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第39話
しおりを挟む「いーおりっ」
放課後を知らせるチャイムが鳴ると、いつものように彰がやってきた。満面の笑みと、ほんのりと染めた頬は見るものを魅了するものだろう。
「いこっ」
「香耶、くん、は?」
手首を握られて、出口へとずんずん長い脚で進む彰に尋ねると、握る手の力が強まった。ぐい、と引き寄せられると、彰が耳元で囁いた。
「邪魔者は怜雅に押し付けたから、今日は少し時間があるんだ」
にっこりと微笑む顔は王子様と形容されるにふさわしいのに、残酷な言葉に背筋が冷える。
(自分の婚約者なのに…)
いくら色々なアルファと関係を持っていて最低だとしても、香耶が彰を見つめる瞳には恋のそれが滲んでいるように思えた。近くにいて見ていると、それがよくわかる。
「あ、彰…っ!」
「早くいこ」
こめかみに唇が触れると、彰はまた歩き出した。触れられたこめかみを指先で押さえる。
(言わなきゃ…)
透と思いを通じ合わせてから、何度も試みていた。けれど、香耶がいたり、人がいたり、そのような場所で伝えることはタイミングではないと見送っていた。
空き教室の扉をがら、と開けたところを見て、彰は僕と二人きりになる場所を選んだ。
何をされるのかという恐怖と共に、チャンスだと自分を叱咤する。
「彰っ…!」
部屋に入る前に呼び止めようと叫ぶが、お構いなしに思い切り腕を引っ張って、室内へと連れ込まれる。倒れ込むように、彰の胸元に飛び込んでしまう。長い腕に包まれると身動きは取れなかった。
「あー…、久しぶりの依織…嬉しい…」
つむじに鼻先を埋めて、目の前の胸元が大きく膨らみ、しぼむ、を繰り返す。
「い、いや…っ」
羞恥に距離をとろうと腕を上げるが、その手を彰は掴んで、指を絡めるように握りしめる。
「依織…」
背中に回った腕が肩口から前に伸び、顎を掴まれる。じり、と琥珀の奥に焦がれる何かが見えて、慌てて空いている片手で彰の口元を覆って押し返す。
「だ、だめだよ…、こういうこと、よくない、よ…」
目を見て言うことが出来なかった。きっと、圧せられてします。視線を落として、唇を守るように顔を伏せる。
次にやってくる衝撃に身体を固めて警戒するが、取り越し苦労だったのか、彰からの反応はない。今しかないと、唾を飲み込んで口を開いた。
「彰には、香耶、くんが、いるんだし…、よくないよ…もう、やめよ、っんう」
言い切る前に口元を覆っていた手首を握られて、壁にダンッ、と押し付けられ、唇を塞がれてしまった。
「ん、うっ、やっ…ぁう…、んん、あき、んう…や、だぁっ…!」
首を振って唇から逃れようとすると、ぬるり、と熱い何かが口内へ侵入してきて、大きく口を開けた彰に覆われてしまう。
ぐじゅ、ぐちゅ、と鼻の奥あたりから脳に響く。口内で、彰の舌が暴れているらしかった。歯茎をしっかりと舐めつくし、僕の舌に絡みついて、じゅるじゅる、と唾液を啜るように吸い込まれる。ぞわぞわ、と聴覚からも全身に寒気のような痺れが走る。
溢れた唾液が口の端から輪郭を伝って、首筋に垂れる。
「んぁ、や、やだっ、あきらっ、やめ、んうっ」
唇が離れると、熱い舌が口の端から唾液を辿って、首筋に吸い付いてからもう一度なぞって、口内へと帰ってくる。嫌だと言うのに、そう伝えれば伝えるほど、彰は強く舌を吸い、唾液を流し込んできた。
執拗に責められる苦しさに、僕は諦めるしかなく、彰の唾液を、こくり、と飲んでしまう。
脱力した僕の手首を解放し、両手で抱き寄せられる。口内と一緒で、彰の身体は熱かった。冷え切ってしまった僕の身体とは真逆だと強く感じさせられてしまう。
「依織…、大好きだよ…」
先ほどからは考えられないほど優しく頬を撫でる彰は、うっとりとつぶやいた、唇を合わせる。長い舌は丁寧に口内をくちゅ、くちゅ、とかき混ぜて唇を吸い合わせる。
つ、と濡れ潤んだ唇と僕の唇に糸を引きながら、眦を染めた彰はゆったりと微笑む。
