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第25話
しおりを挟む「おいしい…!」
勉強の合間に、と、先週ほどから咲き始めたハウス外のラベンダーを摘んで、透がハーブティーにしてくれた。
今まで飲んだものの中で一番、色鮮やかで香り高く、甘みもあった。透は、思わず大きな声が出た僕を、よかった、と眦を垂らして喜んだ。
「去年もすごくいい匂いをさせていたのですが、今年は依織先輩が好きかなと思って、ティーにしてみました」
だから、嬉しいです。
頬を赤らめて笑う透の言葉に、僕は、どきん、と心臓を高鳴らせる。
(僕のため、ってことだよね…)
ティーカップを両手で持ち直し、口づける。
昨日、透のことを知った。帰り道、初めて、一緒に帰った。暗い道を、ぽつりぽつりと話をした。静寂の方が長かったけれど、僕たちの間に流れる空気がそれで充分だった。
隣に透がいる。いつも、一人で歩いている寮までの道のり。妙に、透がいる側の腕が熱く感じられて何度も擦った。
あっという間に、オメガ寮についてしまって残念だったけれど、透が正反対に建っているここまで送ってくれた紳士な姿に心臓を鷲掴みにされたような苦しさと喜びで胸がいっぱいだった。アルファ寮へと、来た道を帰る透の背中が見えなくなるまで、寮の前で立ち尽くした。その間にも、何度も透は、ふと思い出したように振り返って、僕を見つけては、笑って手を振る。
気づいてもらえて、嬉しい。小さく手を振り返すと、また透は笑って、前を向いて歩き出す。暗いから、早く部屋についてほしいと思うのに、早く振り向いてと願ってしまうわがままな自分に驚いた。
その時間を、甘い、と感じるのは、僕だけなのだろうか。
(大好き、って、どういう意味だろう…)
昨日、透は僕を抱きしめて大好きな人、と言った。以前にも、透はさらりと僕を、大好き、と言ったことがあった。
(あれは…透の好き、って…)
目の前で、汗の粒をつけながらも、ペンを握り、さらさらと整ったきれいな字をノートに書く透を見る。姿勢正しく、長い指でペンを持っているだけなのに、その姿は凛々しく、美しく見える。
ゆるやかに弧を描いている唇が、ふと目に留まってしまう。
桃色で、薄いけれど優しい唇。
僕は、その唇の感触を知っている。
(キス、もした…)
でも、あれは、僕からしたもので…。無理矢理、だったかもしれない。
透は、優しいから拒絶しなかっただけ…かもしれない。
透の唇の柔らかさを思い出して、耳の先まで熱くさせるけれど、思い直して血の気が引いた。けれど、次には、真剣に勉強をする伏し目の長い睫毛に、ぽう、と視線を外せなくなる。
ふる、と毛先が揺れたと思うと、その奥から琥珀色に透き通る瞳が現れる。
「どうかしましたか?」
甘く笑んで、ゆったりとそう囁かれる。
きゅ、と唇を引き結んで、急いで首を横に振る。すると、透はくすりとさらに笑みを深める。大きい手のひらが差し出されて、僕の頭を軽くぽんぽん、と叩いて、撫でる。それから、こめかみについていた汗を掬って去っていく。
透が触れた髪の毛を手櫛で直すふりをして、そ、と触れる。余韻を味わうように。
(もっと、撫でてほしい…)
汗の滲んでいたこめかみを指先で撫でる。やけにそこに、熱がこもっているかのように気になるのだ。
(透に触れられると、いつも、そう…)
全身の血液がそこに集まったかのように熱くなる。それから、さわさわとしてきて、地に足ついていないような感覚になる。それから、もっと触れてほしいと思ってしまう。
透はよく頭を撫でてくるようになった。
けれど、昨日の話を受けて、それは、僕が望んでいるものと少し違うのかもしれないという気がしてきた。
(妹弟が多いって言ってたし…)
頭を撫でる透の手は、兄の手なのかもしれない。
つまり、僕は、弟扱いされている。
(僕も、透のことは、大好き…。だけど…)
大切な人に、家族のように、大切に扱ってもらえることは、すごく嬉しいことだ。温かい気持ちになる。
けれど、僕は、透に対しては、それだけでは足りない、のだ。
(僕の大好きと、透の大好きは、違う…)
僕よりも厚みも高さもある身体で抱きしめてほしい。
僕よりも倍以上ある手で触ってほしい。
僕にだけ笑いかけてほしい。
僕にだけキスしてほしい。
僕と同じだけ、大好きになってほしい。
発情期の時に見た、透との夢を思い出す。
透に求められる。透のすべてを求める。透が与える愛撫すべてが愛情そのもので、僕を唯一慰める方法だった。
途端に、自分の好きが、浅ましくて卑しい汚らしいものに思えてしまった。
(透は、僕を弟のようにかわいがってくれているのに…)
僕は、透に対して、肉欲も求めているらしい。
透がまっすぐに、透明に、僕を好きだと言っているのに、僕が返している好きは違う。
(こんなこと、簡単に言っちゃだめだ)
発情期で得た、あんな卑猥な想像の透。
それは、口が裂けても言えないものだと強く感じた。だから、透に、簡単に好きなんて言ってはだめだと胸元を握りしめながら、息をひそめて決意する。
「どこか、具合が悪いですか?」
声がして、顔をあげると眉を下げて透き通った瞳でこちらを見つめていた。
「い、いや! なんでもないよ」
「そうですか…?」
変に慌ててすぎただろうか。だけれど、透は小首をかしげながら訝しんでいた。その後に、すぐに教えてくださいね、と優しい声でつぶやいた。
すぐに僕の変化に気づいてくれる。
僕を一番に気にしてくれる。
その温かくて優しいところが、やっぱり…
(好き…)
心の中で、何度もつぶやいてしまう。
(心の中なら、仕方ないよね…?)
透にバレなければいいのだ。
だから、心の中で、僕が透をどれだけ好きかも、本当はその奥で、透に対してどんなことを求めているかも、僕だけの秘密にしてしまえばいいのだ。
そう結論づけると、透の指先のきれいなピンク色の爪がきちんと短くて、彼の真面目さを顕著にしているようで、それすらも好きだ心の中で唱える。それから、僕の手よりも節ばっていて、大きくてかさついている手もかっこよくて好き。衣類をまとっていると着痩せするけど抱きしめられたときに感じる、筋肉質な身体も魅力的で好き。長い髪の毛で野暮ったく見えるけど、透き通った光をたくさん集める瞳も、優しく垂れた眦も、いつもぽかぽか色づいている頬も、高くて筋の通った鼻筋も、薄いけどいつも優しくゆるむ唇も、とがった顎も、さらついた肌も、全部が好き。透の細胞一つひとつまでもが愛おしいとまで言い切ってしまいそうだった。
「やっぱり、具合悪いですか?」
じ、と見つめて、頬杖をしてうっとり溜め息までついて透に見入っていたら、本当に心配している顔がそこにある。
邪な考えが漏れてしまわないように取り繕うけれど、その心配している表情ですら好きだと思ってしまうから、僕の脳みそは溶けてしまったのかもしれない。
古びた扇風機が、ぎぎ、と嫌な音を立てながらも首を回していた。
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