう。
 すると、一気にアルファとしての劣等感、選ばれなかった敗北感と突然現れたアルファに圧倒的存在感を浴びせられてしまった情けなさ、依織を信じられない罪悪感、俺は依織が兄や香耶から守るために違うオメガの発情期に身を捧げた苦痛のすべてが身体の中に渦巻いて、ど、と黒い波に己が飲み込まれてしまった。
 がつ、と音がした。左手の甲がじんじんと熱い。見下ろす小さな生き物は、間違いなく依織だった。
 濡れた瞳は大きく揺れ、右頬が赤くなっている。それなのに顔は真っ青で、細い腕が砂利に擦れて、小さな傷ができている。
 ぐらり、と脳を直接揺さぶられた気持ち悪さに襲われる。

(違う違う…違う…、俺がしたいことは、こうじゃない…)

「依織が、いけないんだ…」




 気づいたときには、すべてが遅かった。
 取り残されたのは、アブラゼミのやかましいほどの繁殖を求める鳴き声と、全てを食らいつくすような残酷な日差しだった。

(もう、終わりだ…)

 依織に拒絶された。はっきりと。
 怯えた黒目は俺を映そうすらしなかった。
 腫れた頬とやけにひりつく左の甲が、現実なのだと最終勧告を渡してくるようだった。

(依織に、嫌われた…)

 どこで、間違ってしまったのだろう。

 夏休み、兄の目から隠さなかったから?
 学園に二人で残れば良かったのか。
 香耶と早く別れておけばよかった。
 依織だけを、近くに感じていればよかった。
 兄と依織を出会わせなければよかった。

 はじめて出会ったあの日、俺の番にしてしまえばよかった。

 そんな絵空事にすがるしか、自分を保てなかった。

(とにかく、謝らないと…)

 依織に嫌われた。そう思えば思うほど、奈落の底に落ちていき、立ち方すら忘れてしまう。息の仕方さえも忘れてしまう。ひゅ、と気管に酸素がかすめると、身体が大げさなほど咳き込んだ。詰まったものが剥がれ落ちていくような感覚があって、気づけば目の前が吐瀉物まみれになっていた。それでも身体の嫌悪感は抜けない。ぽっかりと開いた穴は塞がらない。

(ただ、依織が好きだっただけなのに…)

 依織と一緒にいたかった。
 依織に笑ってほしかった。

 突き詰めると俺が望むものはそれだけなのに。
 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。

「う…、ぐ、っ…いお、り…依織…、依織っ…」

 ばらばらと大粒の涙が溢れて、息がしにくくなっていく。手の甲で涙を拭うとそこがひりつく。そのまま、拳をつくって、自分の頬を殴りつけた。口の中がど、と鉄の味が広がる。生臭くて咳が出る。もう胃液しか出ない。

「依織…依織…、依織ぃ…」

 ちゃんと痛い。けれど、依織を殴りつけた事実と、嫌われてしまった現実に打ちのめされる。

(依織は…もっと痛かったはずだ…)

 愛する人を傷つけた自分自身が憎くてたまらない。
 正解がわからない。でも、依織に嫌われたくない。それでも、依織を自分のものにしたいという欲望が身体の奥底から渦巻いて大きくなっていく。

(どうすればいいんだ…)

 どうすればいいのかわからない。

(依織…助けて…)

 差し伸ばした手は、誰にも握られない。








 誰にも会いたくなかった。

 依織以外。




「うわっ、お前、何してんの?」

 後ろから声がする。しゃ、とカーテンがあけられて鋭い光が差し込んでくる。いつ振りかに見た日の光に目が痛む。

「彰っ、大丈夫…?」

 ソファにもたれかかっていた俺に抱き着く人間からは、甘い匂いがする。アルファを狂わす香り。

(違う…)

 小さな身体を押しのける。きら、と金色の細やかな毛先が日の光に反射してまぶしい。

「香耶に頼まれて、マスターキーで入ったけど…お前、何してんだよ…」

 窓際から長い脚で俺のもとへやってきて、腕を組んで見下ろすのは、腐れ縁の怜雅だった。は、と鼻で笑うように溜め息をつく。見下されていることも、どうでも良い。いつもはムカついて仕方なかった。依織にも慣れ慣れしいやつで。いくら俺が威嚇しても、へこたれなかった唯一のアルファだった。それは、こいつが俺と同等、もしくは上位のアルファなのだからだろう。だから、生徒会長なんてことをやってのけられる。

(依織以外、どうでもいい…)






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