黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第22話

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「ふぅ…」

 隣から息をつく音が聞こえて、手元のノートから視線を移す。
 定期テストまで二週間を切ってから、僕たちの放課後は土いじりと共に、勉強会も加わった。
 透はすぐに僕の視線に気づき、どうしましたか、と優しく尋ねる。頬を伝う汗を透は手の甲で拭った。

「やっぱり、ここ暑いね」

 今日はあいにくの雨だった。屋根を締めても風は通るが、やはりもう外は苦しい暑さになっていた。僕よりも身体が大きくて体温の高い透はもっと暑く感じていることだろう。

「明日から図書室にする?」

 僕が今まで、放課後を潰していた場所を提案する。静かで、人も少なくて、本のにおいも心地よいものだった。
 そう提案するが、透は、んー、と首をひねって、元の態勢に戻ってしまった。誠実な透らしく、教科書にはメモや付箋、マーカーなどが使われ、よく勉強していることがわかった。ノートも、彼らしい整った字でわかりやすく説明つきの素晴らしいものだった。
 そのこめかみには、また汗の粒が光っていた。ポケットからハンカチを取り出して、そ、とそれに当てる。

「透、汗すごいよ…」

 このままでは倒れてしまうのではないかと思うほど、汗をよくかく彼が純粋に心配だった。
 振り返る透の、長い前髪から覗いた額にも、汗が浮かんでいる。それにハンカチをあてる。やはり、顔が赤い。

「あ、ありがとうございます…っ、でも、見た目の通り、身体は丈夫ですから」

 ハンカチを持つ手を、やんわりと押し返されてしまう。

「それより…」

 今度は、透がタオルを取り出して、僕のこめかみに当てる。ふんわりと僕の肌を撫で、真剣に僕の顔を覗き込む澄んだ瞳にどきり、と目を見張る。

「依織先輩も暑そうです…、大丈夫ですか?」

 かがんだ透から、ふわ、と甘やかな香りがする。長い指がハンカチを掴んで、意外に器用に前髪の下の汗を拭ってくれる。優しい手つきに、大切にされている安心感と高揚感が僕を包む。汗をかいて冷やそうと身体は頑張っているのに、顔が一気に暑くなる。澄んだ瞳に吸い込まれてしまいそうで、視線を伏せてしまう。

「…やっぱり、雨の日は図書室に移動しましょうか」

 その時、透がようやく同意してくれたのが嬉しかった。単純に、健康面のこともあったけれど、透とここ以外の場所で二人でいられることに対して、デートだと思って完全に舞い上がっていた。
 だから、透が寂しそうな、困ったような笑みを浮かべていたのにも気づかなかった。






 こんなに雨の日を喜んだことはなかった。
 朝起きると、昨日の雨が続いていた。僕は起床と共にカーテンを開けてガッツポーズをとってしまうほどだった。

「じゃあ、放課後は図書室で」

 昼食後に顔を綻ばせながらそう言うと、透はいつもの笑顔でうなずいていた。
 放課後のチャイムと共に教室を出て、後ろから彰を呼ぶ転校生の声が聞こえる。けれど、今日は気にならなかった。早く、僕は目的の場所へ行きたかったから。

(はじめて、校舎内で透と会う…)

 つい、鼻歌が漏れそうな気分だった。湿度が高くじめじめと暑苦しく、雨も強い。けれど、僕の足は軽くて、スキップまで踏んでしまいそうだ。

「姫、楽しそう…」
「元気そうで良かった」

 すれ違う生徒たちの中から、そんな言葉をこぼす生徒もいた。

「王子、ほんと見る目ない」
「僕は絶対天使より姫派」
「同じく。幼馴染は正義!」

 こそこそと熱く語る人たちもいる。どういう意味かはよくわからない。とにかく、僕は急がないといけない。梅雨でどんよりした校舎内が、今の僕には、蛍光灯に照らされ白く吹き抜ける解放感ある素敵な場所に見えた。
 図書室につくと、急いだにも関わらず、もうすでに複数人の生徒たちがいた。僕の姿を認識すると、声を抑えながらもざわめく人もいた。

「うそっ、姫じゃん」
「図書室選んでラッキー!」

 身を寄せ合って勉強をしている小柄な生徒がそう言って、朝の僕のように小さくガッツポーズをとる。理由はどうであれ、可愛らしいその姿に、思わずくすり、と笑みがこぼれた。それをみた生徒たちは、ぽ、と顔を染めて、顔面を手で隠して悶えていた。
 いつもだったら、もっと人は少ない。ほぼ貸し切り状態なことが多いが、やはりテスト前ということもあり、図書室内には十数人がすでに勉強を始めていた。自習室もいくつか教室を開いて展開しているため、もう少し少ないかと思っていた。

(やっぱり、二人っきり…とは、うまくいかないよね)

 随分贅沢でわがままなことを思っていたのだと気づいて、恥ずかしくなる。首を小さく横に振って、座席を探す。
 僕は、透にすぐ見つけてもらえるように、入口から見やすい六人掛けのテーブルに腰を下ろして、自習道具を引っ張り出した。問題集とノートを開くが、いつ透が来るのか、落ち着かなくて全く頭に入ってこない。がら、と扉が開く音がすると、すぐに顔をあげて確認する。

「うわっ、姫いんじゃん」
「かわいっ」

 目当てでない人たちで、僕はしょんぼりと肩を落として、ノートと向き合う。
 アルファらしいスタイルの良い二人組は僕をちらちらと見ながら、後ろのテーブルへと荷物を降ろした。

(透、まだかな…)

「つか、番犬いなくなったし、姫に声かけてみる?」
「確かに…、一世一代の大チャンスか!?」
「実は、俺ずっと気になってたんだよね…」
「いや、俺も…」

 他のことなんか何も気にならない。
 ただ、僕は、僕の思い人がやってくることだけに集中していた。

「ねえ」

 後ろから知らない男に声をかけられたの同時に、ドアが開いた。

(透…っ!)

 急いで立ち上がった。伏せていた視線をあげた透と目が合うと、手を振る。透は、眉を下げて小さく手を挙げた。

「え、姫が待ってたの誰…?」
「姫、かわい…」

 周囲が僕の行動を見つめていることに気づかない。僕には、透しか見えていないから。
 透に手招きをして、隣の椅子に置いていたカバンを降ろす。書架スペースを長い脚でゆっくりと抜けて、透が目の前に来る。優しい香りといつもいた本の匂いが混ざって、とくとくと身体に流れる鼓動が気持ちいい。

「珍しい、今日は遅かったね」

 静かな図書室でいつものように声を出すわけにはいかない。隣に座った透に肩を寄せて、こっそりと囁く。

「滅多に来ないから迷ってしまいました」

 透も静かにつぶやいて笑った。僕は透が隣にいるだけで、楽しくて、くすくす笑ってしまう。

「え…」
「マジ…?」
「姫と…?」

 周囲がひそひそと何かをざわめきだす。



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