黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第38話

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 義務のように迎えに来る彰を香耶が先に見つけ、僕が後から合流する。彰は腕に絡みつく香耶を押しのけて、僕の前に立ちはだかる。顔をあげると、彰は光ない剣呑とした瞳で僕を見下ろしていた。
 瞬間、ぞ、と血の気が引く。

(もしかして…、透と会っていたのが…)

 バレたのかもしれない。反射的に目をそらす。

「ねえ、依織」

 明らかに苛立ちを漂わせる声色に肩がすくんでしまう。カバンの紐を強く握りしめて、今にも震え出しそうな身体を誤魔化す。

「昨日、なんで一人で帰ったの?」

 ぎゅ、と心臓が強く萎縮する。大丈夫、ちゃんと理由はあるのだから。

「あ、彰が…、先に帰って連絡してきたから…」
「俺が?」

 疑うようにつぶやかれて、目を硬くつむったまま、うなずく。事実なのに、冷や汗が背中を垂れる。

「メッセージで…送られてきたから…」

 ポケットからスマートフォンを取り出す動きが見えて、そろり、と視線をあげると、画面を確認した彰が、瞠目したあと、舌打ちをして、後ろを振り返った。

「香耶…」
「早く行かないと遅刻しちゃうよ~」

 香耶が彰の腕に飛びついて、甘えるように擦り寄りながら、唇を尖らす。早くいこう、と微笑みかけ、一歩踏み出した。それに従う前に、彰が僕の手首をつかむ。途端に身体が恐怖に固まるが、彰は眉を下げながら笑った。

「ごめん、勘違いしてたみたい。いこ?」

(どういうこと…?)

 彰の怒りは途端になくなった。二人からは同じシャンプーの香りがする。

(彰が送ったんじゃないの…?)

 でも、絶対に送ってきたのは彰のアカウントだった。疑問を残したままだったけれど、彰の機嫌が直ったことと、何よりも透とのことが発覚されずに済んだことに胸を撫でおろした。






「じゃあ、依織。今日は早く終わらせるから」

 ようやく訪れた放課後に、彰がそう言って手を振る。僕もそれに手を振って応える。背中が見えなくなって、窓から彰と香耶が生徒会室に入っていくのを確認した後、すぐに僕は階段を駆け降りた。
 出来るだけ、人の少ない道を通る。ローファーは諦めて、罪悪感が募るけれど上履きで土を踏みしめる。幾重にもなる笹の葉をかき分ける。道を覚えているか、正直不安だったけれど、僕の身体は、頭は、ちゃんと、透との秘密の園を覚えていてくれた。
 天窓も扉もすべて解放して風を通している景色はすっかり夏模様になっていた。
 ゴム手袋と長靴をはめた透が肥料の袋を三つも抱えて中から現れた。

「透…っ!」

 駆け足のまま思わず名前を叫ぶと、僕に気づいた透は、肥料を投げ落とすように地面において、満面の笑みを見せる。

「依織先輩!」

 名前を呼ばれただけなのに、じわあ、と身体の末端から熱がうまれる。長い脚で近づいてきた透は、腕を伸ばして僕の手を握ろうとしていたようだが、そんなのでは満足できなくて、走った勢いのまま胸の中に飛び込んだ。どん、とぶつかるけれど、透の身体は一歩もよろけることはなかった。厚みの増した身体がぐらつくこともなく、僕を抱き寄せて、頬ずりをした。

「透…、会いたかった…」
「僕も…、依織先輩…」

 昨日、会ったのに。
 なぜこんなに、久しぶりに会えたかのように心が躍るのだろう。密着した身体からは、力強くて早い心音が僕の音と混ざって心地よい。
 しっとりと汗ばんだ身体からは、透のフェロモンが香り立ち、陶酔してしまう。
 お互いの体温を分かち合い、ゆっくりと身体を離して、筋肉に包まれてたくましい腕を撫でる。見上げると、頬を染めた透が、もう一度僕の名前を宝物のように大切に呼んだ。
 瞼をそ、と降ろして、背伸びをする。透もかがんで、僕たちの唇は触れ合う。
 喜びに震える睫毛を持ち上げると、透の濡れた翡翠の瞳がそこにあって、照れくささと多幸感に、笑ってしまう。透もつられるように、ふふ、と笑って、お互い、また気がすむまで抱きしめ合う。