「俺はいつだって、これ以上したいけど…、いきなりじゃ依織がびっくりしちゃうよね?」
腰回りを大きな手のひらがやけに撫でまわしてくる。冷えた頭は恐怖で落ち込むだけで、どうもできなかった。
「依織に合わせてるんだから、言うこと聞いてよ。俺だって、相当我慢してるんだよ?」
ね、と甘く笑みながら、固く張り出した股間を押し付けてくる。ぞ、と全身の血が引いて、がたがたと身体が震える。
「わかった? わかったなら、依織からキスして?」
喉がひきつって、声が出ない。身体はがっちりと強い力で支配されていて、自分の身体ではないようだった。
身体の芯から冷たくて、言うことを聞かない。瞳は虚ろに下がって彰の胸元が見えた。聞こえているけれど、反応できない。
(それでも…)
「ゃ…」
「仕方ないな、依織は…」
振り絞った声は、くす、と機嫌よく笑った彰が顎を掬って、唇を塞いで吸い込んでしまった。
瞼を降ろすことは叶わずにいると、目の前には、潤んだ琥珀の瞳と、その中心に底のない真っ暗な闇が見えた。ばら、と大粒の涙が零れた。
(僕は、何も変われないんだ…)
『夏休みですね。依織先輩はご実家ですか?』
暗闇の中、布団を被った自分の顔を照らすのは、スマートフォンの画面だった。
僕と透をつなぐ、最後の糸みたいなものがこの機械なのだ。
(会いたかった…)
夏休みは実家に帰省しないといけない。
それはこの学園に入学を許してくれたときの約束だったからだ。それに、僕も僕で、家の付きあいに付き合わなければならない。
(だから、会いにいきたかった…)
つい、と指先を動かすと、少し前のメッセージが表示される。夏休み前の今日、透からは、待っています、と随分遅くに連絡が入っていた。それをもらった時には、もう僕はこの布団の中にいた。
(頑張れなかった僕が、会っていい訳ない…)
メッセージアプリを開いて眺めているから、既読がついてしまっている。スマートフォンでやり取りすることの少ない僕は、いまいち頭が回っていなかった。
今日の朝の挨拶以外、返事をしていないのに透から、またメッセージが送られてくる。
『電話してもいいですか?』
どき、と心臓が動いた。
また、しゅぽ、と軽快な音を立てて透の言葉が届く。
『声だけでも聞きたいです』
自然と身体が起き上がった。頭の中がぐる、と回り出す。
(ど、どうしよう…)
電話がかかってきたら、どうすればいいのだろう。
なんて話をすればいいのだろう。
何を、言われるのだろう。
今、透の声を聞いたら、どうなってしまうのだろう。
すべてが未知で予想がつかない。なぜなら、結局彰を拒みきれなかった自分が情けないからだ。
(透なら、よかったのに…)
僕にキスをしたのも、抱きしめてくれたのも。熱く求めてくれたのも。
(会いたいよ…)
ずっと忘れていた涙が、画面に落ちた。ぼや、と文字を溶かしてしまって、次の透のメッセージが読めなかった。
声も聞きたい。触ってほしい。あの透き通った瞳が僕でいっぱいになってるのを確認したい。
優しい声で僕の名前をたくさん呼んでほしい。好きだって、言ってほしい。
僕も大好きって言いたい。透、って、たくさん名前を呼びたい。
その度に、くすくすと嬉しそうに笑う透を見上げたい。
着痩せするたくましい身体に抱きしめられて、甘い匂いをたっぷり身体に吸い込みたい。
(やっぱり、ダメなのかな…)
どっちつかずで、透を傷つけている。
こんな自分に、透はもったいないのだ。
だけど、透だけは、譲りたくない。
なのに、透のように誠実に過ごせない自分が憎くてたまらなくなる。
ベッドにスマートフォンを落として、立ち上がる。カーテンの隙間から零れる月あかりがまぶしかった。虫が電灯に呼ばれるように、僕も立ち上がってカーテンを開いた。見上げた夜空は、電灯が邪魔で星明りは見えない。けれど、その中でも、まん丸の月がきらきらと光っている。
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