黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第42話

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「依織とパーティーなんて、久しぶりで嬉しいわ」

 真っ赤な口紅を塗った母は、年齢を感じさせないほど可憐に笑った。心からそう思ってくれているのがわかる。母親が嬉しいなら、僕も嬉しい。自然と、頬が緩んだ。

「それにしても、そのスーツ。依織にぴったり。さすが、史博さんね」

 隣から、母が僕を眺めて、頬に手を当てて笑みを深めた。
 先日、史博から送られてきたプレゼントは、今日のパーティーのための正装だった。僕のクローゼットは、ほとんど、史博からの贈り物で占められていた。ジャストサイズに作られたオーダーメイドのスーツ。淡いベージュに控え目にさされたチェック柄は上品なものだった。ネクタイはチェック柄に使われているブルーで僕の肌色に馴染んでいた。

「あんなにお忙しい方なのに、毎回マメよね。大切な息子が旦那様から愛されていて、とっても嬉しいわ」

 母はうっとりと手を組みながら少女の顔をしていた。

(母さんも、僕と史博さんが、お似合いだって思ってるんだ)

 良かれとつぶやいた母の言葉は、ちくり、と僕の心に突き刺さり、消化できない毒となっているようだった。じりじりと全身から熱が奪われていく。

(僕の、本当に好きな人を、母は受け入れてくれるだろうか)

 答えのない不毛な考えに心を囚われていると、会場についていた。運転手がドアを開けると、先に会場についていた父がエスコートする。ハグをして喜ぶ母は女性の顔つきだった。僕も母に続いて降りようとすると、手が差し伸べられた。その手を辿って視線をあげると、珍しく髪を引き結んだ彰がにこりと微笑んでいた。

「さ、依織。手を」

 きれいに切りそろえられた爪先が近づく。何度か彰の指先と瞳を見比べるが、譲らないのでそれを受け入れることにする。そ、と触れ合うと彰の手は温かかった。

「依織、今日も可愛いね」

 立ち上がると手のひらを包むように握り直されて、頬をほんのりと染めた彰が、万人が見たらくだけてしまうような甘い笑みを見せる。両親の手前もあり、僕もなんとか笑顔を貼り付ける。

「彰も。よく似合ってる」

 ダークグレーのスーツは、軟派顔な彰の表情とは対照的だけれど、もともと鼻も高く、目元もくっきりとした彰にはクールで似合っていた。

「ほんと!? 依織に言われると特別嬉しい!」

 きゃん、と急に大きな声を出して、大輪の花を散らせる彰は、少年のようだった。つい、くす、と笑ってしまう。僕の手を握っていた彰の腕に、にゅ、とほっそりとした指がかけられる。

「ねえ、彰。お母様たちがお呼びだよ?」

 彰の肘に手をかけて絡みついたのは、ブロンドヘアーを片耳にかかるように撫でつけて、長い睫毛に縁どられて小さな星をたくさんきらめかせる大きな蒼顔を見上げる香耶だった。ちら、と一瞬、僕を見やるが、すぐになかったものとして彰を見上げて、潤んだ桃色の唇を緩ませた。

「いこ?」

 彰は、眉間に皺を寄せて、香耶を見下ろしてから、僕に向き直って微笑んだ。

「ごめんね、依織。ちょっと挨拶してくるわ」

 会場であるホテルラウンジを通って、階段をあがっていく二人の姿は、まさに童話に出てくる王子様とお姫様そのものだった。急に静かに感じられて、僕は手のひらを握りしめた。
 隣から、父に名前を呼ばれて、意識を取り戻すまで、二人の背中を、じ、と眺めてしまっていた。






「まあ、彰さんと香耶さんはお似合いですわ」
「ありがとうございます」
「高校卒業した後は、ご結婚ですか?」
「香耶にも大学生活を経験してもらいたいので」
「僕は、すぐにでも彰さんのことを支えたいし、お母さまたちに孫の顔も見せたいのですが…彰がこう言って聞かないんです」
「まあ、香耶さんはいい奥様になりますわね」

 緩やかなピアノが流れる中、彰と香耶は仲睦まじげに腕を組みながら、婦人たちに囲まれていた。相思相愛に見える美しくしあわせが溢れる未来の夫婦に見える。
 グラスに入ったノンアルコールドリンクをあおる際に、彰は欠かさず僕を探して、視界に入れる。会話の隙間を縫って、僕を見つめる。その視線の熱に、じ、と身体が焦げてしまうようだ。それに居心地の悪さが常につきまとい、逃げ場もなく僕は視線を落として、磨かれた革靴の爪先を見つめるばかりだった。

「彰さんもやっぱり史博さんの弟ね」

 近くでこそこそと囁く令嬢の声がする。ちらり、と横目で見ると、同い年くらいだろうか、瞳の大きな令嬢が二人、口元を隠しながら熱心に彰を見つめていた。

「凛とした佇まい…あの甘いマスク…、素敵よね…」
「二番目でもいいから、お供させていただきたいわ…」

 うっとりと溜め息をつく二人は僕に気づいていないのか、知らないのか会話を続ける。
 すると、香耶がこちらに視線を送った気がした。ぎら、と瞳が鋭く光った気がしたが、すぐに朗らかに天使の微笑みを貼り付けて、小さく小首をすくめた。その仕草に、隣の令嬢はきゃ、と小さく悲鳴をあげ、慌ててドレスのスカートをつまんで頭を下げる。

「香耶さんも麗しいわ…、お似合いのお二人…。まるで絵画の世界から飛び出してきてしまったようだわ」
「香耶さんには敵わないわ…」

 彼女たちの言う通りだ。
 学園のいたときから、ずっと言われ続けていることだった。僕自身も素直に思う。
 彰と香耶が並ぶと、そこだけ異国のような、異次元のような、美しさと華やかさをもった神々しさすら垣間見えるようになる。それだけ、二人は見目麗しく、腕を組み微笑み合う姿は、深く愛し合っている夫婦のようにお似合いなのだ。

(それで、いいじゃないか…)

 だから、彰が僕に固執する理由が全くわからなかった。
 彰は、僕を好きだという。それは、呪いのように。
 僕も、もしかしたら、彰を恋愛対象として見ていたのかもしれない。けれど、そんな気持ちは、今は全く影を見せなくなってしまった。僕が彰に対して抱いている感情は…。

(なんて、表せばいいのだろう…)

 わからない。怖い、のもそうだし、正体がわからない、のもそうだ。それでも、僕は彰の手を本気で拒めていない気がする。

(透が一番なのは、変わらないのに…)

 親友として、傍にいたいと、まだ願っているのだろうか。
 はたまた、僕が家族以外に持ち合わせている人間関係が彰しかないからだろうか。

 自分のことなのに、まったく自分がわからなかった。ぐるぐると思考を巡らせていると、周囲の空気がざわり、と変わる。
 ふ、と甘いムスクが香り、背筋が伸びる。周囲の人々が視線を向ける入口の扉に、おそばせながら視線を移す。ぎい、と重い音がして、ドアマンが扉を開けると、後ろに数人、スーツの大男を引き連れた美丈夫が颯爽と現れた。きゃあ、と若い女性の恍惚とした悲鳴が聞こえる。



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