(嬉しい…、透…大好き…)

「依織先輩…、好きです…」

 心の声が漏れていたのかと驚くが、透が柔らかい声色でそうつぶやくから、さらに擦り寄って、僕も、と胸元でつぶやいた。
 また、こうして透と触れ合えるなんて思ってもいなかった。
 透と、ハグをして、キスをして、好きだと言い合えるだなんて想像もしていなかった。



 随分遅くなった黄昏時がやってきて、僕は仕方なく瞼を上げる。ベンチの上で、二人で抱きしめ合っていた。汗ばんだ身体も無視して、ただただ、透と触れ合っていたかった。早くて力強い心音は、心地よくて、溶け合ってしまいたかった。

「ごめん…、そろそろ帰らないと…」

 いつもなら連絡が来る頃合いだった。その前に図書室に戻らないといけない。どこで誰が見ているかわからないから。

「…はい」

 透はそう答えるのに、離れようとした僕を抱きしめ直して離さなかった。

「と、透…?」
「はい…、わかってます…」

 それなのに、透は抱きしめる腕の力を強める。僕の知らない透の反応で、驚きと共に、独占される身体が喜びで痺れる。

(嬉しい…でも、行かないと…)

 今朝、彰が勘違いをして見下ろしてきた瞳の冷たさと、バレてしまったのかと思った時の後悔は容易に思い出せた。

「透…、ごめん…」

 肩を押すと、透は素直に解放してくれた。少しの寂しさを感じられながらも、胸を降ろす。柔らかく顎を掴まれて視線をあげると、まっすぐに僕を見つめる瞳が近づいてくる。

(わ…っ)

 きゅ、と瞼を降ろしてから、息を吸う。濡れた唇が触れ合って、軽く吸われる。ちゅ、と愛らしい音を立てて離れていく気配がしたので睫毛を持ち上げると、じ、と深い翡翠色の宝石が見える。頬を透の長い睫毛がくすぐったいと思ったら、もう一度、唇が触れ合う。

「ん、…っ」
「依織先輩…」

 ちゅ、ちゅ、と角度を変えて、何度も吸い付かれる。ぞの度に、ぞわぞわと背筋を甘い電流が走って、落ち着かなくなってしまう。

「も、だめ…、行かない、と…、んぅ…」
「もう少しだけ…」

 食むように唇が吸われると、さらにどろり、と脳の奥が溶けていく感覚になる。

(どうしたの、透…)

 必死にキスをする透は、昨日見た、野性味のある、アルファらしい透の目つきだった。ぎらり、と光って、僕を一つも見逃さないとばかりに見つめている。

(俺のだって、言われてるみたい…)

 ぶるり、と身体が震える。うなじがじり、と焼けるように主張しはじめる。

(嬉しい…)

 透の精悍な輪郭に指を添えて、僕も唇を食むように合わせる。唇の裏が触れ合って、今までに感じたことのない得体のしれないものが、腰に向かって走っていって、下腹部が重くなるようだった。
 は、と顔を離すと、透も荒い吐息で僕の名前を囁いて、自分の唇を舐めていた。壮絶な色香に僕は処理しきれなくなってしまって、急いで透から身体を離して立ち上がった。

「ぼ、ぼく…っ」

 シャツの胸元を握り締めると、ど、ど、ど、と全力疾走をした時よりも心臓の音が大きく早く鳴っていた。

「依織先輩!」
「ま、またね…っ!」

 カバンをひっつかんで、外へと駆け出した。



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